王子と衣装係の攻防
「そう言えば、ワクァって……ずーっと同じような服ばっかり着てるけど、飽きないわけ?」
ある日の昼下がり。トゥモも加えた三人で歩いている時に、ふと思い付いたようにヨシが問うてきた。
たしかに、ヨシと出会った頃からこれまで、ずっと似たような色合いとデザインの服ばかりを着ている。……と言うか、当初はそもそも、着替えも含めて二着しか服を持っていなかった。自分の正体がわかって、城に住むようになって……最近になって、やっと服の数が片手の指では数えきれなくなったばかりだ。
「そうだな……あまり興味が無いと言うか……ずっと似たような服ばかりを着てきたから、それ以外だと落ち着かないと言うか……」
ワクァは困ったように言い、そして少しだけ不思議そうな顔をした。
「何で今更そんな事を訊くんだ?」
問えば、ヨシは少しだけ言い難そうな顔をする。
「最近、時々陰から聞こえてくるのよね。戦争は終わったし、王族に復帰してから月日も経って慣れてきたろうに、何でうちの王子様はいつまで経っても地味な服装ばかりなんだろう、って」
「……は?」
思わず、怪訝な顔をする。横で、トゥモが苦笑した。
「平和になると、今度は華やかな物を見たくなるんスよね。こう言うと嫌かもしれないっスけど、ワクァ、やっぱり美人っスし。もう少し綺麗な服を着てるところを見てみたい人も、いるんじゃないっスかね?」
そういう物なのだろうか。しかし、どうにも納得がいかない。そして、やはり華やかな色合いの服を着るのには抵抗がある。
取り留めも無い話をしているうちに、部屋の前へと辿り着く。明日までに読んでおくように、と言われた本を読まねばならない。
ノブを回して、扉を開ける。そして、部屋に入ったその瞬間、ワクァはハッと身を強張らせた。リラに手を遣り、身構える。ヨシとトゥモも、いつもとは違う気配に気付いたようだ。
突如、開いた扉の裏側から、人が飛び出してきた。開けた瞬間に死角になる場所に潜んでいたのだろう。
「隙ありです!」
飛び出してきた人物は甲高い声でそう叫ぶや否や、何本もの紐をワクァに向かって投げつけてくる。紐が、胴体に絡み付いた。
「! しまった!」
「何これ!? 刺客か何か!?」
ヨシが慌てて、ワクァに絡み付いた紐を外そうとした。すると。
「あ、外さないでくださいです!」
再び甲高い声が聞こえ、三人は思わず「へ?」と呆気に取られた。よく見れば、声の主は自分達と同じぐらいの歳の少女だ。背が低く、頬に少しだけそばかすがある。
そして、全然殺気が無い。いわゆる暗殺者という奴なら、そもそもここで頼むような形で声を発したりもしないだろう。
少女は、ワクァの胴体に絡み付いた紐をピンと引っ張ると、唸るようにして呟く。
「……バスト七十六、ウエスト五十四、ヒップ七十八……見た感じ、現在の身長は百六十センチの、体重が四十七キロ……ちょっと! 何ですか、この数字は!」
いきり立ち、紐を緩めて詰め寄ってきた。よくよく見れば、その紐は服屋の職人などが使う、体の採寸を行うための物だ。
「十八歳男性のウエストが五十四って! 細過ぎです! 肉が足りないです! 殿下、ちゃんと毎日三食きっちり食べてるんです!?」
「……うん、ちょっと待って。まず、あなた誰?」
ヨシの問いに、少女は「あ」と呟いた。そして、採寸紐を回収するとビシリと姿勢を整えて頭を下げる。
「私、本日付で、陛下より殿下の衣装係に任命されました、スプリィ=ドレッツァーと申しますです! 以後、お見知りおきくださいませです!」
「……衣装、係……?」
呆気に取られたままワクァが呟けば、スプリィは「はいです!」と嬉しそうに頷く。
「王族に復帰されて数ヶ月……ホワティアとの戦争も終わった事ですし、そろそろ専属の衣装係を付けるべきだろうと、陛下はお考えです! そこで、陛下の衣装係の助手を務めていた私に、白羽の矢が立ったのです!」
「そう言えば……聞いた事があるっス。陛下の衣装係には女の子の助手がいて、中々良い目をしている上に、自ら服作りも手掛けるその腕も凄いって……」
「お褒め頂き、光栄です!」
そう言うと、スプリィは「というわけで、早速……」と言いながらワクァに近寄ってきた。思わずのけ反るが、そんな様子は意にも介さず、スプリィはワクァの胴体を掴む。
「やっぱり、細過ぎです。パッと見た分にはスマートで良いかもしれないです。けど、この細さは! 健康的に問題です! 本当に美しい見た目は、健康的な肉体を持っていて初めて生まれるのです! ですから、殿下はもっとたくさん食べて、肉をつけるべきだと思うです!」
「どうでも良いが、あまり触るな……」
いい加減耐え難くなり、ワクァは一歩身を引いた。しかし、スプリィは動じない。
「どうでも良くないです! 王族たる者、やはり人々の憧れとならなければならないのです! しょっぼい肉体で地味な服ばかり着ていたら、駄目なんです!」
「しょぼくて悪かったな!」
体付きが小柄で華奢なのは、正直に言うとコンプレックスだ。あまり堂々と触れて欲しくない。流石にこの点を今言及するのはまずいと察したのか、スプリィは一瞬口を閉じる。しかし、すぐに別の切り口から攻め込んできた。
「体付きは、時間をかけて改善していけば良いです! ですから、今は、今すぐ手を付けられるところから始めるです!」
「今すぐ手を付けられるところ……っスか?」
不思議そうな顔をするトゥモに、スプリィは頷く。
「そうです! 今すぐに変えられるところ……それは、色です! 見れば、殿下の服はどれを見ても黒、黒、黒、黒。辛うじてグレーが一着! 何ですか、この無彩色しかないクローゼットは! もっと赤とか! 青や緑とか! 黄色とか! 色味を増やすべきだと、主張しますです!」
「……その話はちょうどさっきしていたんだが、明るい色は落ち着かないと言うか……」
そう言った途端に、スプリィは「かーっ!」と叫んだ。三人全員が、思わずびくりと体を強張らせる。
「そんな甘っちょろい事を言っていたら、いつまで経っても慣れないままです! いきなり派手な色を着ろとは言わないですが、少しずつは慣れるべきです! ……そうですね……殿下の性格上、暖色は抵抗があるでしょうから……まずは寒色及び中性色から! 青に紫、緑! 彩度も低めの、暗清色から始めるです!」
専門用語だろうか。何を言っているのかさっぱりわからない。
「暗めの紫や緑、青から始めたらどうかって言われてるのよ。……そうね、暗めの青とか合うんじゃないかしら? ワクァの目の色もそんな感じだし」
ミッドナイトブルーの目を見ながら、ヨシが楽しそうに言う。その言葉に、スプリィが「ですです!」と頷いた。
「そうです! それが良いです! そこから少しずつ慣らしていくです! 暗い青から、次第に明るい青へ! 青から、次第に紫、緑……そしてゆくゆくは赤や黄色も!」
「……全力で断って良いか?」
逃げ腰になって言うワクァに、スプリィは「良いわけがないです!」と噛みつく。その声が、あまりに大きかったからだろうか。
「殿下、何事にございますか? 先ほどより、随分と大きな声が廊下まで……」
フォルコが渋い顔をして部屋を覗きこみ、そしてその顔は苦々しい物に変わった。
「……貴殿が原因か、スプリィ殿」
何故か、フォルコもどこか腰が引き気味だ。逆に、スプリィは目を輝かせている。
「フォルコ様! 丁度良いです! 今、フォルコ様の衣装にも物申させて頂くです!」
どうやら、ワクァより先にフォルコもスプリィの被害に遭った事がある様子だ。フォルコに、スプリィを苦手に思っているらしい表情が見える。
「前にも申し上げた通り、フォルコ様の衣装も地味過ぎるです! しかも、デザインも古めかしくって! 渋みのある顔がフォルコ様の魅力ではあるです。けど、この服は渋過ぎるです! この服のせいで、十歳は老けて見えるです!」
「余計なお世話だ! スプリィ殿……まさか貴殿、殿下にまでそのような……」
「とりあえず、今は色について熱く語ってくれてたわよね」
「聴いている分には、結構面白かったっス。ワクァは既にうんざりした顔をしてるっスけど」
飛び出してくる言葉に、スプリィは「当たり前です!」と力んだ。
「これほどの素材、そのままにしておけるわけがないです! 烏の濡れ羽色のような黒い髪、夜空のような色の瞳に、雪のように白い肌! 男も女も関係無く、これはもう存分に着飾らせなければバチが当たるです!」
言い方が、どうにも少女が着せ替え人形に向かって言うそれだ。ただでさえ、先のホワティア国との戦争で女装するはめとなり、ヨシとタズに散々着せ替え人形にされている。
「着飾るだとか、見た目だとか! 当分このテの話題はごめんだ! 色も黒で良い! まだ暫くは放っておいてくれ!」
半ば激昂、半ば懇願。そんなワクァの言葉を受けて、フォルコが黙ってスプリィを摘み上げる。
「あぁっ! 何をするんです、フォルコ様! 話はまだ終わってないです!」
「自分で終わらせる切っ掛けとなる話題を出しておきながら、何を言うか! 今日はもう諦めて、帰られよ!」
言いながら、フォルコはスプリィを連れて部屋を出ていこうとする。
「差し色を! せめて、明るい差し色をぉぉぉぉっ!」
断末魔かと思うようなスプリィの叫び声が、辺りに響き渡った。そして、バタンと扉は閉まる。
「……何だったんだ……」
疲れた様子で呟き、ワクァは椅子に座りこんだ。その様子を見て、ヨシとトゥモは苦笑するしかない。そして、予感を覚えた。
きっと今後、王子と衣装係のあのような攻防が、頻繁に見られるようになるのだろう……と。
# # #
「そんな事もあったっスねぇ」
食堂でお茶を飲みながら、トゥモは苦笑した。目の前では、スプリィが同じように茶を飲みつつ、一心不乱に紙にペンを走らせている。
数ヶ月後に迫った、ワクァとテア国の王女ヒモトの結婚式。その衣装の製作を、スプリィは任されているのだ。今は、デザインの最終調整といったところか。
「不思議です。それ以後も、何を言っても頑なに黒以外の色を着てくれなかったですのに……テア国から帰ってきてからは、少しずつですが、違う色もお召しになってくれるようになったです」
首を傾げ、そして「それだけじゃないです」と続ける。
「陛下や王妃様、料理長が喜んでいたです。テア国から帰ってきた頃から、殿下の食事量が増えたって。おかわりまで時々するようになったなんて信じられないって、料理長が男泣きしてたです」
スプリィは、トゥモの顔をじっと見る。そして、「テア国で一体何があったんです?」と問うた。
「それに関しては、自分は話せないっス。それに、ワクァ当人も含め、誰にも訊かないであげて欲しいっス」
空腹に因る判断能力低下のために、大衆の面前で公開プロポーズをやらかしてしまった話など、簡単に漏らせるわけがない。漏らさなかったところで、どうせいずれは伝わってしまうのだろうが。
スプリィは「ふぅん」と呟くと、「まぁ、別に良いです」と頷いた。
「私としては、殿下が黒以外の色や、新しいデザインの服も着てくれるようになった。それだけで充分です!」
「ワクァが他の服も着るようになってから、スプリィ、本当に楽しそうっスよね。イキイキしてるっス。……今度の結婚式の衣装も、張り切ってるっスねぇ」
言われて、スプリィは「えへへ……」と嬉しそうに笑った。そして、少しだけ照れ臭そうに言う。
「……けど実は、私は殿下よりも、トゥモさんの衣装を早く作りたいんです。トゥモさんは、殿下と違って素朴な顔立ちです。だからこそ、私の衣装でどれだけ華やかにできるか……楽しみで、仕方が無いです!」
トゥモが少し驚いた顔をすると、スプリィは楽しそうに笑った。
「殿下は、着飾らなくても華やかです。だから楽しい反面、達成感が少ないです」
そう言って、少しだけ舌を出す。その顔が、本当に愛らしくて。
トゥモも嬉しそうに、結婚を約束した恋人の顔を眺めて笑った。
(了)