陰陽Gメン警戒中!









11










意外な事とは、予想もしていなかったから意外な事なのである。普段から「意外な事が起きないかなー」と言いつつ、「こんな事が起きないかなー」などと、どのような意外な事を期待しているのか具体的に想像していれば、それはもう意外な事ではない。

それを踏まえて考えれば、今のこの状況は意外な事と言っても差し支えないだろう、とバックヤードを出ながら暦は思う。

事の起こりは、数十分前。栗栖に手伝わせながらコミックの在庫チェックを行っていた暦の事を、スタッフの一人が呼びに来た。

「本木さん。何か、本木さんをご指名の女子高生が来てるんですけど」

「は? 指名? 俺を? どういう事? ここはホストクラブじゃないよ?」

怪訝な顔をしながら矢継ぎ早に問う暦に、呼びに来たスタッフも首を傾げている。

「俺も、うちではそういうサービスは行っておりませんって言ったんですけどね。そんなんじゃないし! 本木さんに会いに来ただけだし! って言って、譲らなくって」

結構ノリが良くて上手い物まねに、暦は「ん?」と首を傾げた。その喋り方、どこかで聞いた事がある。それも、つい最近だ。大体、聞いた事が無ければ「物まねが上手い」などと感じるわけがない。

一体誰に似ていると思ったのだろうと考えながら、告げられた通りレジへと向かう。レジが見えてきたところで、そこで待っていた制服姿の女子高生が「あっ!」と大きな声をあげた。

「やっと来た! 本木さん、何やってたの? 遅いし!」

「あれ、西園さん!?」

思わず、暦も素っ頓狂な声をあげた。暦を訪ねてきたのは、先日この店で万引きをし、バックヤードで今までに無く強力な邪悪なるモノを生み出してくれてしまった女子高生、西園愛恋。あの時の不安げな顔はどこへやら。すっかり明るい顔になっている。

西園を万引き犯として確保した時に、栗栖が大きな声で目立つ事を叫んでしまったわけだが、栗栖が「客用の扉から外に出ると、店内で目や耳にした万引き犯の個人情報全てを忘れてしまう」という結界を張っていた。お陰で西園は、ちゃんと反省した事もあって再びこの店に出入りできるようになっている。

「……今日はどうしたの? まさか、この前の事で何かあった?」

少し心配になった顔で問えば、西園は明るい顔で首を横に振る。緩くパーマをかけた、肩に届く長さの茶色がかった髪がふわふわと揺れた。

「ううん。〝彼氏〟と別れたから、本木さんには報告しとこうと思って!」

「……はい?」

思わず、前のめりになった。後から追い付いてきた栗栖も、怪訝な顔をしている。

クエスチョンマークが飛び交う二人の心境を知ってか知らずか、西園は「聞いてよ、本木さん!」と声を荒げた。他の客の視線が気になって、そのままバックヤードに連れて行く。通りすがりの二川が、目を眇めて見てきた。

「何やってんですか、本木さん。平日の夕方から女子高生をバックヤードに連れ込むなんて、いやらしい」

「違うから! 頼むから二川さん、同席して! あとで何か奢るから!」

「仕方が無いですね。じゃあ、国産天然のうな重特上肝吸い付きで」

「もの凄く暴利な気がするけど背に腹は代えられない……!」

「えー? 私は別に、本木さんと二人っきりでも気にしないけど?」

「余計な事言わないで、お願いだから!」

「本木さん。僕は? いた方が良いですか? 良いですよね?」

「……ごめん、どっちでも良いかな……」

「そうですか……」

シュンと項垂れながらも、栗栖はトコトコとついてくる。そして、バックヤードの扉が閉まったところで、西園は待ちかねたように口火を切った。

「聞いてよ! 〝彼氏〟ってば私の他に五人も付き合ってる〝彼女〟がいたんだよ! もう、本当最悪! 信じらんない!」

「五人……それはそれは……」

「男の目から見ても、とんでもない男ですね」

「まぁ、それだけイケメンなんでしょうね。そして、性格もまぁ、常識的かどうかはともかくとして、一般的、と。本木さんや天津君じゃ、とてもそんなハーレムは築けないでしょうし」

「そうですね。我が天津家は、何故か代々、女性への求愛行動で非常に苦労する星を背負っているようですし」

それは多分、性格というただ一点を直せば、難無く逃れる事ができる星だろう。まぁ、そう簡単に直せるとも思えないが。……と言うか、代々なのか、天津家。

「ちょっと、今は私が話してるんだけど!」

不満そうな西園に、暦は「ごめんごめん」と苦笑した。そして、「それで?」と言って続きを促す。

「万引きしちゃって、警察に連れてかれて。帰ってから、よく考えたよ。それで、本当に私の事好きなのかな? って思ったから、話をしようと思って呼び出したの。メールで。そしたら、同じような事を別の子にも言われてたみたいで、私への返信に「落ち着けよ。まだその話してるのか、初奈」って! 別の名前で!」

言いながらスマートフォンを操作し、そのメールを呼び出して見せてくれる。二川が、「うわ……」と顔を顰めた。

「クズですね」

「そう! クズだったの! 女の心を弄ぶ最低野郎だったの!」

鼻息を荒くする西園を、暦は「まぁまぁ」と宥めた。そして、少しだけ腰をかがめて目線を低くし、西園の顔を覗き込む。

「それで……大丈夫だったの?」

「大丈夫、って……?」

西園が、首を傾げた。暦は「その……」と言い淀む。

「〝彼氏〟がその……そんなんで、嫌な気分には当然なっただろうけど。その……世の中が嫌になっちゃったりとか、もの凄く不安になったりとか……そんな事にはならなかった?」

もう一度、「大丈夫だった?」と訊く。西園の頬が、微かに赤く染まった。

「うん。……元々、不安に感じてたし。それに、あんな事があって、ちゃんと考えてたから。本当に好きなのかな? って。だから、何となくこういう結果は予想してたし、覚悟もできてたし……うん、大丈夫だったよ。本木さんのお陰」

「へ? 俺?」

自分を指差す暦に、西園は頷いた。

「そう。本木さん、私に色々と訊いてくれたじゃん? 〝彼氏〟のどういうとこが好きなのか、どうカッコ良いのか、って。ああ言われたから、私、本当に〝彼氏〟の事が好きなのかな、どういうトコが彼の良いところなのかな、って考えるようになったんだし。だから、大して傷付かずに済んだのは、本木さんのお陰って思うワケ! ありがと!」

「……そっか……」

ホッとした気持ちと、西園を救えたらしいという誇らしい気持ちと。二つの喜びから、暦は微笑んだ。すると、何故か西園の顔が更に赤くなる。

「だからね、お礼をしようと思って」

「お礼?」

うん、と西園は頷いた。にっこりと笑う顔は、中々可愛い。大人ぶって軽く化粧をしているようだが、無しでも多分可愛いだろう。

「私、ここでバイトする!」

「……はい!?」

暦だけではなく、二川と栗栖も目を見開いた。そんな三人を、西園は面白い物を見る顔付きで見ている。

「友達のお姉ちゃんが別の本屋でアルバイトしてるんだけど、本屋っていっつも人手不足で困ってるんでしょ? だから、心配してもらったお礼に、ここでバイトしようかなーって!」

「……そりゃ、たしかにいつも、通常業務を担当するバイト増えないかなー、とは思ってるけどさ……」

「西園さん、たしか高校三年生でしたよね? 受験があるんじゃないんですか? バイトなんてしてる場合じゃないんじゃ……」

「バックヤードでオフダ投げて、悪霊だの陰陽師だの言ってる人にジョーシキ語られたくないし!」

栗栖が「えっ」という顔をした。こっちを見るな、という顔をして、暦はそっぽを向く。

「ねぇ、良いでしょ? 万引きなんかしちゃって、仕事増やしちゃったお詫びに、一ヶ月くらいはタダ働きでも文句言わないし!」

「いや、その……ねぇ。そういうわけには……」

「……と言うか、本木さんにバイト雇う権限とか無いですよね?」

二川の冷静な言葉に、一同はハッとした。そうだ、この店で人を雇う権利を持っているのは、店長である松山だけだった。

「そうだよー。そして僕には、受験直前で気がそぞろになっている高校生を雇う気も無ければ、労働基準法に違反して人をタダで使う気もさらさらありません。……って言うか、労働の質と対価ってイコールだからね。良い仕事をしてもらいたかったら、やっぱそれなりの賃金は払わないとね。人件費かからなくても、いい加減な仕事されたら困るし。報酬って、相手の時間やスキル、労働力の他に、仕事に対する責任感に対しても払うものだからさぁ」

「うわぁっ!?」

突然、背後から松山が現れた。それも、至極真っ当な事を言いながら。

西園を見詰める松山の顔はニコニコと笑っているが、本心はわからない。何せ、松山はこの店の店長であり、スタッフの誰よりも万引き犯を憎んでいる。反省したとは言え、万引きをしてしまった西園への印象が良いとは思えない。

その歓迎されざる空気を敏感に感じ取ったのか、西園が松山を睨み付けた。

「受験前でも大丈夫だし! それに私、尽くすタイプだから! 雇われたら、責任持って一生懸命働くに決まってんじゃん!」

「そうだねー。自分の事を愛してくれてるわけでもない〝彼氏〟のために万引きまでしちゃうくらい尽くすタイプだよねー」

うわ、言っちゃいけない事言っちゃったよ、この人。暦が顔を青褪めさせ、栗栖が「ありゃりゃ……」という顔をし、二川も流石に顔を顰めた。そして、西園はと言えば……。

「……般若だ……」

「能楽で使う般若の面って、鬼と化した女性の表現らしいですよ。その感想は適格ですね」

「……折角、邪悪なるモノ、調伏したのに……」

暦の声は、やや震えている。二川は冷めた目をしている。そして、栗栖はしょんぼりとして呟いた。

角や牙こそ生えていないが、今の西園の表情は般若と称するに相応しい。凄まじく殺気立っていて、パッと見草食系の暦や栗栖などは、一息に噛み殺されそうだ。

「あ、天津君……どうすれば良いの、あれ……」

「はっきり言って、実はある意味まずくも何ともない状況です。西園さんの殺気が強烈過ぎて、辺りを漂う雑霊や悪霊達まで腰が引けてます……」

栗栖の腰も引けている。

「何それ、西園さん凄い。……天津君、いっそ助手にしたら? 西園さん」

「嫌ですよ。まずくないのはある意味って言ったじゃないですか。たしかにあれなら邪悪なるモノは出現しませんけど、胃潰瘍的な意味で僕達の命がピンチな事に変わりはありませんよ。西園さんを助手にしたら僕が頻繁に胃潰瘍的なピンチに陥る可能性があるんですよ!?」

声が泣き声になっている。すがるような目で、暦を見た。

「本木さん、こないだみたいに西園さんを落ち着かせてきてくださいよ。大丈夫です本木さんならできますファイト!」

「先にあんな怖い事言われて、行けるわけないでしょ!」

「生きている人間が一番怖いって、こういう時も言えるんですかね?」

「二川さん、何でそんなに冷静なの」

「常日頃から大学で女子グループと交流してますし」

「何それ、女子怖い……」

「やっぱり、天津家の人間は女性への求愛行動で苦労する星の下に生まれてるんだ……求愛する以前に、女性に恐怖を覚えるようじゃ……と言うか、怖い女性にしか巡り会えないんじゃ……」

「天津君、落ち着いて。あの様子を見たら、天津家の人間じゃなくても恐怖を覚えるから」

フォローになっていないフォローを暦がしている間にも、松山と西園の睨み合いは続く。二人の間でバチバチと閃光が走っているように見える。

「何かアンタ、上から目線でムカつく!」

「あー、やっぱ君、ウチで働くの無理だねー。僕、この店の店長だよー? つまり、誰にとっても上司になるんだよー? 同じ職場で長く働く最大のコツは、職場の人――特に上司と仲良くなる事だからねー。高校、短大、四大、どれを卒業してから働くつもりか知らないけど、就職したら参考にすると良いよー」

語尾を一々伸ばしているのは、わざとだろうか。これは、西園でなくても頭に来る。

「店長、いくら何でも言い過ぎです! 何かもう、西園さんに限らず、俺達から見た店長の株もだだ下がりしそうですよ!」

「えー? みんな、元々僕の株なんて買ってないでしょ?」

「そう思うなら、日頃の態度を少しは改めましょうよ……」

取りつく島の無い松山の態度に、暦はがくりと肩を落とした。そんな暦に対して、西園は何故か目を輝かせている。

「上司と仲良くできなくても、他の人と仲良くできれば良いんでしょ? なら、本木さんと仲良くするから! むしろ、アンタやあの変なヒトに振り回されそうになったら、私が守ってみせるし!」

ビシッという音を立てながら、西園が栗栖を指差した。栗栖は「え?」と呟いて自分を指差している。うん、君はたしかに変な人だと思うよ。

「ここで働くなら、仕事は本木君を守る事じゃなくて本屋の仕事だよ。雑誌を出したり、コミックや文庫の品出ししたり、期限の切れた雑誌を回収したり、レジ打ちしたり掃除したりコミックをシュリンクがけしたり本の発注したり掃除したりクレーム対応したり万引き犯を捕まえて奈落に叩き落としたり僕にツッコミ入れたり天津君にツッコミ入れたり本木君をいじったり」

「店長、途中から本屋の業務関係無くなってます」

「というか、何ですか俺をいじるって! 何か最近、二川さんにしろ他のスタッフにしろ俺の事いじってるなー、とか思ったら、そういう事ですか!?」

「いえ、そんな指示は出てませんから、みんなが面白がって自主的にやってます」

「いじめは駄目だよ、絶対に……」

二川の淡々とした言葉に、暦は頭を抱えた。その横では、栗栖が首を傾げている。

「僕、ツッコミ入れられるような事してましたっけ……?」

不服そうな顔をする栗栖に、西園が呆れた顔を向けた。

「その台詞自体が、既にツッコミ対象だし」

「あ、そうそう。ツッコミはそんな感じで」

面白そうに頷いた松山に、全員が「え?」と視線を向ける。すると、松山は「んっんー……」と誤魔化すように喉を鳴らした。

「まぁ、そんなワケでねー。本屋って、結構やる事多いんだよ? レジでのんびりと待っていて、会計するだけじゃないの。受験前で一つでも多く単語や公式や年号覚えなきゃいけないのに、余計な事を覚えている暇があるのかなぁ?」

それはたしかに、言えるかもしれない。他の業種はどうか知らないが、とかく本屋で働くのは覚える事が多過ぎる。それに、お金を稼ぎたいのであれば、もっと割の良い仕事はいくらでもある。はっきり言って、本屋のアルバイトの賃金は、安い。

「そりゃ、すぐには覚えられないかもしれないけど……けど、頑張るし! 一気には無理でも、一つずつ確実に覚えるようにすれば良いじゃん!」

西園が、鼻息荒く言う。すると、松山は「ふーん」と面白そうに唸った。

「なるほどね。じゃあ、採用という事で」

「……は?」

松山を除く全員がぽかんと呆けた。「え?」「は?」と間抜けな声を発しながら、互いに顔を見合わせている。松山は、馬鹿にしたように「やだなぁ」と笑った。

「わざとああ言って、挑発してみたんだよ。あれぐらいで折れるような子はいらないからさ。僕があんなひどい事、本気で言うと思った?」

「割と」

「私は、ああ、遂にこんな事まで言うようになったか、と思いました」

「僕も、真に迫ってたと思います」

「本木さん、この店長大丈夫なワケ? 自分のキャラすら把握できてないみたいなんだけど」

全員に言われ、松山は「ひどいなぁ」と笑っている。堪えている様子は無い。堪えてくれ、少しは。

へらへらと笑いながら、松山はデスクの引き出しから何枚かの書類を取り出した。そして、中身を確認してから西園に渡す。

「じゃ、まずはこの保護者の同意書に親御さんのサインを貰ってきて。未成年だから、その辺はキッチリとね。あと、履歴書ね。書き方がわからなければ、親に相談するなり、今ここで本木君に訊くなりしてよ」

松山の説明に、西園はフンフンと頷いている。ちらりと暦の方を見たので、履歴書の書き方は説明した方が良さそうだ。

「あ、こっちの書類は、高校生の場合の時給とか、勤務内容とかを書いた契約書。よく読んで、問題や不満が無いと思うならサインして、あるなら「やっぱり働くのは無理」って連絡してね。三種類の書類全部持ってきてくれたら、改めてシフトを決めたりとか、どこを担当するかとかを相談しようか。……あ、新人の教育係は本木君だけど、色仕掛けとか考えないようにね? やっても空しいだけだから」

「どういう意味ですか」

問うても、松山は答えない。さらりと無視をして、細々とした事を西園に伝えている。西園は「わかった!」と力強く頷くと、書類を鞄に突っ込んだ。

「じゃ、明日にでも全部持ってくるから! 本木さん、履歴書の書き方教えて!」

「え? あぁ、うん。じゃあ、まずは履歴書を買ってきて、貼り付けるための写真を撮ってきてくれるかな? 履歴書は文具コーナーで売ってるから。あ、写真機は駐車場にあるの、知ってる? 高校生にはちょっと高いかもしれないけど、七百円出せば履歴書用の写真が撮れるから」

「プリクラじゃダメ?」

「駄目」

西園は、もう一度「わかった!」と頷くと、もの凄い勢いでバックヤードから出て行った。その様子を、松山と二川がニヤニヤしながら見詰めている。

「いやー、それにしても。本木君も隅に置けないねぇ」

「ちょっとギャルっぽいですけど、何て言ったって女子高生ですもんね。女子高生。懐かれて嬉しいですよね、本木さん?」

「店長がニヤニヤしてるのはいつもの事として、何で二川さんまでそんなにニヤニヤしてるの。そして何でそんなに女子高生って言葉を強調してるの」

「嫌だな、言わせないでよ」

「このまま教育係として仕事を一から教えるついでに、自分好みの大人の女になるよう性的な教育係にもなれば良いじゃないですか。若紫ですよ、若紫。本当にいやらしいですね、本木さん」

松山も二川も、妙に楽しそうだ。ここまでくると腹立たしいを通り越して、反応をするのも面倒臭くなってくる。

「懐かれて結構嬉しいのは否定しませんけど、そこで勘違いしていられるほど恵まれた青春は送ってませんよ、俺。あと、光源氏が紫の上を見初めたのは、紫の上がまだ十歳かそこらの時ですから。現代に当てはめるなら小学生ですよ? 高校三年生を相手に、若紫も何も無いでしょう」

「本当に、色仕掛けのし甲斐が無さそうですよね、本木さん。やっても空しくなるだけっていう店長の言葉に大いに納得ですよ」

「そういう落ち着いたマジレスは求めてないんだけどなー」

じゃあ何を求めているんだ、と問えば恐らく「おろおろと慌てふためく本木君」とでも返ってくるだろうから、絶対に口には出さない。そのせいか、松山と二川は消化不良を起こしたような不満そうな顔をしている。

そして、先ほどから妙に静かな栗栖はと言えば。

「良いなぁ、本木さん……。皆さんから愛されて、女性に大した恐怖心を抱く事も無く、自らアタックしなくても年下の女性に慕われるなんて……」

「天津君には、今の俺がどんな風に見えているのかな……?」

暦の問いには答えずに、しゅんと項垂れている栗栖。そして、「良いんです、良いんです」と呟き出す。

「西園さんが本木さんを慕っているのは、今のところ良い事ですから。何かに夢中になってイキイキしているうちは、生気に満ちているから雑霊も悪霊も寄ってきません。因って、邪悪なるモノを西園さんが生み出す事は無くなります」

じっと、暦を見る。居心地の悪さに、暦はたじろいだ。売られていく仔牛のような悲しげな目をしたまま、栗栖は呟いた。

「本木さんにはこのまま、西園さんに秘められた〝邪悪なるモノを生み出しやすい繊細な精神構造〟を安定させるための礎になって頂きましょう……」

「……俺、生贄?」

「えぇ、店内の平和を保つための」

「みんなが楽しく働ける職場環境にするためのね」

その結構重要な役割をチーフとは言え、一介のアルバイトに任せてしまうというのはどうなのだろうか。

疑問は尽きないが、恐らくこれ以上は何を言っても平行線だ。暦は肩をがくりと落として、「西園さんの様子を見てきます……」と力無く言いつつバックヤードから出て行く。

万引きした子が採用を希望して来たり、自分が店内の環境を整えるための生贄扱いにされたり。

本当に、意外な事というのは予想ができないな。と、暦はバックヤードを出ながらため息を吐いた。










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