妖怪アンソロジー「妖怪夜行」寄稿作品

守付喪














いずれの御時かはわからねど、平安の代。深々と雪が降り積もる、大晦日も近付いた冬の夜である。

京は右京、八条大路と木辻大路が交わった辺りにある荒れ果てた邸の前に、複数の影があった。

「本っっっ当に、お前らはヒトの都合を考えないよな!」

だんっ! と地面を踏み鳴らし、安賀茂(あがも)実守(さねもり)は足元を睨み付けた。

安賀茂実守、十七歳。現在、陰陽寮で日々勉学に励む学生である。そんな彼に睨まれて、足元にあった影達は一歩二歩と後ずさった。「へへっ」と笑ったそれらには、手足があり、目があり、鼻や口がある。……が、どう見ても人間ではない。

何に見えるかと言えば、高坏や琵琶に手足が生えた物に見える。つまりこれらは、年経た末に魂が宿った器物――付喪神だ。

「まァまァ、実守の旦那ァ。ここンとこ、追儺の準備で忙しかったンでしょう? たまには息抜きのつもりで、わっちらの相手もしてくださいよォ」

「いや、むしろ年がら年中お前らに振り回されて、勉強や行事の準備が息抜きになってるんだけど」

琵琶相手に肩を落として、実守ははぁ、とため息を吐いた。するとその耳元で、キシシ、という笑い声が響く。実守は肩に目を遣り、再びため息を吐いた。

「何がそんなにおかしいんだよ、管音(くだね)」

「いやァね。年がら年中振り回されてるだなんて、ミモりんってば付喪神達に愛されてるゥって思っちゃっただけよォう?」

どろろんという典型的な音と共に、掌よりも小さな狐が、実守の肩上に姿を現した。管に入るほど小さいという伝承からその名がついた憑き物、管狐だ。

坂東の地から来た荷物に紛れて、京に来たらしい。それを祓おうとしたところ、どこでどう間違えたのか実守に乗り移ってしまったという過去があって、現在に至る。管狐、と呼ぶと長いので、管音という別称を与えた。どうやらそれが原因で気に入られてしまったらしく。以来事あるごとに絡んでくるので少々鬱陶しい。

「その珍妙な呼び名はやめろって、何度も言っただろ」

「あらァん、良いじゃないのォ。カワイイ響きで、アタシは気に入っているわよォ?」

「俺は気に入ってない」

「ンもぉう、イケズねェ」

「……あのォ、実守の旦那、管音の姐さん? そろそろ、来てもらっても良いですかねェ?」

痺れを切らして、琵琶が実守の裾を引く。はっと我に返って、実守はえへんと咳払いをした。

「それで……何がどうしたって? いきなり菓子を用意しろだの、女を連れて来いだの……」

顔を顰めながら、実守は手にしていた包みに視線をやる。中には、唐菓子が数種包まれている。尚、周辺に牛車の姿は無い。当然、女の姿もだ。

「あれェ? 実守の旦那ァ、通ってる姫君がいるって話だったじゃあないですか。何で連れてきてくれなかったンです?」

「馬鹿。か弱い姫君が、こんな刻限に外出するわけがないだろう。できたとしても、俺が絶対連れて行かない。何が起こるかわからんからな」

「……とか何とか言っちゃってェ。ホントは、つい先ごろフラれちゃったのよねェ、ミモりん?」

「うっさい、言うな! ……と言うか、フラれたのお前のせいだろが!」

「ちょっとアタシの姿を見ただけで大騒ぎするようなお姫サマなんて、ミモりんには合わないわよォ。百鬼を見る事と見せる事、こんな風に憑りつかれる事は大得意。なのに調伏はいつまで経っても上達しない陰陽寮の学生。その相手を務めるのなら、それなりに肝が据わったコじゃないとォ」

「言うなよ、本当に! 気にしてるんだから! あと、その呼び名やめろって!」

ぎゃあぎゃあ喚きながらも、実守は足を動かす。琵琶達と共に門をくぐり、雪の積もった庭を通り抜け。琵琶に案内されるがままに、寝殿へと上がり込んだ。中は埃っぽく、湿っぽい。この邸に人が住まなくなってから、一体どれほどの時が経っているのだろうか。

琵琶と高坏が、ととと、と渡殿(わたどの)を走り、西対屋(にしのたいのや)へと向かう。どうやら、西対屋に直接上がる階が損壊しているようだ。

歩いていくと、奥の方からおぎゃあ、おぎゃあと赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。嫌な予感がして、実守は顔を引き攣らせた。





# # #





おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ!

生後半年経つか経たないかの赤ん坊が、大きな声で泣き叫んでいる。そしてその周りでは、多くの付喪神達がおろおろと動き回っていた。

「おい……これは一体どういう事だ!?」

実守が声を発すると、一斉に付喪神達は動きを止め、視線を寄越してくる。その表情が、一様にぱっと明るくなった。

「あ、さねー!」

「実守殿、来てくださったのですか!」

「よっ、遅かったなぁ、ヘボ陰陽師!」

「え、実守は陰陽師じゃなくて、陰陽寮の学生でしょ?」

「俺らから見れば、同じようなもんだって」

「大変大変! 大変なんだよぉっ!」

「実守ぃぃぃ! 来てくれて良かったぁぁぁっ!」

泣き声と歓声の大合唱に、実守は思わず耳を塞いだ。少し収まってから、興奮を収めるように、と両手を振って見せる。

「あー、はいはい。来てやった来てやった。だからちょっと落ち着け、お前ら。……俺の事ヘボ陰陽師とか言いやがった奴、誰だコルァァァァッ!!」

拳を振り上げると、付喪神達は「きゃーっ」と嬉しそうに叫んで散っていく。ため息をついて、実守は話を戻した。

「……で、この赤子は何だ? まさかとは思うが、どっからか攫ってきたんじゃねぇだろうな? お前らの事、馬鹿だけどヒトに害を成すような奴らじゃねぇと思っていたんだが……俺の買い被りだったのか?」

赤子を抱き上げ、揺らしてあやしながら、実守は付喪神達を睨み付ける。一斉に、「違う」という声が飛んできた。

「突然、ここに降ってきたんだよぉ!」

「何か光ってた! 光ってた!」

「そんな風に、すぐ俺らを疑うから、いつまで経ってもヘボ陰陽師なんだよっ!」

「その子、女の子だし! 攫うなら可愛い男の子を攫うし!」

「誤解ダヨ、誤解ダヨ。ボクラ、ソンナ事シナイモンネー!」

「本当だよ! 本当に突然現れたんだ。屋根があるのに! びっくりしたし、どうすれば良いかわからないから、実守を呼んだんだよー!」

付喪神達の非難の声を聞き流しながら、実守は赤ん坊を揺らし続ける。その甲斐あってか、泣き声が少しだけ収まってきた。ほっとしてから、実守は「ん?」と眉を顰める。

「だから、誰だよヘボ陰陽師とか言った奴! ……って言うか、明らかに危険な発言した奴と、棒読みで喋った奴! 後で調伏してやるから首洗っとけ!」

「あらァん、ミモりん。付喪神のほとんどは、首なんか無いわよォ?」

「言葉の綾だろうが。一々混ぜっ返すな!」

肩の管音を怒鳴りつけると、赤ん坊が「ふぇぇ……」とむずがりだした。気付いた時には、後の祭りである。

ふぎゃあぁぁぁぁっ! という雄々しい泣き声が、身舎の中に響き渡った。付喪神達は再び狼狽えだし、実守は動くに動けない。

「ミモりん、煩くて敵わないわァ。早く何とかしてあげましょうよォ」

「そうしたいのは山々だけど……さっきよりも泣き方が激しいんだよ。どうすりゃ良いんだ、これ!」

今度は揺らしてみても、中々泣き止まない。赤ん坊の泣き声に、実守も泣きそうだ。管音が、「やれやれ」と呟いた。

「その子に、心の臓の音が聞こえるように抱いてみたらどうかしらァ? 絶対ではないけど、落ち着くらしいわよォ」

「心の臓……こうか?」

言われるがままに、実守は赤ん坊を胸元で抱き締めてみる。すると、次第に赤ん坊の泣き声は落ち着き、終いには眠そうに親指をしゃぶり始めた。実守と付喪神達は、ほっと息を吐く。

「何とか落ち着いたみたいだな」

「さっすが、実守の旦那!」

「鬼は調伏できなくても、赤子の泣き声は調伏できるんだねぇ」

「実守すごい! すごい!」

「それほどでも。……ところで、鬼の調伏失敗し続けてるのは、気にしてるから言うんじゃない」

照れたり不機嫌になったりしながら、実守は円座の上に座り込んだ。そして、共に来た琵琶に視線を向けて問う。

「ひょっとして、俺に菓子を持って来いだとか、女を連れてこいだとか言ったのは……?」

「そうですよォ。この邸じゃあ、赤子どころか、ヒトの食えそうな物がありませんからねェ。子と言えば菓子、乳と言えば女。そうでしょう?」

「最初からそう言ってくれれば、粥を煮たり、乳母に頼んでついてきてもらうって手もあったんだけどな」

「あらァ、ミモりん。お姫サマを夜外出させるのは駄目で、乳母さんなら良いのォ?」

痛いところを突かれ、実守は「う……」と言葉を詰まらせた。えへんと咳払いをして、赤ん坊の顔を覗き込む。

「しかし……光って突然降ってきた、なぁ……。管音、赤子を降らせる妖なんて、聞いた事あるか?」

「無いわねェ。天狗か何かが攫った赤子を落としたって言うなら、まだわかるんだけどォ。屋根に穴なんて開いてないものねェ」

「そうなんだよなぁ……」

「そんな事よりもォ、この子どうするのォ? お邸に連れ帰って、ミモりんが育てるのは現実的じゃないでしょォ?」

「そうなんだよなぁ……」

「ミモりん、若紫計画を成功できるほどの見た目じゃあないものねェ。線は細いしィ、顔立ち子どもっぽいし中性的だし。なァんか、スッキリし過ぎてるのよねェ。ミモりんがモテるには、時代があと千年以上経たなきゃ、って感じィ?」

「……それ、今言う必要あるか?」

困り果てた後に、顔を引き攣らせた。そんな実守に、几帳が恐る恐る手を挙げる。

「あの……実守様? 実は、降ってきたのは、その赤子だけではないのです」

「え?」

顔を向けた実守に、几帳は部屋の隅を指差して見せる。そこには、毬を半分に切ったような形をした、銀色に輝く物が転がっていた。赤ん坊より二回りほど大きい。

「何だ、あれ……」

「あれにその赤子が入った状態で、降ってきたのです。あのような物、見た事がございませんので、恐ろしくて……。赤子を何とか取り出してからは、誰も近寄らないようにしているのです」

「そうか……」

それだけ言うと、実守はしばらく考え込んだ。目は、ずっと謎の物体を見詰め続けている。

「……まぁ、この赤子が入っていて無事だったのなら、それほど危ない物でもないだろ。一度調べてみるか。何か、身元がわかる物があるかもしれないしな」

「あらァ、抱っこしたままでェ?」

「あ」

赤ん坊で塞がった両腕を見てから、実守は付喪神達を見渡した。やや不安はあるが、背に腹はかえられない。

「……誰か、あれを調べている間、赤子の面倒を見てやってくれないか?」

途端、半数ほどの付喪神達が、我こそはと名乗り出た。折角の機会を逃すまじと、指名される前から両腕を差し出してくる物もいる。差し出す腕がぶつかり合って、樋筥(ひばこ)と唾壺(だこ)が火花を散らした。

「おい、何しゃしゃり出てきてんだ、唾壺のくせに」

「あんたこそ、何考えてんのよ。樋筥のくせに」

「唾壺に赤子の世話なんぞ任せられるか! 唾吐き出す壺なんて汚ぇだろうが!」

「ウンコ入れる筥に言われたくないわよっ!」

「几帳と帳台。あとは任せた」

言い争いを聞かなかった事にして、実守は帳台の中に赤ん坊を寝かせた。几帳が塗籠から単を持ち出し、かけてやる。赤ん坊がむずがらないのを見届けてから、実守は謎の物体へと近寄った。

それは金属でできているようで、触るとひやりとした感触が伝わってきた。中は空洞になっていて、柔らかい布が詰まっている。鼻を近付けると、ふわりと甘い香りがした。

「やだァ、ミモりんってば。女の子が寝ていた場所の匂いを嗅ぐなんて、フラれた衝動で遂に目覚めちゃったわけェ?」

「遂にって何だ、遂にって。前々から俺が幼女を好む変態になりそうな気でもしてたって事か、オイ」

問い詰めようとすれば、管音はふい、と視線を逸らしてしまう。ため息をついて、実守は再び調べ始めた。

「布が詰めてあるし、元々ここに寝ていたという事だし……。これは、あの赤子の帳台のような物なのか? ……ん?」

謎の物体の表面。陰になって目に留まり難い場所に、朱塗りの突起がある事に実守は気付いた。突起の上には「音声案内」という文字が彫り込まれている。

「おんじょうあない……? どういう意味だ?」

「んー。まぁ、百聞は一見に如かず、って言うじゃない? 触ってみれば、何かわかるんじゃないかしらァ?」

それもそうかと、実守は頷いた。これまで何も無かったので、危機感が薄れてきているようだ。

朱塗りの突起を触ってみるが、特に何も起きない。だが、触った事で突起がかすかに動いたようにも思える。そこで実守は、思い切って突起を強く押してみた。

すると、かちりという音がして、突起が物体の中に押し込まれた。それと同時に、ざざっという耳障りな音が、物体から聞こえ始める。

「なっ……何だ!?」

『この度は、当製品をお買い上げくださり、まことにありがとうございます。ただ今より、使い方の音声案内を始めます』

女の声が聞こえ、実守も管音も、付喪神達も、皆して目を丸くした。

「喋った!」

「こいつ……付喪神だったのか!」

「あぁ、これってェ、おんじょうあない、じゃなくって、おんせいあんない、って読むのねェ」

「だが、喋る事ができるのなら好都合だ。なぁ、お前の中に入っていた、あの赤子。あの子は一体どこの……」

『まずは、当製品の中に赤ちゃんが眠るための蒲団を敷き入れてください』

「……おい、人の話を……」

実守が不機嫌そうに言うも、銀色の付喪神は応えない。ただ、ああしろ、こうしろと、一方的に話しかけてくる。

『では、実際に赤ちゃんを当製品に寝かせてみましょう。お父さん、お母さん。まずは赤ちゃんを抱っこしてあげてください』

「え、あ、あぁ……」

言われるがままに、実守は帳台から赤ん坊を受け取り、抱き上げた。銀色の付喪神の声で完全に覚醒したらしい赤ん坊が、実守の袖を掴んできゃっきゃと笑う。

「お父さんとお母さんって、どういう意味だ?」

「父親と母親っぽいんじゃない?」

「えー? 実守は父親って感じじゃないよー!」

「父上っていうよりは、兄上って感じだよなー」

「若紫計画はできそうにないけど」

「うん、若紫計画できそうな顔じゃないけど」

「お前ら……いい加減にしないと、本当に調伏するぞ!」

怒鳴ってから、実守ははっとした。さっき管音を怒鳴った事で泣かせてしまったばかりだ。

だが、慣れてきたのだろうか。今度は泣き出す事無く、にこにこと実守を見て笑っている。ほっとしながら、実守は赤ん坊を銀色の付喪神の元へと連れていった。

『次に、敷き詰めた蒲団に、赤ちゃんを寝かせてあげましょう。縁に頭をぶつけないよう、気を付けてください』

「わ、わかった……」

頷き、実守は赤ん坊を銀色の付喪神の中に寝かせた。赤ん坊は怯える事無く、きゃっきゃと手足を動かしている。赤ん坊が、最初この銀色の付喪神に入っていたという話は本当のようだ。

『赤ちゃんを寝かせましたか? それでは、まずは子守歌機能を試してみましょう。音声案内ボタンの近くにある、黄色のボタンを押してください』

「……どこにも、黄色の牡丹なんて描かれてないけどな……」

「ひょっとしてェ、この黄色の突起の事なんじゃないかしらァ? ほら、音声案内の突起の事を、ぼたん、って言ってたしィ」

「あ、なるほど」

管音に頷き、実守は黄色の突起を、先ほどと同じように押してみた。すると、銀色の付喪神から、緩やかな調子の節が付いた、女の声が聞こえてくる。説明をしてくれたのとは、別の声だ。赤ん坊が、安心したようにうとうととし始めた。

「この付喪神……このような芸までできるのか……!」

驚いて見詰めているうちに女の声は途切れ、最初の女の声が再び喋り始めた。

『さて、赤ちゃんを育てていると、一秒も赤ちゃんから目を離す事ができない、だけど助けを呼びたいという時がある事でしょう。そんな時には、白色の緊急連絡ボタンを押してください。同梱されている通信機と、連絡をとる事ができます。お母さんが赤ちゃんを見ている時にはお父さん、お父さんが見ている時にはお母さんが通信機を持っていけば、困った時にはすぐに助けを呼ぶ事ができます』

「……つまり、この白い突起を押せば、この赤子の親を呼ぶ事ができるという事か? お前、実はすごい奴なんだな!」

『それでは、これで音声案内を終了いたします。ご不明な点などございましたら、お客様相談センターまでお問い合わせください。ご購入ありがとうございました』

それだけ言うと、銀色の付喪神は一切喋らなくなってしまった。実守がどれだけ話しかけても、うんともすんとも言わない。

諦めて、実守は白い突起を押した。すると、再びざざっという耳障りな音が聞こえた。そして、笙の音が更に騒がしくなったような甲高い音が鳴り響く。

ピルルルルッピルルルルッピルルルルッ!

かちゃ、という、筥の蓋を開けた時のような音がした。

『向こうから通信が来たぞ!』

『お嬢さんの存在する時間軸、特定できました。これは……平安時代!?』

『場所は現在の京都のようです。もう少し詳しい位置情報があれば良いのですが……』

銀色の付喪神が、再び喋り出した。それも、今度は男の声と女の声、両方を使ってだ。どこまでも芸達者な付喪神である。

「……え、っと?」

何と言えば良いのかわからずに実守が戸惑っていると、銀色の付喪神は初めて実守に声をかけてきた。

『おぉ、そこにどなたか、いらっしゃるようですね! すみません、今あなたがいらっしゃるその場所、京都……京(みやこ)の、どの辺りになるのか、わかりますか!?』

「へ? ……あー……ここは右京の……八条大路と木辻大路が交わったところにある……」

『今の言葉から居場所、特定できました。すぐに転送準備にかかります』

『そうしてくれ。いやぁ、一時はどうなる事かと思ったが、無事に見付かって良かった良かった』

「ちょっと……」

先とは比べ物にならぬほど饒舌になった銀色の付喪神は、実守に喋る暇を与えてくれない。辛うじて発した言葉に、相手はようやく気付いてくれた。

『すみません、お騒がせしまして。うっかり手違いで、娘をタイムスリップさせてしまいまして』

「……は?」

『ご迷惑をおかけした事と思いますが、娘をこちらに呼び戻す準備が整いましたので、もう大丈夫です。これ以上は、お手を煩わせずに済みますので!』

「……たいむ? え?」

戸惑っている間にも、銀色の付喪神は『転送を開始します』『転送開始十秒前』などとわけのわからない事を叫んでいる。意味がわからず、実守は本格的に泣きたくなってきた。

実守の肩の上では、管音が何やら険しい顔をしている。管狐には、予言の能力を持つ者もいるという。管音も、何かを感じ取ったのかもしれない。

やがて、銀色の付喪神が白く発光し始めた。中には、赤ん坊を寝かせたままだ。

「な……おい!」

慌てて、実守は赤ん坊を抱き上げようと手を伸ばした。だがその前に、管音が実守の肩からするんと滑り降り、実守の手を阻む。

「管音!?」

「駄目よォ、ミモりん。よくわかんないけど、この子は今、自分が本来いるべき場所、両親の元へ帰ろうとしているみたいなんだからァ」

「けど……!」

それでも手を伸ばそうとする実守に、管音は思い切り噛み付いた。実守は思わず、手を引っ込める。

「落ち着きなさいな、実守。今、この子が両親の元へ帰るのを邪魔して、どうするつもり? この子を、成人するまで無事に育てる事ができるの? この子が本来の場所で育つよりも、幸せにしてあげる事ができるの!?」

「それは……」

言い淀んでいる間にも、発光はますます強くなる。ぎゅるるるる……という怪しげで激しい音まで鳴り響きだした。

「実守の旦那ァ、そこは危ねェですッ!」

琵琶が飛び出し、実守の裾を強い力で引いた。実守は後ろに倒れ込み、琵琶は反動で銀色の付喪神へと突進する。

その瞬間、それは今までの中で、最も明るく輝いた。辺りが全て白くなり、袖で顔を覆っても眩しさを防ぐ事ができない。

そして、光がやっと止んだ時。そこに、あの銀色の付喪神の姿は無かった。中に寝ていた、赤ん坊の姿もだ。それだけではない。

「……管音? 琵琶?」

あの激しい光の直前、実守よりもずっと銀色の付喪神に近い場所にいた管音。そして、実守を引き離す代わりに、突っ込んでしまった琵琶。その姿が、どこにも見当たらない。

「おい……管音! 琵琶!」

呼べど叫べど、返事は無い。残された付喪神達が不安そうに見守る中、実守はへたりと座り込む。

「嘘だろ……」

呟き、そのまま呆然と虚空を見詰めていた。外で深々と雪が降り積もるような気候の中、体が冷え切っていくのにも構わずに。





# # #





西暦三〇一四年三月。

月と地球とを結ぶメタリックシルバーのパイプトンネルKAGUYA(カグヤ)EXPWY(エクスプレスウェイ)――通称KGY周辺を、色とりどりのスカイバギーが飛び交っている。

月側のKGYが日本上空に無い時間帯のため、地上十キロメートル以上のKGYは幾つものブロックに分解され、宙をグルグルと舞っていた。月と地球の日本、それぞれのKGYが直線状に並ぶ時間が近付くと、このブロック達が収束し、完全なパイプトンネルとなって月と地球とを行き来できる道となるのだ。

そのKGYの分解と収束を朝に夕に眺める事ができる、地上十五キロの超高層ビル。階数が三千もあるこのビルには居住区に商業区、研究区までがあり、ビルだけで一つの自治体が成り立っていた。

その一室。壁と天井に空と森の風景が映し出され、ベッドとテーブルが有るのに屋外にいるかのように錯覚させるその室内に。この時代では珍しい楽器――琵琶の音が、べぇん、べぇんと響き渡った。

奏でているのは、十五歳ほどの少女だ。肩には、手乗りサイズの小さな狐が載っている。そして、少女が持つ琵琶には、何と手足が生えていた。

「良いわねェ……。J‐POPとか、ジャズにクラシック、ロックっていうのも中々聴いてて面白いけどォ。やっぱり、昔ながらの楽の音が一番落ち着くわァ」

「そうでしょう、そうでしょう、管音の姐さん。……それにしても、美森のお嬢は本当に上手くなりましたねェ。わっちらが元々暮らしていた時代の貴族と比べても、遜色無ェくらいでさァ」

「そ、そうかなぁ?」

琵琶に褒められ、少女――美森は照れ臭そうに髪を掻き上げた。そんな彼女に、管音は「そうよォ」と言ってもたれ掛る。

「前にアタシが憑いてたヘボ陰陽学生なんてェ、どんだけ練習してもろくすっぽまともに弾けた事が無いんだからァ」

「あぁ、確かに実守の旦那は下手くそでしたねェ。あまりに下手過ぎて、終いにゃあ、いつまともに弾けるようになるのかと、ワクワクしちまってましたよ」

「実守さんって、間違ってタイムスリップしちゃった私の面倒を見てくれた人よね? 陰陽師だったんだ」

興味深げに美森が言うと、管音と琵琶はカラカラ笑う。

「違うわよォ。陰陽師じゃなくってェ、陰陽学生。アタシらから見れば似たようなものだけどねェ」

「当人は、随分と気にしてましたよねェ。いつまで経っても実力が身に付かなくて、わっちらみたいな付喪神に振り回されっぱなしでしたから」

「美森の面倒を見たのも、元はと言えば琵琶に呼ばれたからだったわねェ」

楽しそうに思い出話に興じる管音と琵琶を、美森は少しだけ羨ましそうな顔で眺めた。できる事なら、この楽しそうな会話に混ざりたい。だが、話題になっている人物には、美森は一度しか会った事が無い。しかも、物心がつかない赤ん坊の頃の話だ。当然、何も覚えていない。

だが、時折夢を見るように思い出す事もある。波のように体を揺すってくれた腕。優しくて、張りのある声。泣き止まぬ美森を落ち着かせてくれた、あの温かい心音を。

「一度、ちゃんと話とかしてみたかったな」

ぽつりと呟いた、その時だ。ピリリリリッ! というけたたましい音が鳴り響く。美森の部屋に取り付けられた通信機の呼び出し音だ。

座ったまま床をひと撫ですると、目の前にホログラムの操作画面が現れる。サウンドオンリーの通話ボタンを選んでタッチすると、レトロなスピーカーが描かれた画像が表示され、そこから父親の声が聞こえてきた。

『あぁ、美森? 悪いんだが、ちょっと研究所の、タイムマシンの部屋まで来て手を貸してくれないか? 助手が全員、出払ってしまっていてね』

「うん、わかった!」

研究所は、居住区の美森の部屋の三階上。転送装置を使わなくても、五分もあれば行ける程近い。二つ返事をすると、通信をオフにする。そして美森は、パタパタと部屋の外へ駆け出した。管音は、美森の肩に載ったまま。後から、琵琶も続いた。





# # #





ホログラムのタッチパネル上で認証コードを入力すると、シュン、という音がして、扉を構成する物質が一時的に分解される。開いた穴から部屋に踏み込んだところで、美森と管音、琵琶は揃って硬直した。

部屋の中央に据えられた、一見小規模なステージのような姿のタイムマシン。その前で、美森の父はいつもの白衣ではなく、山伏のような恰好をしている。それだけではない。その右肩には、狩衣を纏った一人の人間を担いでいた。

「お父、さん……? その人……」

「ん? あぁ、うん」

眼鏡をかけながら、父親は肩に担いだ人間に目を遣った。ぐったりとしている。気を失っているようだ。

「いやぁね、色んな時代に病原菌のサンプルを集めに行っていたんだが。平安時代で、たまたま彼が死ぬ間際に居合わせてね。あの時代の医療技術では確実に助からないだろうが、この時代なら間違いなく助かる病気だし。調べたところ、彼があの時代からいなくなったところで、歴史が狂う事も無さそうだったからね」

だから、連れてきたのだという。平安貴族の健康状態を知るサンプルとして。父親が山伏の姿をしているのは、彼が死んでしまう前に邸から連れ出す口実を設けるためであったようだ。

「私達にとっては何という事はない病気だが、彼の免疫状態ではそろそろ限界だ。急いで処置をする必要があるから、治療室に運ぶのを手伝ってくれ」

「わ、わかった!」

急ぎ駆け寄り、だらりと垂れ下がった片方の腕を自らの首に回す。顔が見えた。十六、七歳の、どこかにまだ幼さの残る青年の顔だ。

ハッと、美森は息を呑んだ。管音も、琵琶も。その顔に、見覚えがあったから。

「実守……」

管音が呟いた。その呟きに、父親が「ん?」と首を傾げる。

「知っているのか? ……どわぁっ!?」

バランスを崩して、父親がひっくり返った。ずっと実守を担いで移動していたので、膝や腰にきたのかもしれない。

父親と実守の重みに引っ張られて、美森もその場に倒れ込む。すぐに起き上がって、実守の無事を確認した。熱は高く、意識を失ったままではあるが……余計な怪我はしていないようだ。

ホッとため息を吐き、美森は実守の頭を、優しく抱き締めた。昔、自分がしてもらったように。とくん、とくんと、優しい心音(おと)を響かせながら。















(了)














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【参考文献】
池田亀鑑『平安朝の生活と文学』筑摩書房
石村貞吉『有職故実(上下)』講談社
太田博太郎『新訂図説日本住宅史』彰国社
河鰭実英『有職故実改訂版』塙書房
鈴木敬三『有職故実図典―服装と故実―』吉川弘文館
西川幸二、高橋徹『京都千二百年(上)平安京から町衆の都市へ』草思社
西川浩平『カラー図解和楽器の世界』河出書房新社
村井康彦監修『源氏物語の雅 平安京と王朝びと』京都新聞出版センター

【参考URL】
風俗博物館
http://www.iz2.or.jp/top.html

YouTube「雅楽を楽しむ」楽器の紹介
その三「笙」
http://www.youtube.com/watch?v=0W8A6n0OgkQ
その五「琵琶」 
http://www.youtube.com/watch?v=l6QmKg81PLs