友達だから





ふわりと、優しい匂いが鼻腔をくすぐる。甘くて、温かくて、どこか柔らかい。そんな匂いだ。

重い瞼を懸命に上げて、目を開ける。やや暗い天井と、弱く柔らかい光が視界に飛び込んできた。

「あ、起きたっスか?」

トゥモの声が聞こえ、ノロノロと視線を動かしてみれば、横に座っているトゥモの顔が見える。

「……あれから、どれぐらい経った?」

ワクァの言う「あれ」とは、ホワティアとの戦闘の事だ。テア国の領土にホワティア国の手の者が侵入し、人質を取って好き勝手をしてくれた。

その際、ワクァの剣……リラが折れ、それによってワクァの心も折れて。その後、ヒモト達テア国の人間の協力によってリラは新たな剣、ラクとして生まれ変わり、ワクァもまた、精神的に持ち直した。

そして、ホワティア国の者達と再度戦い、追い詰めたところでテア国の援軍が来て。

しかし、リラが折れた事で心神喪失状態であったワクァはこの三日間で相当消耗していた。食事は勿論、水も飲まず。睡眠すら、取っていなかった。その状態で、七十人ものホワティア国の者達と大乱闘。体がもつはずが無い。

戦場で倒れて、意識が無くなって。一度起こされて何かを口に入れられたような気もするのだが、何が起こったのかまるで覚えていない。

「半日ぐらいっスよ。今は、皆夕ご飯を食べてるっス。……あ、自分は先に頂いたっスから、心配しなくても大丈夫っスよ?」

「……そうか……」

呟き、上半身を起こそうと試みる。だが、腕に力が入らず、中々起き上がる事ができない。見かねたトゥモが、背中に腕を回して手伝ってくれた。額から、湿った布がぽとりと落ちる。

「少し、熱も出てたっスよ。疲れも溜まっているっスし、これからまだ上がるかもって、お医者様が仰ってたっス」

布を回収し、傍らにあった桶の水に浸しながらトゥモが言う。それから、ワクァの胸元辺りを指差した。

「服は、ホウジ様達がキモノに着替えさせてくれたっス。こっちの方が、テア国のお医者様は診察し易いからって……」

言われて、初めて気付いた。服がいつも着ている黒い物ではなく、白いキモノになっている。たしかに、胸元は開くし、袖口も広いから、医者が診察する時には良いのだろう。

「……トゥモに看病してもらうのは、これで二度目だな……」

苦笑しながら、小さな声で言う。一度目は、初めて会った時。川で溺れたトゥモを助けたところ、自分が風邪をひいてしまったのだった。

「自分も、さっきそう言ったっス。そしたらヨシさんが、「私は三度目よ」って怒ってたっス」

「……そうだったな……」

ヨシと初めて会った時にも、大怪我をして寝込み、看病が必要な状態になっていた。あの時はニナンが頑張って看病しようとしてくれていたが、結局大部分はヨシに任せる形になったように思う。……当時傭兵奴隷だったワクァを己から看病したいなどと言い出したのは、あの二人だけだったから。

あとで、謝った方が良いだろう。……いや、礼を言った方が良いのか?

「お礼の方が、ずっと良いっス。ワクァの「済まない」は聞き飽きたっスし」

笑ってそう言い、その後心配そうな顔に戻って、トゥモはワクァの顔を覗き込んだ。

「ところで……今、気分はどうっスか?」

「……大丈夫だ。そんなに悪くない」

条件反射のように言うと、トゥモが顔をムッとさせた。そして、ワクァの額を少々強めに指で弾く。

「……っ!」

痛みで思わず額を抑えているうちに、トゥモは怒ったような声で言う。

「何で、そこでまた強がりを言うんスか? そんな顔色で、大丈夫なわけないじゃないっスか!」

トゥモの声は泣きそうにもなっている。その様子に、ワクァは少しだけ項垂れた。

「……力が入らなくて、怠い。それと、少し寒気もする……気がする……」

素直に、今感じている状態を口にしてみる。すると、トゥモはどこかホッとした様子で頷いた。

「お腹は? 空いてる感じはするっスか?」

言われてみれば、そんな気はする。……と言うよりも、空腹過ぎて胃の辺りが痛む気がする。三日間も飲まず食わずでいれば、当たり前か。

頷くと、トゥモはニコリと微笑んだ。そして、近くに置かれていたヒバチに手を伸ばす。ヒバチの上には、小さな鍋が置かれていた。

鍋から白い液体を掬い取り、テア国製の陶器に注ぐ。手渡されたそれに顔を近付けると、甘い匂いがした。先ほどから匂っていたのは、これか。

「テア国の飲み物で、アマザケって言うらしいっス。あったかくて甘くて飲みやすいっスし、栄養があって、体が弱っている時に良いみたいっスよ!」

言われて、勧められるままに飲む。たしかに、優しい甘さで飲みやすい。コメの粒が混ざっていて、腹もちも良さそうだ。

温かい物を腹に入れた事で少し落ち着いたのか、ホッとため息が漏れる。その息と一緒に、ぽつりと、言葉が漏れた。

「……トゥモには、いつも助けられてばかりだな……」

その言葉を聞き逃さず、トゥモは「当たり前っス!」と言う。

「友達なんだから、助けるのは当たり前っス! ワクァだって、自分の事を助けてくれたっスし、自分の村の子ども達も助けてくれたっス!」

そう言って、しばらくの間黙り込む。そしてまた泣きそうな顔をしながら、ワクァの顔を覗き込んだ。

「ワクァ……ワクァにとって自分は、頼りないっスか?」

「は?」

思わぬ言葉に、目を見開いてトゥモを見る。トゥモの顔は、真剣だ。

「自分は、たしかにドジっス。よく転ぶし、地図も読み間違えるっス。……そんな自分は、頼れない存在っスか……?」

「何を言っているんだ? トゥモには助けられてばかりだし、頼りにしていないわけが……」

「だったら!」

ワクァの言葉を遮り、トゥモは言う。

「だったら、もっと相談して欲しいっス。辛い事、苦しい事、悩んでいる事。くだらないと思える事でも、真剣な事でも、何でも話して欲しいっス!」

そして、「だって……」と言う声は消え入りそうなほど小さくなった。

「自分、鈍いっスから……話してくれないと、ワクァが悩んでいても、気付けないっス……気付けなかったっス……」

ちくりと、胸が痛んだ気がした。今回の事は、ワクァ自身も自覚していなかった。だから、相談なんてできなかった。

だが、それでも。一人で抱え込んでいたという事が、知らないところでトゥモの事を傷付けていた。そしてきっと、トゥモだけでなく、ヨシやフォルコの事も。

「……トゥモ……」

呟くように、ワクァはトゥモの名を呼んだ。トゥモが、泣きそうな顔のまま、ワクァの目をジッと見詰める。目を逸らさないように、ワクァもトゥモの目を見据えた。少し考えてから、迷いながらも口を開く。

「わかりきった事だが……俺は、助けを求める事が下手だ。……と言うか、俺自身が、自分が今どう感じているのかわかっていない事まである」

トゥモは、こくりと頷いた。

「多分、すぐには直らない。これからも、自分一人で何とかしようとして、無茶な事をやってしまう事は、あると思う」

トゥモの目が、少しだけ不満そうになった。それを宥めるように、ワクァは「だから……」と言う。

「俺が無茶をしていると思ったら、教えてくれないか? ここでは助けを求めて良いのだと。誰かを頼っても、良い場面なんだという事を」

「……そのうち、自分から助けを求める事ができるようになるって、約束してくれるっスか?」

少し考え、ワクァは頷いた。

「約束する。……何年かかるかは、わからない。けど、少しずつでも、自分から誰かに助けを求めたり……相談したり、できるようになる。そうなるために……助けて欲しい」

その言葉に、トゥモはやっと微笑んだ。そして、「お安いご用っス!」と言って胸を叩く。

「勿論、助けるっスよ! ワクァは、自分の友達っス。さっきも言ったっスけど、友達を助けるのは、当たり前じゃないっスか!」

そう言ってから、「あ」と呟いた。

「忘れてたっス。ワクァが起きたら、少し何かをお腹に入れてから薬を飲ませるようにって、言われてたんスよ。滋養強壮の薬だそうっス。アマザケも飲んだし、丁度良いっスね」

言いながら、新しい容器に茶色い粉を匙で量って入れ、別のヒバチにかかっていた鍋から湯を掬い出して加える。匙で中身をぐるぐると混ぜ、そして差し出した。

どろりとした茶色い液体に、ワクァは「うっ」と息を飲む。凄い色で、臭いだ。できれば、アマザケはこれの後に飲みたかった。

そう言うと、トゥモはおかしそうに笑う。

「じゃあ、この後にもう一杯飲めば良いっス。少しぐらいなら、良いんじゃないっスかね?」

「……そうだな……」

頷き、意を決して薬を口にする。そして、思わず「ぐっ……」と呻いた。

苦い。もの凄く苦い。甘い物を飲んだ後であるという条件を差し引いても、苦過ぎる。

「……トゥモ……薬の量はちゃんと確認したか……?」

苦し紛れに問うてみれば、トゥモは「え」と短く言葉を発し、何やら書き付けのような物を見直している。そして。

「……薬、倍量入れてたっス……」

トゥモの告白に、ワクァはがくりと項垂れた。その様子に、トゥモは慌てて弁明を始める。

「だ、大丈夫っスよ! 飲み過ぎても、害がある薬じゃないって、お医者様は言ってたっス! ……と言うか、そういう薬だからドジな自分に任せても大丈夫って事になったんスし!」

害は無い。ただし、酷く苦くなる。そういう事のようだ。

「……アマザケをもう一杯貰えるか……?」

決死の思いで薬を飲み干し、ワクァは素直に今の要望を伝えてみる。トゥモは、苦笑いをしながらも頷き、アマザケを注いでくれた。

「それを飲んだら、また寝た方が良いっスよ。次に起きた時にはきっと、もっとちゃんとした物を食べられるようになってるっス!」

頷き、飲み終わった容器をトゥモに手渡す。

胃に物が入って、体が温まって、少しだけ素直に話す事ができて。ホッとしたからだろうか。段々心地よい眠気が襲い掛かってきた。

横になり、布団を被る。トゥモが、再び湿らせた布を置いてくれたのだろうか。額が、少しひんやりとして気持ちが良い。

やがて、ワクァの意識は穏やかに遠のいていった。











(了)













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