夢と魔法と現実と












今日も天気は快晴。寧ろ晴れ過ぎだろうという気候の中、スーツ姿の亮介はダラダラと大学を後にした。時間は十四時四十分。一日のうちで気温が最も高い時間帯だ。

「暑過ぎる……。スーツ暑過ぎるだろ、おい……。サラリーマンって、毎日こんなモン着て一日中歩き回ってるのかよ……」

「誰も彼もがスーツで一日歩き回っているわけじゃないだろうけどね。スーツを着る職種で外を歩き回るのは主に営業職だけだろうし、その営業だって車で回る人もいる。社会人になったら冬以外毎日こんな思いをしなきゃいけないのかよ、と今から悲観する事は無いよ、亮介」

「……なら、俺、ぜってー経理とか広報とか、内勤狙いでいく……」

「そんな動機で就活してたら、まず間違い無くどこにも雇って貰えないだろうね」

「……やっぱ? ……っと!?」

トイフェルとの会話に気を取られ過ぎていたのか……何かとぶつかってしまった衝撃に、亮介は思わず尻もちをついた。見れば、ぶつかった相手も人間であったらしく、同じように尻もちをついている。

「すっ……済みません! 俺、ボーッとしてて……」

「……いや、良いよ。僕もボーッとしてたし」

言いながら、相手はスーツの埃をはたきながら立ち上がった。亮介より、三つか四つ年上だろうか? 亮介のような就活準備中の学生ではなく、既に働いている社会人のようだ。

「……あの……」

微妙な間に困り、亮介が何か声をかけようとしたその時だ。けたたましい電子音が鳴り響き、サラリーマンは慌てて携帯電話を取り出した。

「はい、宇津木です! は、はい……お疲れ様です! 済みません、今戻る途中で……いえ、すぐに戻ります! はい。はい! 済みません!」

携帯電話を片手に何も無いところへぺこぺことお辞儀をしたかと思うと、宇津木という姓であるらしいサラリーマンは慌てて道に転がった鞄を拾いながら亮介に頭を下げた。

「ごめんよ! 急いで会社に戻らなきゃいけないんだ! ……あ、これ僕の名刺! もしさっきぶつかったので怪我をしてたりスーツが汚れたりしてたら弁償するから、ここに連絡してよ!」

言うや否や、宇津木は呆気にとられる亮介を尻目に猛スピードで駅の方向へと走り去ってしまった。先ほどの態度から察するに、早く戻って来いという会社の上司からの怒りの電話だったのだろう。

「社会人って……大変なんだな……」

呟きながら、亮介は渡された名刺に視線を落とした。「天成堂出版株式会社 営業部 宇津木陽一」と書かれている。

「天成堂出版……って言ったら、結構でかい出版社だよな」

「国内の文芸書十大出版社に数えられる、大手出版社だよ。取り扱っている書籍の九割を買い切り扱いにするという強気戦略を行っているにも関わらず、毎年黒字を叩き出している猛者だと流通関係者には言われているらしい」

「へぇ……って、何で地球人でもないお前が日本の出版社にそんなに詳しいんだよ?」

感心した後に首を傾げる亮介に対し、トイフェルはいくらか小馬鹿にするような顔をした。

「地球の情勢や、これから協力してもらうかもしれない人達の事くらいは調べておかないとね。こんな事、ちょっと新聞やインターネットで企業情報を調べればわかる事だよ。まぁ、ボクはステルス能力や魔法があるから、キミ達地球人より効率良く調べて情報を得る事ができるという事もあるけどさ。……というか、これは寧ろキミの方が知っているべき事柄じゃないのかい? 曲がりなりにも、もうすぐ本格的な就活生だろ?」

言われて、亮介は「う……」と言葉を詰まらせた。そんな亮介から視線を外し、トイフェルは先ほど宇津木が駆けていった方角を見る。

「そんな事よりも……」

「?」

怪訝そうな顔で自分を見詰めてくる亮介に、トイフェルは厳しい表情で言った。

「さっきのサラリーマン……宇津木、だっけ? 彼を追った方が良いかもしれない」

「? 何でだよ?」

「……気付かなかったのかい?」

睨むような顔付きで言うトイフェルに、亮介は思わず後ずさった。トイフェルは、そんな亮介を構う事無く言葉を続ける。

「あの宇津木ってサラリーマン……身体中に負の感情を纏わりつかせていたよ。相当不満や絶望感があるみたいだ」

「え……」

鈍い反応をしながらも、亮介は昨日のトイフェルとの会話を思い出した。負の感情という物は、確か……イーター達が好む物であった筈だ。

「じゃあ、このままだとあの宇津木って人は……」

トイフェルが、頷いた。

「このままだとイーター達に狙われ、食べられてしまう恐れが高い。そうなる前に、何とかするべきだろうね」

「何とかって……」

「まずは、もう一度あの人に会う事だ。負の感情がキミでも取り除く事ができるような物なら、取り除く。それが駄目なら、また別の方法を考える必要があるね」

「……」

トイフェルの言葉に、亮介は恐る恐るながら頷いた。

「けど、会うって言ったってどうやって……」

名刺を貰っているので、会いに行く事は簡単だ。だが、問題はどのような口実で会うか。下手な口実で会おうものなら、負の感情を取り除くどころか、不安や疑念を煽りかねない。

「そう言うだろうと思ったからね。これを使うと良いよ」

「? これって……?」

トイフェルが魔法で何かを宙に出現させた。受け取り、亮介はそれをまじまじと見詰めた。親指の爪ほどの大きさをした、丸いピンバッジ。中央に開いた本のマークと、「天成堂」の文字が刻印されている。見れば、宇津木から貰った名刺にも同じマークが記されている。

「これって……天成堂出版の社員バッジ……?」

亮介の呟きに、トイフェルは頷いた。

「その通り。それと、キミの今の格好、立場を上手く利用すれば、彼と会って話をする事も可能なんじゃないのかな?」





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