明後日から来た男
「こんにちは。明後日の貴女から『一昨日おいでください』と依頼されたので、明後日からやってきました。結婚してください」
門前でいきなりこんな事を行ってきた男に、私は寸の間も考えずに言葉を発した。
「一昨日おいでください」
そう言うと、男は特に怒るでもなく、「わかりました」と言って去っていく。
一日置きに発生するこのやり取りにすっかり慣れてしまっている自分に、私は思わず苦笑した。
……そう。一日置きだ。
あの男は、私が中学に上った頃から一日置きにやってきては、あのようにプロポーズをして、そして私に塩対応をされて帰っていく。
やり取りする言葉は、いつも同じ。
「明後日から来ました」
「一昨日おいでください」
よくもまぁ、毎回判で押したようなやり取りができるものだと我ながら感心してしまう。
それにしても、この男は本当に何者なのだろうか。
一度だけ……そう、初めてこの男が現れた時に、私はこの男が何者なのか問い質した。今思えば、中学に上ったばかりの女子が随分と肝の据わった事をしたものだ。
曰く、この男は未来……十年以上も先の時代で、私に一目惚れをしたらしい。そして勢いに任せて、告白もすっ飛ばしてプロポーズをしたのだとか。
それに対して、未来の私は「一昨日おいでください」と言ったらしい。すると、男はその言葉を額面通りに受け取った。
実は男は発明家で、なんと過去に戻れるタイムマシンを発明済みだったのだ。
そうして一昨日、つまり二日前に時間を遡り、二日前の私にまたもや同じ塩対応を受け、また一昨日に戻り……以降、延々と同じ事を繰り返しているらしい。
私が同じ対応をするのは、まぁ当然だろう。最初に男が現れた際にこの対応で退いてくれたわけだし。男の言う事を信じるなら、今までずっと「一昨日おいでください」と言われて律儀に二日ずつ時間を遡っているわけだから、この対応を続けていれば少なくとも間違いは起こらないのだろうと推測できる。
では、男は本当に未来から来たのか? 問われれば、確固たる証拠は無いのだけども……。十年以上経っても見た目が変わらない。どころか、心なしか若返ってさえ見える。
向こうは時間を遡るにつれて歳をとっているわけだから、私が未来へ進めば進むほど、若返っていくのも道理だ。
そんなわけで、なんとなく男が未来から来たというのは本当なのだろうと思っている。
しかし、実害は無いとは言え、十年以上一日置きに来られるのは流石にしんどい。
幸い修学旅行の時などは友人達にバレずに対処してこれたが、それも疲れてきた。幸か不幸か今までいなかった恋人ができた際に、どうやって説明しようかという点にも頭を悩ませている。
いっそ引っ越しでもしてしまうのはどうだろうか? 大袈裟な言い方になるが、歴史改変という奴だ。……いやでも、その引っ越し自体が未来から見て正しい歴史だったら? ……ややこしい。混乱してきた。
混乱した自分を落ち着かせようと、大きく息を吐く。それとほぼ時を同じくして、母が玄関まで様子を見に来た。
「あら、今日のノルマは終わったの?」
ノルマって。
……と言うか、ちょっと待って欲しい。その様子だと、あの男との異様なやり取りを知っているという事か?
未来から来た男に一日置きにプロポーズされていて困っている、なんて話は信じて貰えないだろうと思って親に話していなかったはずなんだけども。
そして、知っていたのなら何で今まで黙っていたのだろうか。
「ごめんねぇ。あと数ヶ月の辛抱だから、もうちょっと頑張って続けてくれる?」
「……は?」
何故、母が謝る?
何故、あと数ヶ月とわかる?
そして、何故もうちょっと続けてくれと頼まれる?
それらの疑問をまとめてぶつけると、母は「やぁねぇ」と言って笑った。
「忘れちゃったの? 明後日から来た、なんて言い出す男が現れたら『一昨日おいでください』って言うように教えたのは私でしょう?」
……そうだ。あまりに衝撃が強過ぎて忘れていた。たしかにあの数日前、母にその言葉を教えてもらったんだ。だからこそ、その言葉が咄嗟に出たんだろう。
「……なん、で……?」
乾いた声で私が問うと、母は少し照れ臭そうに言う。
「実はね。あんたが初めてあの人を追い払った後、あの人は更に二日前に遡ったのよ。ただその時はあんたの前には現れないで、門の前で悩んでいたの」
「悩んでた? なんで?」
「時間を遡り過ぎて、遂に中学生になるより前まで来てしまった。けど、流石にこれ以上幼くなったあんたにプロポーズするのも躊躇われるしどうしよう、って」
もう少し早く気付いても良さそうなものだけど。そう言うと、母は「そうよねぇ」と言って笑う。私にとっては笑い事ではないのだが。そこまで知っていて、何で今まで放置していたのか。
「それでね、買い物から帰ってきた私がそれを見付けて、お願いしたのよ」
「お願い? 何て?」
眉をひそめて問うと、母は思いもよらぬ事を言ってのけた。
「あと十五年、一気に遡ってくれって」
「……は?」
意味がわからず、私は首を傾げる。私が中学に上がる直前の時間から更に十五年も遡ったら、私は生まれていないではないか。それどころか、両親が結婚してすらいない。
「それからね、こうも言ったのよ。十五年遡ると、当時の恋人にフラれたばかりで傷心している私がいるから、慰めてくれって。娘と、若い頃の私は見た目がそっくりよって。一目惚れしたのなら、昔の私でも惚れてくれるんじゃないかしらって」
「……ちょっと待って。ちょっと待って?」
話に頭が追い付かない。
何で母は、わざわざ自分に矛先を向けるような真似をした? 夫と子がいる身なのに? 歴史が狂ったりしたら私が生まれなくなるかもしれないのに?
……あれ? けど今私が存在していて、両親の仲が睦まじく、それでいて母が一連のあれこれを承知しているという事は。
「まさか……」
呟いた私に、母はにっこりと笑って見せた。
「あんたが十年以上塩対応を続けてきた男の人ね、昔のお父さん」
「……」
開いた口が塞がらない。言葉も出ない。どこからツッこめば良いのかわからない。
……あぁ、でもそうか。だからこそ母は、時間を遡って自分のところへ行かせたのか。昔の母とあの男――父が出会わないと、私は生まれず、今の生活も消えてしまうから。
「お父さんが時間遡行を始めた日まであと数ヶ月。つまりあと数ヶ月すると、あんたは街中で昔のお父さんと遭遇するわけよ」
そして母は、こうも言う。
「良い? 絶対に今まで通り、『一昨日おいでください』を貫き通すのよ? 下手に対応を変えてお父さんが過去に行かなくなったら、最悪、あんたは消えちゃうんだからね?」
まぁ、たしかに……。
親が全てを知りつつこれまで何もしてくれなかった事に納得しつつ。十年以上続けてきた意味不明なやり取りがあと数ヶ月で終わるという情報に安堵しつつ。それと同時にちょっと寂しい気がしつつ。
首を傾げながら私は家の中に戻り、父の姿を探す。とにかく今は、結婚して即座に幸せ太りをして見た目が変わってしまったという父の顔を、凝視してやらなければ気が済まなかった。
(了)