大切な居場所





「おかあさま、おかあさま! インローをおもちじゃありませんこと?」

娘――テルが駆け寄ってきたと思ったら、突然そんな事を訊いてきた。ヒモトが首を傾げていると、後から長男のトヨと、次男のコウもやってくる。

トヨは、もうすぐ十六歳。テルとコウは双子で、共に五歳だ。

インローとは、印籠の事だろう。薬を入れて携帯するための道具であり、ヒモトも普段から持ち歩いている。……ので、「持っているか」と問われれば、答は「応」なのだが。

「何に使うつもりなのですか?」

問うと、双子の姉弟はえへへ……とはにかんで見せる。五歳児のはにかんだ顔が、可愛くないわけがない。思わず頬が緩んだところで、トヨが苦笑しながら一冊の本を手渡してきた。ヘルブ国の本ではない。ヒモトの故郷、テア国の装丁がなされた本だ。

「テア国の伯父様達が、テルとコウにって送ってくれたんだ。今テア国で流行りの読み物だって」

「兄上達が……?」

嫌な予感でもしたのだろうか。ヒモトは眉を顰め、トヨから本を受け取ると、パラパラと中身を改め始めた。その間にも、テルとコウは楽しそうに言う。

「あのね、むかしおうさまだったおじいちゃんが、たびをするおはなしなんですの!」

「あねうえ、おじいちゃんじゃなくて、ごろーこーです」

「おじいちゃんであることに、かわりはありませんわ!」

きゃいきゃいと言い合う双子を宥めつつ、トヨはヒモトに捕捉を加えた。

「歳を取ってから息子に位を譲った王様が、二人のお供と一緒に正体を隠して旅をする話なんだ。その元王様は、ご老公って呼ばれてるんだけど……旅の途中で、悪徳役人とかに苦しめられている人を助けるために戦ったりするんだよ」

「そうですか……」

目を通しながら、ヒモトは何やら、妙な予感のような物を覚え始めた。母親の顔が少しずつ険しくなっている事にも気付かず、子ども達はわいのわいのと話しかけてくる。

「いまから、トヨおにいさまとコウと、さんにんでごろーこーごっこをするんですの!」

「ごろーこーはいちばんねんちょうしゃですから、トヨあにうえにごろーこーのやくをやっていただくのです!」

「それで、二人が印籠があった方が良いって……」

「あ、そうだ。わるいひとはどうするのですか、あねうえ?」

「もうすぐ、おとうさまのおしごとがおわるじかんじゃないかしら? おとうさまと、トゥモにおねがいしてみるのが、いいとおもいますわ!」

子ども達が盛り上がっている前で、ヒモトはぱたんと本を閉じた。どうやら、読み終わったらしい。そして、静かな声で言った。

「三人とも……ワクァ様に、この本を見せたり、お話しの内容を教えたりしてはいけませんよ?」

途端に、三人は「え?」と顔を見合わせる。

「なぜですの?」

「どうしてですか?」

「何か、父様が嫌がりそうな箇所なんかあったっけ?」

双子が不満げに、トヨが不思議そうに首を傾げると、ヒモトは額に手を遣り、軽くため息を吐く。「考えてもごらんなさい」と呟くように言った。

「こんなお話しを知ったら、ワクァ様が、己もそうしたいと考えるではありませんか。元々、城の中で政務を行うよりも、旅をして適度に戦っている方がお好きなお方なのですから」

そう言って、トヨに向き直る。

「元気なうちにトヨに譲位して、若隠居する。ヨシ様、トゥモ様あたりと一緒に旅に出る……などと言い出したら、どうなさるおつもりですか?」

「あ……」

ワクァは無責任な性格ではないが、可能性が無いとは言い切れない。何しろ、即位してからの十二年で、結構なストレスを溜めこんでいるようだから。

流石に、聞いてすぐに実行などはしないだろうが、数年内に……という事は考えられる。

「今はまだ……若隠居とかされたら困る、かなぁ……? 政務を手伝った事すら、まだほとんど無いし。父様が僕達を置いて旅に行ったりしたら、寂しいし」

トヨは相変わらず、少々ファザコン気味である。そのトヨの言葉に、テルとコウの顔も曇った。

「このおはなしをよんだら、おとうさま、いなくなっちゃいますの?」

「そんなの、いやです!」

「そうでしょう? 私も、置いていかれるのは嫌です。ですから、三人とも。絶対に、このお話しの事は内緒にするのですよ?」

言われて、三人は揃って「はい」と返事をする。

そんな四人の会話を物陰に隠れて聞きながら、ワクァは深い溜め息を吐いた。

「そんな無責任な事を誰がするか。どこまで信用が無いんだ、俺は……」

「信用されてないんじゃなくって、ずっとお城の中にいてストレスが溜まってるんじゃないかって心配してくれてるんスよ。それに、全員がワクァがいなくなったら嫌だって言ってるっス」

トゥモの言葉に、ワクァは「そうだな」と苦笑する。

「俺だって、ヒモト達を置いて何ヶ月も旅に出たりなんか、したくない」

「相変わらず、ラブラブっスね」

「言ってろ」

ここ数年で、このテの冷やかしに動じなくなってきたワクァに少し物足りなそうな顔をし、それからトゥモは「あ」と楽しそうに顔を輝かせた。

「旅は無理っスけど、ピクニックなら行けるんじゃないっスか? みんなで川に行って、お弁当を食べるのも楽しいっスよ!」

「そうだな。……ヨシやニナン達がヘルブ街まで来た時に、誘ってみるのも良いかもしれないな」

「良いっスねぇ! 子ども達と川で遊ぶの、今から楽しみっス!」

「……落ちるなよ?」

真顔で言うワクァに、トゥモは「失敬な」と笑った。

「最近は落ちなくなったっスよ! ……たまにしか」

「今でも落ちてる事に変わりは無いのか」

呆れた口調で言ってから、笑う。二人で一しきり笑ってから、笑いを収め、何事も無かったかのように、部屋へと入っていく。

すると、話を聞かれていた事など知らない子ども達が飛び付くように出迎えてくれる。

やはり、この家族を置いて旅に出るなど、自分にはできそうにない。大切な居場所を手放すなど、できるわけがない。

そんな事を考えながら、ワクァは三人の頭を順番に撫で。そして最後に、ヒモトと笑みを交わした。














(了)













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