波打ち際の逢引











 波が寄せては引いていく浜辺を、歩く。隣を進む彼女に合わせて、ゆっくりと。

 波が引き切っていない砂をビーチサンダルが踏み、ぱしゃん、と小さな音を立てた。

「明日、帰っちゃうんだね」

 動きを止め、彼女は俯いてそう言った。その寂しそうな声に、俺は「うん」と呟く。俺も、寂しくて声に張りが無い。

「夏休み、終わっちゃうからなぁ……」

 口に出してそう言うと、実感が募って増々寂しくなる。

 夏休みが始まり、暇を持て余した俺は祖父母の家に近いこの海で清掃のアルバイトを始めた。毎日夕方から三時間ほど、海水浴客が浜に捨てていったゴミを回収して歩き回る、というアルバイトだ。

 昼夜逆転して後期の講義で困らないように、との事から、昼間は昼間で祖父母の畑を手伝わされてはいるが……体を動かすのは好きなので、どちらも結構楽しんでいる。

 そして、浜辺でゴミを拾っている時に、彼女と出会った。

 海に足を沈めて月を見詰める姿はどこか神秘的で。そして、とても綺麗だった。

 思わず見惚れていたら彼女に気付かれ、そして、信じられない事に手招きされたんだ。

 抗う事なんてできなかった。

 俺はそのまま波間に踏み入り、彼女の側へと近寄った。

 おとぎ話とかだと、近寄ったが最後、海の中に引きずり込まれたり、取って食われたりしてしまうところかもしれない。けど、そんな事は全く無くて。

 彼女は当たり前のように「こんばんは」と挨拶をしてきた。そして俺は、何でもないように「こんばんは」と返した。

 それから、どうやって会話を始めたのかは、覚えていない。多分、自己紹介とか、当たり障りのない話をしたんだろうけども。

 覚えているのは、話しているうちに知った、彼女がこの海から離れる事ができないという話。ずっと、同世代の奴と話をしてみたかったという話。

 そして、その話を聞いた俺は即座にこう言った。

「じゃあ、俺が毎日話相手になってやるよ!」

 どれだけ浮かれていたんだか。

 けど、そう言った時の彼女の顔は本当に嬉しそうで、眩しいくらいに綺麗で。絶対にこの約束を守らなければ、と俺に心底思わせた。

 彼女は夜しか自由に行動する事ができないと言うので、それに合わせて夜、会う事にする。自然と、毎日浜辺掃除のアルバイトが終わってから会う流れになった。

 毎晩こうやって、波打ち際を歩きながら取り留めもない話をする。学校の事。家族の事。趣味の事。将来の事。

 一度、アルバイトの差し入れでもらった炭酸ジュースを、彼女にあげた事がある。炭酸を初めて飲んだらしい彼女は、最初のうちこそ咽ていたけども、それでも面白そうに、美味しそうに、それを飲んでいた。

 そんな時間が、楽しくて。毎日毎日、俺と彼女は、波打ち際を散歩した。出会ってからこれまでに、一体どれほどの距離を歩いた事だろう。

 けど、そんな関係も、今日で終わりだ。

 夏休みが終わる。

 俺は、この海を離れて、大学のある街に戻らなきゃいけない。

「……ついていきたいな……」

 そう、彼女は呟いた。

 俺だって、出来る事ならそうして欲しい。もっと一緒にいて、もっとたくさん話したい。

 けど、それは無理なんだ。俺も彼女も、理解していた。

「私は、この海から離れられないから。……離れる方法が無いわけじゃないけど、そうすると、私はきっと喋れなくなってしまうから」

「人魚姫みたいに?」

「そう。人魚姫みたいに」

 そう言って、彼女は笑った。そういう家系なんだそうだ。海から離れるためには、犠牲が必要。彼女の場合は、声を犠牲にしなければいけないのだと。

「あなたと話をするのが、本当に楽しかったから。だからきっと、あなたと一緒にいるのに喋れなくなるのは、すごく辛く感じると思う。……海を離れた事を、後悔してしまうぐらいに」

「メールとか、電話もできないんだよな?」

「……うん」

 肯定して、彼女は俯いた。

「……ごめんな。ずっと側にいてやれなくて」

 謝罪の言葉を口にすれば、彼女は首を横に振る。そんな姿がいじらしくて。俺は、夏休みの終わりが近付いてきたと気付いた頃からずっと考えていた事を口にする。

「……俺、卒業したら、ここに住むよ。この辺りで仕事を見付けてさ。だから、少しの間だけ待っててくれないか? きっとまた、会いに来るから」

 だが、その言葉に彼女は再び首を横に振った。自分のために進路を決めるな、と言う。

「私のために、そう言ってくれるのは嬉しい。けど、その選択はきっと、将来あなたを苦しめる事になるから。だから、それは駄目。ちゃんと、あなたがやりたい事をやらないと」

 だから、今日でお別れなんだと、彼女は言った。

「……そっか」

 そう言って、俺は足を止める。奇しくもそこは、彼女に初めて会った波打ち際だった。

「今までありがとう。たくさん話をしてくれて、とっても嬉しかった。とっても……楽しかった」

 彼女の言葉に、俺は「俺も」と返した。

「俺も、楽しかった。毎日、一緒に散歩するのが楽しみだった。本当に……ありがとう」

 そう言うと、彼女はとても綺麗に笑った。それに、俺も笑い返す。

 そして俺は、彼女に正面から向き合うと、言った。

「それじゃあ……元気で」

「あなたも……元気でね」

 そう言って、彼女は海の、沖の方へと泳いでいく。何度も何度も、こちらの方を振り返りながらも、泳いでいく。

 そして、肉眼では顔が見えないほど遠くへ泳いでいくと、そのままトプンと、海の中へと潜っていった。水面に大きな尾びれが姿を現し、月の光を受けて鱗を輝かせたかと思うと、沈んでいく。

 それからは、何も現れる事は無かった。だけど俺は、なんだか名残惜しくて……ずっと、海を見詰めていた。

 月の下に広がる海。ひと夏を共に過ごした人魚が消えたその場所を、ずっとずっと、見詰めていた。











(了)












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