13月の狩人
第二部
22
矢の雨を潜り抜けながら、フォルカーは剣を振るう。あのクロスボウから放たれる矢の殆どは幻だ。だが、そこで油断をすると、本物の矢に襲われる。二年前に実際その罠に嵌っているフォルカーとしては、同じ轍を踏まないようにしたいところだ。
だが、だからと言って全ての矢を斬り落とすのもかなり難しい。
まず、大半が幻であるため、物理的に不可能な量の矢が襲い掛かってくる。全てを斬り落とすには、手も体も圧倒的に数が足りない。
それに、幻の矢を斬ろうとすれば剣は空を切り、空振りをしてしまう。勢いよく空振りをすれば体勢が崩れる。体勢を崩さないようにするには勢いを付け過ぎないようにしなければならない。……が、勢いなくして襲い来る矢を全て斬り落とす事ができるかと問われれば……。
「だぁぁぁっ! 面倒臭ぇぇぇっ!」
矢の雨が一瞬止んだところで、フォルカーは吠えた。その懐では、突然の大声にマルレーネが耳を塞いだ。いつの間にか、ちゃっかり潜り込んでいたらしい。
「フォルカー兄! まずは、今みたいに攻撃が止んでいる隙にテレーゼ姉に近付きましょう! あのクロスボウが魔道具という事なら、使えば使う程補充された魔力は減ります! 空っぽになった時を狙って近付くんです!」
「やっぱ、それしかねぇか! テレーゼがそれぐらいで何とかなるかわかんねぇけど!」
頷きながら、フォルカーは駆ける。不思議だ。先ほどまであんなに降りかかってきた矢が、今は全く無い。魔力の補充に手間取っているんだろうか?
「……んなわけないよな!」
叫ぶや、フォルカーは急停止し、バックステップで数歩分下がった。それと同時に、目の前にばっくりと大きな穴が出現する。砂を大胆に抉り取って作られた、落とし穴だ。少しだけ近くなったテレーゼが、舌打ちをするのが聞こえた。
「気付かれた……」
杖を振り上げてもいない。少し動かしただけで、これほどの穴を穿つ事ができたと言うのか。
「えげつねぇ……」
攻撃方法も、ここまで強くなったテレーゼの努力量も、目的を成し遂げるために躊躇なくフォルカーに襲い掛かってくる様子も。何もかもが、えげつない。
それほど、テレーゼがカミル達を救うために本気になっている、という事だ。では、自分は?
こう着状態となってテレーゼと睨み合いながら、フォルカーはふと、そんな事を思う。
カミル達を救いたいのは、フォルカーとて同様だ。本気で、目覚めさせたいと思っている。そのために、この二年間、一から鍛え直した。足腰の鍛錬も怠らなかったし、剣の素振りも毎日やるようになった。注意力を上げるために、親や兄弟、テレーゼや、その他顔見知りの人々に片っ端からアドバイスを貰って、様々な事を試してみもした。実践訓練と称して、一人で南の砂漠に入り死にかけた事も何度あった事か。
周りから見れば、以前とは見違えるほど努力しているだろう。だが……それでは駄目なのだ。以前よりも努力をしたところで、それ以上に努力をした者、より強い覚悟を決めた者がいれば、結果はそちらへ向かって転がっていく。
テレーゼは、努力をし続けていた。花を集めて、それまでの訓練の量を増やして。その傍らでカミル達を見舞い、看病して。魔道具屋を回ってカミルの道具をアピールしたり、十三月に備えて北の霊原へ何度も出かけたり。
それより何より、今回テレーゼは代行者だ。フォルカーを殺さなければカミル達を救えない。フォルカーを十三月で殺す覚悟を、随分前から決めていた事になる。テレーゼが同行できないとわかるまで、何となく二人でカミル達を救うんだと思っていたフォルカーとは、覚悟がまるで違う。
「……こんだけ違えば、追い詰められて当然か……」
溜め息を吐き、愚痴るように呟く。
「っつーか、仮にもダチを殺そうってのに、ここまで冷静じゃなくても良いじゃねぇか……」
「本当にあの部屋に住んでいたのか、疑いたくなりますよね……」
マルレーネの言うあの部屋とは、テレーゼの実家にあった、彼女が元々住んでいた部屋の事だろう。淡いパステルカラーの家具に、ぬいぐるみ。たしかに、あの可愛らしい部屋の主が今目の前でほとんど表情を動かさずに攻撃を仕掛けてきている人物だと言われても、にわかに信じがたい。服も、色気づいたところが一切と言って良い程無い。
「……自分の好きな物とか、全部後回しにしたんだろうな……」
ぽつりと、フォルカーは呟いた。マルレーネが「え?」と怪訝な顔をするので、「だってそうだろ?」と返す。
「本当はさ、あいつ……可愛い物とか好きみたいだったろ? じゃあ、可愛い恰好をしてみたいとか、そういうのもあるんじゃねぇの? けど、カミル達を起こすのを優先して、好きな物全部我慢してんじゃねぇか、って」
カミル達の事が解決するまでは、好きな事をやっても心から楽しめない。テレーゼなら、そう言うかもしれない。事実、この二年間でテレーゼの服装はほとんど変化が見られない。冷静な性格とは言え、年頃の娘だ。少しぐらいは着飾りたいだろうと、フォルカーですら思う。
「けどさ……これって元々しなくても良い苦労のはずだろ? なのに、ここまでしなきゃいけねぇとか……狩人の試練だか課題だか知らねぇけど、やり過ぎなんじゃねぇかって、思うんだよな」
上手く言えねぇんだけど。と、フォルカーは最後に言葉を足した。
その最後の言葉に、マルレーネはぎょっとする。その言葉は、どちらかと言えば自信が無く、困惑気味に聞こえる。だが、それを口にしているフォルカーの表情は……。
「フォルカー兄……怒ってます?」
そう、マルレーネは恐る恐る問うた。そう問いたくなるほど、フォルカーの顔は怒りで歪んでいた。マルレーネの問いに、フォルカーは「おう」と応える。
「ダチを起きなくされて、もう一人のダチを好きな事もできなくなるぐらい追い込んで。こんな事されて、怒らねぇわけがねぇだろ!」
叫ぶや、フォルカーは今までに無い勢いで地を蹴った。走り、走り、勢いを増したまま穴の縁で更に力強く地を蹴る。マルレーネが悲鳴に近い叫び声をあげたが、彼女を懐深くに押し込んだだけであとはお構いなしだ。
宙を跳び迫りくるフォルカーに、テレーゼは再度舌打ちをするとカミルのクロスボウを構え、そして射出する。幻か実体かわからぬ矢が、波のようにフォルカーに迫ってきた。
それが刺さるかもしれない事も気にせず、フォルカーはただ着地に専念した。地に足がついたと同時に再び駆出し、やはり迫りくる矢に対して剣も構えずに走り続ける。
そして、フォルカーに対してクロスボウはもはや無力であると悟ったテレーゼが杖を振ろうとしたその瞬間。
フォルカーが剣を突き出した。銀色の刃が、テレーゼの首筋ギリギリのところで止まる。テレーゼの頬を汗が伝い、そして彼女は息を呑んだ。
逆にフォルカーは、気を抜かないままながら「良かった」と落ち着いた声で呟く。
「なんつーか……何だかんだでテレーゼ、俺達を本気で殺す気、無かっただろ」
そう言う彼の体には、矢の一本も刺さっていない。あれだけ無防備に、波のような矢に向かっていったというのに。結局、矢は全て幻だったのだ。
「思えば、襲撃回数も少なかったし。俺達を追い詰めても、生かしてくれたし」
言いながら、フォルカーは剣を下ろし、テレーゼの肩をぽん、と叩いた。
「テレーゼ、すっげぇ悩んだんだろ。カミル達を助けるために、一時的にでも俺を殺すか、そうしなくても良い方法を探すか。……悩んでたから、あんな中途半端になっちまったんだろうな」
その言葉に、テレーゼが膝から崩れ落ちる。杖を手放したその両手が、力無く足下の砂を握った。
テレーゼのその様子に、フォルカーはふはぁ、と大きなため息を吐く。
「本当……テレーゼの親父さんの言った通りっつーか。お前もカミルも、一人で抱え込み過ぎ! 少しぐらい相談しろよな! ……そう、思っただろ? カミルの時」
「そうね……まさか、フォルカーにこんな説教をされる日が来るとは思わなかったわ……」
憑き物が落ちたような顔で苦笑し、テレーゼは杖を拾った。そして、服についた砂をはたきながら立ち上がる。
「お前はまた、そうやって俺を馬鹿にする……」
憮然として言うフォルカーに、テレーゼは再び笑った。そして、その笑顔を支える首に黒い矢が突き刺さったのは、刹那の事だった。
「……え?」
硬直したフォルカーの前で、テレーゼの体が崩れていく。どさり、と鈍い音が聞こえ、そして砂地に赤い血が染みを作っていく。
「あ……ふぉ、フォルカー兄……あれ……」
悲鳴も上げる事ができないほど引き攣らせた声で、懐から抜け出したマルレーネが彼方を差す。緩慢な動きで、フォルカーは示された方角を見た。
……そうだ、どうして忘れていたんだろう。
戦意を失った代行者の末路を、自分もテレーゼも、一度目の前で見たはずなのに。
その結果、今こうしているというのに。
わかっていたはずなのに、また二年前と同じ事を繰り返してしまったのか……?
あの時の様子と、今の様子が、目の前でダブって見える。
呆然としながら、フォルカーはテレーゼに突き刺さった矢の持主を見る。これも、二年前と変わらない。
全身が真っ黒で、影のような人物が、そこにいた。顔まで黒く、小さな光があっても顔は見えない。手に、黒い弓を持っている。背に、黒い矢を背負っている。
十三月の狩人が、そこに立っていた。