全ての始まり
奴隷商人がアポイントも無しに訪ねてきた。
そう聞いて、タチジャコウ家の主、アジル=タチジャコウは顔を顰めた。現在奴隷は足りており、新しく購入するつもりは無い。となれば、売り込みに来る奴隷商人はただただ鬱陶しいだけだ。商人とは言え、所詮は人攫い。用の無い時に会いたい人種ではない。
しかし、無視しておくのも都合が悪い。彼らの機嫌を損ねて、次に奴隷を買う時に劣悪な品質の者ばかりを買わされたのでは堪らない。
不機嫌を隠そうともせず、アジルは玄関先へと向かう。すると、玄関に近付くにつれて、子どもの泣きじゃくるが聞こえてくる。甲高いその音に、アジルは増々不機嫌になった。
「何の用だ?」
玄関に着くなり問うと、そろそろ六十に手が届くかという奴隷商人の男は媚び諂う笑みを浮かべて頭を下げた。
「これはこれは、旦那様。うるさくて申し訳ありませんねぇ。今日はせがれを連れていないものですから、黙らせる手が足りなくて。……今日は掘り出し物を手に入れましたので、真っ先に旦那様にお見せしようかと思いましてね」
「掘り出し物? それはまさか、そこで泣きじゃくっている子どもの事ではないだろうな?」
奴隷商人の足下で泣いている子どもに一瞥をくれ、アジルは吐き捨てるように言った。子どもの両手は手枷で繋がれている。この男の〝商品〟であると見て間違い無いだろう。
すると、奴隷商人はひひっと嫌らしい笑みを顔に浮かべる。
「その、まさかで。ほら、いつまで泣いているんだ! こちらの旦那様に顔を見せな!」
言うなり、奴隷商人は子どもの前髪を掴み、乱暴に顔を上げさせた。その顔に、アジルは「ほう……」と少しだけ驚きを含んだ声を出す。
酷く、美しい子どもだった。黒い髪に、白い肌。瞳は深い青色だ。成長すれば、さぞかし人を魅了する姿となるだろう。だが。
「服が男物だな。この子どもは、男か」
「左様で」
頷く奴隷商人に、アジルはフンッと鼻を鳴らす。
「どれほど美しく成長しそうな子どもでも、男では意味が無い。私は男色の趣味は持ち合わせないと、お前も知っているはずだが?」
すると、奴隷商人は「いえ、そうではなく」と手を振った。
「この子ども、一見ひ弱なガキですが、運動能力は中々素質がありそうでしてね。どうです、旦那? 傭兵奴隷を持ってみる気はありませんか?」
「傭兵奴隷だと?」
聞いた事は、ある。素質のある子どもを一から育て、知識と剣技を教え込み、長じた暁には給金の要らない傭兵にする風習。主人の飾りとして扱う者もいるらしく、見目麗しく成長しそうな子どもが喜ばれると聞く。
「興味が無いわけではないが……」
言葉を濁すと、奴隷商人は子どもから手を離し、ニヤリと笑って顔を近づけてくる。
「ここだけの話なんですがねぇ、旦那様。このガキを傭兵奴隷として育てるのは、旦那様にとって将来的に悪い事じゃあないと思いますよ」
「どういう意味だ?」
問うと、奴隷商人は「待ってました」と言わんばかりに口を開く。
「このガキの名は、ワクァって言うんですがね」
「ワクァ? 耳慣れない名だな」
どうでも良さそうに返すと、奴隷商人はひひっとまた嫌らしく笑う。
「話は最後まで聞いてくださいよ。実はですねぇ、一年半ほど前に誕生なすった、王子殿下。その名前も、ワクァって言うんですよ」
「……何?」
アジルは、怪訝な顔をした。
この国の王族は、子どもが生まれても数年間はその名前を秘匿する。軽率な親が、生まれたばかりの王族と同じ名前を我が子に付けたりしないように、という理由だ。
同じ名の王族が立派な人物になれば、比べられてその子は苦しむ事になる。どうしようもない人物になれば、やはりその子は苦しむ事になる。
王族と名など被らない方が良い。被るにしても、せめてその性質がはっきりと定まって、胸を張って名付けられるとわかってからの方が良いだろう。
そんな理由で、王族は十歳前後になるまでは名が公表されない。名付ける時も、徹底的に調査され、国民と被らない名が考えられる。その名を知っているのは、王族と一部の側近、そして世話係……一握りの人間だけだ。勿論、関わる人間には固く口止めがされる。
勿論、公表されないが故に、調査後に生まれた子どもと偶然被ってしまう事も無いわけではないが。
「王子はまだ一歳半だ。なのに、何故その名をお前如きが知っている?」
問えば、奴隷商人はまたひひっと笑う。
「まだタチジャコウ領までは話が伝わっていないんでしょうがねぇ。実は、こんな噂が流れていまして。王子殿下が、急な病で身罷った、と」
「何だと?」
流石に、驚いた。だが同時に、それならばこの男が王子の名を知っているのも納得がいく。
王族の名は長じるまで秘匿されるが、例外がある。その王族が幼くして亡くなってしまった場合だ。
子どもを弔うために。また、万が一にも早死にするような王族と同じ名を国民が名付けたりしないように。死んだ王族の名は、早々に公表される。公表される前であっても、漏れやすくなる。
「そうか……王子が死んだか」
その王子には憐みを覚えるが、同時に、王に対して嘲笑いたくなる気持ちも湧いてくる。
昔から、あの王の事が気に食わなかったのだ。三つ年下の癖にどこか生意気で、鬱陶し正義感を持っている。奴隷を解放しろと、事あるごとに言ってくるのも気に食わない。
それだけではない。己が早々から目を付けていた、フーファ族の美女。彼女を手に入れたのも、あの王だ。今となっては、王を選んだあの女――王妃も気に入らない。そして己にはまだ子が無いと言うのに、王は子に恵まれて。
その気に食わない王が、愛息を亡くしたと言う。いい気味だ、と思わずにはいられない。
「一人は幼いうちに死に、一人はこうして奴隷商人の商品に……。この国の中に三人目はいないであろう名前だというのに、これだ。ワクァ、って名は、相当に縁起の悪い名なのでしょうなぁ」
楽しそうに言う奴隷商人を、アジルはぎろりと睨んだ。
「それで? その縁起の悪い名を持つ子どもを買い、傭兵奴隷に育てる事が、何故私の悪い事にはならないのだ?」
問うと、奴隷商人は「わかりませんか?」と言いたげに目を細めた。
「旦那様が、国王陛下と王妃様が気に食わないというのは存じております。その二人が失った王子殿下と同じ名を持つ、このガキを美しくも卑屈な傭兵奴隷に育て上げ、ある日国王陛下との謁見の場に連れて参上する……想像するだけで心が躍りませんかね?」
成程、と、アジルは感心した。
元々、傭兵奴隷に興味はあった。なので、買う事にさほど問題は無い。
気に食わない王と王妃の愛息と同じ名の子どもを、完全に己の支配下に置き、虐げる。嗜虐心が刺激され、中々興味深い。
そして、卑屈に育った亡き子と同じ名を持つ傭兵奴隷を目の当たりにした時の王と王妃の反応はどうだろうか? 想像するだけで、面白い。
見れば、子どもの顔は王妃にどことなく似ているようにも思える。ひょっとしたら、先祖が同じなのかもしれない。
……いや、と、アジルの脳裏を一つの可能性が過ぎった。この男にそんな大それた事をこなす能力があるとは思えないが、バックに誰かが付いていれば、有り得ない事も無い。
「……この子ども、歳はいくつだ?」
「二歳ですよ、旦那様。亡くなったと噂される王子殿下と、半年違いで」
怪しい話だが、まぁ、良い。頭を過ぎった可能性を振り払い、アジルは再び奴隷商人に向き直った。
「いくらだ?」
問いかけ、そして奴隷商人が示す額の金貨を執事のリィに持ってこさせる。
金を受け取った奴隷商人は嬉しそうに頭を下げると、子ども――ワクァの顔を再び無理矢理上げた。
「ほら、この方が今日からお前のご主人様だ! 挨拶しねぇか!」
前髪を強く引っ張られ、痛かったのだろう。それでなくても、親から引き離されて不安になっている。ワクァは、火が点いたように泣きだした。
「やぁぁぁぁぁっ! とうしゃ……かあしゃあぁぁぁぁっ!」
「うるせぇ! 泣けば許されると思ったら、大間違いだ!」
そう怒鳴って、奴隷商人はワクァの頬を思い切り叩く。そのせいで更に激しさを増した泣き声に顔を顰め、アジルはリィに、傭兵奴隷の育て方に言及した書物を探しておくように命じる。
まずは、己の命令に泣き言も言わずに従うように育て上げなくてはなるまい。知識と剣技も身に付けさせねばならぬ。
だがまぁ、使えるように育たなければ、男娼として娼館に売ってしまえば良いだろう。逆に使えるようなら、いずれはそれなりの能力を持つ女奴隷をつがいにして、より良い子を生ませれば良い。そうすれば、また良い奴隷が手に入る。
心の中で頷き、当面のワクァの処遇をどうするかはリィに任せて、アジルは部屋へと戻った。買い物が済んでしまえば、もう奴隷商人などに用は無い。
悲愴な泣き声に一度も振り向く事をせず、アジルは玄関から姿を消した。
この時のアジルの判断が、十六年後、彼とタチジャコウ家を窮地に追い込む事になろうとは、この時の彼は、まだ知らない。
(了)