フェンネル謎解記録帳4~贈る言花~









贈る言花








前篇








夜が完全に明ける前の、薄暗い寝室。そのベッドの横にあるパソコンの前で男は真剣な表情で画面を見詰めていた。右手はマウスを握ったまま。左手には本を持っている。

男は時折マウスから右手を離し、代わりにペンを持った。黒いインクで、液晶画面の光に照らされているメモ帳に何事かをさらさらと書き記していく。

徹夜作業だったのだろうか。大きな欠伸が出た。

二度三度と欠伸を噛み殺しながら、男はメモ紙にペンを走らせ続ける。やがて、紙の三分の二程度が文字で埋まったところで手を止めた。

何度かメモを見直し、「よし」と呟く。そして、車のキーを手に、立ち上がった。





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『地域初の大型ショッピングモールのオープンに居合わせようと、早くも多くの人が列を作っています。それでは、開店前のお店をちょっとだけ覗いてみましょう』

バックヤードに置かれたテレビから、リポーターのウキウキとした声が聞こえてくる。今日は平日だというのに、朝からショッピングモールに並ぶ人間が大勢いるらしい。

「そりゃ、サービス業だと平日休みの人の方が多いだろうし、本当に行きたいから休みを取る人だっているでしょ。あとはほら、和樹君みたいに講義の無い曜日がある学生なんか、近所に大型ショッピングモールができた、なんて言われたら行くでしょ、大半は」

「俺、今こうしてバイトに来てますけど、急遽休みにして学生らしくここ行ってきて良いですか?」

少しだけ膨れたような顔で、花に水をやりながら和樹が言った。すると、バックヤードで書類の整理をしていた乾が「ご冗談を」とおどけた様子で笑う。

「シフトに入る事を了解してくれたからには、入ってもらわないと。まぁ、今回はショッピングモールのオープンと、講義の無い日が被った事に気付かなかった和樹君自身を恨んでください、という事で」

「ちぇーっ」

苦笑しながら、水をやり終えた和樹はジョウロを用具入れに片付ける。乾も笑いながら書類をトントンと整え、棚に仕舞った。何だかんだと言いつつ乾もオープンしたてのショッピングモールが気になるのか、テレビの電源は入れたままだ。

時間は十時を少し過ぎたところ。開店したばかりのフェンネルには、窓から陽の光がさんさんと降り注いでいる。

カランコロン、と、ドアのベルが鳴った。本日最初の客の到来に、和樹と乾ははっと振り向く。そして、にっこりと笑った。

「いらっしゃいませー……」

そして、その笑顔はすぐに凍り付いた。

「何だい、その顔は。折角朝早くから客が来たってのに、失礼なんじゃないのかい?」

朝一番の客は、佐倉だった。

佐倉はな……フェンネルの常連にして、難問を持ってくる事で恐れられている年配の女性である。

「い、いえ……決してそんな……その、佐倉様、本日はどのような花をお求めでしょうか?」

しどろもどろになりながら接客を始める乾に、佐倉は「ふん!」と鼻を鳴らした。

「悪いけど、今日用事があるのは私じゃないよ。……そこのあんた!」

佐倉に指を指され、和樹はびくりと震えあがった。

「は、はい。何でしょうか?」

「あんた、たしか頓知がきくんだったね」

以前和樹は、佐倉の求めた無理難題に近い要望に、半ば強引な解釈を付けて何とか応えた事がある。その時の事を言っているのだろう。

「いや、頓知がきくかと言われたら、まったくきかないタイプではないと思いますけど、ご期待に添えるほど頭が回るかと言われますと、その、何と言いますか……」

「ごちゃごちゃと煩いねぇ。良いから、この子の相談に乗って欲しいんだよ」

そう言って、佐倉は店の中にずんずんと入ってくる。その後ろに、四十前後の女性が続いた。

「えっと……?」

「室井露子といいます。いつも、母がご迷惑をおかけしているようで申し訳ありません」

「娘さんですか!?」

乾が素っ頓狂な声をあげると、佐倉がじろりと彼を睨み付けた。

「何だい。私に娘がいたらおかしいってのかい?」

「い、いえ……そういうわけじゃ……」

佐倉に娘がいた事はそれほどおかしくないが、娘も佐倉と同じようなキャラだったら……という事を懸念しているのだろう。しかし、それを言ったところで失礼な事にかわりはない。

「いいから、さっさと話を進めとくれ。露子、この若造にさっきの紙、見せてやんな」

「はいはい」

溜め息を吐きながら頷くと、佐倉の娘――室井は、ハンドバッグの中から一枚の紙切れを取り出した。小さな紙だ。一辺が破り取られたようになっている。恐らく、メモ帳か何かから破り取った紙なのだろう。

室井から差し出されたそれを、和樹は流れに逆らえず受け取った。半分に折られていた紙を広げ、中を見る。



ツユクサ たくさん

アルストロメリア 四輪

イチゴ 一輪

ウツボグサ 八輪

ガーデンダリア・ミッドナイトムーン 六輪

ツキミソウ 二輪

トチノキ 七輪

モンツキヒナゲシ 三輪

リュウキンカ 五輪



カキツバタの絵が描かれたメッセージカード



「……何ですか、これ……」

紙から目を放し、和樹は眉根を寄せて室井に問うた。後ろから覗いていた乾も、怪訝な顔をしている。

植物の名の羅列。丁寧な文字で、横書きに書かれている。真っ白な紙なのに、方眼紙にでも書いたかのように文字が綺麗に揃っているのが驚きだ。

カキツバタの絵が描かれたメッセージカード、という言葉だけ、一行分空けて書かれているのが気にかかる。

一見花屋の買い物メモだが、それにしたって少々妙である。

「夫が出掛ける時に忘れていったみたいなんですよ。……変ですよね。花の関連性が見当たりませんし、トチノキなんて木だし……」

そう……一見植物の名が並んでいて、花屋で何を買うか記した物に見える。……が、たしかに花は咲くが花というよりは木のイメージが強い物、果物のイメージが強い物もあり、違和感がある。サイズがまちまち過ぎて、花束にするのも難しそうだ。

「あの……旦那さんは、何故こんなメモを? どこに行かれる際に忘れていかれたんですか……?」

「知りませんよ!」

室井が、急に声を荒げた。そのあまりの落ち着きの失いっぷりに、和樹と乾は揃ってびくりと体を強張らせる。二人の様子に、室井は「すみません……」と肩をすくめた。

「今朝、六時に私が起きた時にはもう出掛けた後だったんです。それで、玄関にこれが落ちていて……」

六時に既に家を出ていたとなると、やや早いように思える。だが、仕事の都合で早くでなければならない日もあるだろう。今日は平日なのだから、可能性は高い。

なら、このメモの意味を仕事から帰った旦那さんに訊けば良いではないか。もし仕事で必要な物かもしれないと思うのなら、すぐにメールなり電話なりしてみた方が良い。

そう、乾が言うと、室井は激しく首を振った。どこか苛立たしげだ。

「今日は、有休を取ってたんですよ。てっきり、結婚記念日だから休みを取ってくれたんだと思っていたのに……!」

どうやら、乾は非常にまずい事を問うてしまったようである。

「えぇっと……俺にはまだわかりませんけど、結婚記念日に一緒に過ごしてくれないのって、やっぱり嫌なもの……なんですかね……?」

言った途端、和樹は室井に睨まれた。佐倉もどこか呆れた顔をしつつ、和樹の事を睨んでいる。

「旦那が結婚記念日に、仕事でもないのに自分の事を放っておく。それだけならまだ良いですよ。問題は、どこに行ったのか、です!」

そう言って、室井は和樹が手にしているメモを指差した。

「どう見ても花屋に花束を買いに行くメモじゃないですか! 車に乗って出掛けてまで買うなんて、誰に贈る花束なんだか……」

ここまで言われて、和樹はやっと、室井が何を言いたいのか察した。どうやら彼女は、旦那の浮気を疑っているようである。

「いや、それでしたら……結婚記念日に、室井さんに贈る為の花束と考えるのが普通では……」

「結婚して十八年! 今まで結婚記念日を祝ってくれた事なんて無いんですよ! それが今年は有休を取ったって言うから、どういう風の吹き回しかと思っていたのに!」

段々ヒートアップしていく室井を宥めつつ、和樹は改めてメモを見た。

花の名前に統一性は無い。指定された数も、花束のバランスを考えて決めたとは考えにくい。……というか、この場合のイチゴとは白い花の事で良いんだろうか。食用の部分の方が可愛いとか考えていないだろうか。大体、ツユクサをたくさん、とはどういう事なのだろうか。

「数……数か……」

ふと、何かが頭を過ぎったのだろう。和樹がぽつりと呟いた。その様子に、乾が「おっ」と興味深げな顔をする。

「その様子だと、スイッチが入ったみたいだね? ひょっとして、もう答がわかりかけてたりする?」

問われれば、和樹は難しそうに「うーん」と唸った。

「わかりかけた……というか、多分わかった……と思うんですが……」

「わかったんですか? もう!?」

「でも……〝が〟?」

佐倉と室井が同時に目を見開き、それに続いて乾が怪訝そうな顔をする。乾は、和樹の歯切れの悪さが気になるようだ。

「パッと見はわかりやすい暗号になってるんですよ。けど、何て言いますか……それだけじゃなさそうと言うか、これだけでは物足りない感じがすると言うか……」

どうにも煮え切らない。そして、その物足りない部分が埋まらない限り、和樹は現時点で解けている暗号の答えも教えてくれそうにない。発表する時は全部まとめて、というのが和樹なりのこだわりらしい。

ならば、自分が解いてみせようと乾もメモを見て考え込む。だが、悲しいかな、和樹が解けたらしい最初の段階にすらたどり着けない。

男二人で唸っていると、それをかき消すようにカランコロンとドアベルが軽快な音を立てた。

「いらっしゃいま……あれ?」

音に振り向いた和樹が、首を傾げる。出入り口には、和樹と同じ大学、同じゼミで学ぶ三宅友美が立っていた。

「三宅さん? 今日は講義がある日じゃなかったっけ?」

和樹は全く講義が無い日だが、三宅は教養の講義を入れていたはずだと、和樹は言う。三宅はまず乾に挨拶を済ますと、和樹の記憶を肯定するように頷いた。

「教授の急用で、休講になったのよ。それよりも……間島君?」

少しだけ困惑した顔で、三宅はバッグから一冊の本を取り出した。掲げて見せたその表紙から、それが花の図鑑だとわかる。

「同じ講義を取ってる子から、間島君に返しておいて、って頼まれたんだけど……」

その女子学生は、和樹や三宅とは違うゼミだ。しかし、今日の講義とはまた別の講義で、和樹と一緒になるらしい。

「……何で花の図鑑?」

大学生が貸し借りする本のイメージではない。乾が首を傾げると、和樹はたはは……と苦笑して見せた。

「講義が始まる前に、女子が花言葉の話題で盛り上がっていまして……。それで、色々な花言葉も載っている花の図鑑を持っている、ってアピールしてみたんですが……「じゃあ貸して」で終了しました」

「……相変わらずだね……」

呆れた顔で乾が言えば、三宅はため息を吐きながら図鑑の背表紙で軽く和樹の頭を小突いてくる。

「……これ、前にうちの店で買ってくれた図鑑よね? 買った人の自由とは言え、自分が売った本が下手なナンパの道具に使われたって思うと複雑だから、こういうの、やめてくれる?」

「あ、はい……すみません……」

思わず敬語になって縮こまる和樹に、三宅は再度ため息を吐いた。それからふと視線を上げ、「あっ」と声を上げる。

「接客中だったんですか? 済みません、割り込んじゃって……」

三宅が慌てて佐倉達に頭を下げた。特に機嫌を悪くした様子も無く、佐倉は「構わないよ」と言った。

「この男どもの頓知を試しに来たようなもんだしね。それに、行き詰まってたんだ。あんたが来て喋って、良い息抜きになっただろ」

「頓知?」

首を傾げた三宅に、皆で交互に事態を語って聞かせる。佐倉や室井にしてみれば、考えてくれる人間が一人でも増えて欲しいといったところなのだろう。

女性三人が話しているうちに、和樹は三宅から返された花図鑑をパラパラとめくった。ひょっとしたら、何かヒントが見つかるかもしれない。

そして、その勘は当たっていたのだろうか。突如和樹は、「あっ!」と短く叫んだ。

「なっ……何何何?」

乾が飛び上がるかのような勢いで振り向き、女性三人も和樹に視線を遣る。だが、そんな事は意にも介さず、和樹はもの凄い勢いで図鑑のページをめくり始めた。

図鑑を確認し終わったかと思えば、レジの下に収納している備品の植物図鑑を取り出し、またページをめくりだす。そして、それでも足りなかったのか、最後にはバックヤードの中へと入ってしまった。

乾が中を覗いてみれば、何やらパソコンで検索している。指はもの凄いスピードでキーボードの上を滑り、画面が目まぐるしく切り替わっていく。その傍らで、時折右手でペンを取り、メモ紙に何事かをどんどん書きつけていく。

やがて和樹はペンを止め、メモを片手に立ち上がった。「よし」という短い呟きに、明るい色が見える。

「その様子だと、和樹君……」

期待に満ちた目で乾が名を呼ぶと、和樹はニッと笑い、そして頷いた。

「えぇ、何とかわかりましたよ。俺の推理が間違っていなければ、ですけど……室井さんの旦那さん、随分思い切った花束を作ろうとしていたみたいですね」

言いながら、和樹はバックヤードを後にする。和樹の言葉の意味を考え、そしてわからなかったのか、乾が首を傾げながらそれに続いた。











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