13月の狩人
第三部
22
「十三月の……狩人……」
「出ましたわね……」
声を絞り出して呟き、カミルはごくりと唾を飲み込んだ。レオノーラも、緊張した面持ちをしている。
だが、少々妙だ。
狩人は弓と矢を持ってはいるが、それを使う気配が無い。矢を弓に番える事すらしていない。
代行者が獲物を殺し損ねたから出てきたのであれば、攻撃する姿勢を見せないのは不自然だ。それに、攻撃をするつもりが無いのであれば……何故出てきた?
……いや、そもそも。代行者がしくじった時、狩人はまず代行者を狙っていなかったか? 四年前のカミルもそうだし、二年前にテレーゼが代行者を担った時にも狩人はフォルカーではなくテレーゼを狙ったと聞く。
ブルーノは逃げて行き、獲物であるテオの横に狩人がいる。一体、何故……?
テオはと言えば、突然現れたらしい狩人の姿に、腰を抜かしてしまっている。無理も無い。あんな影のような存在が目と鼻の先にいたら、多くの人間は恐怖を感じるだろう。
実際、カミルも今、狩人に対して恐れを抱いている。この十三月という世界を創り出し、カミル達を招き入れるほどの力を持つ者。そのプレッシャーは、半端なものではない。
そして、何より。四年前に、かの黒い矢で貫かれたという記憶が、カミルの体を震わせる。レオノーラも同様のようで、寒さを凌ぐようにカミルに縋りついてきた。彼女がこのような姿を見せる事は、珍しい。
狩人が、動いた。カミルは思わず身構える。しかし狩人はカミルにはまるで興味を示さず、テオの方に近寄っていく。
狩人の手に、何かが現れた。黒くない。筒状になっていて、どうやら紙を丸めた物だ。
ふと、カミルは似たような光景を見た事がある気になった。ただし、違う角度から。心臓が脈打ち、焦る頭で何とか思い出そうと記憶の糸を手繰る。
そして、思い出した。北の霊原に辿り着いたその日に見た夢だ。黒い影が自分に迫り、嗤ったかと思ったら、何かを手渡された。その何かとは……。
「リストだ……。獲物のリスト……」
呆然と、呟いた。
今、狩人の手に現れたあれは、来年の十三月に招かれる獲物のリストだ。恐らくあれに、テレーゼやフォルカーの名も記されている。
あの夢はきっと、忘れてしまっていた自分の体験を思い出したものだったのだ。一つを思い出したからか、その後の記憶も次々と蘇ってくる。
あのリストを受け取った時、テオは……カミルは、己が次の代行者に選ばれた事、代行者の役割を全うするとどうなるのか、己は何をすべきなのかを知る事になる。
そして一年をかけて魔道具を準備し、テレーゼ達には何一つ相談せぬまま、来年の十三月を迎える。その中でテレーゼ達を騙し、襲い、負けて、そして……。
カミルの性格上、代行者のするべき事を知ったら恐怖で動けなくなるかもしれない。……などと考えるのは早計だ。実はこの時点で、カミルの弱気は少しだけ改善している。
今年の十三月で、カミルが仕事を教え、褒めたからだ。それで少しだけ自信がついている。技術も向上している。
だからこそ、これからの一年で少しずつ店番や外部との交渉も任されるようになり、その結果、気が弱いのをもっと何とかしなくては駄目だと追い詰められるようになる。
あのリストを受け取った瞬間に、その未来は確定する。カミルがテレーゼ達に負け、狩人に射られて二年間眠る事になる未来も確実にやってくる。
リストを受け取るのを、阻止しなければ。反射的に、カミルはそう考えた。だが、リストを受け取らなかった場合は、どうなる?
カミルは少なくとも、二年も眠らずに済む。その時間を修行に充てて、更に腕の良い職人になれるだろう。外部との交渉ができるようになるかどうかは怪しいところだが、少なくとも今のように、「あの二年が無ければ」と悩む事は無くなる。
だが、テレーゼ達はどうなる? カミルとレオノーラを目覚めさせるため、懸命に努力を続けた彼女達の二年間は?
それに気付いた時、カミルは「まさか」と呟いた。
北の霊原に滞在していた時に出た話題。代行者は何人いるのか。獲物一人につき一人いるものなのだろうか。カミルにも、カミルを狙う代行者がいるのだろうか。
その答えが、今出てしまった気がする。
ポケットの中に、何やら異様な気配を感じた。まさぐって出てきたのは、テオが宿を出る際に、カミルに残していったカードだ。
そこに記されたテオの署名が、霧のように消えていく。そして代わりに、〝リスト〟の文字が現れた。カードを開けば、文字がどんどん浮かび上がってくる。そこには、テレーゼの名があった。フォルカーの名もあった。レオノーラに、フォルカーと行動を共にしていた妖精マルレーネの名も。そして、カミル自身の名も。
今、あのリストが過去のカミルに渡る事を阻止する事で、これだけの人数の二年間が変わる。延いては、その後の未来が変わる。
魔法使いとして、剣士として、活躍しているテレーゼとフォルカーは消えていなくなる。今ここで、友人達に置いていかれたと感じて腐っているカミルも消えていなくなる。
そういう事か、と、カミルは理解した。膝から力が抜け、その場に座り込んで呆然と呟く。
「僕が……僕自身が、獲物であり、代行者だったんだ……」