おかえりなさい





城内のあちらこちらから、ざわめきが絶えない。熱気と興奮、喜びを孕んだざわめきの中、王と王妃は困惑した様子を隠す事無く辺りを見渡した。探している顔が見当たらず、二人の顔が少しだけ曇る。

その時だ。食堂の人ごみから、探している顔ではないが、知っている顔が飛び出してきた。ライオンの鬣色の髪を持つ、バトラス族族長の娘、ヨシだ。

手には、料理を山と盛り付けた皿を持っている。行方不明だった王子が見付かった事を祝するために供された、城にいる者であれば誰でも口にする事ができる料理だ。これとは別に、街の人々にも後日、食糧庫から祝いの酒が何樽も下賜される事になっている。

「あ、王様。それに、王妃様も」

ヨシは口の中の物を飲み込み、皿を持ったまま軽く会釈した。ここで、彼女と一緒に旅をしてきた仲間がいれば、「行儀が悪い、不敬だ」と怒るのだろうか。それとも、マナーの事には気が回らず、そのまま見過ごしてしまうのだろうか。

その反応を知りたいと、王達は思う。そもそも、今探しているのは、その旅の仲間――元タチジャコウ家の傭兵奴隷にして、十六年間行方不明だったこの国の王子、彼らの一人息子である、ワクァの姿だ。

ずっと生き別れていた息子が、どのような時に、どのような反応を見せるのか。全てを、今からでも、どんな事でも、知りたいと思う。それほどまでに、ワクァが行方不明になってからのこの十六年は、王達にとって辛く長い物だった。

「ヨシ君、ワクァは? 一緒ではないのかな?」

問われて、ヨシは「あぁ」と得心したように頷いた。

「お風呂に放り込まれて丸洗いされた挙句、色んな人に珍しげに見られて疲れちゃったみたい。……です。それでなくても、今日は色々あったし、怪我もしてるし。部屋の場所を訊いていたから、もう寝てるんじゃないかしら?」

その〝丸洗い〟の様子を思い出したのか、ヨシが少しだけ楽しそうに笑う。

漏れ聞こえてきた話によると、部屋に通された時にもひと騒動あったようだと、ヨシは言った。ワクァが幼い頃使っていた部屋は、王達の意向でまだ残してある……が、流石にすぐに使える状態ではなかったため、とりあえず今夜は客室に、という事になったらしい。

しかし、客室とは言え、王城の一室だ。当然内装は豪華な物であり、広い。

タチジャコウ領ですっかり貴族への苦手意識を植え付けられてしまったワクァは、豪華な内装にも部屋の広さにも気後れしてしまったようだ。

できるだけ狭くて質素な部屋を希望……と言うか懇願し、しかし質素で狭い客室など王城にあるわけもなく。客室に案内した者はどうしようかと考えた挙句、急遽仕切り板のような物を探し出して来て、部屋の中央に置いたらしい。

そういった部屋の広さや内装に慣れるのも、今後の課題だろうと、ヨシは言う。その言葉に頷くと、王は王妃を促し、客室のある棟へと足を向けた。しかし、歩き出す前に王はハッと何かを思い出し、ヨシに向き直る。

「教えてありがとう、ヨシ君。今夜は、思う存分楽しんでくれ。それと……ワクァをここまで連れてきてくれて、ありがとう。改めて礼を言う」

頭を下げる王に、ヨシはニコリと笑って頷いた。それに頷き返し、今度こそ客室の方へと歩き出した。





# # #





扉を開けてみれば、室内は暗い。ワクァは本当にもう寝てしまったようで、耳を澄ませば微かに寝息が聞こえてくる。

手燭を差し込み、弱々しい光に助けられながら王と王妃は室内へと身を滑り込ませた。極力足音を立てないように努めながら、そっとベッドの脇へと歩み寄る。

聞いた話によれば、ワクァは眠りがそれほど深くない方だという事だったが、目覚める様子は無い。本当に、疲れたのだろう。それに、クーデル達と戦った際に負った傷を処置した後に鎮痛薬を処方されたとも聞いている。だからこそ、余計に眠りが深いのかもしれない。

思い切って、光を顔の方に近付ける。王妃に似た美しい面立ちが、穏やかな寝息を立てている様子が照らし出された。

その寝顔に、王と王妃はグッと息を詰まらせる。

最後に顔を見たのは、十六年前。ワクァはまだ、一歳半だった。クーデルによって連れ去られ、以後生きているかどうかすら不明だった。

生きていて、本当に良かった。しかし、十六年会えないでいるうちに、可愛い盛りも、生意気な盛りも、全て見逃してしまった。

二人の記憶の中で、ワクァは未だに一歳半の子どものままだ。こうして成長した姿を見る事が出来たというのに、未だにワクァの顔を脳裏に描こうとすると、出てくるのは子守歌を王妃にせがんだあの姿のままで。

改めて、クーデルには本当に大切な物を奪われてしまったのだと気付かされ、悔しさがこみ上げてくる。

光がそばにあるせいだろうか。それとも、疲れのせいだろうか。穏やかに寝息を立てていたワクァが、少しだけ唸った。あまり良くない夢を見ているのかもしれない。

王は思わず手を伸ばし、眠り続けるワクァの頭を優しく撫でた。寝息が、少しだけ穏やかな物に戻る。

そこで、堪らなくなったのだろう。王妃が、口を開いた。その声は、穏やかでやわらかな旋律を紡ぎ出す。



子どもは小さな旅人と

昔の人は言いました

夢という名の未知の世界

見えない翼で駆け巡る



可愛い子には旅をさせよと

昔の人は言いました

辛い道のり乗り越えて

心が大きく強くなる



おやすみなさい夢の旅人

旅があなたを待っている

旅の間は寂しいけれど

しばらくあなたとお別れね



旅に疲れたその時は

いつでも戻ってくれば良い

戻ってきたらその時は

旅の話を聞かせてね



お眠りなさい夢の旅人

素敵な旅ができますように

あなたの幸せ祈るこの時

私はあなたのそばにいる



それは、優しい子守歌。王妃の母が生まれ育った部族、ウルハ族に昔から伝わる子守歌。そして、母から王妃に受け継がれ、幼い頃のワクァが、何度も歌って欲しいと、王妃にせがんだ歌だ。

王妃の歌声に、流石に意識が引き寄せられたのだろう。ワクァが、薄らと目を開けた。

ぼんやりとした様子で暫く王達の顔を見詰めていたかと思うと、ハッと我に返って起き上がる。

その顔は、酷く緊張していて。その様子から、これまでの人生で、彼がひと時も気を抜けない状況に置かれていたのだという事を、思い知らされた。そして、本当に己はここに居て良いのだろうかと、酷く困惑している事も。

王と王妃は、言葉が出ない。その代わり、強く、ワクァの事を抱き締めた。抱き締めながらも、王妃は子守歌の最後の一節を口にする。



おかえりなさい夢の旅人

あなたの帰りを待っていた

あなたを抱けるこの喜びを

与えてくれてありがとう



最後の一節は、子どもを寝かしつけるための歌ではない。まだフーファ族の部落にいた頃、王妃は母親からそう聞かされている。

子どもが目覚めた時に、歌ってやる歌。お前の居場所はここなのだと、お前がここにいてくれる事が何よりも嬉しいのだと。その気持ちを子どもに伝え、寝起きで混乱している子どもを安心させてやるための歌なのだという。

安心させる歌だから、歌ったわけではない。本当に、心からそう思うのだと。その想いを込めて、王妃は歌った。

そして、歌が終わった時。王と王妃は、口を揃えて、腕の中の一人息子に囁いた。

「おかえりなさい、ワクァ」

その言葉に、ワクァはハッと息を飲んだ。次いで、ゆるゆると体が弛緩していくのが、王達に伝わってくる。

そして、恐々ながらも、ワクァは小さな声でぼそりと言った。

「……ただいま。父さん、母さん……」

その言葉に二人は破顔し、それからより一層、強く強く、たった一人の愛息子を抱き締めるのだった。












(了)











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