陰陽Gメン警戒中!
2
「……と、いうわけで。今日から万引きGメンを雇う事にしたから」
「どういうわけですか」
コミック根こそぎ万引き事件から、数日。バックヤードで唐突に言われ、暦は脊髄反射でツッこんだ。
「ほら、この前大量にコミックを万引きされちゃったじゃないか。それで思ったんだよ。防犯カメラだけじゃ、万引きは減らないな、って」
「あぁ……」
暦はそこで、先日の大量万引き事件を思い出した。防犯カメラの画質があまり良くなかった事もあって、犯人は未だに捕まっていない。複数名いた事だけが、今わかっている。
「え、でもあれからまだ一週間と経ってませんよ? よく今日から働ける人がいましたね」
「やー、実はさ。まだ募集はかけてないんだ」
「……は?」
ヘラッと笑いながら言う松山に、暦は顔を引き攣らせた。
「募集はまだかけていないのに、今日から雇うんですか?」
「うん」
「意味がわかりません」
思わず挙手して鋭い口調で言う。すると、松山は相変わらずヘラッとした顔で「それがさぁ」と言い出した。殴りたくなるような笑顔だ。
「万引きのあった次の日に、電話があったんだよ。万引きGメンを雇う気はありませんか、って」
「……はい?」
引き攣った顔が更に引き攣っていくのが、暦にはわかった。目の前に立つ松山の顔は、ヘラ、からニヤ、に変わっている。どちらにしても、殴りたくなる笑顔だ。
「あの大量万引き事件のお陰で、元々万引きGメンを雇う方向に心は傾いてたしね。それで募集をかけようと考えていたところに、その電話。……うん、これは是非とも一度会って話をしてみるべきと思ったね。いわゆる、天啓ってヤツ?」
「……も、良いです。元の話の続きを話してください」
脱力し、暦はため息を吐いた。すると松山はニヤリとした笑顔のまま頷き、休憩室にもなっているロッカールームの方へと声をかけた。
「……というわけで、アルバイトチーフに紹介するから。天津君、出てきて」
カーテンで仕切られたロッカールームから「はい」という声が聞こえた。男の声。それほど高くも、低くもない。どこか爽やかな印象を与える声だ。
シャッという音と共にカーテンが開かれ、中から一人の青年が出てくる。歳は、二十歳前後だろうか。背はあまり高くない、やや童顔の青年だ。
「紹介するよ。今日から万引きGメンとして働く、天津栗栖君。天津君、これはアルバイトチーフの本木暦君ね。何かわからない事があったら、彼に何でも訊いてください」
「天津、栗栖……君ね」
ほっこりと茹で上がった秋の味覚が一瞬頭を過ぎったが、暦はそれを即座に打ち消した。食べ物を連想する前に、確認しておく事はいくらでもある。
「えぇっと……自分から万引きGメンとして売り込んできたって事だけど……そもそも、何でこの店に?」
「面白い騒ぎが起きそうな臭いがしたので」
あ、やばい、店長と同類だ。瞬時に、暦は栗栖に対する警戒値を最大限まで引き上げた。
「……ところで、何で万引きGメン? 面白い騒ぎが起きそうな店で働きたいなら……この店で働くだけなら、万引きGメンでなくても良いと思うんだけど。……と言うか、俺としてはむしろ、通常業務担当の方に増えて欲しかったんだけど」
「子どもの頃から、正義の味方に憧れていたからですよ! 一回一回の被害額は小さいとはいえ、万引きは窃盗罪で悪! そういう小さな悪をこまめに潰していってはじめて、世の中に真の平和が訪れるんです!」
一理あるとは思うが、正義の味方に憧れて万引きGメンになるというケースは初めて聞いた。横で松山が、うんうんと頷いている。
「そうだよねぇ。憧れるよね、正義の味方! 男の夢だよねぇ!」
「万引き犯捕まえた途端にバックヤードに引きずり込んで、「痛いだろう? 殴っている僕はもっと痛いんだよ。人に痛い思いをさせるのは罪だよね? これ以上罪を重ねたくなければ、許して欲しければ、己の犯した愚行を泣いて侘びなよ」とか言いながらボコりだしそうな正義の味方は嫌ですよ」
「何言ってんのさ、本木君」
あははと笑いながら、松山は手をヒラつかせた。馬鹿にするような笑い方が、腹立たしい。
「泣いても許してなんかやらないよ。当然でしょ?」
「余計に正義の味方なんかやらせられるか」
思わずタメ口でツッコミを入れてから、暦はため息を吐いた。栗栖の方に向き直る。不躾だとは思いながらも、栗栖の姿をじろじろと眺めた。腕は細く、全体的に生っ白い。インドアかアウトドアかと問われれば、まず間違いなくインドア派だろう。
「……失礼かもしれないけどさ。天津君、腕っぷしはどうなの? 足の速さは? 暴れたり逃げたりする万引き犯って結構多いから、身体能力に自信が無いようなら、今からでも遅くないから辞めた方が……」
「たしかに、身体能力にはあまり自信がありませんが……大丈夫ですよ! 僕には身体能力を補って余りある特殊能力がありますから!」
「……は?」
嫌な予感に、首筋がピリピリする。それだけではない。頭は熱くなるし、背中は汗で湿っぽくなるし、足は震えて心臓は激しいビートを刻み始めて、大変だ。
「僕、陰陽師なんですよ!」
眩暈がした。
「……陰陽師って、あの? 某出版社とか某出版社とかその他色々な出版社の書籍や文庫で大活躍して、女性の心を一時掻っ攫った、あれ?」
「はい」
「臨兵闘者皆陣列在前とか、オンアビラウンケンとか、そういうの唱える、あれ?」
「よくご存知ですね。そうです、その陰陽師です」
実際には悪霊退散よりも、予防接種的なお祓いをやったり、星の動きを見て今でいうところのカレンダーを作る仕事の方がメインだったようだが。
「……で? その陰陽師の能力を、万引きGメンでどうやって活用するの……?」
「それは、見てのお楽しみという事で」
見たくない。そうズバリと言ってしまっては駄目だろうか。
「……ってか、何でそんな能力持ってるの……?」
「先祖が、趣味で嗜んでおりまして」
お華か。そうツッこみたくて、暦の横隔膜はプルプルし始めた。
「一条天皇の御代……そう、藤原道長が権勢を極めたあの時代から、職務の傍らで陰陽の術を何となく学んできた公卿……それが我が天津家なんです!」
千年もの間、陰陽道を嗜む程度に何となーく学んできた一族……。想像するだけで、乳酸が全身に溜まってきそうだ。
「ね、頼もしいでしょ?」
「どこがですか!?」
暦のツッコミなどどこ吹く風で、松山は栗栖に向き直った。
「じゃあ、チーフへの紹介も済んだ事だし……そろそろ勤務前の声掛けをしようか。覚えてきてくれた?」
「はい!」
「ちょ……ちょっと待ってください!」
笑顔で問う松山と、同じく笑顔で頷く栗栖の間に、暦は思わず割って入った。
「声掛けって何ですか? 俺、ここ入ってから一度もそんな事やった事無いですし、聞いた事も無いですよ!?」
一応チーフである以上、知らない事があるのはまずい。しかし、松山は「あぁ」と事も無げに言った。
「うん、今日からやる事にしたんだ。本木君も今から僕達がやるのを覚えて、今度から勤務前に皆でやるようにしてね。……じゃあ、天津君」
「はい!」
「お客様は?」
「神様です!」
「そう言うお客は?」
「ただのクズ!」
「万引き犯は?」
「根絶やします!」
「乱れた書架は?」
「素早く整頓!」
「今日も元気に?」
「重版出来!」
「それでは、よろしくお願いします!」
「お願いします!」
客に喧嘩を売っているようにしか聞こえない言葉が混ざっている声掛けに、暦は思わず店内に目を遣った。客に聞かれようもんなら、何と思われるかわかったものじゃない。
……大丈夫だ。聞かれたどころか、客の一人もいない。……それはそれでどうかとも思うが。
「……俺、やりませんからね? そんな色んな意味で危ない声掛け……」
ささやかな抵抗である暦の呟きは、楽しそうな松山と栗栖の耳には入っていないようだった。