陰陽Gメン警戒中!
25
「……ここ、ですね。遂に辿り着きました……!」
風水羅盤に埋め込まれた方位磁針の針が指し示す先を見て、栗栖が呟いた。
五十嵐が暦を訪ねてきてから、早二週間が経っている。この間、暦と栗栖は五十嵐に残っていた裏天津家の術の気配を風水羅盤に移しこみ、それによって導き出される場所を東奔西走してきた。
更に暦は、間を縫って五十嵐の新人研修も行っている。松山や他のスタッフ達も、いつも以上に研修に力を入れてくれているのだが、それでもアルバイトチーフである暦ほどは新人への教え方に慣れていない。
「……本木さん。流石にちょっとお疲れ気味ですね。大丈夫ですか……?」
「何とか。けど、これ以上体酷使したら、冗談抜きで邪悪なるモノ出そう……」
「それ、笑えないです……」
街灯の光が弱く薄暗い路地だが、それでも栗栖の顔が引き攣ったのがわかった。薄暗闇の中、栗栖の墨染の狩衣が微風にはためく。
「それにしても……よくその恰好で出歩いて、職質受けなかったよね。二週間も」
そう……栗栖はこの二週間、裏天津家の術の気配を探る時は常にこの狩衣を着ていた。やる気があるのは結構だが、大変目立って仕方がない。
だと言うのに、警察はおろか、道を歩く人すら誰一人として気にする事がなかった。てっきり誰かに注目され、警察に声をかけられるか、最悪の場合写真を撮られてツイッターにアップされ、「ちょ、町中を平安貴族が歩いてんだけど」などという言葉と共に世界中に拡散されてしまうだろうと覚悟していたというのに、だ。
「気にされないように術を使っていましたからね。町をゆく人々から見れば、僕はどこにでもいるごく一般的な格好をした華奢な大学生ですよ。職質なんかされるわけがありません」
「……結界もそうだけどさ。天津君の使う術が色々と都合が良過ぎて、そろそろ本格的に陰陽師って何だっけ、って考え出しちゃってるんだけど……」
「人間の技術が日々進歩して、例えば電話機がスマートフォンに進化しているように、陰陽の術も常に新しく、レベルアップしているんですよ」
自らをスマートフォンに例えるのか。
「あ、いえ、今のは言葉の綾でして……」
自己賛美が強過ぎたとでも思ったのか、栗栖が慌てて弁解の言葉を発した。そして、誤魔化すようにごほんと一つ咳をする。
「それにしても、ここに辿り着くまで二週間……長かったですね……」
「そうだね……」
そう、長かった。五十嵐が店を訪ねてきたあの日、気配がわかった以上すぐにでも裏天津家に辿り着けると思っていたのだが、それから何だかんだで二週間もの時を要してしまった。五十嵐の新人研修のために仕事をしていた日もあるとはいえ、ここまで長くかかるとは思っていなかった。
「五十嵐さんにかかっていた術は、犯人グループの中では一番かかりが弱かったんでしょうね。だからこそ、本木さんに痛めつけられた後、一日頭を冷やしただけで完全に正気に戻ったんだと思います。普通は術が解けても、しばらくはどこかおかしくなってしまったままですから」
本当に頭が冷えているかと言われると疑問が残るが、とりあえず頷いておく。
「かかりが弱かった分、気配も弱かったんだよね。五十嵐君が万引きに誘われたっていうゲームセンターまで辿り着いたところで、完全に気配が途切れてたんだっけ?」
「はい。五十嵐さんの家に式神を飛ばしてみたりもしたのですが、そちらから辿るのも駄目でした。時間が経ち過ぎていて……」
だが、ゲームセンターにはまだ気配が残っていた。術をかけられていた時の五十嵐だけではなく、あの夜共に万引きをしたのであろう少年達の気配も。
「そう言えばさ、音妙堂から追跡するんじゃ駄目だったの? 多分、逃げた後に家に帰るぐらいはしたと思うんだけど……」
「退院したその日に、休めという店長命令に逆らって追ってみましたよ。けど、駄目でした。目的を完遂した後に術を解かれたらしく、裏天津家の気配を追う事ができなかったんです。事件発生当時は僕自身ダメージを負っていて意識が安定していなかったせいか、彼ら自身の気配はうろ覚えでしたし……」
だから、裏天津家の術の気配を探していた。術の気配を辿れば、少年達の家がわかる。それぞれの家がわかれば、裏天津家の根拠地の大体の場所を特定できる。そこからは、式神と風水羅盤を駆使して絞り込めば良い。
「他の人達は、五十嵐さんよりも強く術にかかっていましたからね。その分気配も、まだ濃く残っていました。お陰で、彼らの家……延いては、裏天津家の根城がある場所がわかった……!」
気配を一つずつ辿り、犯人グループの少年達の家全てを確認した。流石に家から先まで術の気配を辿る事はできなかったが、少年達の家がわかっただけでも上出来だ。
尚、少年達の家は発見した順番に、匿名で警察に通報しておいた。時間が経って証拠も残っていないだろうし、警察がどこまでやってくれるかは不明だが。
それぞれの家を地図上で結んでみると、コンパスでも使ったのかと思えるほど綺麗な円形が現れた。いくら何でも犠牲者探しの場所選びに気を使わなさ過ぎだろう。……いや、あえてそう思わせるようにしてみたのか? 考えて結論の出る事ではないが、恐らく、前者だろう。何となく。
円で囲まれた地区に式神を数体解き放ち、探させた。そして、普段のバイトの時間を使って、風水羅盤を掲げながら夜な夜な同地区を歩き回る。そうして、二週間かけて探し回った末にようやく今、裏天津家の根城と思われる建物の前に辿り着いたのだ。
パッと見ただけの印象だと、それほど変わった雰囲気は無い。ただ、かなり大きいとは思う。
二階建ての戸建て建築。土地面積は四百平方メートルは下らないだろう。壁は恐らくALCパネルという奴で、懐中電灯で照らしてみれば可愛らしい薄緑色の塗装がなされている。更に、小洒落たドアや掃き出し窓を生垣越に見る事ができた。生垣には季節の花がバランス良く並び、芳香を放っている。建物のそこかしこにこだわりが見え、どう考えても建売住宅ではない。
「……自らが正義のヒーローになるために千年もの間社会の治安の悪化を狙ってきた陰陽師もどきなんていうふざけた存在が、こんなに広くて小洒落た注文住宅に住んでいるとか世間が知ったら、それだけで世の中に邪悪なるモノを大量生産できそうなもんだけど……」
「しかも、見てくださいよ、本木さん。横の一回り小さな土地。よく見たら裏天津家の根城のブロック塀と小さな門で繋がっています。……という事は、ここも裏天津家所有の土地という事になりますね。物置のような小屋が申し訳程度に建っているのは、税金対策のつもりでしょうか?」
「……何でここに来ていきなり税金対策とかまともな思考回路してるの、裏天津家。……と言うか、この土地、何のために持ってるの……?」
「決まっているでしょう? 来る決戦の日に、表天津家との戦いの場とするためですよ、本木さん!」
突如、頭上から声が降ってきた。暦と栗栖はハッとして、天を仰ぎ見る。
二階の、更に上。カラーベスト屋根の大棟に、人の姿が見える。声の主は、最早確認するまでもない。
裏天津家当主、天津栗庵。光が乏しく見え辛いが相変わらずの黒づくめの恰好で腕を組み、更待月と呼ばれる半端な月齢の月をバックに佇んでいる。
「やっと来ましたか、表天津家! 待ちくたびれましたよ!」
「待ちくたびれるぐらいなら、地図付きの招待状を出してくれても良かったんですよ? 一体何時間待っていたのやら」
「そろそろ来る頃だろうと見越して待ち始めてから、三日と二十三時間五十三分です! あなた方を買い被っていましたよ! いくら何でも待たせ過ぎです!」
「……すみません……」
思わず、暦と栗栖、二人揃って頭を下げた。それだけの長い時間待っているとは夢にも思っていなかった。まさか、ずっと屋根の上にいたのだろうか。いや、流石にそうではないだろう……と、信じたい。
頭を下げた二人を見て、栗庵の顔がニタリと歪んだ。
「あはっ! あはははははっ! 良いザマですねぇ、表天津家! 遂に! 遂に表天津家が、我が裏天津家に頭を下げる日が来たんですねぇ! あははははは!」
狂った笑い方が板についている。本当に正義の味方を目指しているのだろうか。
「どう見ても悪役だよね、あれ……」
「まったくです。あれと先祖を同じくするなんて、本当に嘆かわしい限りですよ」
二人揃って、マリアナ海溝よりも深い溜め息を吐く。その姿が癇に障ったのだろう。栗庵が、笑うのをぴたりと止めた。
「どうやら、自分達の立場がわかっていないようですねぇ! あなた方は、裏天津家の本拠地にたった二人で乗り込んできた、袋の鼠! 鴨を背負ったねぎであり、あと少しで囚われの虜囚となる身なのですよ! 少しは神妙にしたらどうなのですか!?」
「ねぎを背負った鴨ならわかるのですが、鴨を背負えるねぎというのは初耳ですね。是非見てみたいものです。あと、囚われの虜囚って、言葉が重複してませんか?」
「一々指摘するのはやめてあげようよ。言い間違いぐらい、誰にだってあるんだからさ」
淡々とした二人の言葉に、栗庵がぷるぷると震えだした。月明かりだけでは確認できないが、顔も真っ赤に染まっているかもしれない。
「うるさいですよ! そんなに地獄へ落ちたいのであれば、わかりました! とっとと死んで、黒縄地獄にでも落とされてしまいなさい!」
「黒を好むから黒縄地獄と言ったんでしょうけどね。そこは他人の財物を盗んだ者が落ちる地獄ですよ。一度も盗みを働いた事の無い僕や本木さんが、どうやってそこに落ちるっていうんです?」
鴨の話もそうなのだが、何故わざわざ煽るのだろうか。
栗庵を見れば、栗栖に煽られた怒りで髪は逆立ってメデューサのようになっているし、体は驚異的なバランスで海老反りになっている。口からは「ふぅおひひょおぉうぅおおぅおぉ……」と怒りに満ちて言葉になっていない声が漏れだしている。ヒトではない何かに生まれ変わりそうな様子だ。
「生成りって言葉が頭を過ぎりますね、あれを見てると」
「何とでも言うと良いですよ。それよりも、表天津家……いよいよ決戦の時です!私が勝って、千年来の天津家の悲願を果たすか。あなたが勝って、全てを無に帰すか! そろそろ雌雄を決しようではありませんか! さぁ、この戦いの場にお入りなさい!」
戦いの場というのは、この眼前の広い、物置小屋が建っているだけの空地の事か。栗栖が、顔を顰めた。
「あれだけ周りの迷惑を顧みず、店内で邪悪なるモノを生み出しまくったお前が、今更場所の指定ですか? 怪しいですね。何か罠でもしかけてあるんじゃないですか?」
「誰がそんなせせこましい事をするものですか! 寧ろ、死にたくなければ、さっさとこの地に入る事ですね!」
あからさまに、怪しい。暦と栗栖が顔を見合わせて様子を見ていると、焦れたらしい栗庵が呪符を取り出し、構えた。
「ぐずぐずしていないで、さっさと入れば良いのですよ!」
呪符を、暦達目掛けて投げる。宙を勢いよく飛び進む呪符は、途中から炎を発し、煌々と輝いた。暦と栗栖は、咄嗟に避ける。だが、栗庵は容赦なく呪符を投げ続け、避け続けているうちに二人は件の空地へと足を踏み入れていた。
「! しまった!」
栗栖の声に緊張が満ちる。それと同時に、遠くからブオォォウ……という低い音が聞こえてきた。音は次第に近付いてきて、それに合わせるように強い光が辺りを照らす。そして。
大型のダンプカーがその場を通り過ぎて行った。荷物を最大限に積載しているのか、重々しい音をガタゴトとたてている。車幅が道幅とほぼ同等なので、あのまま道で様子見をしていたら轢かれていたかもしれない。
「……」
暦と栗栖は、遠ざかるダンプカーの後姿を眺めながら、何とも言えない微妙な顔をした。栗庵が一人、勝ち誇った顔をしている。
「わかりましたか? この付近には急ピッチで施工中の建設現場があって、昼となく夜となく大型車両が行き来しているのです! 命が惜しければ、この地から外へは出ない事ですね!」
暦と栗栖は、黙ってその場に留まった。栗庵は満足そうに頷くと、踵を返す。
「どこへ行くつもりですか!」
栗栖が見咎めて叫ぶと、栗庵はハッと鼻で笑った。
「あなたは、私がこのまま屋根から飛び降りて、あなたの目の前に着地できるほどの運動能力を有しているとお思いですか?」
そう言うと、栗庵は姿を消した。カンカン、というアルミ製のはしごを降りる音がして、次いでガラッという窓を開ける音が聞こえた。普通に内部の階段を降りて出てくるつもりらしい。
「……待っている間に、準備運動でもしておきましょうか……」
「そうだね……さっきみたいに攻撃された時、避けなきゃいけないもんね……」
大きな家だけあって、外に出るだけでも時間がかかるらしい。中々栗庵は出てこない。屈伸をしながら、暦は栗栖に声をかけた。
「それにしても……何で今になって最終決戦をしようと思ったんだろうね、裏天津家? 今まで、天津君や音妙堂に嫌がらせをしたり、直接出てきてもどこかに行っちゃったりで、回りくどい事ばっかりやってたのに……」
「考えられる理由は、二つあります。まず、単純に僕に嫌がらせをするのに飽きたという理由」
裏天津家だと、その理由が有り得そうで怖い。
「二つ目は、裏天津家内部でとっとと表天津家を片付けて、それからじっくり計画を進めろ、という意見が強くなってきたという理由です。表天津家に僕の弟や叔父、従弟、術を使える使用人や居候の妖がいるように、裏天津家だって親族や眷属がいますからね。それらからやいのやいのと言われたら、当主と言えども動かざるを得ません」
「そう言えばさ、表にしろ裏にしろ、親族とかって今どこで何やってんの? 両家とも当主だけ体張ってるように見えるんだけど」
伸脚をしながら問えば、アキレス腱を伸ばしていた栗栖は「ちゃんと動いてますよ」と言う。
「裏天津家の親族や眷属は、また別の土地で迷惑をかけています。表天津家の親族や眷属は、その対応に忙殺されている感じですね。手が空けば手伝いに来てくれると思いますが」
「そう」
呟いた時、扉が開いて閉まる音がした。いよいよ、栗庵が外に出てきたらしい。ブロック塀に設置された門から栗庵が出てきたら、今度こそ最終決戦とやらが始まるのだ。
その前に、暦は一つだけ、栗栖に問いたくなった。
「天津君。最後に一つだけ聞かせてくれるかな?」
「何ですか?」
「裏天津家との決着がついたら、その後はどうするの? もう裏天津家が仕掛けてくるのを待つ必要も無くなるし……店……辞めるの?」
その問いに、栗栖は数瞬黙った。そして、迷う声で「わかりません」と言う。
「この戦いで、僕がどうなるのか。戦いを終えて、僕が何をどう感じるのか。迷惑な大量万引きの元凶である裏天津家が消えても、店の皆さんは陰陽師である僕を受け入れてくれるのか。終わってみなければ、何もわかりません。だから……答えられません」
「そっか……」
門の開く音がした。もうすぐだ。ほんの数秒を大事にするように、暦は微笑んだ。
「続けたかったらさ、遠慮無く続けなよ。皆、天津君と働くの、結構楽しんでるからさ。勿論、俺も」
「本木さん……」
少しだけ湿っぽい……しかし、温かみのある声が返ってきた。薄暗い場所ではあるが、微笑んでいるのが何となくわかる。
「ありがとうございます」
それが、会話を締めくくる言葉となった。門を出た栗庵が、二人の方へと近寄ってくる。右手には呪符、左手には小さな壺をいくつも縄で括った物。
両の手を前方に突き出し、栗庵はニタリと笑った。
「さぁ、始めましょうか!」
言うや、二人目掛けて幾枚もの呪符を投げ付けてくる。ある呪符は稲妻を発し、ある呪符は火花を散らす。それらが一気に弾け、辺りは閃光に包まれた。