陰陽Gメン警戒中!
22
「そこで追いかけて天津君や店長とっ捕まえて、誰が相棒なんざやるかゴルァ! とか言わないというか言えないあたりが、本木さんっスよねぇ」
楽しそうに笑いながら、村田が取り置き棚の整理をしている。
裏天津家当主、天津栗庵が店に現れた翌日。時間は、深夜の十二時四十五分。あと十五分で閉店時間だ。店内には十人を超える数の客。スムーズに閉店作業に移れるかどうかは、微妙なところだ。例えば、一人二人がいつまでも立ち読みを続けていれば、閉店時間を過ぎても中々店を閉める事ができない。注意を促す事はできるが、居座ろうとする客はそれでもいるものだ。
大学生らしき客に、会社員らしき客。高校生にしか見えない客もいるのが、少々気にかかる。
店の方針で、女性は夜十時まで、高校生は男女を問わず八時まで、という事になっている。今の時間、二川や西園のような女性や高校生のスタッフはいない。
「俺だったら、ガツンと言いますけどね。やらない、嫌だ、って」
「断るんだ? 村田君なら、楽しそうだとか言いながら引き受けると思ってたよ」
何しろ、裏天津家と真正面から対峙した際に、二川と揃って阿呆な名乗りを上げていたぐらいだ。……と言うか、村田一人で二人分の名乗りを上げていた。てっきり、村田も正義の味方になれるものならなってみたいというタイプかと思っていたのだが。
「店長と同類みたいに言わないでくださいよ。俺だって、基本的に危険な事に首を突っ込んだりはしたくないっス。昨日のアレは、本木さんが人質に取られてましたし。あと、何となくノリで」
「あの時は助けようとしてくれてありがとう。けど、あのノリは要らなかったよ」
同じ事をまたやったりしないように、と釘をさす。村田は照れた顔で「てへっ」などと言っているが、どれだけ阿呆で危険な事をやったのかわかっているのだろうか。
「……んで、当の天津君は、今どうしてんですか? 今日は閉店までいるんでしょ?」
「あぁ、今は店内の巡回に行ってるよ」
「じゃあ、終わったら天津君も誘って、皆で夜食にラーメン食いに行きませんか? 本当に相棒をやるにしろ断るにしろ、もっと交流しといた方が良いでしょ?」
村田の言葉に、暦はなるほど、と頷いた。
「それもそうかもね。じゃあ、店を閉めたら皆に声をかけて……」
「ちょっと、何やってんですか!」
突然、栗栖の怒鳴る声が聞こえてきた。暦と村田はハッとして顔を見合わせる。声が聞こえてきたのは、コミックコーナーの方だ。
「本木さん!」
「うん。村田君、レジをお願い!」
そう言いながら、暦の足は既にコミックコーナーへと走っている。店長である松山が力を入れているコミックコーナーは、この店の顔でもある。だから出入り口に近く、その分万引きに遭い易い。
栗栖が働くようになってからは式神効果と巡回効果によって、ほとんどの犯人をその場で捕まえる事ができるようになったが、それでも万引きに手を染めようとする者は後を絶たないのが現状だ。
「天津君!?」
コミックコーナーに飛び込んで、暦は目を疑った。
数人の少年。高校生と、恐らく大学生。ザッと数えてみれば、七、八人はいる。誰も彼も、目が虚ろだ。それが、一斉に暦を睨んでくる。
白い物が大量に散らばっている。あれは、栗栖作の式神発生呪符ではないか?
棚はほとんど空になっていて、少年達は、皆大きな袋を抱えている。
そして栗栖は、複数の少年に取り囲まれ、壁に押し付けられていた。頭を掴まれ、額からは血を流している。
「天津君!」
叫んだ暦に向かって、一人の少年が向かってきた。顔付きから判断すると少年達の中で一番若そうだが、スポーツでもやっているのか体格は一番良い。
少年は腕を振り上げて、あからさまに暴力を振るおうとしている。暦は思わず少年の腕を横から掴み、捻りながら押し下げた。少年が呻き、他の少年達が暦を見る目が変わった。先ほどまでよりも、殺気が籠っている。
このままでは、本格的に命の危険に晒される。暦は、咄嗟に叫んだ。
「村田君、警察と救急車!」
警察、という言葉に少年達がたじろぐのが見えた。栗栖を壁に押し付けている少年の手が緩む。暦は、声での追撃を緩めない。
「足立君、援護に来て! 柔道サークル所属の、腕の見せ所だよ!」
武道経験者がいる、という事実には相手を怯ませる効果が充分備わっているようだ。少年達は顔を見合わせ、栗栖から手を離すと一目散に出入り口から逃げ出した。
一足遅れて、足立がやって来る。どこか悔しそうな表情の栗栖が、ずりずりと壁を伝って崩れ落ちた。
「天津君!」
足立に確保していた少年を預け、栗栖に駆け寄り、額の血が出ている部分を確認する。壁にぶつけられたようだ。派手な出血ではないが、病院で検査してもらった方が良い。
遅れてやってきた村田が、少年達を追おうと駆け出した。それを、暦は大声で制する。
「村田君、待った! 相手が多過ぎるよ! 危険だから、一人で追っちゃ駄目!」
村田が足を止めたのを確認してから、再び栗栖に視線を戻す。
「天津君、俺の声わかる!?」
「大丈夫です。……けど、本が……」
「取り戻すのは警察に任せて! 今は治療の方が大事だよ!」
ハンカチを取り出してみるものの、一日使ったハンカチはしわくちゃで湿っている。傷口に当てても良いものか少し迷って、とりあえず顎まで伝っている血を拭い取る。
「けど、あの犯人達……あれは、どう見ても……」
「……うん……」
頷き、暦は床に視線を移した。呪符が大量に散らばっている。これを抜き取っておかないと、式神が発生する。あの少年達は、それを知っていた事になる。つまり、彼らは裏天津家に操られている者達。ある意味、被害者だ。
「放っておいたら、更に被害は拡大するかもしれません。万引きされる店も、彼らの罪も……。ここまで奴らをのさばらせてしまったのは、表天津家の失態です。早く、何とかしないと……!」
「いやいや、ここで無理に動いても、どうにもならないよねぇ? 責任を感じるなら、まずは体調を万全にして、相手を全力で叩きのめせるようにしないと」
声が聞こえ、暦はハッと振り向く。いつもと雰囲気の違う笑みを顔に浮かべた松山が、そこにいた。
「松山店長……」
栗栖の声に応える事無く、松山は空になってしまった棚に手を当てている。しばらくそれを眺めてから、軽く息を吐いた。
「本木君……この棚の光景さ、見覚え無い?」
「……」
言わんとする事にすぐ思い当たり、しかしどう言えば良いのかわからず、暦は黙り込んだ。気配で暦の考えている事を察したのだろうか。松山は、「うん」と頷いた。
「一ヶ月半前の……天津君を万引きGメンとして雇う事になった切っ掛けになった、あの事件。僕達にとっては、この一連の騒動の冒頭部分とも言える、あの大量万引き事件と同じだよね」
棚に当てられた手が、ギリギリと強く握られていく。拳が、細かく震えている。
関係の無い客が何人か、何事だろうと視線を送ってきた。しかし、松山はそんな事は気にしない。
「ふざけやがって……!」
笑顔のままで、ドスの効いた低い声で、はっきりと吐き捨てた。目に狂気が宿っているのは、きっと気のせいではない。暦も、栗栖も、村田と足立も、思わずたじろいだ。一般の客は言わずもがなだ。
「今回の奴らが、この前の大量万引きと同一犯なのかどうかは、知らないよ。天津君への嫌がらせのつもりなのか、本来の目的である治安の悪化を狙ってのものなのか、それも知らない。ただ、これだけは言える。……裏天津家は、この店をナメてる。そして、完全に僕に喧嘩を売った」
普通に考えたら、「だから?」で済みそうな話なのだが、今の松山が言うと妙に怖い。喧嘩したところで、負ける気がしない三十代のオッサンだというのに、だ。
「全面戦争だ」
その言葉が聞こえた時、暦の耳には周りの音が何も聞こえなくなった。己が唾を飲み込む音すら、聞こえない。
「音妙堂書店と、裏天津家の戦争だよ、これは。天津家の表裏対決だけなら、笑い話で済む。けど、繰り返し万引きをする、スタッフに怪我をさせる、Mに調教しようとする……やり過ぎだよね」
「だから、調教ってのは違いますって」
どこまでそのネタを引っ張るつもりなのか。思わずツッこんだ事で少しだけ気が緩んだのか、周りの雑音が戻ってきた。ホッとした暦の耳には、尚も松山の言葉が飛び込んでくる。
「ナメた真似をした裏天津家を、徹底的に叩き潰す。天津家への制裁は天津家で、っていうのが表天津家の家訓らしいから、基本的には天津君に任せるけど……僕達は僕達で、全面的にサポートするよ。あっちが見苦しいまでに泣いて「お許しください」って言いながら土下座するまでね!」
「そこまでやったら、むしろこっちが悪役じゃないですか」
一応言ってみるが、勿論松山は聞いていない。ふふふふふ……と怪しげな笑いを発するのみである。
「……裏天津家は、ひょっとして……とんでもない物を覚醒させてしまったんじゃないでしょうか……?」
微かに震える栗栖の血を引き続き拭い取りながら、暦は「あぁ、うん」と気の無い返事をした。こうやってすぐに諦めて現状を受け入れてしまうところが、順応力が高いと思われてしまう所以だろうか。
「……ある意味、裏天津家の思惑通りになってるよね。何かほら、邪神覚醒とか、いかにも正義の味方が活躍できる場面だし」
「松山店長が邪神ですか?」
困惑する栗栖に、暦はため息を吐きながら松山を指差して見せた。
「少なくとも、天使とかの良いものじゃないでしょ。……あの笑い声を聞いて、否定できる?」
「……できませんね。ただ、古今東西の物語で邪神を覚醒させた者がそのまま正義の味方に収まるパターンは非常に少ないように思いますから……」
「うん。邪神と一緒に葬り去られる事が多いよね。……で、今回の場合……俺達も邪神サイドなんだよね」
何せ、邪神もとい松山は、暦達の上司であるわけだから。
「正義の味方不在の戦いですか。……いかにも裏天津家が引き起こした騒動らしいですね」
「普通は、こういう場合って……勝った方が正義、ってなりそうなものだけど。何かもう、どっちが勝っても正義とは言えそうにないよね、これ……」
「ですよね……」
騒ぎの中心である栗栖は、申し訳なさそうに息を吐く。そして、力無く笑った。
「けど……正直なところ、頼もしいです。覚醒した松山店長がサポートを約束してくれて、本木さん達が力になってくれると考えただけで……いつもの倍以上の力が出せそうな気がします」
「そう……」
暦は、ただ軽く頷いた。そんな暦に、困惑気な顔をした村田と足立が近付いて来る。足立は、暦が捕獲した万引き少年を捕まえたままだ。
「ところで、本木さん」
「あの……すっごくどうでも良い事かもしれないんですけど……」
二人の言葉に、暦は「うん」と頷いた。言わんとする事は、口にされずともわかる。暦も、同じ気持ちだ。
「何で俺達、店長が覚醒した、って言葉を何の疑問も抵抗も無く受け入れてるんだろうね……?」
「……慣れって怖いですね……」
「そうだね……」
そして、松山と栗栖を除くスタッフ全員で大きくため息を吐く。パトカーと救急車のサイレンが、遠くから聞こえてきた。