葦原神祇譚
24
『闇を祓い、元の姿に戻しても……今の葦原中国が造化三神の意に染まなければ、結局結果は変わらない……』
『今度こそ、造化三神は徹底的に葦原中国を滅ぼそうとするだろうネ。闇を祓われて理性を取り戻している分、今よりもずっと厄介かもしれないヨ』
要と彦名の言葉が、耳の中で反響している気がする。
「じゃあ、瑛はまさか……」
『造化三神が理性を取り戻し切らず、そして攻撃力が弱まっている今のうちに……刺し違えてでも何とかしようとしているのかもしれないね。殺して黄泉に落とし、黄泉族化したところでもう一度殺せれば……造化三神も人間として生まれ変わる事になる』
人の身にしてしまえば、今ほど無茶苦茶な事はできないだろう、と。その為に、命を落とす覚悟なのだ。瑛は。
「そんな、事って……」
掠れた声で呟くが、言葉が続かない。瑛の気持ちも、わからないではない。けど、だからと言って造化三神を殺したり、瑛を死なせるのも何か違う気がする。……どうすれば良い?
『……っく』
悩む仁優の耳に、しゃくり上げる声が聞こえた。ハッとして、仁優は面を上げる。
『……兄上?』
困惑した天の声。そして、礼の泣き声が聞こえた。
『嫌だ……嫌だよ……。母様がまた死んじゃうなんて嫌だ。折角、生まれ変わって、また会えたんだよ? 折角、父様と仲直りできたんだよ? ぼくと、天ちゃんと、父様と母様で、仲良く暮らせると思ったんだよ?』
「……」
『……』
仁優も天も、言葉が無い。そして、悩む仁優の背を押すように、礼は言った。
『仁優兄ちゃん……母様を助けて。母様が死のうとしているなら、止めてあげてよ。……お願い……』
「……」
わかった、とも、できない、とも言わず、仁優は歩き出した。向かう先では、ウミが桃の枝を切り取り、木剣と変えている。未だ飛んでくる闇を斬り捨てる為だろう。
「……なぁ、ウミ」
「どうした、仁優」
背後からかけられた声に、ウミは動じる事無く応える。
「今更かもしれねぇけどさ……瑛から、目を離さないでくれ。それで……絶対に捕まえていて欲しい。……礼や天の為にもさ」
「……あれが、私の腕の中に大人しく収まっているような女だと思うか?」
自嘲しながら、ウミは瑛に視線を遣る。そして、「だが、そうだな……」と呟いた。
「今度こそ、失わない。二度と失ったりするものか……!」
「……そ、か」
どことなく安心したように言う仁優の眼前で、ウミは混沌の欠片を桃の木剣で斬り捨てた。欠片は既に、たまにしか飛んで来なくなっていた。そして、飛んできてもそれはとても小さく、速さも無い。戦闘慣れしていない仁優であっても、難無く避ける事ができる。
「もうそろそろ……だな」
言って、ウミは造化三神を見据える。それに倣って、仁優も造化三神を見た。混沌や闇が削れ、薄らとだが内側から白い光が見えている。あと少しだ。あと少しで、造化三神を正気に戻す事ができる。問題は、その前に瑛が玉砕覚悟で造化三神に捨て身の攻撃を繰り出すのではないか、という事だが……。
《オォォォォォォ……!》
造化三神が雄叫びをあげ始めた。これまでの小さな混沌を生み出してきたのとは違う様子で、ブルブルと震えている。完全に混沌から解き放たれる時が近いのか。
「……っ!?」
急に、背筋がぞくりとした。嫌な予感を覚え、仁優は前方を睨み付ける。
「仁優……?」
訝しみ名を呼ぶウミには応えず、仁優は走り始めた。みるみるうちに造化三神と、攻撃を仕掛ける隙を伺っている瑛が近付いてくる。
「……守川?」
駆け寄る仁優に気付いた瑛が、怪訝そうな顔をした。それを隙と見たのか。造化三神に纏わりついていた残りの混沌全てが一度に造化三神から離れ、そして肉食獣のように瑛に襲い掛かった。
「……っ!」
瑛は急ぎ銀の剣を構え直す。だが、それでは駄目だ。混沌は巨大な口のように、瑛を呑み込もうとしている。銀の剣で斬り捨てられるような大きさではない。
「瑛!」
「母様!」
誰の声だっただろうか。ウミ、天、礼、神谷、夜末の声は確かに聞こえた気がする。彦名と奈子、オロシとマドカにメノもひょっとしたら叫んでいたかもしれない。
わからないまま、仁優は混沌に呑み込まれようとしている瑛の元へ突っ込み、そして瑛を突き飛ばした。瑛が倒れ込み、そして仁優が混沌へと呑み込まれる。
「仁優様っ!」
メノが悲鳴をあげる。だが、その悲鳴によって混沌が消えるという事は当然無く。混沌は仁優と、そして再び造化三神を呑み込んだまま、山のようにその場から動かなくなった。