ドラゴン古書店 読想の少女と二匹の竜









第1話■読想の少女<1>■









 竜王の谷。人々からそう呼ばれている、人里からそれほど離れていないその場所に、一軒の古書店がある。店の屋号は、ドラゴン古書店。その名の通り、ドラゴンが経営している古書店だ。

 店に常駐しているのは、双子の兄弟ドラゴン。兄は赤色、弟は緑色の表皮が特徴だ。人間の三倍ほどの身の丈に紺色のエプロンを装着した姿は、見た目による恐ろしさを半減してくれている。

 店の建物は、巨人族でも余裕を持って通れるように大きく作られている。店内に据えられた書架の中身も豊富だ。だが、書を綴る、という行為は主に人間族が好む作業であるため、収蔵されている書物のサイズは人間用の物がほとんどだ。

 そんな古書店に、今日もまた客と思わしき者が一人。人間だ。

 この古書店内は、基本的に不干渉地帯となっている。どんな種族でも利用でき、そして店内での争い事はご法度。禁を破れば、ドラゴン兄弟からの折檻が待ち受けている。

 だからこそ、人間や妖精など、小さな種族でも安心して利用できるのがこの店の強みだ。

 扉の開く音がすると、ドラゴン兄弟はそちらを見る。だが、「いらっしゃいませ」などと愛想の良い事を口にする事は無い。

 だから今回も歓迎の言葉を発する事は無かった……のだが。入ってきた客を見て、二匹は目を見開いた。

 入ってきたのは、人間の少女。夕陽を思わせる赤髪と、新緑のような色の目が印象的だ。恐らく十四、五歳ほどだろうが、痩せて小柄なためか、幼く見える。

 人間の客は、珍しくない。だが、ここはドラゴンが経営する、様々な種族が出入りをする店。安全だとわかっていても怖いとの声があり、若い娘の出入りは、それほど多くない。

 そんな店に一人で来た少女。一体どのような本を探しに来たのだろうと、ドラゴン兄弟も注目せずにはいられない。

 少女はしばらくの間、店の中を何とはなしに眺めていた。うろうろと歩き回り、棚を見上げて背表紙を見詰める。しかし、本を手に取ってみるという事は無い。

「何を探している?」

 痺れを切らし、弟ドラゴンが少女に問いかけた。

「……わかりません」

 ぼんやりとした表情で少女が呟き、弟ドラゴンは「は?」と苦い声を発した。そこで少女は、初めて困ったような顔をして、首を傾げた。

「あの、ここは竜王の谷……ですよね?」

 案内の看板を見ました、と言う少女に、二匹のドラゴンは頷いた。

「誰かから、竜王の谷へ行け、と言われたような気がするのですが……誰に、何のために言われたのか……」

「……何と言う……」

「なるほど、記憶喪失という奴か」

 弟ドラゴンが唖然とし、兄ドラゴンは珍しい物を見た、という顔で頷いている。

 そして兄ドラゴンは、一言断ると少女を掴み、会計机の上へと持ち上げた。ドラゴン兄弟の体格に合わせて造られた机は大きく頑丈で、小柄な少女が一人立ったぐらいではびくともしない。

 視線が近くなったところで、兄ドラゴンは少女に言う。

「このままでは埒が明くまい。まずはわかっている事が何かを確認する。それでどうだ?」

「なるほど、たしかに。兄者の言う通りだ」

 頷き弟ドラゴンは少女に問うた。

「娘。何か覚えている事はあるか?」

「弟よ。その問い方では、流石に娘が困ろうよ。何かを問う時は、『はい』か『いいえ』で答える事ができる質問にするべきだ」

 そう言って弟を窘めると、兄ドラゴンは少女に向かって問うた。

「娘よ。自身の名は覚えているか?」

 その問いに、少女はこくりと頷いた。

「はい。ニーナ、です。そう呼ばれていたと思います」

「そうか、ニーナ」

 頷きながら、兄ドラゴンは机の引き出しを開け、中をがさごそと漁り始めた。しばらくそうしていたかと思うと、二枚の紙を取り出して見せる。

「あった、あった。そう言えば以前、興味本位で人間の真似事をしてな。名刺という物を弟とそれぞれ作った事があるのだ。引き出しの肥やしにしてしまうのも勿体無いからな。娘、お前にやろう」

 名刺を渡された少女――ニーナは、一枚に目をやると、恐る恐るといった具合に声を発した。

「……ドラゴン、古書店……?」

「うむ。それはこの店の屋号だ。我らは種族の隔たり無く、不要となった本を買い取り、それを必要とする者に売る仕事をしている」

 弟ドラゴンの説明に、ニーナは「へぇ」と言うように頷いた。そして、名刺の続きを読む。

「店長……アインス……」

「それは、私の名だな」

 兄ドラゴンが言いながら、己を鋭い爪で指差して見せた。そして。

「勿論、店長というのは役職名だ。私の名ではないぞ」

 と、どこか茶化すような口調で言う。ニーナは「勿論わかっている」とでも言いたげに、少しだけ頬を膨らませた。そして、二枚目の名刺へと視線を移す。

 そこで、ニーナは首を傾げた。

「……どうした?」

 己の名刺に首を傾げられた弟ドラゴンが、不機嫌そうに問う。するとニーナは、ぽつりと言った。

「……読めません」

「……なんだと?」

 思わぬ答えに、弟ドラゴンは顔を顰める。兄ドラゴン――アインスも、不思議そうに顔を歪めた。

「私の名が読めぬ? ツヴァイ、だぞ? 一(アインス)に、二(ツヴァイ)。数字だ。数字など、読み書きの基本中の基本ではないか。『竜王の谷』の案内板に、屋号の『ドラゴン古書店』。それに、兄者の『店長』。それらが読めて、何故私の名が読めぬ?」

「何故と、言われても……」

 困り果てた様子のニーナに、頭から湯気を出しそうな弟ドラゴン――ツヴァイ。二人を交互に見てから、アインスは「ふむ……」と呟いた。

 アインスは会計机から離れると何冊かの本を取り出した。そしてそれらを抱えて戻ってくると、ニーナに向かって抱えていたうちの一冊を拡げて見せた。

「ニーナ。これは読めるか? このページの、ここからここまでだ」

 本の中身を指差され、ニーナは戸惑いつつもページを覗き込んだ。そして、つっかえながらも本に記された言葉を読み上げ始める。

「……はるか昔……。天地は繋がり、生者も死者も、その境界を容易く越えては互いの領域を行き来していた。しかしある時、人間の若者が天に住む女神に手を出した事で、状況は一変する。激怒した女神の父神は若者に地から離れられぬよう呪いをかけ、更に天と地の間には見えない壁を張り巡らせた。これにより、地から天へと向かう術は格段に減り、更に人間は空を飛ぶ事ができなくなってしまった……」

「創世に近い時代の神話ではないか。それを読む事ができるのに、簡単な数字を読む事ができぬわけが……」

「弟よ。しばし黙って、見ていてくれないか?」

 呆れたように言ってから、アインスはニーナに「止めて良い」と言った。それから、二冊目の本を開いて示す。

「次は、このページのここからここだ」

「えと……麗しき乙女は髪をなびかせ、風にもてあそばれる花弁のように舞い踊る。ああ、その美しさよ。なんという素晴らしさよ……」

「……ふむ……神話も詩も読めるか。ならば、これはどうだ?」

 そう言って差し出された三冊目の本を読もうとして、ニーナは首を傾げた。眉を顰め、困ったような顔をしている。

「……どうした? これまでの本と比べたら、難しい内容ではないと思うが……?」

 本を覗き込んだツヴァイが、訝しげに問う。しかし、ニーナはふるふると首を横に振り、言った。

「……読めません」

「……は?」

 唖然とするツヴァイに、ニーナはもう一度首を振って見せた。

「読めません。……と言いますか、その……一つ、思い出しました。私は字は読めないんです。一度も習った事がありませんし……」

「字を読む事ができない? ならば何故、今この本を読む事ができたのだ? 本だけではない。兄者の名刺や、案内板も……」

「読める物が文字とは限らないという事さ」

 ツヴァイの言葉を遮るように、アインスが呟いた。その声に、ツヴァイはアインスの方を振り向く。

「兄者……文字とは限らない、とは?」

 問われ、アインスは「ふむ……」と唸ると、少しだけ言葉を探す表情を見せた。そして、少しだけ照れ臭そうな顔をする。

「……弟よ。最後に読ませようとした本、お前はどのような本だと見た?」

「どんなも何も、答えようが無い。この本、装丁こそ立派だが、中身はただの日記ではないか。それも、どこのページを見ても『今日は一日やる事が無かった』だの、『今日も一日退屈だった』だの、毒にも薬にもならぬような事ばかり。……ただの日記と言ったが、それでは日記に失礼だな。訂正しよう。この本に、中身など無い」

 きっぱりと言い切ったツヴァイに、アインスは苦笑した。

「お前らしい、厳しい評価だな。……だが、たしかにそうだ。恐らくこの本は、特に書く事は無いが出版をしてみたかった人物が道楽で作った物だろう」

「道楽にしても、もう少し何か書く事は無かったのか……あ、いやその前に。何故このような本がこの店にあるのだ、兄者? こんな、誰にも買われずに棚のスペースを無駄に埋めてしまうような本を、何故置いている?」

「恥ずかしながら、これは店を始めたばかりでこの仕事に慣れていなかった頃、未熟な私がうっかり買い取ってしまった本だ」

「兄者が? このような本を?」

 ツヴァイが目を丸くしている。その様子に、アインスは「あまり驚いてくれるな」と笑っている。

「装丁の立派さと、新品同然の美本であった事に目が眩んでしまってな。今思えば、作ったは良いものの売れず処分に困ってしまった本を売りにきたのだろう。新品同然と言ったが、実際に新品だったわけだ」

 店に出してみたが、案の定、売れない。だが、この本が視界に入ってくる事で己を戒め、気を引き締める事ができる。そのような理由で置き続けているのだと、アインスは言った。

「戒めと言うが、もしもこの本を買いたいと言う酔狂な客が現れたら、躊躇わずに売るのだろう、兄者?」

「さて、どうだろうな?」

 いたずらっぽく笑ってから、アインスは「さて……」と呟いた。視線は、ツヴァイとニーナ、両方を捉えている。

「話を戻そう。ニーナが私の名刺は読めたのに愚弟の名刺は読めなかった事で、一つ思い付いた事があってな。それでこれらの本を読んでもらったわけだが……。その結果と、ニーナの『文字は読めない』という発言から、確信した」

 そう言って、アインスは視線をニーナに寄せる。ニーナは、目を逸らす事無く、アインスの視線を受け止めた。

「ニーナ。お前が文章を読む時は、文字ではなく筆者の想いを読んでいる。……違うか?」













web拍手 by FC2