蛍は廻る










「蛍は良いよな。ただ光るだけで女人に持て囃されて」

「……はい?」

 己が主──栄充(ひでみつ)の呟きに、塁則(かさのり)は思わず振り返った。

「何の話ですか?」

 そう言いながら、 塁則はちら、と栄充の手元に視線を遣った。そこには大きめの箱が一つあり、蓋が開いている。中には、大量の文が詰まっていた。

 塁則は知っている。あの箱に詰まっている文は、全て栄充が女人へと送った文の返事であること。そして、その全てが漏れなくお断りの内容であることを。

 だから、このあと栄充の口からどんな言葉が飛び出してくるのかは、大体想像がつく。

 だが、だからと言って無視はしない。栄充の愚痴を聞いて少しでもその気を晴らしてやるのも、塁則の大事な役目だ。

「蛍が光って飛んでいるのを見ると、それだけで、まぁ美しい、だの、なんて雅な……だの、この手で触れてみたいわ、だのと言う女人のなんと多いことか! ……いや、実際にこの耳で聞いたわけではないのだが、宴で他の者から聞かされた恋人の話から判断すると、そのような女人は多いと思う!」

「……はぁ」

 熱弁している栄充には悪いが、生返事しかできない塁則である。

「ずるいと思わないか? 文を書かずとも、雅を解さずとも、和歌の一つも詠めなくても、女人に持て囃されるんだぞ!」

「いえ、別に……と言いますか、今のお言葉から察するに、栄充様が何故逢瀬を全て断られてしまうのかはご理解なさっているんですよね? ……直さないのですか?」

「それができたら苦労はしないし、私はそのままの私を求めてくれる女人に出会いたい!」

「そんな風だから誰に文を送っても同じ内容の返事をされてしまうんですよ……」

 そう言って、塁則はがくりと肩を落とす。栄充は、子どもの頃からずっとこうなのだ。

 文を書く字はお世辞にも上手いとは言えず、それどころか癖が強過ぎて難解であるとすら言える。文章も順序だっておらず、読み難い。雅を解するどころか、花にも鳥にもさしたる興味を持っておらず、あれは何かと問われて答えられたことなど一度でもあったかどうか。衣装にも無頓着で、日々の衣は色の組み合わせがめちゃくちゃだ。

 こんな具合なものだから、当然和歌も詠めない。加えて、先の発言からも察することができるように、頭も残念ながらよろしくない。このような状況で、そのままの己を求めてくれる相手が良いなどと、高望みにも程があるというものだろう。

 ……と、あまりにも残念すぎる栄充だが、勿論良いところもある。それをよく知っているからこそ、塁則はこの主に呆れながらも、幼い頃から仕え続けているのだ。

「まぁ、たしかに栄充様にも良いところはありますからね。それだけで十分だと言ってくださる方がいてくだされば、救いはあるかもしれませんよね」

「そっ……そうだよな! 私にも良いところはあるよな! 流石は塁則! 私に呆れながらも、最後はそうやって慰めてくれる! 本当に良い男だよ、お前は!」

「呆れてるってわかってたんですか」

 いつもに輪をかけて呆れた顔をする塁則に、栄充は「たはは……」と苦笑いをしてみせる。この、どこか憎めない様子も良いところの一つと言える……かもしれない。

「それで、その……私の良いところって何だ? 教えてくれないか? そこを更に伸ばせば、私のことを認めてくれる女人も現れるかもしれないだろう?」

「そうですね……まずは今のように懲りもせず、叩かれても叩かれても折れる事無く何度でも立ち上がれる気の持ちようでしょうか。それと、私のような臣下に、真名を呼んでも良いと気安く接してくださるところ。それから……お優しいところ、でしょうかね」

 塁則が挙げる言葉を、栄充はふんふんと頷きながら嬉しそうに聞いていたが、やがて「そうかー……」と呟きながら肩を落とした。

「私の良いところをたくさん挙げてくれたのは嬉しいが……それは、これ以上伸ばすのは難しいな……」

 心が折れない気の持ちようも、気安さも優しさも、伸ばそうと思って伸ばせるものではない。そもそも、栄充の場合は既に伸びきっているように、塁則は思う。

「今ある良さは、今のままで十分ですよ。特に……幼き頃に、鳥に食われそうになっていた蛍を哀れと思い助け、安全な場所に放してやった。そのような優しさを長じても損なうこと無く持ち続けていられるのはそれだけで希有なことですから」

「そっ……そうか? ……ん? その話、塁則にしたことがあったか? あれはたしか、まだお前が生まれる前の話だったと思うんだが」

 首を傾げる栄充に、塁則は苦笑してみせた。

「何年栄充様にお仕えしていると思っているんですか? 栄充様ご自身から伺わずとも、他の者から話を聞く機会などいくらでもありましたよ?」

 言われて、栄充もまた「それもそうか」と苦笑した。

「しかし、そうだな……蛍を助けたこともあったが……あの時の蛍が、物語のように美しい女人に化けて恩返しに来てくれないものかな。蛍が変化した女人であれば、さぞかし美しいだろう。ならば、妻として迎えるのもやぶさかではないのだが……」

「はぁ……。蛍が変化した女人ということは……光るんですか?」

「……は?」

 何を言われたのか、理解できなかったのだろう。栄充の顔が、固まった。それに構うこと無く、塁則は表情すら変えないままに淡々と言葉を継いだ。

「蛍が変化した美しい女人を妻として迎えた、栄充様。夫婦(めおと)になったのですから、当然夜は衾(ふすま)を共にします」

「おっ……おう……!」

 これしきの話で、顔を柿の実のように赤らめている。こんな調子で、よく女人に逢瀬を求める文など出せたものだ。

「共寝をするため、お二人は灯りを消します。しかし、おかしい。灯りを消して辺りは暗闇となるはずなのに、そうならないのです」

「……え?」

 栄充の顔が、強ばった。そう言えばこの主、幼い頃から怖い話が苦手とのことである。

「そう……女人は蛍の化身……。辺りが暗くなると、蛍の性(さが)として尻が光ってしまうのです」

「……は?」

 今度は違う意味で、栄充の顔が引き攣った。……が、ここまできたら最後まで話してしまおうと、塁則は言葉を続ける。

「恐らく、魔羅で陰(ほと)を突いた時も光るでしょうね、尻。その後も、彼女が喘ぐ度に光るやも……」

「あなや……!」

 塁則の言葉を遮るように、栄充が叫んだ。「あなや」と叫ぶ人が本当にいるんだ、などと考える塁則の前で、栄充は顔を赤くするやら青くするやらしながら、ふるふると震えている。

「なんでそうなるんだ……なんでこんな話を口から出任せに言えるんだ……こんな……こんなの……怖がれば良いのか笑えば良いのか、わからないではないか!」

「そこでくだらない嘘をつくでない、などと言わずに怖がるか笑うかで悩んでくださる栄充様は、本当にお優しい方ですよ」

「……何やら、馬鹿にしていないか……?」

「してません、してません」

 適当にいなしてから、塁則は「そもそも……」と続ける。

「栄充様が蛍を助けたの、何年前だと思っているんですか? 私が生まれる前ですから、もう十五年以上前ですよね?」

 十五年も経っていたら、妖しのものにでもなっていない限りどんな蛍でも寿命を迎えていますよ。

 そう言う塁則に、栄充は「それもそうか」と脱力した顔をする。それから、くしゃりと笑って「まったく……」と呟いた。

「かれこれ十年の付き合いになるが、お前も本当に変わらないな。真面目に仕えてくれているかと思えば、私におおっぴらに呆れて見せたり、かと思えばこんな風に冗談を言ったり」

 そう言うと、少しだけ顔を引き締めて、それでも引き締めきれないとでも言うようにまた口元を綻ばせた。

「お陰でこの十年、長々と落ち込んでいる暇が無いよ。お前は私が何度でも立ち上がれる気の持ちようが良いところだと言ってくれたが、それもひとえに、お前のお陰だと思う。何かあっても塁則がこうやって構ってくれるから、私はいつも深く落ち込まずに、また立ち上がることができるんだ」

 それだけ言うと、栄充は文机と硯箱を準備し、硯で墨を磨り始めた。どうやらめげずに、新たな文を書くことにしたらしい。

 新しく文を書く前に、まずは字を綺麗に書く練習だけでもしたらどうだろうか……と思いながらも、塁則はその様子を見守っている。そのままの栄充でいて欲しいから、栄充がやると決めたことには口を出さないと決めている。

 十六年前、塁則は一匹の蛍だった。鳥に狙われ、食われると思った瞬間に、まだ三つだった栄充が鳥と己の間に割り込んで助けてくれた。お陰で蛍の頃の塁則は、己の子孫を残し、生を全うすることができたのだ。

 生まれ変わり、己が栄充の父の臣下の子として生まれたことに気付いた時は、驚いた。そして同時に、これは御仏が、己に恩返しの機会を与えてくれたのだと思ったものだ。だからこそ、五つになった頃に父親に頼み込み、その後(のち)はずっと栄充に仕え続けている。

 己は蛍だ。暗闇で光る蛍。そんな自分だからこそ、栄充の傍で光り続けよう。彼が落ち込み、暗闇の中にいる時は、己が光り、栄充が暗闇の中で一人にならないようにしよう。

 その決意を改めて胸に刻みながら、塁則は文机の前で唸る栄充を見守り、そして口元で微笑んだ。










(了)





















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