贄ノ学ビ舎
5
あの湖での生贄の儀が放送されてから、一ヶ月。あの後も全国の各地ではしばしば生贄の儀が行われたようだが、奉理のクラスでは今のところ欠員は一人もいない。
入学当初こそ不安で崩れ落ちそうな生徒が多かったが、今では不安や緊張に飽きでもしたかのように、穏やかな日々が続いている。ひょっとしたら、クラスの雰囲気は他の高校と大差が無いかもしれない。……いや、生贄の為に真面目な生徒ばかりが集められたこの学園だ。他の高校よりも、平和である可能性すらある。
時間割に「自決作法」「閨房術(男女別室)」「実戦用剣術」などという言葉が見えなければ、本当にここは生贄を養成するための学校なのだろうかと疑うところだ。
どんなに不安や緊張を感じていても、それが半永久的に続くものでもないのだな、と妙に納得しながら、奉理は休み時間の教室内を眺めた。女子同士でお喋りに興じているグループ有り。早くも見初め合って、生き残れた時の約束などという死亡フラグを打ち立てている者有り。予習復習に励んでいる者有り。
その中でも、ひと際明るく、不安など微塵も感じさせない一団がある。三、四人の男女が輪を築き、その中心には明るい茶色に髪を染めた男子が一人。名前は、小野寺活輝。数少ない「入学した最初から平気な顔をしていた生徒」の一人だ。
何の怖れも知らぬという風に屈託なく笑う小野寺を眺めていると、その当人と目が合った。すると小野寺はニカッと笑い、奉理に手招きをしてくる。
「お。どうしたよ、柳沼。暇なら、お前もこっち来いよ」
誘われるままに近付くと、辺りにいた数人が少しだけ体をずらし、奉理の場所を作ってくれる。そこにすっぽりと収まると、待っていたかのように小野寺が奉理の顔を覗き込んだ。
「……で、何だ? 何か俺に訊きたい事があるんじゃねぇの? それっぽい顔してたぞー?」
言われて、奉理は辺りの様子を伺った。小野寺と共にいた生徒達が、奉理に注目している。奉理は、しばし考えたのち、躊躇いがちに口を開いた。
「えっと……こんな事、訊くのもどうかと思うんだけどさ……」
「おー、訊け訊け。女の子にフラれた回数以外だったら、何でも訊いてくれよ」
「その……何で小野寺は、そんなに明るくしてられるのかな、って。……ほら、俺や他の皆も、最近はちょっとこの雰囲気に慣れてきて、不安は和らいできてるけどさ。小野寺は、入学した時からずっと明るくて。……正直、小野寺がいなかったらこのクラス、こんなに早く落ち着いたりしなかったんじゃないかな? それで、どうしたらそんな風にしていられるのかが気になって……」
気になっていたのは、奉理だけではないのだろう。その場にいた数人が、全員頷きながら小野寺に視線を寄せた。すると、小野寺は少しだけ照れ臭そうにして、それから奉理の事を、正面から見据えた。
「いや、どうしたらっつーか……俺、自分から希望して、この学園の強制推薦枠に収まったんだしなぁ……」
「え!?」
驚く一同に、小野寺は「実はさ……」と口を開いた。
「俺、姉ちゃんもこの学園に在籍してたんだよな。結構歳が離れてて、今はもう社会人」
「小野寺のお姉さん……生き残った、んだ……」
小野寺は、「そう」と頷いた。
「だから、俺も親も、結構楽観的なんだよな。まぁ、全員が生贄に選ばれるでもなし。姉ちゃんも戻ってきたし、大丈夫だろうって。なら、他の奴が選ばれて不安になるよりゃ、俺がこの学園に入学してやろう! って」
「……呆れた。「多分大丈夫」と、他の人を守ってやろうって正義感だけで、わざわざ死ぬかもしれない学校に自分から入ったって言うの?」
女子の一人が、本当に、心底呆れたという顔で言った。名前は、確か竜姫(たつひめ)静海(しずみ)と言ったか。黒のショートカットがよく似合っていて、勝気そうな顔だ。当人もそれを自覚しているのか、最初の頃「名前負けするから名字で呼ぶな」と言っていたと思う。姫、という字に気後れがするらしい。
「もちろん、それだけで入ったりはしねぇよ。打算だってある」
「打算?」
小野寺は頷き、窓の外を見る。遠くに塀が見える。その向こう、更に山を下った先は、一ヶ月前まで奉理達がいた場所。生贄にされる事の無い、一般の社会だ。
「この学園の卒業生はさ、欲しがる企業が多いんだよ。この学園に入るって時点で、比較的まともな性格と、それなりの容姿、ある程度の教養は保証されてるようなもんだし。いつ自分が生贄に選ばれても動揺せずに落ち着いて事に臨めるよう教育されてるから、いざって時のクソ度胸もある。おまけに、卒業したとなれば「生贄にされる事無く生き残った強運の持ち主」ってイメージも付くしな」
だから、欲しがる企業や政治家は案外多い。
「俺の姉ちゃんもさ、今某大企業で、社長の秘書やってるんだよ。仕事を通じて色んな有名人や大会社の偉い人と知り合いになれるし、そういう筋からの結婚の話も頻繁に来てるって話だ。……な? リスクは高ぇけど、生き残る事さえできれば人生逆転ホームランが容易に打てるんだぜ」
「けど、そのために高校と大学の七年間、この学園で生贄にされるかもしれない状況にいるっていうのも……」
静海が納得いかないと言う顔をすると、小野寺は「ふっふっふ……」と勝ち誇ったように笑って見せた。
「七年? ……違うね。俺達が何とか生贄にされるのを回避しなければいけない時間は、実質二年だ!」
「二年!?」
「何で?」
口々に問うクラスメイト達に、小野寺は「よく聞けよ」と言って声を潜めた。
「表向きには、条件を満たしていたら誰が選ばれるかわからねぇようになっているけどな。初等部から高等部まで、一年生からはよっぽどの事が無い限り選ばれねぇようになっているんだ。入ったばっかの奴は、作法とかがイマイチだし、肝もまだ据わってねぇからな。初等部は高学年になってから。中等部と高等部は、二年生になってからが勝負なんだ」
勿論、一年生が選ばれる事もある。だが、その場合はほとんどが初等部や中等部からこの学園にいるエスカレーター組が選ばれるのだそうだ。
「……でな、大学部に進級する時には、例え生徒の数が大幅に減っていても、外部からの入学者はいねぇんだよ。……何でだと思う?」
「……わからない」
首を横に振る奉理に、小野寺は「早ぇよ」と苦笑した。
「大学部ってのはな、この学園で色々と一般常識が崩壊しちまった奴らが、卒業して就職する際、社会に馴染めるよう準備するために用意された施設なんだよ。だから、滅多な事が無い限り、大学部の奴らは生贄には選ばれねぇって、姉ちゃんが言ってた」
卒業生からの情報だ。説得力がある。その場にいた者が頷いて見せる中、静海が「ちょっと待って」とストップをかけた。
「あんた、さっきから……「よっぽどの事が無い限り」「滅多な事が無い限り」って言ってるわよね? その……よっぽどの事、って?」
「あぁ」
何でもないと言う風に、小野寺は笑った。
「真面目にルールを守ってりゃ、俺達には一切関係無い事ばっかりだよ。許可無く外部と連絡を取ったり、著しく風紀を乱したり。……要は、そいつがいると学園の運営に支障が出てくる……ってほどの事」
ルールさえ守っていれば、危険なのは高等部二年から三年までの二年間のみ。小野寺が言っているのは、そういう事だ。
「そう……」
どこか不安げな顔で頷き、静海は口を閉じた。それと同時に、チャイムの音が鳴り渡る。休憩時間の終了だ。生徒達がガタガタと自席に戻る中、小さな引っ掛かりを覚えながら、奉理は静海の事を見ていた。