平安の夢の迷い姫
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りぃりぃと、虫の鳴く音が聞こえてくる。
秋の夜を楽しみながら、加夜は文机に向かっていた。机の上には、隆善から贈られた一冊の草子。まだ一文字も記しておらず、紙は真っ白のままだ。
まず最初に、何を書こうか。考えるだけで心が躍るようだが、それと同じぐらい、悩ましい。
そもそも、いきなり隆善に話したい事を書き出しても良いものだろうか。少しぐらい、序文を書いた方が良いのだろうか。
「……うん、序文はあった方が良いかもしれないわ。その方が、物語の草子みたいで面白そう」
独り呟き、今度は序文の文面に頭を悩ませる。
やがて、加夜は何事か思い付いた顔をした。嬉しそうな顔をして、筆に墨を含ませる。
「最初に序文が書いてあるのを見たら、たかよし様はどう思われるかしら」
そう言って、加夜は目を見開いた。隆善の事を、たかよし、と呼ぶ己がいる。まるで、長く付き合い、互いの性格を知り合っている隆善の友人、惟幸のように。
思わず加夜は、くすりと笑った。
「今度お会いしたら、たかよし様、って呼んでみましょう。きっと、草子に序文が書かれている事よりも、ずっと驚いてくださるわ」
弾む気持ちを抑えながら、加夜はゆっくりと、筆を紙面に降ろした。
◆
これは現の物語
されどもこれは夢物語
我には現の物語
余人にとっては夢物語
枕頭にまみえし夢物語
草子に記して現に示さん
これは現の夢物語
夢を記した現の草子
これを目にした現の人は
夢物語に出会うだろう
(了)