男主人公(世界救済)Ver






世界は、一つだ。
だが、かつては世界がいくつもあると、全ての人が信じていた。
異邦への入り口は果てなき海や険しき山の頂にあるとされ、
人々は時には手紙を火にくべ空へと昇る煙に想いを託し、時には願いを託した紙片を川へと流した。
美しい空は異界の住人からの贈り物であると喜び、激しい雷雨は異界からの宣戦布告であろうと恐れ慄いた。
そのように人々の生活は、常に目に見えぬ異界の民と共にあった。
しかし、いつしか人はそれを架空の物語であると思うようになった。
目に見えぬ異界の民を敬い恐れる者は無く、川や火に願いを託す神事はただの伝統行事へと姿を変えた。
こうして世界は、異界から切り離されていったのである……。

だけど、それで終わりでは面白くないと、僕は思う。
だから、僕は考える。
もしも異界が実在するのであれば、僕は異界を隅から隅まで調べて歩きたい、と。



# # #



空が青い。
海辺の町、トーハイは今日も快晴だ。
家の窓からすぐに見える海のすぐ上を、カモメがクークーと鳴きながら飛んでいる。
僕は吹き込んでくる潮風を浴びながら、本を読んでいる。
子どもの頃から何十回、何百回と読んでいて、すでに手ずれや日焼けで表紙が真っ白になってしまっているお気に入りの本だ。
本に記されているのは、神話の世界。
僕の世界の周りにあると信じられていた、僕達に似ていて僕達とは違う人達が住んでいるという世界。
その異界に想いを馳せて呆けているうちに入ってきたのか……いつの間にか、僕の傍らに人の気配があった。
「……呆れた。今日は仕事は休みだって言ってなかったかしら? それなのに神話の本を読み耽るなんて……毎日毎日フィールドワークで史跡を調べるだけじゃ物足りないのかしらね、学者先生は?」
「……ああ。やあ、リアン」
僕が本から目を離して挨拶をすると、彼女――リアンは眉間にしわを寄せて僕を叱り付けた。
「ああ、でも、やあ、でもないわよ。何、この本の山! 私、こないだ来た時に片づけろって言ったわよね、セン?」
「勿論、あの後すぐに片付けたよ。 けど、何て言うのかな……片付けた本って、片付けた直後に妙に読みたくなるって言うか……」
僕がのほほんと弁解すると、リアンは呆れた口調で言った。
「……もう良いわ。辛うじて洗濯はしてあるみたいだし。けど、どうせ朝から本の虫になってて、何も食べてないんでしょ?」
言いながら、リアンは手にしたパンを僕に寄こした。
途端に空腹を覚えた僕は、素直にパンを受け取って齧りながら言う。
「リアンも読みなよ。きっと行ってみたくなるからさ」
「行ってみたくなるって発想が出る時点で普通じゃないわよ。ま、貸してくれるならありがたく借りていくわ。動かせない入院患者の娯楽って言ったら、本くらいのものだもの」
言いながら、リアンはその辺りにあった本を適当に手に取り、パラパラと捲った。
そして、内容に顔をしかめるとすぐに元の場所に戻してしまう。
「大変だね、治療院ってのも」
最後の一欠片を飲み下しながら言うと、リアンは僕のおでこをピシッと叩いて言った。
「そう思うなら、この不健康な生活を改めて頂戴。フィールドワークで食事と睡眠は不規則、休みの日には朝から本の虫で食事すらまともに取ろうとしない。こんな生活をしていたら、いつか倒れるわよ。これ以上治療院の仕事を増やさないで欲しいんだけど」
「けど、いつもそうなる前にこうやってリアンが来て、生活指導をしてくれるじゃない」
「幼馴染の誼よ。感謝なさい」
「はい。感謝します」
そう言って、僕とリアンは笑い合った。
その時だ。
海辺の方から、衣を裂くような悲鳴が聞こえてきた。
「! 何!?」
素早くリアンが窓辺に寄り、僕も立ちあがった。
見れば、海辺で人々が右往左往する中に大きくて毛むくじゃらな何かが走りまわっている。
「モンスターだわ! モンスターが、人を襲ってる!!」
そう。
恐らくは、ウルフの一種であろうモンスターが、人々を追いまわしていた。
「けど、何でこんなところにウルフが!? ウルフが海辺にいるなんて……しかも、あんな真っ黒いウルフ、見た事が無いよ!?」
「今はそんな事言ってる場合じゃないわ! 行くわよ、セン! フィールドワークで、モンスターと戦うなんて慣れてるでしょ?」
言いながら、既にリアンは家の戸口まで駆け降りている。
僕は壁に立てかけておいた剣を手に、後に続く。
慌てた為、床に積み上げておいた本に躓いてしまった。
……やっぱり、片付けはした方が良さそうだ。



# # #



海辺で僕達を待っていたのは、明らかに今までに見た事のあるものとは異質なウルフだった。
真黒な毛皮に、赤く鋭い牙。
元々凶暴そうなイメージの強いウルフだけど、ここまで凶悪な面相のウルフは見た事が無い。
僕は瞬時に危機感を強めて、剣を抜く。
横では、既にリアンが詠唱を始めていた。
抜き放った剣でウルフに斬りかかる。
だけど、剣はウルフの真っ赤な牙に遮られて殆どダメージを与えられていない。
腹部に体当たりを喰らわされて、思わず尻もちをついた。
真っ黒いウルフが、僕に迫ってくる。
これはまずいと思ったところで、リアンの詠唱ができあがった。
「ファイアーボール!!」
鋭いリアンの声と共に、赤々と燃え盛る火球がウルフに飛んでいく。
直撃を食らったウルフは怯み、後ずさった。
その隙を逃さずに僕は立ち上がり、ウルフに向かって真っ直ぐに剣を振り下ろす。
剣はウルフを切り裂き、ウルフはそのまま事切れた。
安全を確認するとリアンは再び詠唱を始め、傷を負った町の人達にファーストエイドを施していく。
そんな彼女を尻目に、僕は倒れ伏したウルフを調べた。
生物学者ではないからはっきりとした事は言えないけれど、やっぱりこの近辺では見た事の無いモンスターだ。
だけど、毛皮や牙の色を除けば、姿形は近くの森に住んでいるウルフに似ているような気もする。
そう思いながら、僕は海を見た。
何の前触れも無く突如現れたこのモンスターは、海から来たのではないのかと何となく思ってしまったからだ。
そこで、僕はギョッとした。
いつの間にか、辺りがとても暗くなっている。
それもその筈。海の上に、空を埋め尽くすほど広くて黒い空間が出来上がっていたからだ。
空間はどんどん広がっていき、それに比例してあたりもどんどん暗くなっていく。
町の人達やリアンもそれに気付いたんだろう。
皆一様にざわめいて、黒い空間を指差したり憶測を飛び交わしあったりした。
そのうちに黒い空間は徐々に形を作り始め、いつしかそれは街のように見え始めた。
街のような物は次第に姿がはっきりとしていき、遂には完全に海の上に一つの街ができてしまった。
「な……何よ、アレ……」
呆然として、リアンが呟いた。
その横で、僕も呆然としながら街を見ていた。
ただし、僕の場合はリアンとは少し違った点で呆然としていた。
「……ミラージュだ……」
ぽつりと、僕は呟いた。
ミラージュ……それは、神話の中で異界を表す言葉だ。





To be continued……