贄ノ学ビ舎


































ため息をつき、顔を覆っていた手を胸元へと移す。服を挟んで、何か硬い物が手に当たった。

「……」

その感触に、奉理は少しだけ、目に光を取り戻す。起き上がって、その硬い物を服の下から取り出した。

何の変哲も無い、鍵だ。穴にはピンク色の紐が通されていて、首からぶら下げる事ができるようになっている。

両親が共働きのために鍵っ子だった、妹の紗希が常に持ち歩いていた鍵だ。

家を出る時、泣きそうな顔をしながら、小学四年生になる妹は奉理に駆け寄ってきた。そして、しゃがみ込む奉理の首に、この鍵をかけてくれた。

「あのね、お母さん……四月から、仕事に行かなくても良くなるんだって。だからね、この鍵……もう、私が持っていなくても良いんだって」

紗希なりの、お守りのつもりなのかもしれない。この鍵で、もう一度、家の玄関を開ける事ができるように、と。

もう一度ため息をつき、鍵を服の中に仕舞った。そして、気晴らしに何かしようかと、部屋の中を見渡しながら立ち上がる。

それが合図であったかのように、天井からザ、ザ……というノイズが聞こえてきた。何事かと見上げれば、天井にはどうやらスピーカーが設置してあるらしい。なるほど、緊急時にはこのスピーカーを使って、生徒達に指示を出したりするのだろう。

スピーカーから聞こえるノイズは次第に減っていき、十数秒後には完全に消えた。代わりに、教員と思わしき男の声が聞こえてくる。

『本日十七時より、四チャンネルで生贄の儀がテレビ放送されます。この度生贄に選出されたのは、高等部二年B組、堂上明瑠(あかる)さんです。全校生徒、特別な事情が無い限りはチャンネルを生贄の儀に合わせ、堂上さんの雄姿を見届けるようにしてください。そして、彼女の冥福を祈りましょう』

背筋に、強烈な寒さを覚えた。壁掛け時計を仰ぎ見れば、放送時間はあと三分というところまで迫っている。リモコンを探し、震える手でテレビの電源を入れようと試みた。

生徒がテレビから情報を得る分には、学園及び寮内では特に制限はされていない。精神面に悪影響を及ぼす恐れがあるとして、パソコン室以外でのインターネットは使用できないようにされているが。そのパソコン室のパソコンも、某国並みに厳しい閲覧制限がかかっているため、大した事を調べる事はできない。

蛇足だが、外部との連絡は一切禁止されている。よっぽど、内部の様子を外に漏らされたくないのだろう。

奉理は何度も押し損ねながらも、何とかテレビの電源を入れ、チャンネルを四に合わせた。生贄の儀が時折テレビで生中継される事は知っていたが、実際に目にするのは初めてだ。人が命を落とす瞬間を、あえて自ら観ようとは思った事が無い。寒気と震えが、止まらない。

テレビの画面に、照明で明るく照らされた夕暮れの湖面が映った。この湖ならば、数週間前にニュースで見た覚えがある。確か、時折水中から何かが現れては、周辺住民や旅行者に襲い掛かる、という内容だったはずだ。

手前には、儀式用の祭壇だろうか。外見は立派だが、恐らく急ごしらえであろう楼閣が映っている。

時計の針が、十七時丁度を示した。テレビからざわめきと、アナウンサーの声が聞こえてくる。

『あっ、今出てきました。彼女が今回の生贄となる、堂上明瑠さんです! 最期の別れを終えて、今、家族に背を向けて祭壇へと登っていきます!』

カメラが祭壇を中心に映し、一旦引いていく。祭壇の全景を映してから、また徐々に祭壇へとクローズアップしていった。

中心に据えられたのは、当然ながら今祭壇という名の死への階段を一歩ずつ登っていく少女、堂上明瑠。次第に上へと登っていく彼女をローアングルから映し、そのまま段々クローズアップしていく。

生贄のイメージを裏切らない、綺麗な少女だった。腰まである黒いストレートヘアに、陶磁のような白い肌。繊細かつ華やかな装飾品をふんだんに身に着けて飾られているが、派手さは微塵も感じられない。艶やかで光沢のある白の着物は、死出の路を歩む為の旅装束か。はたまた、人々を恐怖に陥れる邪悪な神へと嫁ぐ為の花嫁衣裳か。

彼女の横顔が大映しになり、細かな心情まで読み取れるほどはっきりと表情が見えるようになる。テレビに映った彼女の顔に、奉理は一瞬、寒気も震えも忘れたように見入った。

その顔は、決して絶望に満ちたものではなかった。それどころか、誇りに満ちているようにさえ見える。

「……なんで……?」

思わず、呟いた。彼女は、今から死ぬのに。ドラマと違って、誰かが助けてくれる可能性なんて、一パーセントもありはしないのに。この国の多くの人々が、自分が助かるために彼女の死を後押ししているようなものなのに。

混乱する奉理をよそに、テレビに映る堂上明瑠は遂に祭壇の頂上まで辿り着き、湖を望む露台の上へと立ち上った。

現場を照らす照明が次々と消され、辺りが暗くなってゆく。春とはいえ、この時間はもう夜に近い。今日最後の太陽光に照らされて赤紫色に輝く湖面と、藍色の空に浮かぶ月。その風景を冥途の土産に、目に焼き付けようとするかのように眺めた後、堂上明瑠は瞑目した。

そして、冷たい夕暮れの空気を吸うと、彼女はそこで初めて口を開いた。ためらい無く開かれた口で、彼女は朗々と紡ぐ。何を言っているのか、奉理には理解できない音で。恐らくは、人々と、これから自らの命を奪う神をも言祝ぐ祈りの言葉を。歌うように。

彼女の言祝ぎに合わせて、祭壇の周りからも合唱のような呪文が響く。装束からして、宮司か何か。とにかく、神官的な立場の者達だろう。何十人もの神官が、祭壇を取り囲むように立ち、湖を正面にして呪文を唱え続けている。こちらも、歌のようには聞こえるが、何を言っているのか理解はできない。

湖面が、波立った。次いで、山かと見紛うほどの巨大な水柱が立ち上がり、割れた水から黒い影が姿を見せる。

「……化け物……」

奉理の第一印象は、それだった。

ぬらぬらと黒光りする、東西の竜を合成したかのような体。毒々しいほどの鮮やかさを持つ赤い眼。大きく開かれた口の中には鋭い牙が生え揃い、触れただけで焼けただれそうな舌を覗かせている。

化け物が、祭壇を見た。真っ赤な眼が、堂上明瑠を凝視している。

その時、合唱のように響き渡っていた神官達の呪文と、堂上明瑠の祈りの言葉がぴたりと止んだ。辺りはシンと静まり返り、ピリピリとした緊張感がテレビ画面を通して伝わってくる。

化け物が、大きな口を更に大きく開けた。咢の音が、マイクを通さずともよく聞こえてくる。そして、開かれた口は真っ直ぐに祭壇へと突き進み。

祭壇から化け物が体を離した時、そこに堂上明瑠の姿は無かった。あとには、無残に噛み砕かれボロボロになった露台があるばかり。咀嚼の音が、耳朶を打った。











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