贄ノ学ビ舎














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痛む足を引き摺りながら、奉理は懸命に体育館を目指す。この廊下を歩くのは、往路も復路も併せればこれで五度目。ほとんどの照明が点かず薄暗い状態であっても、迷わずに行けるほどには道を覚えている。

それでも、微妙な勾配のある廊下を歩く時はやや辛い。階段を上り下りするのは、かなり辛い。辛いながら、奉理は懸命に歩いた。白羽と知襲、そして奉理以外はこの場所の事を知らない……というのは本当だったようで、誰にも道を阻まれる事は無い。

かなりの時間をかけて歩いた末に、奉理は漸く階段を上りきり、体育館の前へと辿り着いた。足を引き摺りながら階段を上ったため、体力はもう限界だ。奉理は階段の最上段に座り、まずは呼吸を整える。

呼吸を整えながら、頭の中を整理しようと試みた。この短い時間で、あまりにも様々な事が起こり過ぎている。

……いや、この数時間に限った事ではない。この一ヶ月だ。

学園で謎の泣き声を聞き、クラスメイトが生贄に選ばれ、知襲に出会い、この地下校舎に入り、あの毒薬を見付けて。

自分が介添人になり、化け物と対峙し、しかも倒してしまい。

学園内で今度は謎の唸り声を聞き、あろう事か自分が生贄に選ばれ、逃げ出し、再びこの地下校舎にやってきて。

白羽理事長に追われ、トラバサミで足を負傷し、目の前で白羽理事長が殺され、殺したのは化け物でそいつは地上へ出てしまい。

そして今、奉理は、あの唸り声の主がいると思われる、体育館の前にいる。

中学を卒業するまでの十五年間、こんな特殊な目に遭った事は無い。それが、この一ヶ月で次々と自分の身の上に降りかかっている。

「何か……気がおかしくなりそう……」

呟き、苦笑する。こんな事態に陥っている中で冷静に呟いている時点で、既に気はおかしくなっているのではないか。

「まぁ……おかしくなってなきゃ、こんなところに突入しようなんて考えないよね……」

そう独り言を呟いて立ち上がり、足を引き摺りながら体育館へ入る扉の前に立つ。扉の向こうからは時折、唸り声が聞こえてくる。

あの唸り声だ。奉理は、そう思った。間違い無く、あの時グラウンドで聞いた物と同種の唸り声だと思う。それも、今回は地面を挟んでいない分、ずっと大きく聞こえる。

奉理は、ごくりと唾を呑む。この先へ進めば、何が起こるかわからない。今なら、まだ引き返す事ができる。例え、一週間後には生贄なり飢餓なりで死んでしまうとしても、今恐ろしい思いをする事を避ける事はできる。

「けど……このまま知襲を放っておいたら、俺はきっと後悔する……」

そう、自分に言い聞かせた。そして、鉄製の扉に、両手をかける。扉は両開きになっている。奉理は思い切って、両方を開け放った。いざ逃げ出す事になれば、脱出口は広い方が良い。

「……!」

扉を開け放った出入り口から内へと足を踏み入れ、奉理は言葉を失った。言葉だけではない。動きも、呼吸をするすべさえ一瞬失ってしまった。

そこは体育館であるはずなのに、体育館ではなかった。研究所か何かだと言われた方が、まだ納得できる。

広いはずの空間だが、奥行きは体育館と言えるほど無い。入って十五メートルほどの場所に、幕のような物が張られているからだ。壁と見間違うほどに大きな白い幕が、薄暗い中に浮かび上がって見える。

奉理は、まず幕よりも手前側に目を走らせた。両サイドの壁際に、何に使うのか全く見当もつかない機械類が所狭しと並んでいる。SF映画で見るような、円柱型の水槽のような装置もいくつか見える。中に並々と注がれている、蛍光緑の液体が気色悪い。

機械よりも内部寄りに、箱が並んでいる。平たく、細長い箱だ。全部で十五、六はあるだろうか。色は、黒か白の二色。等間隔に並んでいるが、並び方の法則に色は関係無いようだ。

見覚えのあるような、しかし身近には思い当たらないその箱に、奉理は近付いてみた。そして、箱の一つを間近で見ると、目を見開き跳び退る。

「これ……棺桶っ!?」

それは、死人を安らかに眠らせるための寝床だった。漆塗りの黒い物。白木作りの白い物。二色あるのは、宗派の違いか、それともその時その時で手に入り易かった物なのか。

考えたところで、わからない。考えたところで、意味は無い。問題は、何故こんなところに、いくつもの棺桶が並んでいるのか、だ。

ぞくり、ぞくりと。背筋が凍り付いていくのを感じながら、奉理は棺桶の隙間を縫うように歩いてみる。どの棺桶も、サイズはそれほど大きくない。もし誰かが入っているとすれば、小柄な人間なのだろう。腐臭は……残念ながら、する。人間とは限らないが、何かが入っているのは明白だ。

歩いているうちに、あの白い幕の真ん前に、ひと際大きな棺桶が設置されている事に気が付いた。黒く、そして他の棺桶よりも細かい装飾の施されたそれは、棺桶と言うよりもベッドのようで。

そして、そのベッドのような棺桶は蓋が開いていた。怖いながらも好奇心が湧き、奉理はその棺桶に近付いた。

何か、予感めいたものが脳裏を過ぎる。それは、近付くにつれどんどん強くなっていき。

そして、その前に立った時。横たわる人物の顔を目にした時。奉理は、その予感が正しい物であったのだと実感した。

そこには、知襲が眠っていた。奉理が知っている知襲よりもずっと白く、透明な肌に生気はほとんど無い。先ほどまで動いていたのが信じられないほど、目も口も固く閉じられている。胸の上で組まれた手は、まるで神に祈っているかのようで。

「……柳沼くん……」

声をかけられ、奉理はハッと振り向いた。












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