フェンネル謎解記録帳1
~愛しき花~
後篇
それから二日後。ドアベルがカランコロンと軽快な音を立てた事に気付き、和樹は振り返った。ドアから入ってきた二人を認め、にっこりと笑う。
「お、時間ぴったり。流石は三宅さん、文学ゼミの頼れる姐御!」
「姐御っていうのは関係無いでしょ? ……って言うか、姐御っていうのやめてくれない?」
不機嫌そうに言う三宅に、和樹は「ごめんごめん」と言いながら苦笑した。そして、「さて」と言って場を仕切る。
「みんな揃った事だし、花が枯れないうちに、あのメモの説明をしようか」
「花って……やっぱり、あのメモに書かれていたのは花の名前だったんですか?」
児玉の問いに、和樹は「うん、そう」とあっさり頷いた。そして、メモを取り出して眺めながら説明を始める。元々書かれていた「た」の文字は、既に二重線で消されている。
「……みずのとみのとしさんどめのひのえさるのひつちのととりのひみずのといのひのはな……これだけだと、長過ぎて何のことかさっぱりわからない。どこも区切られてないしね。だから、まずは読んで理解しやすくなるように、どこかで区切っていく必要があるわけだ」
「……と言われても……一体どこを? 最後の「はな」の前で区切るんだろうなって事はわかるけどさ」
乾に言われ、和樹は頷いた。
「ただ漠然と見ただけだと、他に区切る箇所は無いように見えますよね? けど、よく見てください。……みずのとみのとしさんどめのひのえさるのひつちのととりのひみずのといのひのはな……この文章の中に、同じ文字の羅列が、四か所あるんですよ」
「え……?」
言われて、和樹を除く三人は額を寄せてメモを覗き込んだ。
「……みずのとみのとしさんどめ……あっ! 本当だわ。「の」と「ひ」が続く箇所が、四つある」
和樹は頷き、話の続きに戻る。
「……という事は、「のひ」という言葉で、一旦区切る事ができるんじゃないかな? ……と考える事ができるわけなんだ。「のひ」の前で区切るのか、後で区切るのか……だけど、それは……」
「あ、「のひ」ってひょっとして。きょーは何の日? 魚の日~♪ の、「の日」?」
スーパーの鮮魚コーナーで流れている歌だろうか。ノリ良く歌い上げた乾に、三宅がどこか冷たい視線を向ける。
「歌わなくても良いですよ……。……となると、「のひ」が終わるごとに区切って……」
頷いて、和樹はエプロンのポケットからボールペンを取り出した。そして、文章の中に読点を書き込んでいく。ついでに、「ひ」は横に「日」と書き足した。
みずのとみのとしさんどめの日、のえさるの日、つちのととりの日、みずのといの日、の花
「どう? 何か、見えてこない?」
問われて、三人は「うーん……」と唸った。やがて、三宅が「あ」と呟く。
「この「つちのととりの日」っていうのは、どこかで聞いた事があるかも……」
「……そう言われてみれば、僕も。……どこで見たんだったかな?」
次いで、児玉が「あっ」と小さな声で叫んだ。
「ひょっとして、十干十二支……」
和樹が「そう」と言って頷いた。
「昔の人は、十個の干と、十二支で年月日を表していたんだよね。十二支は知っての通り。十干は……甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戊(つちのえ)、己(つちのと)……えーっと、あとは……」
「庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)……です」
「そうそう! さっすがー!」
嬉しそうに言い、そして和樹は児玉に問う。
「多分、藤原さんが病室で読んでるって本にも、こういう単語は出てくるんだよね?」
「はい。秀くんの専門分野です。……あ!」
言ってから、児玉は少しだけ驚いた顔をした。それに、和樹は頷いて見せる。
「そういう事。この干と、十二支を一つずつペアにしていくんだよね、確か。例えば、己、酉(とり)、とか、癸、亥(い)って具合にさ」
「そう言えば、高校時代にちょっとだけ習った事があるかもしれないな。十と十二で数が合わないから、余った十二支にはまた一から干を当てていく。両方がぴったりペアを組み終わると、全部で六十組できあがってるんだっけ?」
「あ、そっか。ワンペアを一年と考えて、一周するのに六十年かかるから、六十歳で還暦なんだっけ」
思い出した知識を口にする乾と三宅に、和樹は「そうそう」と同意した。
「……で、話がずれたから元に戻すんだけど。「のひ」で区切ると、この十干十二支が姿を現すんだよね。己酉の日、癸亥の日……多分、その上は丙申(さる)の日だと思う」
そう言って、和樹は最初の「日」の字にバツを書き、「ひ」に戻した。それから、改めて漢字に書き直す。
みずのとみのとしさんどめの丙申の日、己酉の日、癸亥の日、の花
「最初のこれ。丙や丁じゃなければ、こんな紛らわしい事にはならなかったんだろうけど……これだと、単語の中に「のひ」って羅列が入っちゃうからね」
苦笑しながら、和樹は右手でボールペンをくるくると回す。訂正が終わったメモを見ながら乾が「ひょっとして……」と呟いた。
「一番最初も、十干十二支かな? ほら、癸巳(み)の年……となると、残る言葉は「さんどめの」……三度目……三回目?」
癸巳の年三度目の丙申の日、己酉の日、癸亥の日、の花
「……だと思いますよ」
和樹は頷き、「ちなみに」と言葉を足した。
「インターネットで調べてみたんですけど。今年、2013年が、丁度この癸巳の年でした」
「じゃあ、丙申の日とか、己酉の日っていうのは……?」
三宅の問いに、和樹は誇らしげに「それも検索済みだよ」と胸を張った。
「……「三度目の」って言葉が書かれてるって事は、一周で60日の十干十二支が、既に二周は終わってるって事。つまり、2013年になってから、121日以上が経過していて、尚且つ180日以内である期間で丙申の日、己酉の日、癸亥の日に当たる日を調べれば良いって事になる。でもって、今年そこに当たる日は、5月30日、6月12日、6月26日になる」
その説明に、乾が「ちょっと待って」とストップをかけた。気にかかる事がある、という顔だ。
「三度目、ていうのが、丙申の日だけにかかってるって可能性は? 己酉の日と癸亥の日は、一周目にあたるとか……」
「それだったら紛らわしいから、それぞれに「一度目の」って書き足すと思うんですよね。そもそも、三度目を先に書いて、一度目を後にするって不自然じゃないですか?」
「あ、それもそうか……」
頭を掻く乾を尻目に、和樹は「……というわけで」と言いながら視線を三宅と児玉に遣った。その顔は、どこか楽しそうだ。
「このメモに書かれているのは、さっき挙げた日の事で良いと思う。それで……何月何日の花、って言われたら、何か思い出さない?」
問われて、少し考えて。児玉が「あっ」と目を丸くした。
「ひょっとして……誕生花、ですか?」
「そうか! ……え、でも、何で三日も? 児玉さん、この中のどれかが誕生日だったりする?」
三宅の問いに、児玉はふるふると首を横に振った。
「いえ、どれも違います」
児玉の言葉を受け、三宅は不可解そうな顔をした。そして、「大体」と言いながら視線を和樹へと向ける。
「誕生花なんて、本によって全く違う事が書いてあったりするわよ? 同じ日なのに、ジャスミンだったり、花菖蒲だったり……」
「……それ、もしかして三宅さんの誕生日?」
乾の問いに、返事は無い。和樹が、三宅の言葉に対して「うん」と頷いた。
「確かに、誕生花って本によって書いてある花が全く違ったりするよね。ネットで調べてみても、そうだった。……けど、入院していて気軽にインターネットができない藤原さんが参考にすると考えられるのは、一冊しかないよね?」
「あ……!」
思わず大きな声を出し、児玉は恥ずかしそうに口元を手で隠した。三宅も、目を丸くしている。
「それって、ひょっとしなくても……児玉さんがうちの店で買った、花の図鑑!!?」
「そう。だから俺も、三宅さんに頼んで、全く同じ本を買ったってわけ。そうしたら、予想通り。この本には誕生花や花言葉まで、一覧で載ってたよ。……読んでみて、驚いたなぁ。誕生花って、同じ日に二種類や三種類あてはめる事もあれば、同じ花を別の日にあてたりもするんだね」
乾が、「同じ花を別の日……」と呟いた。
「じゃあ、その。さっきの5月30日、6月12日、6月26日っていうのは……」
和樹は、頷いた。
「はい。全部に、同じ花の名前が記載されていました。それが、これです」
言いながらバックヤードに入り、花束を一つ、持ってくる。薄紫色の小さな花が一枝に集まっている。それを、何本も束ねて作った花束だ。そして、児玉に差し出す。
「……この花は?」
問う児玉に、和樹はにっこりと笑って見せた。
「ライラック。和名は、ムラサキハシドイ。春を象徴する花の一つで、庭木や鉢植え、切り花としても非常に人気がある花なんで……用意するのは、そんなに難しくなかったかな」
「これが、秀くんが欲しいと思っている物、なんですね……」
児玉の声が、心なしか震えている。それを安心させるように、和樹は頷いた。
「……俺の推理に、間違いが無ければね」
児玉の顔が、パァッと明るくなった。そして、勢いよく頭を下げる。
「あ、ありがとうございます……! きっと、秀くんも喜びます!」
そんな児玉に、和樹は「良いって、良いって」と言いながら手をヒラつかせた。
「お礼は良いから。早くそれ持って、行ってあげなよ。花が綺麗に咲いているうちにさ」
「……はい!」
頷き、児玉は代金を支払うと慌ててドアから出て行った。カランコロンと、ドアベルが軽快な音を立てる。その後ろ姿を少し心配そうに眺め、三宅もドアから出て行こうとする。
「……私も、ついていこうかな。児玉さん、ものすごく嬉しそうだけど、その反面、ものすごく緊張もしてるみたいに見えるし」
「あ! 三宅さんは行かない方が良いよ!」
慌てて止める和樹に、三宅は「何で?」と首を傾げた。和樹は、少々言い難そうに頭を掻く。
「えーっと……児玉さんには言わなかったんだけどさ……ライラックっていうのは英語での名前なんだけど……実はあの図鑑、他にフランス語の名前も書いてあったんだよね?」
「フランス語の?」
乾も首を傾げ、和樹は「はい」と頷いた。
「ライラックのフランスでの名前は……リラ、っていうんだそうです」
「リラ? リラって……え?」
乾が、目を丸くする。和樹は少しだけ照れくさそうに言った。
「そう。児玉さんの下の名前……りら、でしたよね? ちなみに、リラ……ライラックの花言葉は愛の始まり、だそうです」
「じゃあ……!」
三宅が、目を輝かせた。それに苦笑し、和樹は頷く。
「……花を持って行った児玉さんに、藤原さんが何て言うか……簡単に想像がつくね。たぶん、こうだよ」
「りら……よくわかったね。そう……僕が欲しかったのは、この花だ。……けど、本当に欲しかったのは、このリラじゃない。僕が欲しいのは、花のリラじゃなくて……児玉りら、君の事だよ……」
「え……?」
「りら……体の弱い僕の事をいつも心配してくれて、ありがとう。いつも僕の暗い病室を明るく照らしてくれる、君の事が……好きだ。僕は、君が欲しいんだ、りら……!」
「秀くん……!」
「……みたいな?」
逞しい想像力を披露した和樹に、三宅は少々呆れた顔をした。
「それは……ちょっとクサ過ぎじゃない? 言わないわよ、そんな事」
「そうかな? けど、似たような事なら言うんじゃないかな?」
意外にも同意した乾に、和樹は「ですよね! そう思いますよね!」と嬉しそうに言った。その様子に、三宅はまたも呆れた顔をする。
「はいはい。……でも、そっかー。そういう事だったんだ」
そう言って、三宅は少しだけ頬を染めた。
「……良いなー、自分に見立てた花で、プロポーズかぁ……」
その様子に、乾が「お」と目を輝かせた。
「やっぱり三宅さんも、そういうシチュエーションに憧れたりする? ……だったらさ、和樹君」
「? はい?」
振り向いた和樹に、乾は店頭の花を指差した。
「三宅さんに一輪、花を選んであげなよ。それくらいなら僕がおごってあげるからさ。三宅さんに見立てて、これって奴を」
その言葉に、和樹と三宅はそろって「え?」と驚いた顔をした。
「乾さん……」
三宅は、どこか嬉しそうな顔をしている。三宅にウインクをしてみせ、乾は視線を和樹へと遣った。和樹はたくさんある花の前で、腕組みをして唸っている。
「うーん……いざ自分が選ぶとなると……あ、これなんてどう?」
そう言って、和樹は三宅に、白とピンクが交じり合ったような花を差し出した。それを見て、三宅は首を傾げる。
「え? これって、ツツジ……?」
「いや、これはツツジじゃなくて……同じツツジ科のシャクナゲだね」
乾の言葉に、和樹は頷いた。
「そう、乾さんの言う通り。これはツツジじゃなくて、シャクナゲ。花言葉は……威厳」
「へぇ、威厳。………………は?」
三宅が、怪訝な顔をした。その後では、乾が額に手を遣りため息をついている。それに気付かず、和樹は「どうだ」と言わんばかりに言った。
「だってさ、ほら。三宅さんって、何か威厳あるじゃない? ゼミ生の中でも、特に威厳に満ち溢れてるよね?」
「……」
「……っ!」
乾が再びため息をつき。三宅の顔が一気に紅潮し。
次の瞬間、パーンという乾いた音が店内に響き渡った。
「最っ低!」
短く言い放つと、三宅は頭から湯気を出さんばかりの勢いでドアから出て行った。カランコロンという軽快なドアベルの音が空しく鳴り渡り、あとには乾と、顔に見事な紅葉マークを描かれた和樹だけが残された。
「あぁ、これはまた、良い音がしたなぁ……」
言いながら、乾は同情する目で和樹の頬を眺めた。和樹と三宅、どちらに同情しているのかはわからない。……両方か。
和樹はしばらく呆け、そして気付いたように頬に手を遣り、「わけがわからない」という顔をして乾の顔を見た。
「……え? 乾さん、俺……今、何で引っ叩かれたんですか? ……え? え??」
おろおろとドアと乾を交互に見る和樹に、乾は三度ため息を吐く。
「……和樹君さぁ……もう少しデリカシーがあれば、モテそうなのになぁ……」
四度目のため息をつき、乾は「さて、仕事仕事……」と言いながらバックヤードへと入っていく。一人残された和樹は、いつまでも「え? え?」と閉まったドアを見詰めていた。
(了)