未来から来た魔女
15
「セロぉっ!」
「セロっ!」
セロが思わず叫び、イヴが悲鳴をあげ、スフェラの声があせりに満ち、そして闇が爆発する。建物のあちらこちらが破壊され、さらなるガレキの山が築かれていった。
やがて、そのガレキの山の上でセロは起き上がった。
「……あれ? 俺、助かって……?」
あれだけの攻撃だったというのに。なのに、なぜ自分は助かっている?
首をかしげながら視線を前にやり、そしてセロは息を飲んだ。
そこには、リッターがいた。両腕を広げ、セロを守るように立っていた。
リッターの姿は、どう見ても無事ではなかった。服も皮膚も破れ、あちらこちらから色とりどりの管が飛び出している。そして、体のあちこちから、バチバチという音が聞こえてくる。
ギギギ……という不穏な音を立てながら、リッターが振り向いた。その顔は、焼けただれたように赤くなり、眼球がむき出しになっている。ほおの辺りからも、青い管が数本、飛び出していた。
「セ……セセ、セロ、様……ごぶ、ご無事……です、ですか?」
今までのリッターからは想像もできない、途切れ途切れで、ざらついていて、何度も何度も同じ単語を繰り返す喋り方。
そこで初めて、セロはリッターが鉄人形の仲間なのだと心の奥底から納得した。そして、なぜ自分がヘラのあの攻撃から助かったのかも。
「リッター! お前、俺をかばって……? どうして!?」
「ヘラ、を……たた、た、倒す、ため、には……セ、ロ様の、力、が、ひひ必要だと、判断し、たから……です」
言葉こそ途切れ途切れだが、それでも淡々としたその喋り方は、相変わらずのリッターだ。その様子に、セロも、そして遠くから事の成り行きを見ていたイヴとスフェラも息をつまらせた。
リッターは、ちらりとスフェラの方を見た。そして、また視線をセロに戻す。
「セ、セロ、様……ス、スス……スフェ、スフェラ、様を……おま、おまおま、お守り、下さ……」
リッターが言葉を最後まで言う事は無く、ピー……という甲高い音が辺りに鳴り響いた。それと同時にリッターは全く動かなくなり、ガシャン、とその場に崩れ落ちてしまう。
「おい! リッター! リッター!?」
セロの必死の呼び掛けにも、リッターは答えない。喋りも、動きもしない。これでは、人間の形をしているだけの鉄の塊だ。これでは本当に、鉄人形ではないか。
「リッター……!」
スフェラが、やっとの事で声を絞り出した。その声も、手も、小刻みに震えている。見兼ねたイヴが、スフェラの手をギュッと握った。
「茶番は終わりか? たかが鉄人形一体に、よくそこまで騒げるものよ」
呆れた顔をして、ヘラがセロ達に一歩歩み寄った。その言葉が、琴線に触れたのだろう。スフェラは銃を、ヘラに向けて構えた。
「……っ!」
スフェラが引き金を引き、辺りに銃声が何度も響く。だが、ヘラは涼しい顔をして結界を張り、全ての弾を防いでいる。
やがて弾が尽き、スフェラが銃を構えた手を力無く下ろしたところで、ヘラは楽しそうに、馬鹿にした顔で言った。
「そのような鉛玉ごときで、わらわが傷付くものか。……さぁ、お前達も絶望し、その末に果てよ! お前達に、希望は無いのだからな!」
「希望……」
ぽつりと、無意識にセロはつぶやいた。その無意識のつぶやきが、セロの脳裏に一石を投じ、思考の波紋を広げていく。
「……いや、希望ならあるさ!」
「……何?」
不愉快そうに眉をひそめるヘラを他所に、セロは勢い良くイヴを見る。
「イヴ! 希望の祈りだ!」
「……え!?」
セロの言葉に、イヴは困惑して一歩後ずさった。イヴの惑いを打ち払うように、セロは力強く言う。
「その魔法……ずっと昔から、危ねぇ時に唱えろって、イヴの家に伝わってるんだろ? その危ねぇ時ってのは、ヘラと戦う時って事じゃねぇのか!?」
セロの言葉に、ヘラがピクリと眉を動かした。だが、様子を見るためか、すぐに動く様子は無い。
しかし、イヴもまた動かない。惑いが打ち払われるどころか、ますます濃厚になってしまった様子だ。
「そ、そんな事いきなり言われても……今まで一度も使えた事が無いのに……なのに、こんな時にいきなりできるようになるわけが……」
自信が無さそうにうつむくイヴの元へ、セロは駆け寄った。そして、イヴの両肩をしっかりとつかむ。
「今まで使えなかったのは、ヘラとの戦いじゃなかったからじゃないのか!? ……大丈夫だ、お前ならできる! 誰も信じなくっても、お前自身が信じなくても、俺はお前ならできるって信じてる!」
「……」
まっすぐに目を見てくるセロに、イヴは視線をそらした。再び視線を上げる様子は、無い。
「……世迷言は終わりか? ならば、覚悟を決めるが良い。希望の祈りが絶望への呪詛となり、世界は闇に包まれる!」
ヘラのあざけるような声が、セロ達の耳を打つ。だがセロは、恐れる事無く、キッとヘラをにらみ付けた。
「ふざけんな! 希望が絶望になる、闇に包まれた世界? そんな世界は、お断りだ!」
「セロ……」
不安げに名を呼ぶイヴに、セロは振り向き、そして力強い笑顔を作って見せた。不安を感じさせないその顔に、イヴは一瞬だけ見とれてしまう。
「イヴ、俺が時間を稼ぐ! その間に、お前はちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、頑張ってみてくれ。な?」
「……」
イヴが言葉を探している間に、セロは視線をヘラへと戻した。
「スフェラ! 悪いけど、イヴを頼む! ……いくぞ、ヘラ!」
ヘラをにらみ付けたままスフェラに声をかけ、セロは駆け出した。そんなセロに、ヘラは不快そうにフン、と鼻を鳴らす。
「生意気な。わらわに向かって二度とそのような減らず口をたたけぬよう、喉を切り裂いてくれるわ!」
言うや否や、ヘラは腕を振り上げ、セロに向かって闇の魔法を唱え、放つ。それをセロは間一髪でかわし、力強く床を蹴ると剣を振り上げヘラに突っ込んだ。
「でりゃあぁぁぁぁっ!!」
叫び声と共に振り下ろされるセロの剣をヘラは難無く避け、そしてまた魔法を唱える。それをまたセロがかわし、ヘラに斬りかかり、避けられる。
辺りで闇が弾け、火花が散る。二人の激しい攻防を、イヴは思い悩んだ表情のまま、ただ見つめていた。
「……」
「……唱えないの? ……希望の祈り」
いつまでも唱えようとしないイヴに業を煮やしたのか、スフェラが静かな声音でイヴに問うた。すると、イヴは不安と悲しみと恐怖と自信の無さがごちゃ混ぜになったような顔で、首を横に振る。
「……無理です。だって、今まで一度も使えた事が無いんですよ? それが、今回は使えるなんて、そんな虫が良い話……」
「そんな事……やってみなくちゃ、わからないわ」
スフェラの言葉に、イヴは首を横に振った。そして、「それに……」とうつむく。
「こんな時に……世界の存亡がかかっている時に唱えるなんて……。私の唱える希望の祈りに、世界の平和がかかっているなんて……。それじゃあ、もし私が失敗したら? そうしたらきっと、ヘラの言う通り、希望の祈りは絶望への呪詛になってしまうもの……。世界にとっても、今、私を信じて戦っているセロにとっても……」
自信の無さとプレッシャーから、イヴの声はどんどん小さくなっていく。そんなイヴの両肩を、スフェラは力強くつかんだ。その震動に、イヴはハッと目を上げる。
「……良い? 今あなたが言った通り、この場を切り抜ける事ができるかどうかは、あなたにかかっているのよ、イヴ。……恐れないで。例え失敗する可能性が高くても、あなたが希望の祈りを唱えれば何とかなる可能性は残るわ。けど、唱えなければ可能性はゼロになる。……私が言っている意味、わかるかしら?」
「……」
まっすぐに見つめてくるスフェラの力強い視線に、イヴはおずおずとうなづいた。だが、それでもまだ顔は不安げだ。
すると、スフェラはイヴの肩をつかんでいた手からフッと力を抜き、優しく微笑んで見せた。
「……一人で成功させる自信が無いと言うなら、私も祈るわ。あなたと一緒に。だから、そんなに簡単に諦めないでちょうだい」
「一緒にって……え?」
スフェラの言葉の意味がイヴは一瞬飲み込めず、きょとんとした。そして、困惑した顔になる。
「だってスフェラさん、希望の祈りを聞いた事なんて……」
「良いから! どうするの? 諦めて可能性を失うか、限りなくゼロに近い可能性にすがるか! どちらを選ぶか決めなさい! 今すぐに!!」
強いスフェラの口調に、イヴは口に出し掛けていた言葉を飲み込んだ。そして、目を閉じ数秒の間考えると、目を開ける。その目には、先ほどまでは見る事ができなかった決意の色が現れている。
「……わかりました。やってみます……スフェラさんは……」
「さっき言った事に嘘は無いわ」
迷う事無くはっきりと言い放ち、スフェラは視線をイヴから動きを停止したリッターへと移した。そして、次に事の成り行きを呆然と見守っているレクスに視線を移し、最後に攻防を繰り広げているセロとヘラを見る。
ヘラを強くにらみ付け、スフェラは胸元で祈るように手を組んだ。
「私もあなたと一緒に祈る。あなたとセロが、ヘラから世界を守ってくれると信じて……!」
「……はい!」
スフェラの言葉にイヴは少しだけ顔をほころばせてうなづき、そして杖を眼前に祈るようにして捧げ持つ。
目を閉じ、精神を集中させると、次第に杖に埋め込まれた青い宝石が美しく輝き始めた。その輝きに浄化されたかのように、辺りが神々しい神聖な気に満ちていく。
やがてイヴは目をゆっくりと開き、静かな声でゆったりと歌うように唱え始めた。
「いずれの時にか賜りし、言の葉結びて奉る」
イヴに続いて、スフェラも口を開く。その声もまたゆったりと歌うようで、まるでイヴとスフェラで輪唱をしているかのようだ。
「祖人(そひと)に与えし救いの力、再び我らに賜らん」
「! その詠唱は、かの憎き勇者の……!」
イヴとスフェラが希望の祈りを唱えている事に気付いたヘラが、サッと顔色を変えた。そして、振りかかるセロの攻撃をかわすと、魔法の標的をセロからイヴ達へと切り替えた。
「唱えさせるものか!」
叫ぶヘラの両手には、巨大な闇の塊が、強力な雷を帯びながら発生している。先ほどセロとリッターが食らった物よりも、さらに大きい。こんな物に当たったら、イヴもスフェラも無事では済まない。……いや、確実に死んでしまう。
「やべぇ! させるかぁぁぁっ!」
あせりを感じさせる叫びを発しながら、セロがヘラに向かって全力で駆ける。その様子を、レクスは呆然と見つめていた。