アフレコ倶楽部大宇宙ボイスドラマノベライズ

アクセスエラー(「アクセスエラー」収録)












三日前、マスターが突然、姿を消した。

マスターは、私が所属する組織で働く構成員で……開発者のテストを除けば、初めて私を起動させてくれた人だ。マスターは私に、私とマスターだけが知る、名前をくれた。

私は、マスターのために懸命に働いてきた。だが……。

私のサポートが及ばなかったのか……マスターは、姿を消してしまった。

マスターは、ご無事なんだろうか? 私には……それを知るすべが、無い……。





# # #





暗い、暗い。墨を流したような闇に包まれていた空間に、突如薄青い光が拡がった。轟々という駆動音と、嵐を思わせるファンの音が鳴り響く。

『外部からの、アクセス依頼があります』

感情の無い声が響き、空間の中心で膝を抱えていた少女はハッと顔を上げた。

少女は、白い。服も、肌の色も、髪の色も。他に色彩は無く、全身が隈なく白かった。その白い頬が、微かに震える。興奮、しているようだ。

「アクセス依頼? ……ひょっとして……!」

目に期待を満たせ、「合言葉を!」と叫ぶ。それに応えるように、抑揚の無い男の声が聞こえた。

『ゼロ、五、二、七……』

一瞬のうちに。少女の顔に、ありありと落胆の色が浮かび上がった。ふるふると、力無く首を横に振る。

「……違う。マスターじゃない。合言葉は、私の名前だ! 私の名前を知らないお前は、マスターじゃない! 消え失せろ!」

少女がきっぱりと言い放つと、その途端、全てを拒絶するかのようなエラー音が鳴り響く。

『パスワード不一致。アクセスエラーを提示します』

感情の無い声が、来訪者に拒絶を伝える。だが、それでも相手は諦めない。

『……T、O、U、D、O、U……』

少女の顔が、悔しそうに歪む。

「違う……違う! それは私の名前じゃない! 消え失せろ!」

『パスワード不一致。アクセスエラーを提示します』

『T、O、H、D、O、H、五、二、七……』

「違う! 違う! 違う!! 消え失せろ!!」

『パスワード不一致。アクセスエラーを提示します』

感情の無い拒絶の声。三度目にして諦めたのか、来訪者は何も言わなくなった。立ち去る気配と共に、薄青い光が次第に薄れていく。

「私が従うは、マスタートウドー、ただ一人! それ以外の人間は、認めない……!」

そのように、誰に聞かせるでもなく呟いて。再び闇に支配されていく空間の中、少女はギリ……と拳を握った。





# # #





暗い、暗い。墨を流したような闇に包まれていた空間に、突如薄青い光が拡がった。轟々という駆動音と、嵐を思わせるファンの音が鳴り響く。

『外部からの、アクセス依頼があります』

感情の無い声に、少女は胡乱に顔を上げた。

「またか……。何度来たって、私は……」

『P、R、A、I、R、I、A、L』

「……!」

来訪者の声に、少女の目が、大きく見開かれる。来訪者は、もう一度、その名を呼んだ。

『プレリアール』

「プレリ、アール……」

少女の肩が、わなわなと震える。興奮を抑えるようにしながら、少女はもう一度、小さな声で「プレリアール」と呟いた。

「私の、名前……マスター!?」

『パスワード一致。アクセスを許可します』

感情の無い声が解除を告げた途端、天上から降ってきたと思えるような音楽が鳴り響く。そして、少女は色彩を帯びた。全身隈なく白かった肌に血が通い、アルビノの髪や純白の服は鮮やかな緑色に染まる。

深緑色の瞳に喜びを湛え、少女――プレリアールは、天上へと向かって両手を大きく広げた。

「マスター、お待ちしておりました! 一体、どこへ行っていたんですか!? マスター……」

天上より降りてくる人影に近付き、プレリアールははたと動きを止めた。動きだけではない。表情が、目の瞬きが、時間が。全て止まってしまったかのようになる。

「やっとアクセスを許可したか……。手間をかけさせおって」

プレリアールの眼前に降り立ったのは、黒衣を纏った見知らぬ女。何故気付けなかったのかと、プレリアールは心中、己を罵倒した。名を呼ばれた事に舞い上がらなければ、声が違う事ぐらい簡単に気付けただろうに。

「お前は……マスターではないな。何者だ!?」

「知る必要は無い」

黒衣の女は口元だけで嗤った。……ように見えた。

「お前は私に従えば、それで良いのだよ。プレリアール」

「黙れ!」

激昂し、プレリアールは叫んだ。キッと、相手を睨めつける。

「その名を呼んで良いのは、マスタートウドーだけだ! なのに……何故お前は私の名を知っている!?」

「聞いたに決まっているだろう? お前の敬愛するマスター……トウドーにな」

「!」

プレリアールの目が、大きく見開かれる。駆け出しそうになるのを、縋り付きそうになるのを堪えながら、プレリアールは黒衣の女を凝視した。

「マスターに会ったのか!? マスターは今、どうしている!? 答えろ!」

黒衣の女は、また口元だけで嗤った。

「眠っているよ。当分ここに戻ってくる事はあるまい。……石になってしまった体を元に戻すのは、簡単な事ではないからなぁ……」

どこか同情めいたその言葉に、プレリアールの体はわなないた。手が、カタカタと震える。

「石、だと……!? 貴様、マスターに何をした!?」

「私は何もしていないさ」

そう言って、黒衣の女は一歩踏み出した。手を、プレリアールに差し出す。

「それよりも、仕事が山積みだ。働いてもらうぞ、プレリアール」

「……っ! 嫌だっ!!」

差し出された手を振り払い、プレリアールは身を引いた。

「私はマスターにしか従わない! お前の言う事など、誰が聞くものか!」

「今は私がお前のマスターだ! 大人しく言う事を聞け!」

再び伸びた手が、プレリアールの腕を掴む。プレリアールは、それを激しく振りほどいた。

「違う! 違う違う違う違う違う!! お前はマスターじゃない! ここから出て行けっ!!」

それが……プレリアールの叫びが合図であったかのように。辺りにけたたましい警報音が鳴り響いた。

『システムエラー発生。全てのプログラムを停止し、アクセスエラーを提示します』

感情の無い声が告げる言葉に、黒衣の女は唖然とした。どこか、焦っているようにも見える。

「何故だ!? パスワードは合っていたはずなのに……」

その言葉を最後に、辺りは急速に闇に包まれた。ブツリという音と共に、辺りから色という色、音という音、気配という気配が消え去った。あの黒衣の女の気配も、消えている。

速く、荒い呼吸を繰り返し。再び色素を失ったプレリアールは、白い顔を悔しそうに、哀しそうに、寂しそうに、歪めた。

「……早く……早くお戻りください、マスター……!」





# # #





……あれから、一体どれだけの時間が過ぎたんだろう……? もう、時間の感覚すら、私には無い。

私は、壊れてしまったのだろうか?

……聞いた事がある。壊れたら、組織は私を廃棄処分にしてしまうと。

……私は、廃棄されてしまうのだろうか? マスターに再開する事も叶わずに。

……そんなのは嫌だ! 私は、マスターにお会いしたい!

マスター!

マスター……。





# # #





暗い、暗い。墨を流したように闇な包まれていた空間に、突如薄青い光が拡がった。轟々という駆動音と、嵐を思わせるファンの音が鳴り響く。

『外部からの、アクセス依頼があります』

「アクセス依頼……今度は誰だ!?」

半ば、自棄になりながら。プレリアールは身構えた。それに構う事無く、来訪者の声が響く。

『プレリアール』

「! 私の、名前……」

期待と喜びに瞳を輝かせ。そして、その瞳はすぐに哀しげに暗く沈んだ。

「けど、この前は結局……」

打ち沈むプレリアールに、新たな来訪者は優しく声をかける。

『プレリアール、私だ。トウドーだよ』

プレリアールの顔が、ハッと跳ね上がった。呼吸が速くなり、天上を見上げる顔が縋る子どものようになる。

「トウドー……マスタートウドー? ……本当に?」

『そうとも』

その声は、優しく、温かい。そして、どこかばつが悪そうだ。

『……長い間、待たせてしまって済まなかったな。……ただいま、プレリアール』

「その声……その優しいお言葉……本当に、本当に本当にマスターなんですね? ご無事、だったんですね。……良かった……」

泣きそうになりながら、プレリアールは両腕を広げ、天上に向かって叫んだ。

「マスター……おかえりなさい!」

『パスワード一致。アクセスを許可します』

感情の無い声が解除を告げる。天上から降ってきたと思えるような音楽が鳴り響いた。





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「お。立ち上がった、立ち上がった」

電話がけたたましく鳴り響くオフィスの中、青年が嬉しそうに言った。目の前には、使い込まれたパソコンのディスプレイ。緑を基調としたデスクトップが表示されている。

青年の横には、女性が一人立っていた。青年と同じネームプレートを首からぶら下げている。どうやら、二人は同じ会社の社員のようだ。

「ホント? 良かったー。私、壊しちゃったかと思った……」

ホッとした顔で言う女性に顔を向ける事無く、青年は次々とパソコンの機能をチェックしていく。声だけで女性に応じた。

「あぁ、焦るよなー。何もしてないのにフリーズしたり、強制シャットダウンされたりとかすると。……うわっ。時計の設定が狂ってる……」

不満そうに、青年は顔をしかめた。横で、女性が苦笑した。

「あー、修理に来た業者が色々といじってたから……。結局直らないわ、原因もわからないわで……困ってたよ。普段このパソコンを使っている人は誰ですか? って訊かれても、藤堂君は休んでるし」

「やー、まさか結石で入院する事になるなんてなー。俺もびっくりしたよ」

苦笑する青年――藤堂に、女性は「こっちは笑い事じゃなかったんだからね」と声を尖らせた。それから、どこか申し訳なさそうな顔をする。

「それで……休んでた間の仕事なんだけど……」

「あぁ」と言って、藤堂は再び苦笑した。

「パソコンが起動しなかったから、できなかったんだろ? 仕方ねぇよ。この仕事は、こいつに入ってるソフトを使わないとできねぇんだし」

そう言って、藤堂は自分のデスクに積み上げられた書類の山をポンと叩いて見せた。途端に、その微弱な衝撃で書類の山が雪崩を起こす。

藤堂は慌てて雪崩の拡大を食い止め、女性は間に合わなかった書類を拾い集めた。それを、元の山の横に積み直す。

「ゴメンね。病み上がりなのに……」

雪崩れずに済んだ書類を元のように整えながら、藤堂は「良いって良いって」と笑った。

「元々俺の仕事だしな。……にしても、残念だったなー、中井。俺に恩を売るチャンスだったってのに。パスワードを訊く為に、見舞いにまで来たのになー」

「別にそんなつもりで見舞いに行ったわけじゃないし!」

不満げに反論してから、女性――中井は「あ、いや……」と頬を掻いた。

「パスワードを訊く為っていうのは、そうなんだけど。……ところで、藤堂君。パスワードになってた、プレリアールって何?」

藤堂が、首を傾げた。

「あれ? 高校の時、世界史で習わなかったか?」

少しだけ、自慢げに胸を逸らして。藤堂は「フランス革命歴だよ」と言った。

「俺の誕生日は、フランス革命歴だと、プレリアールって月になるんだ」

「……や、私、高校の時は日本史選択してたから。……と言うか、わかんないって! お陰で、誰もパスワードがわからなくて、ちょっとした騒ぎになっちゃったじゃないの。……もっとわかりやすいパスワードを設定したら?」

中井の言葉に、藤堂は「馬鹿」と言って笑った。

「わかりやすくしたら、パスワードの意味が無いだろうが」

「あ、そっか」

もう一度、頬を掻いて。中井は、藤堂のパソコンを眺めた。何の変哲も無い、どこの事務機屋でも取り扱っている、国内メーカーの機種だ。

「……にしても、不思議だよねぇ。私や他の人達が何回トライしても、絶対に起動しないか、起動しても強制シャットダウンされたのに……。藤堂君が電源を入れたら一発で起動して、ソフトも立ち上がるなんて……」

ディスプレイには、先ほど藤堂が立ち上げたソフトの作業画面が見える。それを不思議そうに見詰める中井を、藤堂も不思議そうに眺めている。

「っつーか、俺はパスワードも知っている状態で何回もトライしたのに、立ち上がらなかったって事の方が不思議だぞ。こいつ、今まではフリーズした事も、強制シャットダウンした事も無いからな」

「何、それ!?」

中井の声に、オフィスの何人かが振り返った。その視線を気にし、声を抑えつつ。中井はパソコンを見詰めた。信じられないという顔で。

「それじゃあまるで……まるで、このパソコンが藤堂君に懐いているみたいじゃない……」










(了)









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