フェンネル謎解記録帳~紅葉が描いた花








 カランコロンと、ドアベルが軽快な音を立てた。その音に、『フラワーショップ・フェンネル』の大学生アルバイト店員、間島和樹は「いらっしゃいませ」と言いながら振り向く。

 客は、幼い娘と母親の親子連れ。何度も来店している常連客で、母親の方は里山優花、娘の方は璃花という名前だ。璃花はたしか、五歳だったと思う。

「里山様、いらっしゃいませ。今日は、どのような花をお求めですか?」

 和樹が人好きのする笑顔で問うと、優花は挨拶を済ませ、くすくすと笑いながらしゃがみこんだ。璃花の肩に手を添えて、「実は……」と話を切り出す。

「璃花が、花屋のお兄さんにお手紙を見て欲しいと言い出しまして。ね、そうよね、璃花?」

 優花に促され、もじもじとしていた璃花は「うん」と小さな声で呟いた。そして、オレンジ色のポシェットから折りたたんだ画用紙を取り出し、和樹におずおずと手渡してくる。和樹は、しゃがみ込んでそれを受け取った。

「俺に手紙? ありがとう、璃花ちゃん。今ここで読んでも良いかな?」

 問うと、璃花は顔を赤くしてコクコクと激しく頷いて見せる。その様子に顔を綻ばせながら、和樹は折りたたまれた画用紙を開いた。さて、この五歳の女の子は、一体どんな手紙をくれたのか。

 

 すたです。たけこたんしてたくださたい。



「……」

 中身を見て、和樹の顔は笑顔を貼り付けたまま凍りついた。

 これは恐らく、アレだろう。和樹が知る中では最もわかりやすく、ヒントを与えられなくても大抵の人が解けてしまうであろう類の、あの暗号だ。

 紙の隅の方に、目の辺りが黒く塗りつぶされている茶色い四足の何かが描かれているので、まず間違いはあるまい。ただ、タヌキと思われる絵の横に、もう一つ何かが描かれているのが気にかかる。

 薄ピンク色の少しモコモコしている丸の中心に、黄色い丸が描かれている。花のように見えるが、何の花だろうか。

 何の花か訊いてみようにも、璃花のニコニコとした顔を見ると訊き辛い。ストレートに「何の花かわからないから教えて」と訊いて、この五歳の女の子を傷付ける事になりはしないだろうか。

 和樹が画用紙とにらめっこしながら唸っていると、後ろから店長の乾洋一が覗き込んできた。

「和樹君、何を唸ってるの? ……あ、里山様、璃花ちゃん。いらっしゃいませ」

「こんにちは。ほら璃花、店長さんに、こんにちはーって」

「……こんにちは」

 恥ずかしそうに呟く璃花に、乾は笑顔で「こんにちは」と返す。そして、再び和樹が手に持つ画用紙に目を遣った。

「和樹君にお手紙かな? ……あ、月見草。上手に描けているねぇ」

「……え?」

 乾の言葉に和樹は目を丸くし、璃花がパッと顔を輝かせた。

「乾さん。これ、月見草だってわかるんですか?」

 和樹が少し声を潜めて問うと、乾は「勿論」と頷いた。

「色とか形とか、すごく特徴を捉えてるじゃない。五歳でこれだけ描けるなら、将来は画家さんかな?」

 璃花の目が、どんどん輝きを増していく。そして彼女は、しばらく和樹と乾を見比べていたかと思うと、和樹の手から画用紙を回収した。それを、乾に手渡そうとする。

「あれ? 和樹くんじゃなくて、僕にくれるの?」

 乾が嬉しそうにしゃがみ、璃花から画用紙を受け取った。そして、「文字も上手に書けているねぇ」などと言いながら文字を読み始め、変な顔をした。

「……ねぇ、和樹君」

 潜められた声に、和樹は「来たな」と思う。

「この茶色いのは、タヌキだよね? この文章から、『た』を抜いて読めって暗号だよね?」

「……でしょうね」

 声を潜めて返すと、乾が唸る。

「けどさ……『た』を抜いて読むと『すです。けこんしてくさい』になるんだけど……」

「……五歳の子が考えた暗号ですから、『だ』は残してあげても良いんじゃないですかね?」

「それでも、まだ足りない文字があるよね? ……指摘して良いと思う?」

「駄目です。それも暗号なんで」

 きっぱりと言い切った和樹に、乾は「え?」と目を丸くした。そんな乾に、和樹は「ほら」と言う。

「さっき乾さんが、見事言い当てたじゃないですか。月見草を使った暗号ですよ、それ」

 あの絵が何の花を描いた物なのかがわかれば、あとは早い。そう言わんばかりに、和樹はヒントを述べた。

「月見草ですから、月を見ます。『つ』と『き』を見るんです」

 あとは察してください。そう言わんばかりの和樹に、乾は神妙な顔で頷いた。和樹が先ほど述べたように、五歳の子が考えた暗号だ。色々と暗号として成り立っていない部分は見逃してあげた方が良いだろう。そもそも今回のこれは、タヌキや月見草の絵が無くても、何が書かれているのか答えの想像がつく文章なわけであるし。

「『つ』と『き』を見る……と言うか、見たい。だから、文章のどこかにこの二文字を入れて……って事で良いんだよね?」

 乾が問うと、和樹はこくりと頷いた。璃花を見れば、目はキラキラと輝いているし、頬も紅潮している。解読の方向性は間違っていないようだ。

「『すです。けこんしてください』に、『つ』と『き』を入れる……うーん……どこに入れるのかなぁ? 『つすです。けこきんしてください』……違うなぁ」

 ちょっとだけ考えるふりをして、わざと間違った答えを言ってみたりして。璃花がわくわくしたりしょんぼりしたりしている様を、和樹、乾、優花の三人でしばし眺めてから、乾は「あっ」と叫んでみせた。

「こうかな? 『すきです。けつこんしてください』」

 璃花が、こくこくと激しく頷いた。その様子に、乾が「いやぁ」と嬉しそうに言った。

「『好きです。結婚してください』なんて、二十九年生きてきて初めて言われたなぁ」

「……最初に璃花ちゃんからお手紙貰ったの、俺なんですけどね」

 和樹が少し膨れて言うと、乾は「妬かない、妬かない」と笑って言う。

 そんな乾の手から、璃花は画用紙を回収した。

「……へ?」

 乾と和樹がぽかんとしていると、璃花は優花に向かって言う。

「ママ……あのね。まさとくんに、わたしてくるね……」

「駅の隣にある公園よね? ママもお花を買ったらすぐに行くから、それまでお兄ちゃん達から離れたら駄目よ? あ、それから車に気を付けて! 絶対に横断歩道を渡ること!」

「うん」

 小さく頷くと、璃花は乾と和樹に向き直る。

「かずきおにいちゃん、よういちおじちゃん、ありがとう!」

 それだけ言うと、画用紙をたたみ直してポシェットに仕舞い、璃花は店の外へと出て行ってしまう。車が来ない事を確認してから五メートルほどの横断歩道を渡り、駅の横――フェンネルから見て斜め向かいにある公園に入っていくのが、扉の窓から見えた。

 公園では、璃花と同じぐらいの歳から、小学生ぐらいの子どもまで。多くの子ども達が遊んでいる。五年生ぐらいの子が遊んであげている子どもが何人かいて、その中にいる五歳ぐらいの男の子に璃花は駆け寄っていった。

「……えぇっと、里山様……?」

 唖然とした表情を戻す事ができないままに乾が首を傾げると、優花は苦笑しながら「すみません」と言う。

「好きな男の子にお手紙を書いたんですが、最近観たアニメで『暗号を解読するとプロポーズのメッセージが現れる』というシーンがあって、影響されちゃったんです」

「……それはわかりましたが、なんで最初は俺達に手紙をくれたんですか……?」

「『フェンネルの間島さんは頓智がきいて、どんな暗号でも解いてしまう』って話を、お隣の佐倉さんから聞きまして。それで、自分の考えた暗号がちゃんと解けるのか、間島さんに解いてみてもらいたい! って聞かなかったんです」

「なるほど。それで最初は、和樹君に手紙を渡したんですね。……え、じゃあなんで、その後は僕に?」

 乾が首を傾げると、和樹が悔しそうに頬を膨らませた。

「乾さんが、璃花ちゃんが描いた花を一発で月見草だと見抜いたからじゃないですか? それで、俺よりも乾さんの方が暗号を解いてくれそうだと思ったのかと」

「あ、なるほど……」

 納得し、そして乾と和樹は二人揃って肩を落とす。どんな形であれ、フラれたというのは、心に響く。

「本当にすみません。お仕事の邪魔をしてしまった上に、失礼な事をしてしまって……」

 本当に申し訳無さそうな顔をしながら、優花はレジ横でいくつかの種を選び、レジ台へと置いた。種の中には、月見草も含まれている。

「……あ、月見草」

 和樹が呟くと、優花は笑って頷いた。

「えぇ。せっかくですから、家で育ててみようと思いまして。自分が暗号に使った花を育てるとなったら、璃花もきっと喜びます」

「良いですね。璃花ちゃんなら、一生懸命お世話してくれそうですし」

 表情を取り戻した乾が、種を紙袋に詰めていく。その間に和樹は優花から代金を受け取り、おつりを渡した。

「それじゃあ。ありがとうございました」

 おつりと種を受け取った優花は、軽く頭を下げると店から出ていった。斜め向かいの公園で、璃花と合流するのだろう。

 ドアベルが奏でるカランコロンという音を聞きながら、和樹はぽつりと呟く。

「知ってます、乾さん? 小さい子の手って、『紅葉のような手』って言うそうですよ」

「へぇ。たしかに小さい子の手って、紅葉みたいだよねぇ。……で?」

 それがどうしたの、と問われ、和樹は肩を竦めた。

「いえ、特に意味は無いんですけど。急に思い出したので」

「あ、そう……」

 がっくりと肩を落とし、乾は仕事に戻っていく。和樹も同様に、仕事に戻った。

 鉢植えに水を遣りながら、ふと、先程買われていった種を、璃花は喜んでくれるかな、と思う。

 ……いや、考えるだけ無駄な事。乾や優花が想像した通り、きっと喜んで、一生懸命世話をしてくれる事だろう。

 花が咲いたら、またあの紅葉のような手で絵に描くのかな?

 想像しながら口許を綻ばせ、和樹は次の鉢植えに水を遣ろうと、視線を移した。












(了)













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