アフレコ倶楽部大宇宙ボイスドラマノベライズ
花兎(「アクセスエラー」収録)
高校生になって、はや九ヶ月……。
何がいけなかったのか、私には未だに、友達と呼べる人が一人もいない。
年賀状が一枚も届かなかった寂しい正月が終わったある日、窓の外を見れば、深々と雪が降っていた。
# # #
ギュッギュと雪を固めて、南天の実で目を、葉っぱで耳を作る。
静かな住宅街の一角にある、一軒家。その門扉の横に、可愛らしい雪うさぎが姿を現した。その出来栄えに、美雪は満足し、小さくガッツポーズをする。
「これで、よし! 今年最初の雪うさぎ完成! ……我ながら、良い出来じゃない?」
そう、本当に良い出来だった。つぶらで赤い眼を持った雪うさぎは、今にも動き出しそうだ。そのためだろうか、何やら、この雪うさぎに名前をつけなければいけないように、美雪は思った。
「名前は……」
考えながら、改めて雪うさぎを見る。
「白くて、丸くて、美味しそう…………雪見」
思わず、アイスクリームの名前が出かかった。そこで、美雪はぽん、と手を打つ。
「雪見……うん、雪見にしよう!」
それで満足すると、美雪は道具を片付け、家の中へと戻っていった。辺りは、静かで、薄暗くて、寒い。雪は、まだまだ降りそうだった。
# # #
その夜、私は夢を見た。
そこは、雪が降ったように真っ白い世界。けれど、寒さを感じない。
まるで雪ではなくて、花びらの海を踏んでいるような……不思議な世界……。
# # #
夢の世界をぼんやりと眺めながら、美雪は首を傾げた。夢だからだろうか、思った言葉が、ついつい口に出る。
「何だろう、ここ。……夢、だよね? どう考えても……」
首を傾げたまま、どうしたものかと考え込む美雪。その後から、白い何かが飛び掛かってきた。
「こーんばーんはー!」
「きゃっ!」
驚いて振り向けば、そこには白くて二足歩行のウサギが立っている。夢ならではの登場人物、という感じだ。
「こ、こんばんは。あの……あなたは?」
問うと、ウサギは嬉しそうに笑う。
「僕はね、雪見」
「雪見? 雪見、雪見……アイスクリームの仲間?」
名前から即座にアイスクリームを連想し、口にしてみる。すると、ウサギ――雪見は、がくりと肩を落とし、不満そうに頬を膨らませた。
「違うよー。君が付けてくれた名前じゃない。忘れるなんて酷いよ!」
「私が付けた?」
そこで、美雪はハッとした。昼間の、自分の行動が頭を過ぎる。そして、白くて丸くて、美味しそうで可愛いあの姿も。
「まさかあなた……昼間作った雪うさぎ!?」
正解だったのだろう。雪見は嬉しそうに、力いっぱい頷いた。
「そうだよ。君が作ってくれて、君が名前をくれた……君の友達だ」
「友達……私の友達?」
呟く美雪の声を、雪見は聞き逃さない。
「うん、そうだよ! ……ねぇ、君の名前は? 教えてよ」
「私?」
そう言えば、まだ教えていなかったな、と美雪は思う。作っている時に自分の名前を口ずさんだりはしない。本当に、雪見は知らないのだろう。
「私は……美雪」
「美雪?」
今度は、雪見が首を傾げた。そして、「美雪……美雪……」と何度も繰り返し名を呟き始める。
「美雪……美雪……みゆき、ゆきみ、雪見……あ! 僕の名前とそっくりだ!」
引っ掛かった原因に気付いたのだろう。雪見が、とても嬉しそうに言った。名前がそっくりという事実に、美雪は思わず目を丸くする。
「あ。言われてみれば……」
美雪の反応に、雪見は「あははっ!」と楽しそうに笑った。
「すごいや! ねぇ、美雪。美雪は何で僕を作ってくれたの? 何で僕に、名前をくれたの?」
「それは……」
答えようとして、美雪は言葉に詰まった。そして、表情を暗くする。
「私には、友達がいないから……」
そうだ。友達がいれば、新年早々、雪の降る中一人で雪うさぎを作ったりせず、友達と遊びに行っただろう。雪うさぎを作らなければ、名前を付けるなんて事もあったわけがない。
美雪の答に、雪見は再び不思議そうに首を傾げた。
「友達がいない? 僕がいるじゃない」
「!」
目からうろこと言うのは、こういう時の事を言うのだろうか。美雪は目を丸くし、そして微笑んだ。胸の中が、暖かくなってくる気がする。
「そっか。……そうだね。……うん、友達がいなくても、私には雪見がいるね」
雪見が、三度首を傾げた。
「変な美雪。僕は友達だって言ってるのに」
「ごめんごめん、そうだよね。雪見は、私の友達だよね」
訂正した美雪の言葉に、雪見は「うん!」と元気よく頷いた。そんな雪見に、美雪は問う。
「ねぇ、雪見。私、明日もここに遊びに来ても良い? 友達と喋るのって、久しぶりだから……とっても楽しいの!」
雪見の顔が、パァッと輝いた。
「勿論だよ! 美雪は僕の友達なんだから。いつだって、来て良いんだよ!」
「本当ね? 約束よ?」
念を押す美雪に、雪見はにっこりと微笑み返した。
「うん! 待ってるよ!」
# # #
こうして私は、雪うさぎの雪見と友達になった。
夢の中でしかお喋りできない、不思議な友達。
そんな雪見と会う時間が、私には楽しくて仕方がなかった。
# # #
「ねぇ、美雪。お願いがあるんだけど」
出会ってから数日が経ったある日、いつもの夢の中で雪見が言った。すがるような目つきに、美雪は首を傾げる。
「なぁに? それって、私にできる事?」
「うん。美雪にしかできない事」
「私にしか?」
少しだけ驚いた顔をする美雪に、雪見は頷く。
「僕の体を、大きくして欲しいんだ。最近、あったかくなってきたからね。……このままだと融けて、どんどん小さくなっちゃうよ」
その言葉に、美雪は思い出した。そうだ、今は冬だが、この国は四季のある国だ。冬はいずれ終わりを迎え、暖かくなる。それに、美雪の住んでいる地域は、冬だからと言ってずっと雪が降っているほど寒い地域でもない。放っておけば、小さな雪うさぎなど、冬の間でも融けてしまうだろう。
「お安いご用よ。すぐに大きくしてあげるから、待っててね」
そう言って、笑って。美雪は雪見と、約束の指切りをした。
# # #
「……とは言ったものの、どうしよう? 今はまだ雪が残っているから、大きくしてあげる事は簡単だけど……雪が無くなったら、どうすれば良いのかな?」
翌日の昼前。門扉の横で、雪見に雪を付け足しながら、美雪は考えていた。年明けに降った雪はまだ残ってはいるものの、その量は大分少なくなり、綺麗な雪はもうほとんど残っていない。
「……あ、そうだ。かき氷を作って、使ってみるとか……」
「あれ、春田さん?」
突然の声に、美雪は跳び上がらんばかりに驚いた。振り向けば、美雪と同年代の少女がそこに立っている。
「あ……辻村、さん?」
そこに立っていたのは、美雪のクラスメイト、辻村絵里だった。彼女は、珍しげな顔で美雪と、美雪の家を眺めている。
「へぇ、春田さんの家って、ここなんだ。ところで……何やってるの?」
「え? あ、その……」
思わず、美雪は手元の雪見を隠した。だが、雪見は美雪の両手で隠しきれるようなサイズではない。隠そうとした事で逆に絵里の目を引いてしまった。
「あ、雪うさぎ! 可愛い! ……ねぇ、これ、春田さんが作ったの?」
「え? う、うん……」
図らずも続いた会話に、美雪は戸惑いながらも頷いた。絵里は、美雪の戸惑いには気付かないまま、雪見を眺めている。
「可愛いなぁ。……ねぇ、春田さんって、こういう可愛い物を作るのが好きなの? あ、ひょっとして人形とか作ったりする?」
「……うん。編みぐるみとか、フェルトのマスコットとかなら……」
美雪が答えると、絵里は「すごーい!」と興奮して叫び、手を打った。
「ねぇ、今度私に、作り方教えてよ!」
絵里の言葉に、頬が紅潮したのがわかった。美雪は照れながらも「うん」と頷き、それからしばらくの間、二人は取り留めのない会話を楽しんだ。
# # #
その後、彼女……辻村絵里とは学校でもよく話すようになり、私には高校生になって初めての友達ができた。
彼女を通じて、他の子達とも仲良くし始め、私は次第に、雪見の夢を見なくなっていった。
それでも、融けるのは嫌なので……私は雪見を、春になる前に冷凍庫に保存した。
そしてそれっきり、雪見の夢を見る事はなくなった……。
# # #
『……ねぇ、美雪。どこ? どこにいるの? ここは真っ暗で怖いよ。寂しいよ……』
「……っ!」
息が詰まるのを感じ、美雪はガバリと身を起こした。辺りを見渡せば、そこはいつもの教室だ。机が並び、窓からは春の光が差し込んでいる。
「……夢か……」
ホッと息を吐いた途端に、チョークが飛んできた。額にぶつかるコツンという音と共に、教師の声が聞こえてくる。
「春田ー。授業中に居眠りするなよ」
「あっ……す、すみません!」
慌てて頭を下げて、教科書を開き直す。教室が和やかな笑いに包まれる中、美雪の顔は晴れない。
先ほどの夢が、心に引っ掛かる。
「……どうしたんだろう? もう最近、雪見の夢を見る事はなくなっていたのに……」
# # #
「美雪ー。どうしたの? ぼーっとしちゃって」
帰り道で絵里に話しかけられ、美雪はハッと我に返った。
「絵里。……ちょっと、うさぎがね……」
「うさぎ? 美雪、うさぎなんか飼ってたっけ?」
少しの間だけ首を傾げてから、「まぁ良いや」と絵里は言う。そして、美雪の顔を覗き込むようにして問うた。
「そのうさぎが、どうしたの?」
「何て言うか……元気が無い、のかな……?」
授業中に見た夢を思い出しながら、美雪は言葉を選んで絵里に言う。すると絵里は、腕を組んで「うーん……」と唸った。
「うさぎの元気が無い、ねぇ……。あ、ひょっとしてそのうさぎ、一匹だけで飼ってたりする?」
「え? う、うん……」
飼っているわけではないが、他に雪うさぎは作っていない。一匹と言えば、一匹だ。
「駄目だよー。うさぎはさ、一匹だけだと、寂しくて死んじゃうんだって。だから飼う時は、必ず二匹以上で飼うようにしないと」
「そうなの!?」
「らしいよー」
「そうなんだ……」
考え込む美雪をよそに、絵里は既に別の方向へと意識が向いている。「あっ、見て!」と叫び、前方を指差した。道端の桜並木から、たくさんの花弁が舞い落ちている。
「凄い花吹雪! 雪も融けたし、もうすっかり春だねぇ」
「そうだね……」
頷くと同時に、あの夢の声が脳裏を過ぎった。
「ここは真っ暗で怖いよ。寂しいよ……」
「……」
しばし桜吹雪を眺めて、思案して。そして美雪は、絵里へと顔を向けた。その顔は、真剣そのものだ。
「ねぇ、絵里。ちょっと、手伝って欲しい事があるんだけど……」
# # #
美雪は、走った。後からは、絵里も追いかけてくる。全力で走り、家に駆けこんで。靴を脱ぐ間ももどかしいと言わんばかりにキッチンへ行くと、冷凍庫の扉を勢いよく開け放った。
「雪見! ……!」
冷凍庫の中を見て、美雪は息を呑んだ。その様子に眉を顰めながら、絵里が冷凍庫を覗き込む。そして「あちゃー……」と呟いた。
「冷凍庫に長く入れ過ぎたね。もうすっかり小さくなっちゃって、ほとんど氷の塊じゃない」
冷凍庫の中には、辛うじて南天の実と葉がへばりついている、氷の塊。これを見せられて、雪うさぎだと即座にわかる人間は、どれだけいるのだろうか。
「私……私が冷凍庫に入れっぱなしにして、忘れたりしたから……。ごめんね、雪見。暗かったよね。寂しかったよね……一人にして、ごめんね……」
冷凍庫に佇む氷を前に、美雪は泣きながら、鞄に手を入れた。
# # #
……美雪?
美雪の声だ……嬉しいなぁ。
美雪の声が聞こえるなんて、どれだけぶりだろう。
「雪見。私ね、雪見が寂しくないように、もう一匹うさぎを作ったよ。ほら。だからね、もう……寂しくなんかないよ……」
あれ?
何だろう、この子……。
雪うさぎ?
けど、不思議だな。
この子、僕と違って、ちっとも冷たくない……。
「花びらを濡らして固めた、桜の花の花うさぎ。雪見とおんなじ、白くて綺麗なうさぎだよ」
すごいなぁ……。
そんなにたくさん花びらを集めるの、大変だったんじゃないのかな?
「絵里がね、花びらを集めるの、手伝ってくれたんだよ。絵里とは、雪見のお陰で仲良くなれた。今の私があるのは、雪見のお陰だよ……」
何だか照れちゃうなぁ。
……あれ?
美雪、何で泣いてるの?
……嫌だなぁ。
これじゃあまるで、僕が泣かせちゃったみたいじゃないか。
「雪見……友達になってくれて、ありがとう。雪見とは、これからもずっと、友達だよ。ずっと、ずっと……」
勿論だよ。
僕は、美雪の友達。
それはこれからも、ずっと変わらないよ。
ずっと……ずっと……。
# # #
翌日、雪見は完全に融けて、消えてしまった。
そして、その日のうちに花うさぎもまた、崩れて茶色くなり、うさぎとはわからなくなってしまった。
花うさぎも、うさぎ仲間がいなくなって、寂しかったのかもしれない。
……来年の冬は、絵里と一緒に、たくさん雪うさぎを作ろうと思う。
うさぎ達が寂しくないように、たくさん、たくさん……。
(了)