贄ノ学ビ舎














36
















幕が開く。今まで隠されていた体育館の奥が、薄暗いながらも見えるようになった。奥で、何かが動く。

「あれは……!」

奉理は息を呑んだ。

形容し難い。何に似ていると言えば良いのか、表現ができない。

象の何倍も大きい。体表は、ゲル状になっているとでも言えば良いのか。ヌルヌルてらてらと、不気味に光っている。

赤紫色の、ヘドロの山。それが、ごふりごふりと、不規則に、自発的に、動いている。あれが……。

「あれが……アダム……?」

知襲は、何も言わなかった。視線は、ただアダムに注がれている。

アダムがずるりと大きく動いた。横に回転している。紅く大きな、丸い物が姿を現した。アダムの体に埋め込まれているように見える。

「あれは、アダムの目、です」

「目……?」

目が、ぎょろりと奉理の方へと向いた。目の下が、横一文字にぱくりと割れる。紅い丸が目なら、この割れ目は口か。

「チ、ガサ……ソレ、ハ……?」

アダムには、知襲の魂が見えているのか。まっすぐに、奉理の横にいる知襲を見詰めている。

「私のお友達です、アダム。怪我をしているので、アダムに治して頂けないかと思いまして」

「アー……イイ、ヨ……」

ゆっくりと頷き、アダムは幕による境界を越え、奉理達に近付いてきた。腐臭がすごい。アダム本体もどこかかび臭いが、この腐臭は……アダムの口からか。

「ち、知襲……治す、って……?」

知襲は、答えない。ただ、アダムを見詰めている。

アダムの側面から、緑色の細長い、触手のようなものが飛び出した。触手は奉理の元へと辿り着くと、あのトラバサミに挟まれた足の辺りをウロウロと彷徨い始める。

「なっ……何……!?」

「ジットォ……シテテェ……」

アダムが間延びした声でたしなめる。触手は、奉理の足に巻かれていた止血用のハンカチーフを剥ぎ取り、露わになった傷口をペトペトと撫で始める。

「……っ!」

傷口に触れられた痛みに、奉理は呻いた。だが、アダムがそれに怯む事は無い。

やがて、触手の先端からどろりとした透明な液体が染み出てきた。触手はその液体を、軟膏のように奉理の傷口に塗りつける。

「……え?」

塗られた傷口から、次第に痛みが引いていく。それどころか、傷口が段々塞がっていくようだ。

「これ……」

驚く奉理に、アダムは満足そうに「グフフ……」と笑った。

「スゴイデショ……ケド、コレ、オナカ、スク……」

そう言って、アダムは知襲を見た。知襲は、何も言わずにただ、頷いた。

「ジャア、イタダキマス!」

言うなり、アダムは知襲の本体へと目を向けた。体の側面から、今度は紅い触手が伸びる。

「あれ……さっきの化け物が白羽理事長に刺したのと同じ……!」

紅い触手は、棺桶に横たえられた知襲の本体に突き刺さる。小動物のような膨らみが二つ、アダムの体内に収まった。

紅い触手を引っ込め、次いでアダムは緑色の、奉理を治した触手で知襲の傷口を撫で回した。紅い触手を刺した傷が、あっという間に癒えていく。

緑色の触手を引っ込めると、アダムはぶるりと、身震いした。食事後に便意を催した人間を思い出す仕草だ。

「イケナイ……チョット、シツレイ」

アダムの後方から、赤茶色い管が伸びた。管は、壁際に設置されていた、蛍光緑の液体を満たした装置の蓋を開けると、その中に先端を差し込む。

赤茶色い管から、一片の肉片が吐き出された。あれは、もしかしなくても……先ほど知襲の本体から吸収した……?

「アダムは、内臓器官があまり発達していないんです。なので、必要な栄養素だけ抜き出すと、その滓はこうして、すぐに排出されるんです」

「ゴメンネ……スグニ、ケスカラ」

消す? どういう事だ? この装置は水洗トイレのようになっていて、中に入っている物を蛍光緑の液体ごと流すのだろうか。

アダムの側面から、今度は青色の触手が伸び出した。青い触手は装置の上に移動すると、その先端から何か、蒼い液体を一滴、ぽたりと装置の中に落とし込んだ。それが終わると、すっきりしたのか、アダムは落ち着いた様子で元居た場所に戻っていく。自分は寛いでいるから、友達同士仲良くお喋りしていてくれ、という事だろう。人間なら、良い旦那さん、という風情だ。

それを横目で見てから、奉理は装置を指差した。正確には、装置に落とし込まれた蒼い液体を。

「あれは……?」

「……アダムの、細胞……とでも言うんでしょうか。アダムを形作っている、組織の一部です」

「アダム……細胞……?」

それは、あの、堂上明瑠の遺した毒薬の……?

蒼い液体は、装置の中に沈みゆく肉の塊にまっすぐ向かってゆく。そしてそれは、肉片を捉えると、スゥッと浸透していった。アダムの細胞が、知襲の肉片に吸収されていく。

やがて、肉片に異変が起き始めた。ぼこりぼこりと、膨れていく。膨れに膨れ、それはやがて、人と同じほどの大きさにまで膨れ上がる。

「なっ……!」

驚く奉理の眼前で、肉片は形を変えていく。ただの肉片から、四肢を持った生物の姿へと。

やがて、猛禽類のような足が生えた。ワニのような鱗が、全身を覆った。トカゲのような顔から、蛇を思わせる舌がチロチロと伸びている。

「ば、化け物……」

そうとしか、呟けなかった。たった数分のうちに、装置の中には一体の化け物が生まれていた。知襲の肉片を媒体に、アダム細胞を核として。













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