暗闇の森を治める主(ぬし)は、とても優しい母梟。我が子のために翼を広げ、空を舞い飛び餌探す





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薄暗い森の中、男が二人、歩いていた。二人は共に猟銃を肩に担ぎ、辺りに視線を配りながらゆっくりと歩いている。

「……すっかり暗くなっちまったな。収穫は無いけど、そろそろ宿に戻るか」

二人のうち、背の低い方がそう言うと、もう一人が「そうだなぁ」とややのんびりとした口調で頷く。だが、はっきりと肯定を示す前に、その男は「ん?」と眉を寄せて遠くを見た。そして、相方の肩を叩くと、視線が向かう先を指で示す。

「おい、見てみろよ、あれ」

「ん?」

言われるがまま指の先に目を遣り、背の低い男は「お!」と目を輝かせた。二人が視線を向けた先では、大きな鳥が何やら小動物を襲っていた。

「あれは……梟だな。かなりでけぇぞ。襲われているのは……狐の子どもか?」

背の低い男が、目を凝らしながら呟く。背の高い男が「どうする?」と訊くと、彼は「決まってんだろ」と言ってニヤリと嗤った。

肩から猟銃を降ろし、素早く構えると引き金を引く。ズドンという、大きく乾いた音がした。一瞬遅れて梟が地面に落ち、ドサリという音を立てた。

「よっし、命中!」

煙を吐き出している猟銃を降ろし、背の低い男は拳を握った。背の高い男が、「おー!」と叫んで顔を綻ばせる。

「一発で仕留めるとは、相変わらず良い腕だなぁ」

言いながら、墜落した梟に近寄り、遺骸をまじまじと見詰める。

「……それにしても、見れば見るほど立派な梟だ。こりゃ、良い剥製が作れそうだな」

そこで彼は、「ん?」と首を傾げて視線を横に移した。仔狐が、切なげに鳴きながら男の足もとに近寄ってきている。先ほど梟に襲われていた、仔狐だ。

「おい、この狐の子、どうする?」

問われて、背の低い男は仔狐を眺めた。あまり興味の無さそうな顔だ。

「そうだな……逃がしてやるか。こんな小さいのを剥製にしても、見栄えが良くねぇし」

「それもそうだなぁ」

頷き、背の高い男は仔狐に向かって「よし」と言った。

「お前、逃げても良いぞ。助けてやったんだから、あとで恩返しに来てくれよ」

その言葉がわかったのか、どうなのか。仔狐はそろりと動き出したかと思うと、あっという間に逃げていった。ガサガサと鳴る茂みの音を聞きながら、背の低い男は冷えてきた猟銃を担いだ。

「恩返し、ねぇ。だとしたら、今夜あたり世にも稀な美女が俺達の部屋を訪ねてくるかもしれねぇな。中国の妲己に、日本の玉藻の前。狐が化けた女は美女揃いって、相場が決まっているからな」

「あぁ! そりゃあ、そうだ。……いやぁ、何だか俄然、今夜が楽しみになってきたなぁ!」

嬉しそうに言う背の高い男に、背の低い男は「おいおい……」と呆れた顔をした。

「まだ来ると決まったわけじゃねぇぞ。……ってか、動物が人間に化けるなんて、現実にあるわけがねぇだろうが」

その言葉に、背の高い男はハッとする。そして、がっくりと項垂れた。

「あぁ、それもそうか。……残念だなぁ……」

わかりやすくがっかりする相方を、背の低い男が笑ってからかう。背の高い男も、それにつられて笑い出した。





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夜の宿屋に、扉を叩く音が響いた。木製の扉を叩く硬くもどこか柔らかい音に、二人の男は顔を見合わせる。

「誰だ?」

背の低い男が扉を開けると、そこには言葉では言い表せぬ美しい女性が佇んでいた。やや不安げな顔で二人を見詰めると、女は恥ずかしそうに問う。

「ごめんくださいまし。こちらは、今日の夕暮れ時、暗闇の森で梟を撃ち落とした方々のお部屋で間違いございませんでしょうか?」

二人は、再度顔を見合わせた。

「来た……本当に来たよ。絶世の美女に化けた狐……!」

背の高い男の動揺した様子に、女は申し訳なさそうに顔を曇らせた。

「申し訳ございません。あの時は気が動転しておりましたもので、お顔をよく覚えておらず……では、やはりあなた様方が……?」

「お、おう。そうだよ。俺達があの時、梟を撃ち落として、あんたを助けてやったんだ。……それで? わざわざそんな姿で俺達を訪ねてきたという事は……?」

女は、何も言わずに一歩、部屋の中へと踏み込んだ。男達は思わず後へ下がる。……と、女は更に一歩踏み込み、完全に部屋の中へと入り込んだ。後ろ手で、扉を閉める。ガチャリと、鍵をかける音がした。

「あの……実はわたくし、お二人にたってのお願いがございまして……」

「お願い?」

女の言葉に、背の低い男は首を傾げた。その横では、背の高い男があからさまにがっかりしている。

「恩返しじゃないのかぁ……」

「……まぁ、良いさ。あとでまとめて返してもらえば良いだけの話だ」

相方の背中を諭すように叩き、背の低い男は女に再度視線を向けた。

「それで? 願いってのは?」

問われて、女は「はい……」と頷いた。

「私は今、仇を抱える身でございます」

「仇?」

女は、再度頷いた。

「えぇ……私の母が、殺されてしまった……その仇をとりたいのでございますが……」

背の低い男が、「ははぁん」と頷いた。心得た、という顔をしている。

「読めたぞ。あんたが今日、梟に襲われているのに親が助けに来なかったのは、既に母狐が殺されていたからだ。そんな中、あの巨大な梟を一発で仕留めちまった俺達を見て、あんたは、俺達なら母狐の仇を討てると思った。そういう事だな?」

「……」

女は、俯いたまま何も喋らない。ただ、一筋の涙が、女の頬を伝った。それを肯定と取り、背の低い男は頷く。

「良いぜ。その話にのってやる。その代わり、事を成し遂げた暁には、その姿でたっぷりと楽しませてくれよ?」

女の顔が、パッと明るく輝いた。

「……本当に? 命を懸けて、誓ってくださいますか?」

「命って! 大げさだなぁ」

背の高い男が苦笑すると、女は上目づかいで男達の顔をジッと見詰める。その表情に、男達は笑みを収めた。

「……良いよ。どんなに大きな動物でも、一発ズドンとやってやれば片は付くからね。命ぐらい、いくらでも懸けてあげるよ。なぁ?」

背の高い男に視線を向けられ、背の低い男は「おう!」と力強く頷いた。その様子に、女は涙と笑みをその花のような顔に浮かべた。

「ありがとうございます。それでは……」

女が、更に何かを言おうとした時だ。ドンドンドン! と、扉が激しく打ち鳴らされた。

「! 誰だ!」

背の低い男が顔を険しくして問うと、扉の向こうからは呼吸を整える間も惜しいと言わんばかりの気配が伝わってきた。

「もし! こちらは、今日の夕方、暗闇の森で梟を撃ち落とした方々のお部屋ではございませんか? 私は、あの時あなた方に助けて頂いた狐です!」

少年のようなその声に、二人の男は顔を見合わせた。

「……え? だって、狐は今……え?」

男達の目の前の、美しい女の更に向こうから、少年の声は言う。

「助けて頂いたあなた方に、忠告するため馳せ参じました! 梟に……梟にお気を付けください!」

「梟? ……おい、梟って……」

二人の視線が、眼前の女に注がれる。女は、にこりと、これ以上ないほど美しく微笑んだ。その間にも、狐を名乗る少年の言葉は続く。

「あなた方が撃ち落とした梟は、あの暗闇の森の主(あるじ)! 有り得ぬほどに永い時をあの森で生き続けてきた梟は、我ら狐と同じように化ける事ができるのです。それは、あの梟の子も同じ事……!」

「え? な……え!?」

バサリと、翼を広げる音がする。何の音だと尋ねるまでもない。二人の前に佇む女の背から、大きく、影のように黒い翼が生えている。

「遺された子どもは、必ずやあなた方に復讐を考えるはず! 一刻も早く、この土地から離れて……逃げてください! 早く! 早く!!」

狐の少年の声は、最早二人には聞こえない。

「な……あ、あ……」

「あ……うわぁ……あ……」

言葉を失ってしまった二人を前に、女は微笑み、そして囁くような声で



「ホゥ」









(了)





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