笑顔を拾った、その後で
夜が更け、静まり返った王城の中を、ワクァは一人歩いている。
寒い廊下を、風を切るように歩き、自室の前に辿り着いてから、軽く息を吐いて扉を開ける。部屋の中では、ヨシとトゥモ、それにヒモトが待っていた。
部屋の中央にあるテーブルには、菓子と酒、茶器の用意がされている。「遅くなって済まない」と謝り、ワクァはヒモトの横に腰掛けた。
「随分かかったわねぇ。トヨくんを部屋に送ってきただけでしょ?」
酒瓶をグラスに傾けながらヨシが問うと、ワクァは苦笑して頷いた。
「疲れているはずなのに、今回の旅の興奮で中々寝付けなかったらしい。おまけに、寝るまで傍に居ろと言われて、中々放してもらえなかった」
「それだけ、ワクァの事を心配してたんスよ」
ヨシから酒瓶を受け取りながらトゥモが苦笑すれば、ワクァはばつが悪そうに視線をヒモトに寄せる。ヒモトはため息をつきながら、同じように苦笑した。
「その通りですよ。仕方のない事であったとは言え、やはり、少しやり過ぎです。しばらくは、うんと甘やかしてあげてください」
「そうする」
素直に頷けば、ヒモトは柔らかく微笑み、己とワクァの飲み物を用意し始める。茶器に少し冷ました湯を張り、そこにトヨから貰った花を浮かべる。
トヨは「母様に」と言って持って帰ってきたが、元々はワクァのために探していた花である。そのため、二人で分け合って飲む事にしたようだ。
「けどさ、たしかに今回は色々と心配かけちゃったけど……だからって、うんと甘やかしちゃっても良いわけ?」
「? どういう意味だ?」
ワクァとヒモトが首を傾げると、ヨシはグラスの中身を飲み干して「あのね……」と呆れたように言った。
「今回、一緒に旅してみて思ったんだけど。トヨくん……このままだと、ちょっとまずいわよ」
「……まずい、とは?」
ヨシ以外全員の顔に、少しだけ不安の影が過ぎる。もったいぶっても仕方のない話だ。ヨシは、さっさと結論を口にした。
「旅の間、ずっと父様は、父様は……って、ワクァの事ばっかり。事情が事情とは言え、ちょっとワクァの事好き過ぎ。このままだと、国の事よりも父親の言う事優先しちゃうファザコン王子、とか呼ばれるようになっちゃうんじゃないの?」
ワクァの顔に、明らかに動揺が走った。視線が、ヨシとヒモトの間を泳いでいる。
「そ、うなの……か……?」
「なまじ、厳しいのも優しいのも、両面ちゃんとやってるからタチが悪いけどね。ワクァが改善すべき点が、パッと思い付かないもの。だからこそ、ここでうんと甘やかしたら、ファザコン化のダメ押しになっちゃうんじゃないかな、と思っちゃったりするわけよ」
「……ヨシさん。ワクァ、既に不安で思考停止状態になってるっス……」
憐れむ声でトゥモが言えば、ヨシは「あら」と言って苦笑する。たしかに、石化でもしたかのように、動かなくなっている。手に持っていた茶器をヒモトが回収し、テーブルの上に置いた。
「その心配は、あまり無いかと思いますが……」
茶器を動かしながらそう、ヒモトが言う。その言葉で、やっとワクァの時間が動き始めた。
「……と、言うと?」
不思議そうにヨシが問うと、ヒモトはくすりと笑った。
「何しろ、トヨは男児ですから」
男だから、何だと言うのか。一同が首を傾げていると、ヒモトは少しだけ厳しい顔をして、ワクァに向き直る。
「子どもには、反抗期というものがありますでしょう?」
「あ、あぁ……」
少し眉根を寄せながら、ワクァは頷いた。反抗期というものがあるのは、知っている。残念ながら、己がその年頃の時には反抗できる相手がいなかったため、ワクァ自身は反抗期を経験せずに終わったが。
ワクァが肯定したのを見てとると、ヒモトは「ですから……」と言葉を付け足した。
「どうせあと三年もしたら、クソ親父、とでも言い出すに決まっています。兄上達が、皆そうでしたから」
空気が、ビシリと凍り付いた。……ホウジは、まだわかる。だが。だが……。
「えぇっと……ゲンマさんも? それに、今王様になってる、一番上の……?」
ヒモトは、無情に頷いた。
「えぇ、ゲンマ兄上も、反抗期には随分と荒れておりました。セン兄上の時は、私は覚えておりませんが、ホウジ兄上を上回る荒れようであったと聞いております」
それまでは、トヨと同じように父親にべったりの子どもであったらしという事まで伝えられ、空気は更に冷え込む。
「年頃になれば、多くの男児は自然と、父親に反抗するようになるものです。その時に、今回の事であまりなじられたりしないよう、今はとにかく甘やかして、心配させたフォローをするべきかと思いますが」
「……あぁ……」
ワクァの思考は、既に再び停止しているようだ。気の抜けたような返事に、ヨシは苦笑しながらヒモトに囁いた。
「全部事実なんだろうけど……ちょっと意地悪過ぎない?」
「そうかもしれませんね」
くすりとヒモトは笑い、未だに停止したままのワクァと、それに気を使って何やかやと話しかけるトゥモを見る。
「ですが、今回の事は、裏を知っていたとは言え、私も随分と心配させられましたから。自ら毒を口にし続けるなど、やはり正気の沙汰とは思えません」
そう言って、ヒモトはニッコリと笑う。
「お灸をすえるつもりで、少しぐらいは意地悪をしても構いませんでしょう?」
オキュウという物が何なのか、ヨシにはいまいちわからなかったが、何となく、ヒモトの言わんとする事はわかる。そして、大いに同感だ。
だから、思考停止して固まっている国王陛下と、その様子におろおろしている護衛隊長は放っておき、女二人はそのまま深夜のお茶と酒を楽しむ事にしたのだった。
(了)