じゃがいも奇縁
カレーを作るためにじゃがいもの皮を剥いていて、ふと思い出した事がある。
小学生の時の事。調理実習で、その時もカレーを作るためにじゃがいもの皮を剥いていた。
皮を剥く器具は、包丁かピーラー。慣れない道具を使って怪我をするといけないから、包丁に自信の無い子はピーラーを使いなさいと先生は言っていたっけ。
私は、包丁を使っていた。野菜の皮剥きなら、家で時々手伝っていたから。包丁を使う事に、恐れや抵抗は一切無かった。
それで、じゃがいもの皮を剥いていると、同じ班の高杉くんが声をかけてきた。
「おぉ、すごいな村瀬。じゃがいも、すっげぇ綺麗に剥けてるじゃん」
その言葉が、私にとってどんなに衝撃的だったか。彼は知らない。
鈍臭くて、運動は苦手。勉強も可も無く不可も無く。特技らしい特技も無い。
親にも先生にも、怒られる事は滅多に無いけど、褒められる事も滅多に無い。褒めるべき人が褒められないんだから、友達なんて尚更だ。
そんな私を、彼はごく自然に褒めたのだ。
それがどんなに衝撃的だったか。それがどんなに、嬉しかったか。明るくてみんなの人気者だった彼には、きっとわからない。
たしかに、じゃがいもの皮は他の子と比べて綺麗に剥けていた。けどそれは、私が家の手伝いでじゃがいもの皮を剥いた事があって、アドバンテージがあっただけの事。ちょっと練習すれば、私より綺麗に剥ける子はたくさんいたと思う。
それでも、彼は褒めてくれた。
本当に、本当に嬉しかったんだよ。それが切っ掛けで、料理に興味を持ってしまう程度には。
「なぁ、千穂。にんじんの皮、これで全部剥けたかな? 残ってない?」
声をかけられて、私はハッと我に返った。刃物を扱っている時にぼーっと考え事をするなんて、危ないにもほどがある。
反省しながら、皮を剥かれたにんじんを受け取る。ところどころ剥きすぎでにんじんが痩せてしまっているが、彼が心配する皮の残りは無い。
「大丈夫、ちゃんと剥けてるよ。それに、少しぐらい残ってても問題無いから、気にせずこの調子でお願い」
言いながら、彼が私の手元を見ている事に気付いた。
「……どうしたの?」
「いや……相変わらず、綺麗に剥くなぁと思って」
目をきらきらさせながら言って、それから彼は「そう言えば……」と言葉を続けた。
「千穂ってさ、いつ料理に目覚めたんだ? 中学時代の調理実習で、既にかなり上手かったよな?」
そう言われると、流石にちょっとくすぐったい。
「小学生の時かな。じゃがいもの皮を剥いてたら、今みたいに褒めてくれる人がいて。それで、料理に興味を持ったって言うか」
そう返すと、彼は「へぇ」と言って嬉しそうに口元を綻ばせた。
「じゃあ俺は、最初に千穂の皮剥きを褒めた奴に感謝しないとな。お陰で頻繁に美味い料理が食べれるし、こうして教えてもらって、俺自身も料理上手になれそうだし」
「気が早いよ。にんじんを剥けるようになったんだし、次にカレーを作る時じゃじゃがいもも剥いてもらうからね?」
「……う……精進します……と言うか、なんか拗ねてる?」
気付かれた。……えぇ、拗ねていますとも。やっぱり覚えていないか、って。
「そんな事より、手がお留守になってるよ。そろそろ他のにんじんの皮も剥いてよね、高杉くん」
そう言うと、今度は彼がちょっぴり拗ねた顔をした。
「来週からは千穂だって高杉だろ。……あ、職場では村瀬のままでいくんだっけ? ……と言うか、さっきまで名前で呼んでたのに、なんでいきなり名字呼び?」
「さぁ?」
そう言ってはぐらかし、私はまた、じゃがいもの皮を剥く。
私が料理に興味を持つ切っ掛けになったのは誰なのか。何故彼を好きになったのか。きっと彼は、一生知る事は無いだろう。じゃがいもに縁を結ばれたなんて、思ってもいないだろうから。
そう思うと、ちょっとだけ楽しくなって。私は鼻歌を歌いながらじゃがいもを水にさらし、たまねぎを炒める準備を始めた。
(了)