ガラクタ道中拾い旅×Another Story〜もしも二つの世界が繋がっていたら〜
生温い微風が肌にまとわりついてくるが、空に輝く星々が何とかその肌触りの悪い空気を帳消しにしてくれるような、そんな夜。一人の少年が足早に歩いていた。少年の歳は十五〜十八歳程度で、背丈は百六十あるかないか。闇に溶け込むような黒衣に、黒い髪。だが、夜の闇の中で映える白い肌や微かに響く足音を隠す気が無い辺り、闇に溶け込む必要のあるそっちの筋の職業関係者ではないようだ。
少年は街の中央広場を突っ切り、そのまま街の入り口に近い繁華街まで歩を進めていく。人を避け、水たまりを飛び越し、自らを妨げる物は何も無いと言わんばかりにずんずんと進んでいく。繁華街にたどり着くと、いくつかの店の前で数度足を止めた。
まずは鍛冶屋で小さな砥石を。肉屋で豚肉の燻製を数切れ、青物屋でオレンジとレモン、青菜とトマトを少々。乾物屋で干した魚を買い、最後はこの街で夜だけ姿を現す露店で蒸しパン二つと蒸かしイモを三つ求めると、少年はそれらを抱えて再びずんずんと歩き出した。用の無い小間物屋や呉服屋の呼び止める声は完全に無視だ。
荷物がかさばるのか、それとも香りの誘惑に負けたのか……少年は紙袋から先ほど買ったばかりの蒸しパンを取り出し、歩きながら食べ始めた。少々行儀が悪いが、街の風土なのか、それとも夜の繁華街の特別な高揚感によるものなのか、それを見咎める者は誰もいない。何者にも行く手を阻まれることが無いまま、少年は繁華街の最北端に位置する小さな宿屋に向かった。
古くて壊れそうな椅子と机が一脚ずつと、大人の男なら足がはみ出てしまうのではないかと思いたくなるような小さなベッドが二台。それだけしか家具が無いにも関わらず、あとは通路としか呼べないような面積しか床が見えない。そんな小さな部屋の小さなベッドに寝転がり、一人の少女が本を読んでいた。靴を脱いで投げ出した足や時折揺れるライオンの鬣色をしたみつあみが弱々しいランプの光に照らされるその姿は、ハッキリ言って艶めかしくも何ともない。単に十五〜十六歳の少女がくつろいで本を読んでいるようにしか見えない。そして、実際くつろいで本を読んでいるだけなのだろう。
そんな少女の耳に、ガチャリとドアの開く音が聞こえた。スイッと本からドアに視線を移した少女に、入室者はムスッとした声で言った。
「人に買い出しまでさせておいて自分はゆっくり読書とは、良い御身分だな、ヨシ」
言われて、少女――ヨシ――はむくりと上半身を起こし、ひらひらと手を上下に振りながら言った。
「いやいや、こっちの仕事が早く終わっただけだから。仕方ないじゃない? どっちの仕事が早く終わるかなんてわかんないし、うっかり二人とも買い出しして帰ったら荷物が増えちゃうし。……って言うか、それが嫌だから買い出しを当番制にしようって言い出したの、ワクァじゃない」
その言にぐっと言葉を詰まらせると、黒衣の少年――ワクァ――は机の上に買い物袋をドサリと起き、ヨシに向かって蒸しパンと蒸かしイモの入った紙袋を投げ渡した。いそいそと袋を開けたヨシは、軽く首を傾げて見せる。
「蒸しパン、一つしか無いわよ? ワクァ、おイモだけで良いの?」
「俺は帰りに食べてきたから良い」
そう言いながらワクァは腰に帯びていた剣――ワクァの愛剣、バスタードソードのリラ――を買ってきたばかりの砥石で磨き始めた。その様子を見て、ヨシは呆れたように言う。
「……何だかんだ言って、買い食いしたり自分の物買ったりと買い出しを楽しんでんじゃない……」
「……」
分が悪くなったと悟ったのか、ワクァは黙って剣の手入れに専念し始めた。再度呆れたような顔をしたあと、ヨシは蒸かしイモを半分に割って傍らでまどろんでいたパンダイヌ――パンダのような姿で、犬の顔をした生物。生物学上、イヌ科にもパンダ科にも属さない――のマフに与えた。雑食のマフは、少し冷めたイモを両前足で何とか持ち、ハフハフと……いや、マフマフと食べ始めた。そんな様子をしばらく眺めた後、ヨシは蒸しパンを取り出して食べ始める。食べながら、ヨシはワクァに問うた。
「それで、今日はどうだったの? 確か今日って、大口の仕事だったでしょ?」
「額面通りだったな。いつもの九倍の報酬だと言うからどんな仕事かと思ったら、護衛対象がいつもの三倍で、襲ってくる奴の数もいつもの三倍だった」
そう言って、ワクァはハァッとため息をついた。だが、そんな大変そうな仕事であったらしいのに、ワクァには傷一つ無い。そんなワクァに、ヨシは言う。
「けどその様子だと、依頼主を守りきって、襲撃者も捕まえたんでしょ? それでどう? 日雇いは辞めて専属護衛官にならないか、とか言われなかった?」
「言われた……が、断った」
その言葉を聞き、ヨシは勿体なさそうにワクァを見た。
「折角定職につけるチャンスだったのに? 何で? あ、ひょっとしなくても、私と一緒の旅を止めたくなかったから?」
「依頼主の人柄が気に食わなかったからだ!」
一息と間をおかずにヨシの言葉を一蹴すると、ワクァは剣の手入れに区切りをつけたのか、リラを布で一拭いして鞘に納めた。横に置いてから蒸かしイモに手を伸ばす。
この街に着いてから早五日。いつもであれば同じ街に二日といない二人と一匹にしてみれば、かなりの長期滞在だ。……と言っても、別に初めてのことではない。ワクァとヨシは普段であれば立ち寄った街に一泊して、あとは適当に買い出しだけ済ませてすぐに出発してしまう。だが、十回に一回くらいの割合でこのような長期滞在をする事がある。それというのも、たまに長期滞在をして働いておかないと旅の資金が困窮してしまうから。
そんなわけでヨシはこの街に来て二日目には中央広場の青空フリーマーケットで今までの旅で集めた拾い物を筆頭に細々した物を売り、三日目以降は役所に申請して適当な日雇い仕事。ワクァの場合は、折角高レベルの剣技があるのだからという事で、旅を始めた頃最初に訪れた街でギルドへの登録を済ませている。愛想が無く人付き合いが苦手な彼は、長期滞在の間にこうしたギルドで護衛や警備の日雇い仕事をこなして金を稼いでいる事が多い。そんな仕事をこなして、現在は本日最後の食事中、というわけだ。
「それで……さっきは何の本を読んでいたんだ?」
何の気なし――それこそ、食事中の間を持たせる為だけと言わんばかり――に、ワクァがヨシに問うた。するとヨシは、蒸しパンの最後の一かけを飲み込み、イモに手を伸ばしつつ答えた。
「ああ、あれ? 何て言うのかな……神話とか伝説なんかの本? ほら、私今日は図書館の蔵書整理の仕事をやったじゃない? その時に見付けて、面白そうだったから借りてきたのよ」
「神話?」
ヨシの言葉を受けて、ワクァは先ほどヨシが枕元に置いた本を見た。本のタイトルは『Another
Story』とある。単に「神話」や「伝説」と記していない辺り、作者はこの物語はあくまで神話や伝説であって、歴史とはまた別の話であると言いたいのかもしれない。
そう思いながら、ワクァは手をタオルで拭い、本を手に取った。それを見て、ヨシもまた手を拭うと、鞄からまだ綺麗なタオルを取り出した。
「読みたかったら読んで良いわよ」
そう言うとヨシはタオルを手に、部屋から出て行った。この宿屋には小さいながら男女別の共同浴場がある。そこに行ったのだろう。その他にも汚れたタオルやら服やらを持って行ったので、入浴ついでに洗濯もする気なのかもしれない。……となると、当分の間戻っては来るまい。夜に二人揃って部屋を空けるわけにはいかないので、ヨシが戻ってくるまでワクァは問答無用で留守番だ。
「……暇を潰すには、丁度良いか」
そう呟いて、ワクァは表紙を捲った。
物語は解り易いと言えば解り易く、複雑と言えば複雑だった。物語の目的自体は悪の魔王? を倒すという至極明快なものだが、その中に恋物語やら登場人物の過去やら敵役の魔女の思惑やらが絡んでいるから話の行き着く先を中々見通す事ができない。硬い枕に腰を預けてついつい読み耽っていると、突如視界がフッと暗くなった。ワクァが視線を上に上げると、そこには入浴によって顔を上気させたヨシがいた。その顔は、驚きと意外と呆れに満ちている。
「何。アンタまさか、今までずっと読んでたの?」
「ん? ああ、読み掛けると、案外止まらなくてな……」
「素直に面白いって言ったら?」
言われて、返す言葉が無くなったのか、はたまた返すのが面倒になったのか、それとも続きが気になったのか……ワクァは無言のまま、視線を本に戻した。物語は現在最佳境。物語の主人公である精霊が想いを寄せている魔法剣士に、倒したはずの魔王が取り憑いてしまったシーンだ。そんな場面で、他人の……それも、あまり重要とは思えない会話に加わる事ができるほど器用な脳の構造はしていない。それができるならもう少し社交的な性格をしている……と思う。ただ、幸か不幸か、ワクァは読むのが速い。手に汗握る場面もあっという間に読み進めてしまい、気付けば既にあとがきのページに至っていた。
そこで、ワクァは本を閉じた。
「……面白かった?」
「まあ、そこそこな」
「そこそこ面白いだけの本だったら、話し掛けている人をガン無視してまで読み進めたりしないでしょ、ワクァ」
「……今までこういった物語の本を読んだ事が殆ど無かったからな。興味深く読めた」
ワクァのその言葉に、ヨシはがくりと脱力したように言う。
「……ま、良いわ。そういう事で」
そう言った後に、調子を変えるように言う。
「その本を借りる時に司書のお姉さんが言ってたんだけど、その本、作者の生まれがいつなのか不明なんですって」
「不明? 名前はわかっているのにか?」
そう言って、ワクァは再び本の表紙に目を落とした。表紙には銀の箔押しでタイトルの他に「ルリ=フミヅキ」――あまり馴染みのない響きだが、このヘルブ国の隣に位置する国、テア国に住む人々の名に似ているような気もする――と明記されている。他に名前も無く「翻訳」という言葉も見当たらないから、この人物が作者である事はほぼ間違いないだろう。
「そう。この本は、いつの頃か図書館に現れた謎の本。作者の名前はあれど、生い立ちや生年月日は不明。参考資料なんかが明記されていないから、いつ頃の時代に書かれた本なのかは完全に不明。しかも更に謎なのは、伝説や神話の部類に入る本だというのに、類似する本が一冊も存在しないという事」
「どういう事だ? 神話や伝説なら、何人もの作者が同じ話を自分の解釈で翻訳するから、類似する本が山と存在する筈だぞ?」
ワクァが思わず言うと、ヨシはビシッと人差し指をワクァに突きつけて言った。
「そう! だから謎なのよ。参考資料もなければ、類似作品も無い。だから、学者の中には「この本は単なる神話ではなく、本当にあった話を当時の人間が記録した物だ」と言っている人もいるって話よ」
「記録……いや、流石にそれは無いだろう。そもそもこれは、神話じゃなくて創作なんじゃないのか?」
そう。ヨシが「神話の本」と言うから神話の本である事を前提に読み進めてきたが、これが何年前か数百年前か知らないが、当時の人物による創作である可能性だって捨てきれないのだ。……まあ、そんな事を言ったら、そもそも神話や伝説の殆どが創作なのだろうが。だが、ヨシはチッチッチ、と指を振り、胸を張って言う。どうやら、今日仕入れた知識を披露できるのが嬉しいようだ。
「そりゃあね、根拠となる物的証拠がなかったら、皆これを創作だと思ったわよ。けどね、確かに色々と見付かってるんですって。呪術的な意味が込められてそうなアクセサリーとか、有史以前の地層から発掘されたエメラルド製の食器とか、人間の骨とカラスの骨ばかりが大量に一緒くたに埋葬されている埋葬地跡とか」
「だからって、この本に書かれた事が実際に起こった事とは限らないだろう。そもそも、こんな魔法使いが存在したという事がまず信じられん」
ワクァが言うと、ヨシは反論するように言う。
「絶滅しちゃったのかもしれないじゃない。例えば、時代を重ねるうちに何もできない人間と結婚して血が薄れていった、とか、学ぶ者が減って伝える者がいなくなった、とか、ある日天変地異が起こって魔法使いは全滅し、人間だけが生き残った、とか!」
「よく短時間でそれだけ思い付けるな」
呆れ半分でワクァが言うと、ヨシはますますムキになって言う。
「ひょっとしたら、数が減ってるだけで今もまだこの世界のどこかにいるのかもしれないわよ!? ほら、何か魔法使いの血を引いてそうな人とかいるじゃない。滅茶苦茶よく当たる占い師とか!」
いるにはいるが、それが魔法使いが存在する証拠にはならない。だが、そう反論するのもアホらしくなったのか……ワクァは軽くため息をつくと諦めたように言った。
「そうだな。まあ、いるという証拠は無いが、いないという証拠も無いから、何とも言えないか……」
「そういう事! あー……それにしても、良いなあ、魔法。私もいっぺん使ってみたいわ」
ワクァの返答に満足したように頷くと、ヨシは手を組み、思いきり伸びをしながら呟いた。ワクァからしてみたら、その言葉ははっきり言って冗談じゃない。ただでさえ行動も発言も戦い方も滅茶苦茶なヨシが、この上魔法まで使えるようになってしまったら一体どれだけ自分の苦労が増える事か。例え魔法が現在この世に存在しないものであっても、冗談で済むような話ではない。
「……ヨシ、お前はもう充分強いんだ。今までの戦闘でピンチになった事も無いし、これ以上の力を手に入れる必要は無いだろう?」
できる限り、当たり障りのない言葉を選んで発言してみる。だが、その言葉は却ってヨシの癇に障ったらしい。ヨシは、ムッとした顔をして言う。
「女の子はね、ワクァ。どんな子でも一回は魔法に憧れるものなの! そりゃ、人によって憧れる魔法の種類は違うわよ? 童話のお姫様みたいに綺麗になれる魔法とか、動物の言葉がわかるようになる魔法とか、色んなものに変身できるようになる魔法とか、家事が楽になる魔法とか」
「最後の奴だけにしておけ。それが本人も含めて一番人の為になる」
うんざりしたようにワクァが言うと、ヨシは更に顔をムッとさせて言う。
「あー、もう! ワクァはどうしてそんなに夢が無いのよ!? 魔法よ、魔法。女の子だけじゃなくて、男の子だって普通は憧れるものじゃないの? ワクァだって、使えたらきっと便利よ。回復(キュア)とか復活(リザレクション)とか烈光(シャイニング)とか守り風(ウインドバリア)とか!」
「全部話に出てきた気がするが……それはひょっとしなくても全部回復、防御、撹乱系の魔法じゃないのか?」
何気に「攻撃は最大の防御なり」な気のあるワクァは何となく不服そうにヨシに問うた。すると、ヨシは当然と言わんばかりに言う。
「だって、ワクァは剣だけで充分強いじゃない。だったら、あと必要なのはいざという時に誰かを守ったり逃がしたりする為の防御、撹乱じゃないの?」
「……」
ワクァが押し黙ると、ヨシは勝機は我にありと見たのか、一気にたたみ掛ける。ワクァに、反論する隙は無い。
「大体、ワクァって強いくせに時々信じられない場面で大怪我したりしてるじゃない。初めて会った時だってニナン君を庇って死にかけて、こないだもうっかり山賊に捕まって散々痛めつけられた挙句に色街に売られ掛けたりして! それだけじゃないわよ。暴れ馬を止めようとして足をひねった事もあったし、酒場の大喧嘩を止めようとして食器が頭にクリティカルヒットした事もあったし、暴漢に襲われてる人を助けようとして棍棒を思わず左腕で受け止めたら骨にヒビが入った事もあったし、どう考えても回復魔法が必要じゃない! ……って言うか、何で生きてんのよ、アンタ」
ワクァの負傷歴を並べるだけ並べた後、ヨシは改めてワクァの生命力と言うか生存率の高さを認識し、呆れたように呟いた。ワクァはと言えば、自分でも忘れていたような事を改めて聞かされて、「自分はそんなに怪我をした事があったか」と唖然としている。
「……確かに、使えるなら使えた方が良さそうだな……」
ワクァがいつになく早く肯定すると、ヨシは「やっとわかったか」とでも言いたげな顔で頷いた。そして、ワクァから本を受け取ると無造作にパラパラと捲り、適当なページを開いたままに言う。
「けど、本当に使えたら良いわよね。便利とかそういうのはさておき、まず使えたら何かカッコ良いし。一回で良いから使ってみたいわ。火球(ファイヤーボール)! みたいな感じで」
ヨシはそう言って、窓の外を指差した。すると、次の瞬間だ。ちゅどぉぉぉん! という音が響き渡り、窓の外……正確には街の外で、何かが赤々と光り始めた。
ワクァとヨシは慌てて窓に駆け寄り、外を凝視する。窓の外では、遠目にもはっきりとわかるほど巨大な炎が、唸り声をあげて燃え盛っている。
「…………」
暫しの沈黙。ワクァとヨシは、どちらからともなく顔を見合せ、口を酸欠の魚の如くパクパクさせながら窓の外を指差した。その数秒後、二人の口から何とか紡ぎだされた言葉は、偶然か必然か、ほぼ同じような言葉だった。
「……まさか、ね……」
「……まさか、な……」
その後二人は流石に外に確認しに行く気も起きず、明日も仕事で早いから、と無理やり理由をつけて早々にベッドに潜り込んだ。
翌日、この街では郊外に隕石が落下して燃え尽きたらしいという噂で持ち切りだったという。
(了)