13月の狩人
第二部
1
晴れ渡った夜空の下、乾き切った砂漠の地に、悲鳴が響き渡った。
悲鳴の主は、白い。白くて、小さい。半透明の薄い羽根が生えている。
妖精だ。
まだ幼い顔立ちの白い妖精が、サソリが凶悪に進化したかのようなモンスターに襲われている。
場所は南の砂漠。生物が生きていくのが過酷な環境である。それだけに、生息しているモンスター達は非常に強い。
そんなところに、何故か弱そうな妖精がたった一人でいるのか。それを問おうにも、当の妖精は泣きながらモンスター達から逃げ回っている。宙を飛び回る薄い羽根が、きらきらと七色に光る軌道を描いた。
妖精は疲れてきたのか、次第に飛ぶ速度が落ちていく。その華奢な体に、いよいよサソリの鋭い尾が迫った。
その時だ。まるでサソリの尾が妖精を貫くのを阻むかのように、空から黒い矢が幾条も降り注いだ。サソリは怯み、後ずさる。
だが、妖精の顔に安堵の表情が浮かぶ事は無い。それどころか、ますます恐れを募らせている。
その理由は、すぐにわかった。黒い矢はサソリだけでなく、妖精の方にまで降り注いでくる。……いや、数だけで言えば、妖精に向かってくる矢の方がずっと多い。どうやら射手は、サソリではなく妖精を狙っているようだ。
間断無く襲い来る矢に、妖精は再び悲鳴をあげる。
「おじじ様、ごめんなさい! ごめんなさい、おじじ様!」
妖精は泣きながら、ただひたすら謝罪の言葉を叫び続けている。だが、そんな行為で矢の雨が止むはずもなく、それどころか増々勢いを増していく。
逃げ続け、遂に疲れ果ててしまったのだろうか。妖精が宙で躓いたような動きをし、そして地に落ちた。矢は、遠慮なく降り注ぐ。妖精は、思わず目を閉じた。
だが、恐れた痛みはいつまで経っても襲ってこない。バキバキという、枝を薙ぎ払うような音が聞こえた。
「……?」
恐る恐る、目を開ける。そこで、妖精は目を丸くした。
目の前に、妖精を背に庇うような格好で人が立っていた。それも、かなり背高な人が。リボンタイにでもした方が良いのではないかと思える長さのリボンで、無造作に括られた茶色い髪。狼のような茶色い耳と尾を、頭部と腰部に持っている。どうやら、獣人であるようだ。手に銀色の剣を持っている。獣人の、剣士。
「無事か、ちびすけ?」
獣人は、振り向く事も無くそう問う。その声は、若い。少年から青年になったばかりのような、低いが張りのある声だ。
「は、はい……!」
妖精が頷いた。小さな声だが、獣人の耳にはそれで充分届いたのだろう。青年は「そっか」と呟くと、剣を構えた。
「んじゃ、もうちょっと怖いのを我慢してろよ!」
言うなり、青年は剣を振るった。振るわれた剣が、迫り来る矢を正確に叩き切り、地に落としていく。なるほど、先ほど聞こえたバキバキという音は、青年が矢を切り落とした音だったのだろう。
そこで、妖精は気付く。あれほど間断無く降り注いでいた矢が、青年と言葉を交わしたひと時とはいえ止んでいた。
射手はひるんだのだろうか。ひるむのも、納得だ。何故なら……彼の剣技は、それほどの迫力を秘めていた。
一条たりとも、逃す事は無い。迫り来る矢を文字通り全て落としていく。それだけの事をしているというのに、青年の口元には不敵な笑みすら見える。まだまだ余裕であると言わんばかりの表情だ。
やがて、矢が止んだ。場が静まり返り、吹き荒ぶ風の音だけが聞こえる。
その静かな場に、黒い影が、いつの間にか。影は次第に形を作り、人のようになっていく。帽子を被り、狩人を思わせる形だ。
青年が、ニヤリと笑った。先ほどまでの口元だけの笑みではない。顔全体が笑っている。嬉しさと怒りを混ぜ合わせたような、不思議な笑みに、妖精は思わず息を呑む。
「よう……二年ぶりだな」
その青年の言葉に、影は応えない。沈黙を貫いている。
応えが無い事はどうでも良いのか、青年は剣の構えを崩す事無く、影に更なる言葉を投げかけた。
「去年呼んでくれなかった時は、二人揃って絶望したんだぞ。今年も呼ばれなかったらどうしようって、一年間気が気じゃなかった。……相変わらず、悪趣味な事、やってくれるよな」
影は、やはり一言も発しない。それに怒る事も無く、青年は剣を握る手に力を込めた。心なしか、顔が先ほどよりも険しくなっている。
「……けどまさか、こんなに早く会えるとは思ってなかったぜ。お陰で……一ヶ月待たずに、カミル達を助けられる!」
叫ぶや、青年は勢いよく地を蹴った。剣を振りかぶり、そして思い切り振り下ろす。その銀の刃は、黒い影を切り裂くかのように思われた。
だが、間一髪で影は刃を避け、青年の攻撃は空振りに終わった。崩れた体勢を青年が立て直しているうちに、影は次第に薄くなり、消えていく。
影が完全に消え去った時、青年は「くそっ!」と短く毒づき、振り向いた。そして、舌打ちをすると妖精に向かって剣を思い切り投げ付ける。
……いや、正確には妖精を狙ったのではない。剣は真っ直ぐに宙を裂き、妖精の背後にいたサソリのようなモンスターに突き刺さる。そうだ、そう言えば妖精は黒い矢の前に、このモンスターに襲われていたではないか。今まで何事も無かったのは、あの影に気圧されていたからだろう。だから、影が消えたところで再び襲い掛かってきたのだ。
モンスターは耳を塞ぎたくなるような断末魔をあげ、その場で動かなくなった。獣人だから耳が良いのだろう。断末魔に、青年はしばらく顔をしかめていた。
やがて青年はモンスターの遺骸から剣を引き抜き、体液を振り払うと鞘に納めた。それから改めて辺りを見渡し、これ以上襲い来るものは何も無いと確認してから、初めてホッと息を吐く。
そんな彼の背に、妖精がドンッとぶつかってきた。
「おうっ!?」
安堵したところで喰らった攻撃に、青年がやや間抜けな声をあげる。そんな事はお構いなしに、妖精は青年の肩まで飛び上がるとそこにしがみ付き、キラキラとした眼差しで彼を見詰めている。
「すごいです……あんなに怖いモンスターを一撃で! しかも、あの十三月の狩人を追い返してしまうなんて! すごいです! すごいです!」
「! ちびすけ、十三月の狩人の事、知ってんのか?」
青年が目を見開き、妖精の事を見る。すると、妖精は少しだけムッとした顔をした。
「ちびすけじゃないです! マルレーネです、獣人さん!」
「俺も獣人って名前じゃねぇよ。フォルカーだ。フォルカー=バルヒェット」
告げられた名を、マルレーネは何度か呟き、「うん」と頷いた。
「覚えました! それで、フォルカー兄はどうしてこんなところに?」
「何だよ、にい、って……」
反応に困っているのか、フォルカーが苦笑する。だが、すぐに思考を切り替えたのか、「まぁ、いっか」と言いながら鞄をまさぐり始めた。
鞄から取り出されたのは、暦だ。見易い位置に大きく氷響月の一日である事がわかるように表示されている。だが、これはただの暦ではない。
「これ……魔道具ですか?」
「……やっぱ、妖精にはわかるんだな」
呟き、フォルカーは頷いた。
「あいつと前に会ったのは、この南の砂漠だったからな。だから、十三月になった時にここにいりゃ、早く会えるんじゃねぇかと思ったんだよ」
そして、実際にその勘は当たった。と言うフォルカーの言葉に、マルレーネは目を丸くしている。
「十三月の狩人に会いたいんですか? そんな人、初めて聞きました。……いえ、それ以前に、十三月に二度も呼ばれた人なんて……」
「ま、色々あるんだよ」
言いながら、フォルカーは荷物の中から短剣を取り出し、モンスターの遺骸を解体し始めた。そして、細かく分解したところで麻の袋を取り出し、詰め込んでいく。
「……全部は無理か? けど、どこも結構良い値で売れるんだよな……。やっぱ、カミルの何でも入る魔道具鞄、同じモン買えば良かったかな……」
ぶつぶつと呟きながらも、フォルカーはモンスターの遺骸を何とか全て麻袋に詰め込んだ。
「それ、どうするんですか?」
「魔道具やら魔法薬やらの材料になるんだってよ。こういうのを買い取ってくれる店が、街に行きゃあるからな」
麻袋を肩に担ぎながら、フォルカーはそう答える。
「んで? お前は何でこんなところにいるんだ? 妖精でも、一人で来る場所じゃねぇだろ。見たとこ、十三月の狩人に追いかけられてるうちに来ちまった、ってわけでもなさそうだし」
フォルカーの問いに、マルレーネは顔を曇らせた。
「それは……」
言いよどむ姿に、フォルカーは「あー、わかったわかった」と言う。
「妖精には妖精の事情があるんだろ。言いたくねぇなら、無理に言う必要も無ぇ」
その言葉にマルレーネがホッとしているうちに、フォルカーは踵を返した。
「フォルカー兄、どこに行くんですか?」
慌ててフォルカーの後を追いながらマルレーネが問うと、フォルカーは「おう」と言いながら北の方角を指差した。
「さっき言っただろ。こいつを売るために、一旦街に行くんだよ。それに……無事に十三月に呼ばれたからには、合流しねぇとな」
「合流? 誰とですか?」
「俺と同じように、十三月の狩人に会いたがってる奴だよ。……って言うか、何だよ。ついてくるつもりか?」
フォルカーの言葉に、マルレーネは勢いよく頷いた。
「はい! フォルカー兄は強いですから! フォルカー兄と一緒にいれば、私も安心です!」
マルレーネが力強くそう言うと、フォルカーは一瞬表情を暗くした。人に聞こえるかどうかの小さな声で、ぼそりと呟く。
「……強くねぇよ。ダチが待ってんのに、助けてやれねぇような奴……」
「えっ……?」
きょとんとするマルレーネに、フォルカーは「何でもねぇ!」と強く言った。そして、暗い表情を振り払うように足早に歩き出す。
「ついてくるなら、早く来いよ。ぼんやりしてると、またモンスターに襲われるぞ、ちびすけ!」
言われて、マルレーネははっとした。そして、フォルカーを追って飛びながら、大きな声で叫んだ。
「だから、ちびすけ、なんて名前じゃないです!」