ガラクタ道中拾い旅
第一話 双人の旅人
STEP0 相棒を拾う
8
遠くで聞こえていた鬨の声が、随分と近くで聞こえるようになった。それを感じながらも、ニナンは屋敷に戻ろうとしなかった。
いつもの散歩コースからほんの少しだけ離れている鬱葱とした森の中、拾った木切れを剣に見立ててただひたすら振り続ける。
帰ろうと言い出す者は誰一人としていない。今頃は皆、屋敷の中で盗賊襲来に備えている筈だ。
ここには、誰もいない。いるのはニナン一人だ。
時々、「恐いから、もう帰ろう。皆心配しているよ?」と言う自分の声が聞こえてくる気がした。けれども、その度に彼はブンブンと首を横に振り、自分に言い聞かせるように呟く。
「ううん、帰らない。僕は強くならなきゃいけないんだ……! お父様やお母様を守る為にも、ワクァに心配させない為にも! これくらいで恐いなんて言ってたら、きっと僕は強くなれない……だから、僕は恐くない! 恐くないから、帰らない!!」
そう言いながらも、膝はガクガクと震え、歯もカチカチと鳴る。
日はとうに暮れて、辺りは一面暗闇だ。おまけに、盗賊のものであると思われる鬨の声はどんどん近付いてくる。流石に、恐さに耐えられなくなってきたその時だ。
ガサッ
すぐ近くの茂みで、音がした。
「!? 誰!? ワクァ!?」
震えながらも、期待を込めて名を呼ぶ。
そうだ。自分がいなくなった時は、よくワクァが父親の命を受けて探しにきてくれたじゃないか。今日の昼だって、探しに来てくれた。だから、今も父親に言われて自分を探しているかもしれない。それで、やっと自分を見つけてくれたのかもしれない。
そう、思いたかった。だが……
「おやぁ〜? こんな所に子ネズミが一匹潜んでいやがった……!」
茂みから出てきたのは、ワクァとは外見も喋り方も程遠い、三十は過ぎているであろう薄汚い男だった。
擦り切れた靴を履き、薄汚れてボロボロのシャツやズボンを纏っている。そしてその手には、ギラギラと鈍く光り輝く短剣。
盗賊だ。盗賊に、見付かってしまったんだ。
瞬時に、ニナンの頭は真っ白になった。こういう時、自分はどうすれば良い?自分は戦う術を持たない。足も、大人に勝てる筈が無い。戦っても勝てない。逃げても捕まる。
考えている間にも、盗賊は仲間を呼びどんどん増えていく。自分を取り囲もうとしている。一本の手が、自分に伸びてきた。どうすれば良い? どうすれば助かる?
誰か助けて! 誰か……誰か……!
誰がいつも自分を助けてくれていた? 誰が……。
「ワクァーっ!!」
恐怖に耐え切れず、ニナンは叫んだ。
来てくれる筈が無い。自分は勝手に屋敷を抜け出した。ワクァは今頃、父親達の護衛をしている筈だ。それに、昼間ワクァは自分の所為で父親に怒られた。きっと、もう自分を探しに来るのは嫌だと思ってる。名前を呼んでも、きっと来ない。
それでも、名前を呼ばずにはいられなかった。自分が憧れる、ヒーローの名を。
盗賊達の手が伸びてくる。一人の盗賊が、短剣を振り上げるのが見えた。駄目だ、殺される。
だが、その殺されると思った瞬間だ。
「若っ!!」
声が、聞こえた。今名を呼んだばかりの、その人が。
瞬時に、黒い衣服と漆黒の短い髪を夜闇に溶け込ませた色白の少年が、自分と盗賊達の間に割り込んできた。
割り込んできたかと思えば、剣の柄を利用して盗賊の腕を叩き落し、息を継ぐ事も無く剣を振り上げた。振り上げた剣は盗賊の短剣に当たり、ギンッ! と鋭い音を立てる。突如現れた少年……そしてその少年の行為に一瞬ざわついた盗賊達は一歩後退し、少年と盗賊達の間に当たる空間は広がった。
「……ワクァ……来てくれたの!?」
ニナンが、驚いたような、嬉しいような……そんな顔で言う。すると、少年……ワクァは盗賊達から目を逸らす事無く言う。
「俺には、若を見捨てるなんて真似は到底できませんからね。……それよりも若、何だってこんな時に森へ来たりしたんです? こいつら……盗賊がこのタチジャコウ領に攻め入ろうとしているという話は若も聞いているでしょう!?」
言われて、ニナンは口をつぐむ。
言えない。まさか少しでも早く強くなりたくて、事が収まるのを待っていられず森に剣の特訓をしに来たなどと。ほんの少しだけでも昼間より強くなって、盗賊達から自分を守るワクァに負担をかけないようにしたかったなどと。屋敷で訓練をすればワクァに気を使わせると思って、森まで来てしまったなどと。
その結果、余計にワクァや家族達を心配させてしまったと思うと、言える筈もなかった。そんなニナンを特に責める事もなく、ワクァは言う。
「とりあえず……この状況を何とか打破しなければいけませんね……屋敷の窓から松明の数を見る限り、盗賊達は少なくとも二十人はいます。こんな所を少数でうろついているとは考え難いし……これからどんどん仲間が増えていくと考えた方が良いでしょう。……若、さがっていてください!」
ブツブツと状況判断をした後、ワクァはニナンに鋭い声で言った。それとほぼ同時に、剣を構え盗賊達に突っ込んでいく。
剣は、刀身八十p程度のバスタードソード。ワクァが剣の訓練を全てこなし、傭兵奴隷として護衛の任に就く事になった際アジルから授かった、タチジャコウ家の家紋が柄に掘り込まれた剣だ。銘を、リラと言う。ニナンと一緒にいるなど特殊な場合を除き、常時孤立していたワクァとずっと時を共にしてきた……友とも呼べるワクァの愛剣だ。
そのリラを構え、ワクァは突っ込む。
「やるぞ、リラっ!!」
友の名を呼ぶように、リラの名を呼ぶ。勿論、剣であるリラは応えない。
だが、それでも。リラの名をワクァが呼んだだけでも、場の……ワクァの士気が上がったようにニナンは感じた。
ワクァはリラを横に薙ぎ払い、上から振り下ろす。次から次へと盗賊達の腕に斬り傷を負わせ、剣を持てぬようにしていく。
しかし、それでも盗賊達は向かってくる。剣が使えぬなら腕ずくで……とでも言わんばかりに、腕を振り上げ、拳を振り下ろしてくる。
そんな彼らに対し、鬱陶しそうに軽く舌打ちをした後、ワクァは盗賊達の足を狙い、リラで斬り付けた。盗賊達の足からは血が流れ、彼らはそのまま地に倒れ込む。
そんな行為を、もう何度繰り返しただろうか? 殺す事無く、ワクァは七人程度の盗賊を地に下し、リラを振り払った。
だが、盗賊達はまだまだいる。ワクァの読み通り、この近辺をうろついていたのは数人どころではなかった。恐らくは、盗賊団全員で移動をしている最中だったのだろう。
騒ぎを察知した盗賊の仲間達が、次々とこの場に集結し始めた。人数はどんどん増える。
だが、こちらはワクァ一人だ。戦ううちに、段々と息が上がってきた。次第に追い詰められ、後に下がらざるを得なくなってくる。気付いた時には、ニナンが自分の背後にいた。
この場で戦えば、リラを振るった時ニナンを巻き込んでしまうかもしれない。一人を相手にしているうちに、他の盗賊がニナンに危害を加えてしまうかもしれない。そう考えると、滅多な行動は取れなくなってしまった。
大分倒したが、盗賊はまだ十人はいる。体力が削られた状態の中一人で戦い……しかもニナンを守りながら、十人もの盗賊を倒せるか?
答は、否だ。
ワクァは、ギリ……と歯噛みをした。このままでは、ワクァもニナンも殺される。
自分はまだ良い。どうせいつ死ぬかわからない傭兵奴隷だ。
だが、ニナンは……。そう思いながら、チラとニナンを見る。不安そうな顔をしている。だが、それと同時に自分を信じているのであろう、ほのかな期待を浮かべた顔だ。
「……いつも、こうですね……」
誰にも聞こえないような小さな声で、ワクァは呟いた。
いつもこうだ。この幼い少年は、自分が彼を守って戦っている時、いつもこのような不安そうな……けど、必ず自分が彼を守ると信じているような顔をする。その信じてくれているという顔に、今までどれだけ救われたかわからない。剣しか友がいないと言われる傭兵奴隷に、この少年はいつも蔑む事無く接してくれた。
こんな自分に、懐いてくれた……。そう思うと、何がどうなろうと、絶対にこの少年だけは死なせてはいけないと思った。だからこそ、ワクァは目の前の盗賊達が一斉に短剣を振り下ろした瞬間に、戦おうとせず、背を向けた。背を向けて、ニナンを守るように抱き締めた。
グザリ、と音がした。
何本もの短剣が、彼の体に突き刺さった。傷口はもとより、口元からも血を流しながら、ワクァはその場に倒れ込んだ。
ニナンを覆い隠すように。
盗賊達が、ニナンを斬り付ける事ができぬように。
「……わ……ワクァ……!?」
抱え込まれたニナンは、恐る恐るワクァの名を呼ぶ。すると、ワクァはゲボッと血を吐きながらも応える。
「……お……お怪我はありませんでしたか……若……?」
その声は掠れ、喉元からはヒューヒューという怪しげな呼吸音が聞こえる。命に危機が迫っている音だ。
その音を聞いて、ニナンは蒼ざめる。
「何で……何でこんな事したのさ、ワクァ!? ワクァは強いんだよ!? こんな事しなくても、こいつら全員やっつけられるでしょ!?」
すると、ワクァは弱々しく微笑みながら言う。
「いえ……俺が戦っている隙に……、若を攻撃される恐れが、ありました。……それを……考えたら、とても、じゃないけど戦う……なんて、できません。……こうすれば、奴らは……若を傷付け、る事はできない……。短剣はその、名の通り……刀身が短いですから……、俺の身体……を……貫いても……若に……届く事は、ありません……」
途切れ途切れながらも、その言葉ははっきりとしていた。命に代えても絶対にニナンを守りきってみせる、とその口調が言外に言っていた。
盗賊達が「何生意気言ってやがんだ!」と怒鳴り、刺された短剣を引き抜く。蓋が外されたような状態となり、傷口から一気に血が流れ出す。ニナンは、生温かくヌルヌルした物が自分に触れるのを感じた。逆に、自分を守るように抱き締めている身体が、段々に冷たくなっていくのも。
二つの感触が、ニナンをどんどん不安に追い込んでいく。
「ワクァぁっ! 大丈夫なの!? 血が沢山出てるよ!? ワクァ!?」
すると、ワクァは弱々しく力の無い声で…それでもきっぱりと、言う。
「大、丈夫……ですよ……。若……は…、俺が絶……対に……死なせ……ません、から……」
その目は段々と力を失い、閉じていく。身体が冷たく、動かなくなっていくのをワクァ自身も感じていた。
そのワクァに、ニナンは叫ぶように言う。
「違うよ、ワクァがだよ! ワクァは大丈夫なの!? ねぇ!?」
「……」
答は、帰ってこなかった。
「……わ……ワクァ……?」
恐る恐る、名を呼ぶ。だが、沈黙は変わらない。意識を失ったのか、それとも……。
「やっとくたばりやがったぜ、このガキ。手間かけさせやがって!」
盗賊の一人が、ドン! とワクァの身体を蹴った。
しかし、ワクァは目を覚まさない。そして、蹴られたその身体はニナンを離す事無く、しっかりとニナンを守り続けている。動かなくなり意識を手放しても尚、自分を守ろうとしている。
ニナンの目から、涙が溢れた。
そんな様子などお構い無しに、盗賊達は自分達に松明を近付け、勝手気ままに言葉を交わしている。
「見ろよ! このガキ、よく見りゃスゲー美人だ! 勿体ねェ事しちまったかな?」
「本当だ! 野郎なのが残念だが、こんな美人はそうそういねぇぞ。……なぁ頭?」
「そうだな……よし。こいつの死体を持って帰るか? 世の中には死体を集めてる妙な奴もいる事だしなぁ……腐らねぇうちに持っていけば、良い値段がつくかもしれねぇぞ?」
そう言って、盗賊達はワクァの身体に手をかける。
ワクァが……連れて行かれる!
そう感じたニナンは、恐怖も忘れ、必死で声を張り上げた。
「ワクァを連れて行くなっ!! お前達なんか役人に捕まって死刑になっちゃえっ!!」
そう、必死になって叫んだ……が、はっきり言って逆効果である。
「弱ェくせにピーピー鳴いてんじゃねぇよ、ガキ!」
そう言って、無理矢理ワクァとニナンを引き剥がす。松明の光で、ワクァの白い顔がいつにも増して青白くなっているのが見えた。
「ワクァ……」
ニナンの顔が、絶望で蒼ざめた。しかしそれでも、ニナンは叫んだ。
「ワクァを放せっ! 放せっ!!」
眦を吊り上げ、ワクァを掴む盗賊に向かっていく。必死に叫び、体当たりをする。しかし、当然の事ながら効果は無い。盗賊達は、ただ面白そうにニヤニヤとその様子を見ている。だが、次第に飽きが回ったのか…ひょいっとニナンを摘み上げると、言う。
「わかっただろう? 弱い奴がどれだけ頑張っても、強い奴に敵うワケがねぇってよ」
その勝ち誇った顔が、妙に憎らしくて……。ニナンは泣き叫んだ。悔しくて悔しくて仕方が無いから、泣き叫んだ。
自分の所為で憧れていた人が深手を負ってしまったのが悔しい。自分に力が無いのが悔しい。
そんな気持ちを全て吐露するかのように、叫んだ。
「放せよっ! 放せーっ!!」
ヒュッ……
ふいに、風を切る音が耳元で聞こえた。それとほぼ同時に、ガツン! という痛そうな音も。
「っ!?」
呻き声が聞こえた。聞こえたかと思うと、ニナンの体は宙に放り出された。ドスンと音を立てて、地面に尻餅をつく。痛さでつい顔を顰めていると、背後から声が聞こえた。
「野蛮ねぇ〜……いくら盗賊って言っても、少しは紳士にできないわけ?」
「!?」
その声に聞き覚えがあり、ニナンはバッ! と後を振り向いた。
そこには、ライオンの鬣色をしたおさげを風に揺らしている、赤茶色のコートを着た十五歳くらいの少女が佇み、右手で小石を弄んでいた。
「お姉ちゃん!」
天からの助けとでも言わんばかりに、ニナンが叫んだ。そのニナンに、少女……ヨシは言う。
「よく頑張ったわねぇ、ニナンくん。ニナンくんが頑張ってこいつらを足止めしといてくれなかったら、絶対間に合わなかったわ。そうなったらもう最悪よね。ワクァは連れて行かれるわ、タチジャコウ領には侵入されるわで」
そうにこやかに言いながら、ツカツカと大胆不敵に盗賊達に近付いていく。
その様子に、盗賊達は呆気に取られるばかりだ。そして、盗賊達から手が届きそうな位置まで来ると、不意に勢い良く足を蹴り上げ、ニナンを先ほどまで摘み上げていた盗賊に痛烈な蹴りを喰らわせた。
「ぐぉっ!?」
呻き声と共に、盗賊がよろめく。その隙にヨシはニナンを無理矢理立たせ、ドン! と押して強制的に後へ下がらせた。
「私はワクァみたいに、「ニナンくんにかすり傷一つ負わせまい」なんて行動は取らないから。怪我したくなかったら、そのまま後にいてよね」
そう言うと、今度はワクァを掴んでいる盗賊の元へと駆けていく。右の拳が、今から殴るぞという雰囲気を醸し出している。
「そんなバレバレのパンチじゃ、俺達を殴るなんてできねぇぜ、嬢ちゃん!!」
勝ち誇ったように盗賊が叫び、ワクァを掴んでいない方の手でヨシの右拳を掴む。すると、ヨシはニヤリと笑って言う。
「あぁら? 誰がパンチするなんて言ったかしら〜?」
「何っ?」
ドゴッ!!
盗賊が怪訝な顔をしたのとほぼ同時に、何か硬い物が盗賊の人中を直撃した。
よく見れば、それは水筒だ。金属製の水筒がヨシの左手に握られており、それが見ているだけでも痛くなる程見事に、盗賊の鼻にめり込んでいた。恐らく、鼻骨は砕けただろう……。
豪勢に出続ける鼻血を防ごうと、盗賊は両手を使って必死に鼻を押さえた。
必然的に、掴まれていたヨシとワクァは手放され、地に落ちる。地に崩れこんだワクァを拾いあげると、ヨシは一時的に後に下がり、ニナンの傍らにワクァを横たえた。
「ワクァっ!」
ニナンが、心配そうな声で名を呼ぶ。すると、ヨシは慰めるように言った。
「大丈夫。辛うじてまだ生きてるみたいよ。……それにしてもコイツ、何考えてんのかしら? 取った行動自体はもの凄く単純でわかり易いけど、何でこんな自殺みたいな事をする気になるんだか……頭の中はさっぱりわからないわね」
そして、強い口調で言う。
「いい、ニナンくん? お姉ちゃんはこれから、あの悪い奴らをぶっ飛ばしてくるわ。その間ニナンくんは、ワクァを守っていてあげて。できるわよね? さっきまで、一人でワクァを守ろうと頑張ってたんだから」
「……!」
言われて、ニナンは目を見開いた。守る? 自分が、ワクァを? 想像もしていなかったのであろう展開に、目を白黒させる。
それでも彼はコクンと力強く頷くと、ヨシに言った。
「うん! ワクァは僕が、絶対に守ってみせるよ!」
言われてヨシは、フッと微笑んだ。そして、パン! と拳を打ち鳴らしながら言う。
「良〜いお返事! じゃ、ちゃっちゃとやってくるから、その間ワクァの事はヨロシク頼んだわよ!!」
そう言って、静かに盗賊達に向かっていく。盗賊達は、先ほどの水筒攻撃で度肝を抜かれたのか……少し後に下がって様子を窺っている。
だが、相手はたった一人の少女。それをいつまでも恐れていては、盗賊達の名が廃る。盗賊達は手に手に短剣を構えると、一斉にヨシに斬りかかった。
その様子を見て、ヨシは呆れたように言う。
「単純〜。ま、わかり易いっちゃ、わかり易いけど」
そう言った後に、のんびりと足元に落ちていた小石を拾う。そして、二〜三個拾った頃に、盗賊達が目の前に迫っているのが見えた。盗賊達は、一時に短剣を振り下ろす。
その瞬間、
跳んだ。
足にバネでも仕込んであるんじゃないかと疑いたくなる程、ヨシは軽やかに跳躍してみせた。そして、大道芸のように空中で一回転。着地態勢を取る前に、拾った小石やら先ほどニナン救出の際に利用した小石の残りなどを、次々と盗賊達に投付ける。
小石は全て盗賊達の眉間に当たり、脳に衝撃が走り軽い脳震盪を起こしたらしい盗賊達はその場に崩れこんだ。それを着地しながら確認すると、ヨシは言う。
「え〜と……ひのふの……あと四人か。屋敷で確認した限り、全部で二十人から三十人くらいでしょ? ……で、私が来るまでにワクァが二十人くらい戦闘不能にしておいてくれて、今私が一人鼻血ブーの六人脳震盪で合計七人戦闘不能にしたから……うん、計算が合うわね」
確認を取るようなその呟きが終わった後、ヨシは不敵な笑みを浮かべて盗賊達に問う。
「……で? 次はどうする? 私はワクァみたいに甘くないから、手足を傷付けて戦闘不能……なんて生優しい事はしないわよ。やる時は徹底的にやるから、覚悟が出来た奴だけ掛かってらっしゃい!」
その目は、鬼か修羅か……如何見ても戦闘慣れした者の目だ。その目を見て、盗賊達は思わず後へ下がった。
「なっ……何だこの小娘……なんだってこんな……」
頭らしき男が、呟くように言った。すると、松明で照らしていた手下の一人が「あっ!」と思い出したように言う。
「頭! あの小娘の髪……見てください! あの色は……」
言われて、頭はヨシの髪を見る。そして、やはり「あっ!」という顔をした。
「……あのオレンジがかった金色の髪……バトラス族か……!」
その呟きを聞き逃さず、ヨシは嫌そうな顔をすると言う。
「あら、やっぱり盗賊団ともなると戦闘民族には詳しいのね? 自分はバトラス族かもしれないとか思い込んでたどっかの誰かさんとは大違いだわ」
その、どっかの誰かさんは現在意識不明の重体なので、クレームが来る事は無い。だが、そのバトラス族発言は確実に盗賊達に衝撃を与えたようだった。
「バトラス族……!?」
「あの戦闘民族で……どんな武器の素質も持っているって言う……!?」
それを言われて、ヨシは更に嫌そうに顔を顰めた。
「あんまりその名前を出さないでくれない? 私あんまり好きじゃないのよねー……あの一族」
だって酷いのよ? あの一族にいると子供の時から戦闘訓練ばっかりやらされるし、しょっちゅう移動してるから落ち着きが無いしテント暮らしだし。
そりゃあ一族を抜け出して、街で暮らしてみたくなったりもするわよ。
そう愚痴りながら、ヨシはバトラス族の証であるライオンの鬣色をしたみつあみをピン! と手で掬い、跳ね上げた。
そして、はぁ〜っと溜息をつく。
「ま、こんな事アンタらに愚痴っても何にもならないわね。人間、親と生まれる場所……それに、本名だけは自分で選ぶ事ができないんだから」
そう言って右手の人差し指を上に向け、チョイチョイと盗賊達を挑発するかのような動きをしてみせる。「かかってこい」の合図だ。
その態度に腹が立ったのか、頭らしき盗賊は仲間を鼓舞するかのように叫ぶ。
「何をビビってんだ野郎ども! バトラス族っつったって、相手はたかが小娘……それも、丸腰じゃねぇか! あらゆる武器の素質を持つって言ったって、肝心の武器が無けりゃそんなに戦える筈もねェ! 飛礫だって、来るのがわかってりゃ簡単に喰らうわけがねェ! 俺達アルビア盗賊団が、こんな小娘一人にやられるわけがねェんだ! それがわかったなら、さっさとかかれっ!!」
その言葉に励まされたのか、盗賊達は改めて短剣を構えると、ジリジリと取り囲むようにヨシに近付いてきた。頭も併せて四人の男がゆっくりと近付いてくるのを見て、ヨシは呆れた口調で言う。
「……懲りないって言うか、学習能力が無いって言うか……普通戦闘再開しようとか考える? 一度も自分達が有利になれなかった上に、相手が戦闘民族だって事までわかってんのよ?」
そう言いながら、鞄に手を突っ込む。取り出したのは、木の葉で包まれた食料らしき物。米の粉か小麦粉か……そんな物で作られているのだろう。白くてベタベタした、腹持ちの良さそうな団子状の塊だ。
「台所で作ってた非常食、一包み貰っといて良かったわ〜」と言いながら、包まれていた卵大の団子らしき物体を五〜六個まとめて巨大な塊を作る。更にそれに水筒から多少の水を加えて柔らかくする。そんな一連の作業を、ほんの十数秒でこなすと、彼女はそれを惜しげも無く投げた。
ここまで思い切り良く食べ物を投げられるというのも、ある意味凄い。
そしてもっと凄いのは、投げた塊が寸分違わず盗賊の一人の顔にベチャッと嫌な音を立ててヒットしたという事だ。水を含み柔らかくなっている塊は、男の顔で苦も無く拡がり、目や口、鼻を完全に塞いでしまった。
しかもベタベタしている為、簡単には顔から剥がれない。当然息苦しくなってもがく男を見て、ヨシは自分の手にこびり付いた団子の一部を擦り落としながら、わざとらしく言う。
「あらあら大変。それって、もの凄く通気性悪いのよね〜。それを喉に詰まらせて亡くなられるご老人が毎年百人単位でいるくらいだし。早く取らないと、窒息死しちゃうわよ〜」
悪びれずにさらりと言い放つその顔は、まるで悪魔の微笑だ。盗賊達がその顔に戦慄を覚えていると、ヨシは更に鞄の中を漁りながら言う。
「どいつもこいつも勘違いしてるようだけど、バトラス族が強いのは別に全ての武器を扱えるからってワケじゃないのよね〜。だってそうでしょ? どんな武器でも使えるってだけじゃ、私みたいに丸腰でいる時とか戦闘中武器が壊れた時……それに、武器の材料である鉄が不足してる時なんかは完璧役立たずじゃない? 特に旅をしてる時って、無駄な物は持ち歩かないのが鉄則だものね? その状況に合わせた手頃な武器が無い事なんて日常茶飯事だわ。それでなくてもバトラス族は戦闘民族であると同時に遊牧民族でもあるワケだし……あんまり沢山武器を持ってても、邪魔なだけなのよね」
そう言って、手を鞄から引っこ抜く。その手には、夜道を歩く時使うのであろうランプとマッチ。それに、そろそろ洗濯した方が良いであろうと思われるボロタオルが握られていた。
ヨシはボロタオルをランプの中に突っ込むと、中に入っている油をタオルに勢い良く吸わせた。
そして、シュッという軽やかな音を立てて、マッチを擦る。明々と燃えるマッチの火に照らされながら、ヨシはニヤリと微笑んで言う。
「バトラス族の本質は、どんな物でも武器に変えてしまい、更にどんな状況でもそれを使いこなす戦闘技術とセンスにあるわ。バトラス族は好きじゃないけど、このどんな物でも再利用して使おうって根性だけは気に入ってるわね」
そう言うと、ランプに突っ込んだタオルにマッチで火を点ける。そして、その火がランプの中に達しないうちに、盗賊達に向かって勢い良く投げ付ける。
即席の火炎瓶が宙を舞う。油を吸ったタオルはすぐに燃え尽き、狭いランプの中酸素を補給できない火はたちまち燻った。
これでは火炎瓶の意味が無いように思えるが、それでもヨシは慌てる事無くその飛んでゆく様を見守っている。
ランプは盗賊の一人に直撃し、またもや脳震盪の原因となる。
盗賊に直撃したランプはガラス部分が割れ、中の火が剥き出しになった。剥き出しになった火は急に大量の酸素に触れ、あっという間に巨大な炎となる。巨大な炎は唸りを上げ、辺りを激しく照らした。
残すは、頭と手下が一人……合計二人だ。その二人に、ヨシは言う。
「これだけ森が燃えてりゃ、街の人達も流石に様子を見に来るでしょ。早く火を消さないと危ないものね。アンタ達二人で、街の人達に私を加えた人数に勝てる? 私に言わせて貰えば、逃げた方が賢明ね。それだけの人数でかかってきても私一人に勝てなかったんだから、人数が増えたら尚更勝てる筈がないわ」
そう言いながら、ヨシはニナンとワクァの元へ下がる。盗賊達が逃走する際、二人を人質に取らないように……という配慮だろう。
勝算は無い。恐らく、これ以上戦っても被害を被るばかりだ。そう判断した頭は、手下に目で合図をするとその場から退避した。
ワクァやヨシに倒された、二十人以上の手下を放置して。そんな盗賊達の後姿を見ながら、ヨシは呟く。
「……ま、この炎じゃ逃げ道は一本しか無いし……逃げたところでどうせ捕まるんだろうけどね。……にしても、予想以上に派手に燃えたわねぇ〜……ま、良いか。あいつらが火を点けたって事にしておけば」
さらりと非道な事を言うヨシを唖然と見詰めていたニナンは、やがて口を開くと恐る恐る尋ねた。
「お姉ちゃん……強いんだねぇ……」
言われて、ヨシは一瞬きょとんとした後にニッと笑って言う。
「そうね強いわよ。けど、剣だけで言えばワクァの方が強いんじゃないかしら? 私は色んな武器の訓練を受けたけど、ワクァは剣の訓練しか受けてないでしょ? かけた時間が長い分、ワクァの方が強いわよ、きっと」
そう言った後、思い出したように言う。
「そうそう、ニナンくん。お姉ちゃんがバトラス族だって話、皆には黙っておいてね? 特に、ワクァには。さっきも言ったけど、お姉ちゃん、バトラス族があんまり好きじゃないから……バトラス族って見られるのが嫌なんだ」
バトラス族は野蛮で貧しい戦闘民族だ……というイメージが強いから。そう言い足そうとして、ヨシは口を噤んだ。そんな大人の勝手なイメージは、まだ七歳かそこらのこの子供に教える必要は無いじゃないか。そう、思ったから。
そんなヨシの心中は知らず、ニナンは頷いた。
「うん! 絶対に言わないよ!!」
その言葉ににっこりと微笑んで頷き返すと、ヨシは言った。
「さ、早くワクァを屋敷に連れて行きましょ! このままじゃ、冗談抜きで死んじゃうわ!」
そう言って、血の気が完全に抜けて真っ青な顔になったワクァを肩に担ぐ。ニナンは、ワクァの代わりに彼の愛剣であるリラを大事そうに抱えた。
二人は屋敷に向かって走り出した。
森を燃やし続ける炎は、まるで夕方のように紅く空を焦がし続けていた。