アフレコ倶楽部大宇宙ボイスドラマノベライズ

復讐ドナーカード














一ヶ月前……息子が死んだ。

殺されたんだ……とある、男の手によって。

なのに、その男は……。





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ややくたびれた感のある、二階建ての木造建築。その一階にある畳敷きの部屋に、鈴の音が鳴り響いた。

部屋の一角には、こじんまりとした仏壇。そこに、二つの位牌が並んでいる。片方は、少々古い。そしてもう片方は、真新しい。

「竜也……」

二つの位牌に……いや、真新しい位牌に手を合わせ、木村龍介は力無く呟いた。線香の香りが充満した部屋の中、龍介は二つの位牌を見詰める。

一つは、五年前に病気で他界した妻の物。もう一つは……一ヶ月前に他界した、息子の竜也の物。

家族三人で仲良く暮らしてきたこの家に、今はもう、龍介一人しかいない。にじみ出た涙を右手の甲で拭った時、玄関のチャイムが鳴った。

「……誰だ? こんな時間に……」

暗い窓の外を見て、暗い声で呟いてから。龍介は立ち上がり、玄関へと向かう。

「はい?」

扉を開けると、そこには黒いスーツをピシッと着こなした、細身の男性が立っていた。顔に微笑みを浮かべてはいるが銀縁眼鏡の奥に見える目は笑っていない。どこか、不吉な印象を与える男だ。

「初めまして。木村龍介さんですね?」

「そうですが……どちら様で?」

訝しんで龍介が問うと、男は「あっ」とわざとらしく声をあげた。懐から皮の名刺入れを取り出し、一枚差し出してくる。

「失礼しました。私は、こういう者です」

「……日本復讐提供推進協会復讐ドナーカード指導部、長谷部……復讐ドナーカード?」

名刺を片手に、龍介は首を傾げた。すると、男――長谷部は意外そうな顔をする。

「おや? ご存じありませんか? ……そうですね、まだ導入されてからそれほど日は経っていませんし、ご存じない方がいらっしゃっても無理はありません。むしろ、そのために私のような指導部の人間が派遣されるのですから」

「だから? 結局、何の用なんです?」

苛立たしげに、龍介は長谷部を睨んだ。これ以上、わけのわからない話を聞かされたくない。

「こっちは忙しいんだ。戯言に付き合っている余裕は……」

「木村さん……息子さんの仇を討ちたいと思った事はありませんか?」

「……!」

目を見開き、息を呑む。そんな龍介の様子に、長谷部は満足そうに頷いた。

「目の色が変わりましたね。……良いですね、実に正常な反応です。愛する者を突然奪われて、ショックを受けない者はいない。だが、ご存じの通り……現行の法律では、遺族は自らの判断で犯人を裁く事ができない……それどころか、近頃では死刑廃止の動きも高まってきている。……そうですね?」

長谷部の問いに、龍介は苦々しげな顔をしながら頷く。脳裏を、息子の顔が過ぎった。

「……そうだ。……何故だ? 何故……竜也はあの男に理不尽に命を奪われたというのに、あの男は法律に守られてのうのうと生きている……何故そんな事が許されるんだ!?」

「……そう。いわゆる死刑反対論者は、加害者の人権ばかりを主張し、被害者の人権を考えようとしない」

そう言って、長谷部はまた頷いた。それから「ですが……」と言葉を継ぐ。

「最近、少しだけその動きが変わってきました。被害者の人権も尊重するべきだ、被害者が復讐を望むのであれば、叶えてやるべきだ……とね。そこで生み出されたのが、この復讐ドナーカードです。……ドナーカードの意味はご存知ですね?」

「勿論だ。ドナーとは、提供。つまり、生前に自ら望んでおけば、死後にその臓器を困った人のために提供する事ができる……あ、つまりその……復讐ドナーカードとは……」

頷き。自らの持つ知識を述べてから、龍介は凍り付いた。その先の言葉が、口から出てこない。代わりに長谷部が、「そう」と言って言葉を引き継いだ。

「復讐ドナーカードとは、遺された者に復讐を提供するカード。このカードを持つ者は、カードの裏に一人だけ、名前を書く事ができます。万が一自分が不慮の事故や事件で亡くなってしまい、しかも犯人が罪相応の罰を受けずに済んでしまいそうな場合……自らに代わって犯人に復讐する事ができる人間の名前をね」

そう言って、長谷部は先ほどの名刺入れの中から、もう一枚、カードを取り出した。先ほどの名刺とは、明らかに色が違う。赤黒い、血を連想させる色だ。

「このカードに名前を書かれた人間は、被害者を死に至らしめた犯人に限り殺す事を法的に許されます。勿論、復讐で殺された犯人が復讐ドナーカードを持っていたところで、そのカードは無効です。自業自得ですからね。要は、江戸時代の仇討制度と同質の物であるとお考え下さい」

「そ、そして……そんなカードの説明をする長谷部さんが我が家へ来たという事は……」

龍介の言葉が震える。長谷部は、「えぇ」と言ってカードを裏返して見せた。氏名欄に、「木村竜也」と手書きで書かれている。忘れもしない、竜也の筆跡だ。

「息子さん……木村竜也さんは、この復讐ドナーカードを所持していたんですよ。裏に書かれた名前は、木村龍介さん。つまり息子さんは、父親であるあなたを復讐の代行者として選んだのです」

「竜也が……復讐を望んでいると……?」

長谷部は「はい」と言って、カードを龍介へと手渡した。竜也の筆跡が書かれたそのカードは遺品だと言わんばかりに、龍介は大事そうに押し戴く。

「だから私が来たんですよ、木村さん。……もっとも、代行者に選ばれたあなたが復讐はしたくないと仰れば、勿論復讐は成立しません。被害者の望みと、代行者に選ばれた者の望みが一致して初めて、復讐ドナーカードは効果を発揮するのですから」

「私……私、は……」

龍介は、少しの間だけ考えた。そして、顔を上げると、長谷部を真っ直ぐに見詰める。

「やります。やらせてください。息子の……竜也の仇を討たせて下さい!」

龍介の訴えに、長谷部は微笑みを浮かべたまま頷いた。手元で、ピッと言う音が聞こえる。よく見れば、長谷部の手の中に小さなICレコーダーが見えた。龍介が「代行者になる」と宣言した事を証明するためなのだろう。

「被害者と代行者の望みが一致……ですね。では、早速指導に移らせて頂きます。……木村さん、あなた、銃を扱った事は?」

「勿論、ありません。私はしがない、一介のサラリーマンですから」

突然の問いに、龍介は首を横に振った。すると、長谷部は特に困った様子も無く、「そうですか」と言う。

「それでは、後で銃の使い方も指導して差し上げましょう。銃ほど確実に相手を殺せる道具はありませんからね」

「……お願いします」

頭を下げる龍介の前で、長谷部が手帳を取り出した。パラパラとページをめくり、中ほどで止める。

「それでは、銃の指導の前に、復讐相手の確認をさせて頂きます。ターゲットの名前は、酒井明。竜也さんと同じ会社に勤める同僚で、竜也さんとは金銭及びその他のトラブルがあったらしい。動機的にも状況的にも彼が犯人である事は間違い無いにも関わらず、証拠不十分で釈放……そうですね?」

問われた瞬間、龍介の顔が怒りに歪んだ。握られた拳が、震えている。

「……そうです。そいつが、竜也を殺したに違いないんだ。なのに、証拠が無いというだけで……!」

長谷部が、宥めるように「木村さん」と呼び掛けた。

「その怒りは、復讐をするその時まで取っておいてください」

そう言うと、すぐに「さて」と言って話題を切り替える。

「江戸時代の仇討と言えば、相手の所在地を自らの足で調べるところからやらなければいけないわけですが……そんな事をしていてはとても効率が悪い。そこで、犯人である酒井明の所在地や、行き付けの場所といったデータはあらかじめこちらで調べておきました。このデータを活かせるかどうかは、あなた次第」

「……ありがとうございます。助かります」

頭を下げる龍介に、長谷部はまた、微笑んだ。相変わらず、目は笑っていない。

「それでは、銃の扱い方をお教えしましょうか。竜也さんの復讐を完遂するためにね……」





# # #





木造平屋の住宅に、チャイムの音が響いた。ガラガラと音を立てながら引き戸が開き、機嫌の悪そうな男が顔を出す。

「誰だ?」

その瞬間、チャッ、という音がした。男の目の前に、冷たく光る黒い物体が突き出される。それは、映画やテレビドラマなどでお目にかかる事のある銃だ。

「……酒井明、だな?」

「! あ……アンタは……!」

銃を突き出す男――木村龍介の顔を見て、酒井明は驚愕で目を見開いた。驚いたのは、龍介の顔を見たからだけではない。龍介の目が、充血して真っ赤に染まっている。

「よくも……よくも竜也をっ!」

叫ぶや否や、龍介は発砲した。乾いた音と共に放たれた弾は、酒井のこめかみからわずかに逸れ、玄関引き戸の木枠を砕く。

「ヒッ……! あわ、わ……」

恐怖で口をパクパクと開閉させる酒井を前に、龍介は舌打ちをした。

「外したか。だが、次こそは……!」

言いながら、龍介は再び銃を構えた。酒井の顔が、紙のように白くなる。

「まっ……待ってくれ! 待って! 俺は別に、木村を殺すつもりは無かったんだ! 助けてくれ! 殺さないでくれ……頼む!」

必死にまくし立てる酒井を、龍介は冷たい目で眺めた。引き金にかけた指に、力を込める。

「その言葉……地獄で竜也に言ってみろ!」

そして再び、銃弾は放たれる。弾は今度もわずかに逸れ、鴨井に穴を穿つ。

「ヒッ……ひぃぃぃっ!」

引き金を引いた反動で龍介が少しだけ体勢を崩したその隙に、酒井が逃げ出した。部屋着とサンダルという走り難い姿のままだが、元々運動神経が良いのだろう。その姿が、どんどん小さくなっていく。龍介は、再び舌打ちをした。

「逃げ足の速い……待てっ!」





# # #





龍介と酒井、二人による、命を懸けた鬼ごっこは続き。いつしか二人は、大通りへと駆け込んでいた。多くの車が行き交い、道行く人々は必死の形相で走る二人を何事かと遠巻きに見詰めている。

「待て、酒井!」

「くそっ、しつけぇっ! おらっ! 道を開けろ! 殺されてぇか!」

凶悪な顔で怒鳴る酒井に怯え、人々は蜘蛛の子のように散っていく。道を阻む者が無くなった酒井は、真っ直ぐに交差点へと突っ込んだ。多くの車が急ブレーキをかけ、非難のクラクションがそこかしこで響き渡る。

「うるせぇ、うるせぇっ!」

叫んでから、酒井はニヤリと笑った。「けど、良いぜ」と呟く。

「そのまま道を詰まらせろ! あいつを足止めするんだ!」

「そうはいくか!」

すぐ後に迫っていた龍介が、連続で銃弾を放った。弾は酒井の前方を通過しようとしていた大型トラックのタイヤやサイドガラスに当たる。トラックはクラクションを鳴らしながら蛇行し、電信柱に激突した。酒井が、何台もの車に囲まれたような格好となる。

「マジかよ……こんな……」

呆然と呟く酒井のこめかみに、龍介は銃を突き付けた。

「悪あがきは、ここで終わりにしてもらおうか」

酒井の顔が、恐怖で引き攣る。そんな彼を、龍介は冷たい目で見下した。

「竜也の日記には、お前の名前が何度も出ていたぞ。人生を心から楽しんでいるように見える竜也の日記が、お前の名前が出てきた時だけは酷く沈んでいた。お前が……お前がいなければ竜也は……!」

「ま、待て! 竜也を殺した罪は、一生かけてでも償う! だから、殺さないでくれ! 頼む! 俺はまだ死にたくないんだ! 助けてくれ!」

必死に命乞いする酒井を、龍介はゴミでも見るような目で見詰めた。そして無言のまま、銃の引き金を引く。距離無しでの射撃だ。今度は、外しようが無い。

更に命乞いをしようとしていた顔のまま酒井は頽れ、息絶えた。まだ硝煙を吐き出している銃が収まった手を下ろし、龍介は吐き捨てるように言う。

「何をやっても竜也が帰ってくる事が無い以上、お前にできる償いは死ぬ事だけなんだよ……」





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ややくたびれた感のある、二階建ての木造建築。その一階にある畳敷きの部屋に、鈴の音が鳴り響いた。

部屋の一角には、こじんまりとした仏壇。そこに、二つの位牌が並んでいる。片方は、少々古い。そしてもう片方は、真新しい。

「竜也……やったぞ。お前の仇はとった……。何だか、妙に心がすっきりとした気分だよ」

新しい位牌に向かって報告し。そして龍介は、苦笑した。

「殺人者とは言え、人を殺しておいて言って良い台詞じゃないか。……これからは、お前の菩提を弔いながら、静かに生きていくよ……」

穏やかな顔で呟いたその時、玄関でチャイムが鳴った。扉を開けてみれば、そこには黒いスーツをピシッと着こなした、細身の男性が立っていた。顔に微笑みを浮かべてはいるが銀縁眼鏡の奥に見える目は笑っていない。長谷部だ。

「こんにちは、木村さん。息子さんの復讐を見事果たしたようで……おめでとうございます」

「長谷部さん! ……いえ、こちらこそ、長谷部さんのご指導のお陰で、竜也の仇を取る事ができました。本当に、ありがとうございます」

相好を崩し、龍介は長谷部に向かって頭を下げた。その様子に、長谷部は薄く微笑む。

「いえ、こちらはただ、職務を全うしただけですから」

「職務と言えば……今日こちらにいらしたのは、やはりお仕事ですか? その、何と言うか……復讐のアフターケア的な?」

龍介の問いに、長谷部は首を横に振った。顔は、微笑んだままだ。

「今回はまた別の用件ですよ。復讐の代行者に道案内をしてここまで来た……それだけの事です」

そう言われて。龍介は、「え?」と表情を凍らせた。

「何を言っているんですか、長谷部さん? 代行者に道案内って……それって……え?」

混乱している様子の龍介に、微笑みを収めた顔で、長谷部は言った。

「木村さん……私、最初にご説明しましたよね? 復讐ドナーカードに名前を書かれた者は、被害者を死に至らしめた犯人に限り殺す事を法的に許される……と。当然、関係の無い人間を殺してはいけません」

「は? 何を言っているんですか? 私が殺したのは酒井だけで……」

すると、長谷部は肩をすくめて見せた。どこか、呆れた様子だ。

「覚えていないんですか? あなた、酒井を追っている時に交差点に飛び込んで……交通を混乱させたでしょう? その時、大型トラックが一台、電信柱に突っ込んでいます。運転席に座っていた男性は、首の骨を折って即死ですよ。……言っている意味、わかりますか?」

「わ、私が……酒井以外の人間も殺してしまったと……?」

龍介の肩が、震え始める。その時だ。コツコツ、というハイヒールの音が、ゆっくりと近付いてくるのが聞こえた。

「死亡した男性は財布の中に、復讐ドナーカードを所持していらっしゃいました。代行者に奥様を希望して」

「そ、そんな……そんな!」

認めたくない。そう言うように激しく首を振る龍介に、長谷部は淡々と、抑揚の無い声で言う。

「奥様は復讐を希望されました。……まぁ、そういうワケで、私がここまで案内してきたという事です」

そこで、ハイヒールの音が止まった。長谷部の肩越しに、女の頭が見える。

「木村さん、息子さんを突然失ってしまった絶望や哀しみはお察しします。ですが、だからと言って復讐に他人を巻き込んではいけません。じゃないと、ほら……復讐は復讐を呼んで、哀しみの連鎖を引き起こしてしまうんですよ。……まぁ、あなたは復讐ドナーカードを所持していませんし、所持していたとしてもこの場合は無効ですからね。家の中で殺せば、巻き込まれる人間はいない。今回はここで終わりというのが、不幸中の幸いですか」

「あ……あ……」

言葉を失くした龍介に、長谷部がにっこりと笑いかけた。今まで見た中で、一番温かな印象を与える笑顔だ。

「大人しく殺されてあげてください。復讐を果たしたあなたなんですから、代行者の気持ちは痛いほどよくわかるでしょう?」

「う……うわぁぁぁぁぁっ!」

龍介が絶叫をあげたその瞬間。静かな住宅地に、銃声が響いた。














(了)












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