平安陰陽騒龍記 第三章









20









陽が落ちて、辺りは夜闇に包まれる。京の小路大路を行き交う人の数はぐっと少なくなり、その少ない人々も多くが家への道を足早に歩いて行く。

そんな、人々が屋内に閉じこもり始める刻限に沿わず、門を開け放っている邸がある。女木邸だ。

開け放たれた門の前には、紫苑、弓弦、惟幸に栗麿。皆、周囲への警戒を解かず、険しい顔を門へと向けている。もっとも、栗麿だけは冷や冷やしている様子だが。

そしてその様子を、女木から待機場所とさせてもらっている一房から、隆善と盛朝、虎目、葵、ついでに女木が御簾越しに伺っている。

葵の目は、赤い。穂跳彦が体の主導権を握っているのだ。葵が再び鬼女に呼ばれたりしないように、という対抗措置だ。

「しっかし、これで本当に来てくれると良いんだけどなぁ」

「来るだろ。あの鬼女は化野で、他のガキもいたにも関わらず、特に葵にご執心だったんだろ? その葵の気配がこの邸にあるんだ。ここを重点的に狙ってくると考えた方が自然じゃねぇか?」

隆善の言葉に、穂跳彦は葵の顔で「そうかねぇ?」と首を傾げる。

「たしかに葵にばかりかまけてるみたいだったけどさ。それ、葵が反抗したからだろ? 葵の術が解けないままだったら、他の子ども達と同じ扱いだったんじゃないか?」

「わかんねぇぞ。何せあの日、葵は布食に齧られてた。布食に憑いてた野駆比古の気配が、多少葵に移ってたかもしれねぇぞ? っつーか、そもそもその布食事件が起こった時に、葵は一度鬼女と遭遇してるんだろ?」

そう……鬼女は一度、この女木邸に入ってきている。そして葵と遭遇し、ずぶ濡れだった葵の頭を拭いてやっている。

「そうか……鬼女を形成している二つの魂魄の片割れ……野駆比古の母親が、野駆比古の気配を探してここまでやってきた……って考えた方が筋が通りますね」

盛朝の言葉に、隆善は頷く。それに便乗するように、女木も口を開いた。

「話によれば、今回のこの怪事を引き起こしている鬼女は女神の荒魂と神馬の魂魄が混ざり合って生まれた存在、という事だったね。荒魂が活発に動き始めるのは夜だから、昼は馬の意思が優先されて息子である仔馬を探していた。そして、近くまで来たは良いが……半分は女神であるために馬の姿を子と認識する事ができず、仔馬の気配を纏った葵君を我が子と認識した……そういう事だね?」

「そういう事だ。……お前の理解が早過ぎて気色悪ぃんだが……」

普通の人間は、ここまで素早く飲み込んではくれない。理解が追い付かず、何度も説明を求めてくるのが隆善にとっては常だ。だがまぁ……女木自身も、中々人には理解されにくい趣味を持っているようだから、それ故に特殊な事情への理解は早いのかもしれない。

それでも理解が早過ぎる女木に半ば本気で引いた様子を見せながら、隆善は「ともかく」と話をし切り直した。

「我が子と再会したい馬の魂魄に、母としてありたがっている推定稚日女尊の荒魂。そしてこっちには、まさにその仔馬である野駆比古の魂魄と、それを憑かせた上に鬼女と戦いその気配もばっちり覚えられてる葵。加えて、あれだけガキと思わしき奴らを集めておけば、来ないわけがねぇだろう」

「……結局、葵を囮に使っている事に変わりはにゃーじゃにゃーか……」

「その対処として、穂跳彦が出てんだろうが。要は、鬼女との接点を作りつつ、葵に無茶をさせなきゃ良いんだよ」

「……その葵が、何とも言えないって顔で絶句してるんだけどさ……」

待つのに飽いているのだろうか。隆善の言っている事が中々酷い。そして、言ってる事は酷いのに正論でもあるので、反論が非常にし難い。

彼の幼馴染である惟幸は折に触れては

「たかよしはさ。あれで言ってる事は正論だったり、相手を気遣う言葉だったりするんだけど……物の言い方があまりにも……ねぇ……?」

などとこぼしているほどである。

そんな雑談が、延々と続くかと思われた、その時。遠くから、悲鳴が聞こえた。邸の敷地内ではない。もっと遠く……市井の人々が住む辺りからだ。

悲鳴は一つではなく、複数。そのほとんどが、男の声と思われる。誰かの名を呼んでいるらしいその悲鳴に、一同は表情を引き締める。

「来たか……」

いつでも援軍に出られるよう、隆善が立ち上がり、懐の呪符に手を遣る。盛朝は太刀の柄に手を掛け、女木もどこに持っていたのか小太刀をいつでも抜けるようにしている。虎目も、名誉挽回の機会とでも捉えているのか、勢いよく立ち上がった。

女木のそれは盛朝の太刀と比べて装飾が洒落ているので、儀式用か何かの小太刀を護身用に引っ張り出してきたのかもしれない。

そして、葵――否、穂跳彦だけは、立ち上がる事も無く御簾の向こうに見える様子を注意深く見詰めている。

視線の先には、今回囮役を務めている者達。そして、彼らの様子には変わりが無かった。……とは、ならなかった。

「弓弦ちゃん!? どうしちゃったの、ねぇ!」

「ふぉぉぉ……これが、これが……くだんの鬼女の術でおじゃるかぁぁぁっ!?」

「紫苑も栗麿も、落ち着いて。まずは、弓弦が向かう先を見極めるんだ」

どうやら、弓弦が鬼女の呼びかけに心を奪われてしまったらしい。葵や虎目の話から事前にどうなるかはわかっていたはずなのに、やはり目の当たりにすると違うのか……紫苑と虎目が慌てふためいている。そして、それを惟幸が冷静に宥めているという状況だ。

その様子に、隆善が苦虫と青梅を同時に噛み潰したような顔をした。盛朝が「どうしました?」と訊くと、隆善は深い深い溜め息を吐いて、投げやりな様子で言った。

「鬼女の術は、ガキがかかるものだ」

「……そうですね」

「だから、俺達は今回ガキと思える奴をありったけ囮としてあそこに配置した」

「そういう話だったね」

「先の件も含めて、術にかかったのは葵と弓弦の二人だけだ」

「すえと勢輔を含めないなら、そうなるよなぁ」

隆善は、再び深い溜め息を吐いた。

「ガキだと思ってた奴が鬼女の術ではガキと判定されず、まだまともだと思ってた奴が二人ともかかった……。今の俺の気持ちがわかるか? わかるなら慰めの歌でも一首詠んでみろ」

「また、そうやって妙にゃ無茶を言う……」

虎目が呆れた顔で言う。その横では、穂跳彦が葵の顔で「うーん」と唸った。どうやら、隆善の本気とも冗談ともつかぬ言葉を受けて、一首考えているらしい。やがて、閃いた、という顔をすると、おどけるような口調で言った。

「人は皆、見た通りとは、限らぬと。気付くの遅く、ご愁傷様?」

「慰めろっつっただろうが。誰が茶化せっつった? 葵の体が限界間近じゃなけりゃ、思いっ切りぶん殴ってるところだぞ」

そう言ってから、隆善は顔を顰めながらも穂跳彦に問うた。

「ところで……今、葵の様子はどうだ?」

隆善の問いに、笑っていた穂跳彦も葵の顔を引き締める。そして、「うん」と頷いた。

「この前と、同じ。葵とすえと、勢輔はまるで反応しなくなってて、俺と刀海のおっさんと鼠のおっちゃんは無事。あと、本来の目的であろう野駆比古は、何故か無事」

「……何でだ……」

『実の母の魂魄だからこそ、呼びかけが聞こえないのかもしれません。母の魂魄と稚日女尊の荒魂が混ざり合って別の存在になってしまっているので、母の声ではない、と無意識に判断している、とでも言いますか……』

「……だとさ」

野駆比古の言葉を簡単に伝えて、穂跳彦は立ち上がると御簾を掻き上げる。

「とにかく、弓弦の後を追わないとな」

そう言う穂跳彦に、隆善は顔を顰めた。

「おい、待て。お前も行く気か? 葵の体が鬼女に接近したら、ここに隠した意味が無ぇじゃねぇか」

「うん、まぁ……オイラもそう思うんだけどねぇ……」

苦笑しながら、穂跳彦は言う。

「オイラの中の〝お父さん〟が、娘がどっかに行っちまったのを見て大荒れなんだよね。とりあえず追う姿勢は見せておかないと、体の主導権を無理矢理にでも握って暴走しそうだからさぁ……」

その言に、隆善と盛朝、虎目は揃って「あぁ……」と複雑そうな表情で呻いた。今、この三名が考えている事は恐らく同じであろう。

弓弦を囮に使った時点で、何かあったら荒刀海彦が暴走する可能性がある事を考慮しておくべきであった、と。











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