おにぎり










 昔々のその昔。女神さまは言いました。

 死者(わたし)はこの世界で煮炊きした物を食べてしまいました。だから、もう生者(あなた)の世界へ戻る事はできません。

 女神さまが口にしたのは、黄泉の竈で煮炊きした物。それを血肉とした事で、女神さまは黄泉の人となったのです。





  ◆





「逆に言うと、黄泉で煮炊きした物を食べないと、完全な死者にはなれないって事だ」

 そう言いながら、釜から湯を掬い、手元の椀に少しだけ加えた。椀の中には、じゃがいもを使ったスナック菓子が入っている。

 少量の湯でふやかして、木べらで切るように混ぜた。最初はざくざくという音がしていたが、次第に柔らかい音になり、最後はほとんど音がしなくなる。

 冷蔵庫から、きざんだ胡瓜とハムを出して、少しだけ加える。最後に、味を調える程度にマヨネーズを少々。

 出来上がったポテトサラダを食事用の椀に盛り付けて、俺は目の前で腹を空かせている様子の子どもに差し出した。

「ほら。お前さんに供えられた菓子で作ったサラダだ。お前さんのために供えてくれた物なんだから、感謝して食べろよ?」

 そう言いながら箸を手渡すと、子どもは神妙な顔をして箸を受け取り、こっくりと頷いた。

 素直な、良い子だ。きっと友達も多かった事だろう。だからこそ、交通事故現場には山のようにお菓子が供えられているんだろうな。

 調理場の横の井戸から、こっそり現世を覗き見た時の様子を思い出して、俺は密かに頷いた。

「悪いな。本当は、スナック菓子をそのまま食べたいだろうに。けど、ここでは何かしら手を加えて料理した物を食べさせてやらなきゃいけないルールでね」

 意味がわかっているのか、いないのか。子どもはポテトサラダを頬張りながら、ふるふると首を横に振って見せる。

 まぁ、嬉しそうな顔で食ってくれてるから、美味くできたんだろう。

 もぐもぐと懸命にポテトサラダを頬張る子どもを、頬を緩めながら眺めていると、外からざわざわと音が聞こえてきた。どうやら、新たな死者が訪れたらしい。

 扉を開けて、通されてきたのは男。歳は、二十代の中ごろだろうか。目が虚ろで、いかにも無気力そうな顔だ。

 案内をしてきた者から規定の書類を受け取る。この書類には、生前の生活についての情報だとか、人間関係だとか、死因だとかが書いてある。俺は、この書類をヒントにして、死者に料理を作ってやる、というわけだ。

 ざっと目を通してわかった事は、この男は数日前までサラリーマンとして働いていたという事。死因は、残念ながら最近流行りの過労死であるという事。

 独り暮らしだったらしい。仕事が忙しく、食事や睡眠をはじめとする諸々のライフスタイルが崩れた結果の死といったところか。

 次に、この男に供えられた物の一覧を確認した。

 炊いた米に味噌汁……焼き鮭に梅干し、味付けのりにほうれん草のお浸しときんぴらごぼう、そして納豆。

 ……お供え物と言うか、完全に和定食だ。どうやら、遺された家族……恐らく母親が、生前の男の食生活を憐れんで、バランスの良い膳を丸ごと備えているのだろう。単に、死者にも生者と同じ食事を備える習慣のある地域なのかもしれないが。

 しかし、この男にも男の遺族にも悪いが、この和定食をこのまま男に食わせてやるわけにはいかない。完全な死者となるために、黄泉の竈で煮炊きした物を食わせてやるのがここでのルールだ。

「ふむ……」

 少し唸って、男と、供え物のリストを交互に眺める。リストには一応、他の食材も書かれている。卵にウインナー、味噌に醤油。インスタント麺に、加熱して食べるタイプの保存用ご飯。一応、炊く前の精米もある。

 ……卵とウインナーが入っている事を除けば、どう見ても仕送りリストなんだが。独り暮らしの家に残っていた食材を、買った者が食べる事ができるように、と供えたのかもしれない。

 このリストから、男の事はあまり見えてこない。見えてくるのは、この男の遺族の事ばかりだ。

 少なくとも、遺族――恐らく母親は、この男の事を想っていたんだろうな。そう思うと、やるせない気持ちになる。母親の想い虚しく、男はろくな物を食べないまま……いや、食べる気力を失ってしまったまま、一生を終えてしまったようだから。

 できる事なら、母親の想いのこもった料理をこの男に食わせてやりたい。けど、どうやって調理すれば、過重労働の反動なのか、ここに来てから何に対しても反応しやしない、明らかに無気力になっているこの男に食わせてやる事ができるだろう? それも、黄泉の竈で調理する、というルールに従った上で。

 うんうんと唸りながら、俺は何度も供え物リストと男を交互に見た。

 そうしているうちに、何を思ったのだろうか。大人しくポテトサラダを食べていた子どもが、いつの間にか俺の傍に来て、何かを訴えかけるように袖を引いている。

「どうした? サラダだけじゃ足りなかったか?」

 そう問えば、子どもは少しだけ恥ずかしそうにしながらも頷いて見せた。死者とは言え、元は育ちざかりの子どもだ。ポテトサラダ一鉢だけじゃ、あまり食べた気がしないんだろう。

 ……となると、子どもも一緒に食べられるような物を作った方が効率が良いか。

 男への供え物を材料として、子どもも一緒に食べる事ができるような物となれば、ある程度絞られてくる。

 そして、どんな物なら男の食欲を刺激しそうか、と考えて。

「……よし」

 決めた。何を作るか、決めた。

 まずは、供え物の中にあった精米を炊く。黄泉の水を吸わせて、黄泉の竈で炊いた。これで、ひとまずルールはクリア。

 米を炊いている間に、ウインナーを炒めて、卵焼きを作る。味の好みはわからないから、砂糖を少し加えて甘い玉子焼きにしてみた。

 ついでに、空いた鍋に供えられていた味噌汁を入れて、温める。これも、ある意味では黄泉の竈で煮炊きした物になるだろう。

 手に塩を振って、炊いた米をしゃもじでひと掬い。中にこれまた供えられていた焼き鮭をほぐして加え、握る。最後に味付けのりを巻いてやれば、鮭おにぎりの完成だ。

 次に、梅干しのおにぎり。変わり種で、きんぴらごぼうを具にしたおにぎり。折角だ、納豆も具にしてみるか。

 納豆おにぎりを作る様子に、子どもが楽しそうな顔をしている。一般的とは言い難い具でおにぎりを作るというのは、いたずらめいていて面白いのだろう。

 出来上がったおにぎりを皿に並べて、横に玉子焼きとウインナーを添える。いきなり変わり種を食べさせるのは反応が怖いから、それはお代わり用として別の皿に盛り付けた。

 盛り付けた皿を、男と子どもの前に一つずつ置いてやる。男の前には、温め直した味噌汁もだ。

 子どもは今すぐにでも手を出したいという様子だが、材料の米は男に供えられた物だという事が何となくわかっているのだろう。男が手を出すまでは我慢、という顔でおにぎりを見詰めている。

「……食いな。出来立ての方が美味いぞ?」

 声をかけると、男はちらりと皿を見た。そして、その上におにぎりが載っている事を認識したと思われる瞬間に、目からドバっと涙があふれ出した。

「おっ……おいおいおいおい?」

 目を剥いて焦る俺と子どもの前で、男は泣きながらおにぎりを掴み取った。それはたしか、鮭が入っている奴だ。

 男は、嗚咽を漏らしながらもおにぎりに齧り付き、しゃくり上げながら咀嚼し、飲み込んだ。それから味噌汁をひと口飲んで、また滂沱の涙を流す。

「どうなってんだ、こりゃあ……」

 呆れ返りながら、俺はもう一度男に関する資料に目をやった。資料には、俺のためにまとめられた、男の過去の食生活データも記載されている。

 さっきはざっと目を通しただけだが、今度は隅々まで丁寧に文字を読んでいく。

 それで、わかった。

「受験の時の夜食が、おにぎりだったんだな」

 夜食だけじゃない。朝、寝坊して遅刻しそうな時でも、この男の母親はおにぎりを作っては持たせていた。

 行儀が悪いけど、バスの中で食べていきなさい。とか、そんな事を言いながら、渡していたのかもしれない。

 おにぎりを見て、思い出したんだな。いつも自分の健康を気にかけてくれていた、母親を。死んでしまった事で、その母親に親不孝をしてしまった事に、気付いてしまったんだな。

 献立におにぎりを選んだのは、シンプルで、手掴みでも食えるおにぎりの方が、凝った料理よりも食べる気になるんじゃないか、と思ったから。

 まさか、それが男の母親を想起させて、泣かせるなんて思いもしない。温め直した母親の味噌汁で多少興味を引く事ができるのではと思ったが、これではもう、味噌汁は追撃でしかない。

 男は泣きながら、おにぎりと味噌汁を口に運び続けている。

 そんな男の様子に苦笑しながら、俺は子どもに向かって「食って良いぞ」と囁いた。子どもは嬉しそうに頷いて手を合わせると、「いただきます」と呟いた。そして、待ちかねたようにおにぎりに齧りつき、そして勢いよく口をすぼめる。そう言えば、そのおにぎりには梅干しを入れたな。

 酸っぱそうに身悶える子どもの様子に気付いた男が、くすりと笑った。ここに来た時と比べて、顔が明るくなっている。

 男は、苦笑しながら子どもに玉子焼きを勧めた。砂糖の入っている、甘い玉子焼きだ。それで酸っぱいのを感じなくなったらしい子どもは、嬉しそうに笑いながら、言った。

「なんか、ピクニックみたいだね」

 と。献立も弁当みたいだし、知らない場所でこうして笑い合いながら食事をする事が、この子どもにとってはピクニックのようだと思われたんだろう。

 それに対して、男も

「そうだね」

 と頷いている。そう言って、またおにぎりに齧りついた。

 ここでこうして食事をしたこの二人は、もう完全に黄泉の国の住人だ。あと何十分もしたら、この厨を出て、黄泉の国の更に奥深くまで進んでいくのだろう。

 その時の活力とするためにも、今はしっかりと食べて欲しい。そう思いながら、俺は〝お代わり用の〟おにぎりの皿を取り出し、男の前に出す。

 子どもと目配せをして、少し意地悪気な顔で笑いながら……俺は、男が幸せそうな顔をしておにぎりに手を伸ばす様子を見ていた。





  ◆





 昔々のその昔。女神さまは言いました。

 死者(わたし)はこの世界で煮炊きした物を食べてしまいました。だから、もう生者(あなた)の世界へ戻る事はできません。

 女神さまが口にしたのは、黄泉の竈で煮炊きした物。それを血肉とした事で、女神さまは黄泉の人となったのです。

 ところで、女神さまが口にした物を煮炊きしたのは、一体誰だったのでしょう?

 その存在は、書物のどこを探しても、見付ける事ができません。

 誰も名前を知る事の無い、黄泉竈食(よもつへぐい)の料理人は……今日も死者のため、厨で腕を振るっています。














(了)









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