贄ノ学ビ舎
35
そこには、知襲が立っていた。悲しそうな顔で、奉理と、奉理の前に横たわる己の姿を見詰めている。
立っている知襲と、横たわっている知襲。二人の知襲を交互に見てから、奉理は立っている知襲に向き合った。
「……知襲、これ……」
俯く知襲に足を引き摺りながら近寄り、手を取る。だが、奉理の手は知襲の手を通り抜け、空を掴んだ。
「……はい……」
知襲は、静かに頷いた。
「それは、私……。三十年前に生贄になった、白羽知襲の本体です」
今まで奉理が見ていたのは、知襲の魂だった。だからこそ、音も無く奉理に近寄れた。誰よりも早く、誰にも見られずに移動する事ができた。だからこそ、扉にも何にも、触れようとしなかった。
「知襲は……幽霊だったんだね。……いや……」
首を横に振ってから、奉理は棺桶の方へと戻った。覗き込めば、横たわる知襲の肢体には無数の機械が取り付けられ、管が何本も、棺桶の底へと伸びている。
「知襲の本体は、意識が無いだけでまだ生きているんだ。……だから……」
「幽霊ではなくて、生霊、と言った方が正しいんでしょうね……」
静かに、知襲は呟いた。
「そうです……私は三十年前、生贄として捧げられました。その儀式が行われたのが、この学校……清廉花女子中等学校。私の父が経営していた、私の通う学校です」
「それが、公式記録に残る最初の生贄の儀……?」
知襲は頷き、「柳沼くんのクラスメイトの方が調べた通りです」と俯いた。
「私が生贄となり、清廉花女子中等学校は廃校となりました。もう、授業ができるような環境ではありませんでしたから。その日から、清廉花女子中等学校は、アダムと私の家となりました」
「……アダム?」
その名前は、先ほどから何度か聞いている。それに、確か……堂上明瑠の遺したあの毒薬。あれの名前は「アダム細胞破壊毒」だったはずだ。
「アダムって……あの、アダム?」
旧約聖書に登場する人類の始祖。
「化け物達からすれば、そうです」
そう言って、知襲は壁際に寄る。壁に、赤と緑のスイッチが一つずつあった。知襲は、意を決した顔をすると、緑色のボタンを押す。駆動音が響き、あの壁のような白い幕がするすると動き始めた。
「知襲? 何を……」
「……見ていれば、わかります。ここで何をしているのか、化け物達は、どこから来るのか。何故、先ほどの化け物は、私の事を母と呼んだのか……」