お互い様
空が黒い。
上空に浮かんだ世界――ミラージュ、もといラースのために、月の姿も星の姿も目にする事はできない。
ただ空気の気配から、今が夜なのだと判る。
昼と夜の区別がつかないながらも、やはり休息は取った方が良い、体内時計を狂わせると体調不良に繋がる、というウィスやホース、リノの言葉から一行は野営をする事となった。
フェイやウィスのように力のある男衆がテントを張り、その他の者は薪を探し集めたり料理をしたりと、自然に役割分担がされていく。
皆でたき火を囲み食事をとり、後片付けをした後はめいめい早めに寝る事を条件としながら自由時間となった。
# # #
「天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る! 庇護無き雨をこの地に降らし、悪の力を削ぎ給え! ブラッディ・レイン!」
暗闇の中、詠唱が響き渡った。
魔法発動の瞬間に発せられる光だけを頼りに、リアンはモンスターの姿をその視界に捉える。
攻撃力を削ぐ魔法は、無事目標に当たったようだ。
ハイエナに似た姿を持つそのモンスターに、本来の素早さは感じられない。
「もらった!」
誰に言うでもなく呟き、モンスターに斬りかかろうと地を蹴る足に力を入れる。だが……
「……っ!」
地を踏みしめた左足を激痛が襲い、バランスを崩した体はその場に倒れ込んだ。その隙を狙い、モンスターが襲い掛かってくる。
「チッ……!」
舌打ちをしながら右足に力を入れ、飛び退る。だが、攻撃を完全に避け切るには遅く、モンスターの爪は彼の左肩を切り裂いた。
「ぐっ……」
呻きながらも踏み堪え、右手で剣を構え直す。
気配から、モンスターがすぐ目の前まで迫って来ている事はわかる。
左足の自由を失い相手の横に回り込む事が容易ではない今の状態では、負傷覚悟の正面衝突しかないだろう。
「チッ……」
舌打ちをしながら、前に踏み込もうと右足に力を加えた。その時だ。
「英傑の祈りが呼びし風、乱れ吹き交い敵を押せ! ブラストウェーブ!」
鋭い詠唱の声と共に、強烈な風が発生した。
風はモンスターにまともに吹き当たり、リアンの眼前からその気配を攫っていく。数秒後には木にモンスターがぶつかる音が聞こえた。
声は、続け様に鋭く唱える。
「古の大地に眠りし聖なる炎、障壁となりて敵を討て! フレイムウォール!」
モンスターの飛んでいった方角に、炎の壁が噴き上がる。
炎は煌々と辺りを照らし、駆け付けた者の姿を闇の中に浮かび上がらせた。
「シン……」
「間に合ったみたいだね」
軽く笑って見せると、シンは自らが発生させた炎に目を遣った。
倒されたのか、炎に怯えて逃げたのか……モンスターの姿や気配は無くなっている。
「汚れを知らぬ無垢なる水よ、剣となりて敵を斬れ! アクアスライサー!」
燃え広がらないように炎を消し、燃え残りに木の枝を押しつけて松明を作る。
一連の作業が済んだ事を確認してから、リアンはシンに問うた。
「……何をしに来た?」
「左足が上手く動かないにも関わらず、一人でキャンプから消えてしまったリアンを探しに。ウィス達が心配していたよ?」
「……」
黙り込んだリアンに、シンは追い打ちをかけるように言う。
「何をしに来たと言うのなら、リアンもこんな所に何をしに来たの? 今の自分一人じゃ危険だって事ぐらい、リアンならわかってるでしょ?」
「……」
だんまりを決め込んだリアンに、シンは軽く溜息をついた。そして、少々呆れたように言う。
「勝手に推測を述べさせてもらうなら、剣の稽古じゃないかと思っているんだけど。足が満足に動かない状態でどこまで動けるのかを確認しておきたかった。けど、ウィス達の目があるところでそれをやれば心配され、止められてしまう。だから黙って一人キャンプを離れ、こんな所で剣を振るっていたところでモンスターと遭遇してしまった……違う?」
「……人の心が読めると言う触れ込みで新興宗教でも立ち上げたらどうだ? 恐らく、あっという間に信者が増えるぞ」
「神官が新興宗教を認めて良いの?」
「元々、好きでなったわけじゃない」
苦笑しながら問うシンに、リアンはぶっきら棒に言う。その様子に、シンは肩をすくめた。
「取り付く島も無いって、こういう事を言うのかなぁ? ……何かリアン、私に冷たくない? そんなに信用無いのかな、私……」
「! 違う! ……あ……」
少しだけ表情を暗くしたシンの言葉を慌てて否定し、それからリアンはハッと口をつぐんだ。
そのいくらかバツの悪そうな顔に一瞬だけ唖然とし、それからシンはくすりと笑った。
「ひょっとしなくてもリアンって、物凄い人見知り?」
「……」
再び黙り込んだ様子に、シンはまたも苦笑した。
「そうなんだ。……あれ? けど、フェイやリノとは喋ってたよね?」
「……シン」
顔をしかめたシンに、リアンが口を開いた。
「何?」
問うシンに、リアンは暫し目を閉じ考える様子を見せた。
そして、深く息を吸い、そして吐くと言う。
「俺と戦え。今、ここで」
「……は?」
怪訝な顔をするシンに、リアンは更に言う。
「剣の稽古の続きだ。現時点で俺が最も稽古の相手として必要としているのは、シン。お前のようなタイプだからな」
「どういう事?」
「パーティの中で今一番素早いのはお前だろう? だからだ」
リアンの言葉に、シンは少しだけ考えた。
「……成程。動きが遅い相手なら、ウィスやフェイ、ルナやチャキィが確実に倒してくれる。
けど、素早い敵がウィス達の間をすり抜けて後衛に迫った場合、即座に対処できるのは剣士としての力量を持っているリアンだけになる。
リアンが素早いスピードでの攻撃や撹乱に対処できなきゃ、後衛は全滅する恐れがある……そういう事?」
「そうだ」
リアンが頷き、シンはまたも暫し考えた。そして、頷く。
「良いよ。ただし、条件がある」
「条件?」
「勝っても負けても、一戦終わったらキャンプに戻る事」
「……良いだろう」
リアンが首肯したのを確認してから、シンはまず手に持った松明をたき火に作り変えた。
そして数歩離れ、間合いを取る。
「……いつでも来い」
リアンが言い、そしてその直後にたき火の中で何かが爆ぜた。それが合図であったかのように、シンが走り出す。
「天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る! 庇護無き雨をこの地に降らし、悪の力を削ぎ給え! ブラッディ・レイン!」
詠唱と同時に、赤い雨が降る。それを避けようと、シンは即座に横へと飛んだ。
「チッ……天にまします我らが神に、かしこみ願い奉る。恵みの光をこの地に注ぎ、我らに希望をもたらさん! グレイス・シャイン!」
即座に次の詠唱を完成させ、リアンは自らの攻撃力を上げた。
そこへシンが斬りかかり、剣と剣がぶつかり合う。キィンと、高い金属音が響き渡った。
剣を交えながら、リアンはぽつりと呟いた。
「……似ているからだ」
「……?」
剣を振るいながら、シンは不思議そうな顔をした。
「ミラージュへの興味、人を惹き付ける力、さり気無く……だが常に全体を見ての行動、有無を言わさぬ発言力……性格こそ違うが、お前は似過ぎているんだ……ウィスに!」
「……それが、私に対して素っ気ない態度を取っている理由?」
「……」
返事は、無い。
だが、シンはある程度納得したように頷いた。
「つまり、ウィスに何となく似てるんだけどウィスじゃない私にどう接すれば良いのかわからなくて、結果他の皆よりも態度が硬化したと」
「一々口に出さなくても良い!」
半ば照れ隠しのように、リアンは剣を大きく薙いだ。切っ先が頬を掠め、シンは急いで飛び退る。
そして、左頬の傷から流れる血を人差し指で拭いながら、悪戯っぽく笑って見せた。
「性格の悪い人間だからね」
シューハク遺跡島での発言を拾い出され、リアンは苦い顔をした。
そんな彼に、シンは少しだけ不満そうな顔をして言った。
「私とウィスは、全くの別人だよ。私はリアンが、必死になって守ろうとした幼馴染じゃない。ウィス・ラ―スタディに似ている部分じゃなくて、シン・トルスリアとしての個を尊重して欲しいんだけどな。……胸に響くは命の鼓動、優しく木霊し傷癒せ。クイックトリート」
「!?」
会話が急に詠唱に切り替わり、リアンはハッと我に返った。
そして、次の瞬間には目前にシンが迫っている。
「……っ!」
急ぎ剣を構え直すが間に合わず、リアンの剣はシンの剣によって弾き飛ばされた。
拾いに行く間も無く、シンは剣の柄をリアンの胸に軽く押し当てる。
「アウト。私の勝ちだね。約束通り、キャンプに戻ってもらうよ」
そう言いながら、シンはくるりと踵を返してたき火に近寄ると、新しい枝を差し込み新たな松明を作り上げた。
燃え盛る炎が彼女の顔を照らす。
左の頬に、傷が見えた。
先ほどリアンの剣先が付けた傷だ。
「……?」
怪訝な顔をして、リアンは先ほどの戦闘を思い出す。
シンが唱えたのは、回復魔法の詠唱ではなかったか?
先の戦闘でリアンが彼女に負わせた傷は、頬の傷一つだけのはずだ。
それが、回復魔法を使ったにも拘らず治っていない。
回復魔法はあまり得意ではないと言っていたらしいが、それでも全く治っていないというのはおかしな話だ。
「……!」
ハッとして、リアンは自らの左肩に手を触れた。
モンスターに負わされた筈の傷が、ほぼ消えている。
自分で回復した覚えは、無い。
「服に付いた血の跡、どう誤魔化すか考えておいた方が良いよ。
ウィスやリノ、ホースに知られたら、前衛どころか戦闘に出させてもらえなくなるかもしれないしね。
無茶をし過ぎて心配だから、とか言って」
それだけ言うと、シンは松明を持って先にキャンプへと戻っていった。
「全く……本当に、性格の悪い……」
誰に言うでもなく呟くと、リアンは自身に回復魔法をかけ、シンがやったのと同じように松明を作り上げた。
血の跡をどう誤魔化すか、考えながら。
# # #
「もう! 無茶ばっかりして! ホース、手伝って頂戴。早く治さないと後遺症が残るわ。……癒しの雨よ、降り注げ……ヒールレイン!」
「はいはーい。……うわっ! これは確かにやばそうだね……ちょっと待っててくれる? ……ほらっ! 多めに回復っ!!」
# # #
「無茶ばかりして、か。どうやら、お互い様のようだな」
サブトの中へと向かう道すがら、リアンは横を通りがかったシンに声をかけた。
「怒られた人間に向かって、楽しそうに言うね。リアンも、結構性格悪いんじゃないの?」
苦笑しながら、シンが返す。
「それも、お互い様だ」
クックッと静かに笑いながら、リアンは言う。そして、表情を引き締めた。
「だが、今回はその無茶のお陰で助かった。回復魔法も使えず、ああでもしなければ、ウィスは死んでいたかもしれないな」
「案外、美味しいココアの匂いで回復したかもよ?」
「何を馬鹿な事を……」
「冗談はさておき、良かったよ。ウィスが死なずに済んで、私とリアンもこうして普通に喋れるようになって」
微笑んで言うシンに、リアンは少しだけ困惑した顔をすると、そっぽを向いた。
その様をからかうように、シンは言う。
「思ったより、私とリアンって相性が良いのかもね。どう? 一緒に新興宗教でも立ち上げてみる?」
「馬鹿を言うな。これが終わったらココアぐらいはいつでも作ってやるから、二度とそういうくだらない話を持ち掛けてくるな」
「……何で私がリアンにココアをたかったみたいになってるの?」
腑に落ちない顔をしながら呟き、それから表情を引き締めてシンは前を見た。
それにつられて、リアンも前を見る。
あと少しで、副都サブトへと足を踏み入れる事となる。
これから始まるであろう戦いと、全てが終わってからの平穏な時を思いながら。
Fin