ガラクタ道中拾い旅
第二話 守人の少年
STEP2 決意を拾う
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闇が街を包み込み、家々の窓からは灯りが洩れる。幾つもの煙突から立ち上っていた炊煙はほぼ宙に霧散し、風が昼間の熱い空気を吹き飛ばして地を冷やす。完全に夜となったこの街の宿屋の一室で、ワクァは腰を落ち着けていた。
部屋はベッド以外にはベッド脇に引き出しの付いた小さな台が一つあるだけの質素なものだが、きちんと掃除が行き届いており、清潔感がある。窓際に置かれたベッドに腰掛け、窓の外にある裏庭をぼんやりと眺めながら、ワクァは夕方に出逢った二人……ファルゥとシグの事を思い出していた。シグの、ファルゥへの言葉や表情が脳裏に甦る。
「いえ、あの……そろそろお戻りになりませんと、旦那様や奥様が心配なさいます」
本気で彼女の事を心配する表情と声音。「旦那様や奥様が」と言いながら、実は自分が一番彼女の事を案じているのであろう態度。ふと、昔自分が発した言葉が甦る。
「心配性でも構いません! 若に何かあってからでは遅いんですよ!? 若に何かあっては、旦那様と奥様が悲しまれます! お願いですから、わかってください!」
自分が傭兵奴隷として仕えていた貴族、タチジャコウ家の次男であるニナンに、自分が発した言葉だ。一人で屋敷を抜け出して散歩に行ってしまう幼いニナンを探すのは、いつもワクァの仕事だった。何故なら、奴隷を含めた使用人達の中ではワクァが最もニナンに懐かれていたから。ただ強くて、危機に陥ったニナンを助けた事がある……それだけの事でワクァはニナンのヒーローとなり、ニナンはワクァの掛け替えのない存在となった。傭兵奴隷である自分に親しげに声をかけてくれるのは、ニナンだけだったから。
そのニナンと最後に顔を合わせたのは、まだたった三ヶ月前の事だ。それなのに、もう随分と会っていないような気がする。何故だろう。急に思い出したからだろうか。そもそも、何故急に思い出したのか。シグの言葉と昔の自分の言葉が被ったからだ。そう考え始めると、次々と今日の事、昔の自分やニナンの事が交互に脳裏を過ぎり始める。
「いきますわよ、シグ!!」
「はっ……はい! ファルゥ様!!」
「じゃあワクァ。今から僕と散歩しようよ! それなら良いでしょ!?」
「え!? ……えぇ、まぁ……それくらいなら……」
「シグっ!!」
「……わ……ワクァ……!?」
「そしてこちらは、わたくしの大切な友人、シグですわ」
「ニナンって、呼び捨てで良いよ。敬語も使わなくて良い。だって、ワクァは僕の友達だから! 友達に敬語を使うなんて、おかしいでしょ?」
シグの事、シグに対するファルゥの態度、ニナンがワクァにかけた言葉、ついついニナンには甘くなってしまっていた自分。様々な事が、一気に思い出される気がした。記憶が呼び起こされてゆくのと同時に推測は確信に変わり、ワクァは呟いた。
「あのシグという子ども……やっぱり……」
その呟きが終わるか終わらないかの時だ。窓の外でガサリと音が鳴り、ワクァはハッとすると瞬時に裏庭の茂みを睨み付けた。すると、音の主は特に躊躇う様子もなく、ガサガサと茂みを掻き分けながらアッサリとワクァの前に姿を現した。シグだ。
「お前は……シグ……」
「あ、覚えていてくださったんですね!」
ワクァが名を呼ぶと、シグが嬉しそうに顔を輝かせた。その笑顔を少々眩しく感じつつ、ワクァは言う。
「よくこの場所がわかったな……」
すると、シグは笑みを絶やさぬまま事も無げに言った。
「この街はマロウ家の直轄地と言っても小さく、名物も無くて訪れる旅人が少ないですからね。宿屋もここと、あとは冬だけ経営している店が数軒あるだけなんです」
つまり、夏である今現在経営している宿屋はここだけなので、宿屋に泊まると言ったワクァがいるとしたらここしか有り得ないわけだ。勿論、外出中である可能性もあるだろう。だが、シグの言う通り小さくて名物も無いこの街だ。夜に外出したところで何の益も無いだろう。
納得したワクァは、そのまま本題である疑問をシグにぶつける。その顔は、夕方よりは砕けた顔だ。
「何の用だ? ……ヨシに無理難題でも吹っ掛けられたか?」
冗談か本気なのか判別しかねる真面目な表情に、普段のヨシとワクァの関係が見えたのか……シグは少しだけ苦笑した。そして、首を横に軽く振りながら言う。
「いえ……実は、ワクァ様にお願いがあって、こっそり抜け出してきたんです」
「お願い?」
ワクァがシグの言葉に疑問符を付けて反芻すると、シグは少しだけ迷った顔をした。だが、その迷いはすぐに消え、真剣な表情になる。
「はい、あの……僕に、稽古をつけて欲しいんです!」
「稽古!? 俺が、お前にか!?」
きっぱりと言い切ったシグに、ワクァは面食らって思わず叫んだ。そのワクァの態度に、シグは動じずにはっきりと答える。
「はい、お願いします! ワクァ様達がこの街に滞在している間だけ……いえ、今夜一晩だけでも良いんです! 僕に……稽古をつけてください!!」
必死になって頼むシグに、ワクァは少しだけ落ち着きを取り戻し、いなすように言う。
「必要無いだろう。年齢を考えれば、お前はもう充分強い。そこまで強いうという事は、誰かちゃんとした師がいるのだろう? なら、わざわざこんな得体の知れない者の稽古など受けなくても……」
「いえ! 今日の戦いぶりを拝見して、ワクァ様は僕の先生よりもずっと強いと感じました。……僕はもっと強くなる為にも……ワクァ様のような方に一度で良いから稽古をつけて頂きたいんです!!」
稽古を断ろうとするワクァの言葉を遮るように、シグは更に強い口調で言った。今までの大人しい様子からは想像もできなかった、力強い口調だ。その勢いに圧され、ワクァはとりあえずシグに問うた。
「……お前は何故強くなりたいんだ? 理由や目標が無ければ、誰に稽古をつけられても一緒だぞ?」
すると、シグは強い決意を宿した目できっぱりと言った。
「ファルゥ様を……お守りするためです!」
「……昼間一緒にいた、お前の主人か。見た限り、随分と振り回されていたようにも感じたが……それでも守りたいと思うのか?」
「はい!!」
シグの答えにワクァが問えば、シグは一点の曇りも無い表情ではっきりと即答する。後先考えず威勢の良い返事をしているだけには見えない。そこで、ワクァは先ほどと同じ言葉で、もう一度質問をしてみる事にした。今度は、余計な言葉を一切付けず、たった一言で。
「何故?」
「それは……」
ここにきて、初めてシグが言葉を詰まらせた。だが、どうやら答が無いというわけではなさそうだ。その顔は、理由をワクァに話すかどうするか迷っている……そんな顔だ。その表情に気付いたワクァは、思い当たる節があるのか少しだけ顔を曇らせると、リラを手に取りつつシグに声をかけた。
「……まぁ、良い。丁度うるさい奴がいなくて退屈していたところだ。お前の屋敷の消灯時間くらいまでなら付き合ってやる」
その顔に、シグはパッ! と顔を輝かせた。
「あ……ありがとうございます、ワクァ様!!」
その顔に、ワクァは少しだけ顔を歪めてシグに言った。先ほどから言おう言おうと思っていた言葉だ。
「ワクァで良い。様付けは苦手なんだ。呼ぶのも……呼ばれるのも……」
豪奢な建物や家具と同じだ。以前様付けで呼ぶ事を強制されていた彼は、自分が様付けで呼ばれてもやはり昔を思い出してしまうらしい。様付けで呼ぶ事も呼ばれる事もない人間関係に、彼はいくらかの安堵感を覚えるのだろうか。シグに呼び捨てを求めた彼の顔は、ほんの少しだけ、今までよりも和らいでいた。