夏休みの学校で









 いつも賑やかな校舎内は静まり返り、外では蝉が出血大サービスとでも言わんばかりに鳴いている。

 校庭では運動部が小まめに休憩を取りつつ練習し、プールには多くの児童が浸かってプール開放日を楽しんでいる。

 夏休みである。

 よく

「先生は、夏休みは遊んでいられるんでしょ? 楽で良いなー」

 などと言われるが、とんでもない。

 二学期の学習計画を立てたり、教材を準備したり、自分が教える為の指導案を立てたり、二学期の行事の準備をしたり、部活の指導をしたり、と。まぁ、とにかく夏休みであっても仕事は山積みだ。

 ……というか、授業のある日は忙し過ぎてできなかった雑務を、夏休みになってようやくこなす事ができる、とでも言うか。有給休暇を利用できるのなんて、よっぽどの理由でも無い限り夏休みぐらいだ。夏休みだって、先生は一日中働いているんだぞ!

 ……と、誰に言うでも無く心の中で叫んだ時だ。職員室の扉をノックする音が聞こえた。

「失礼しまーす!」

「あ、涼しー!」

「あ! コーヒー飲んでる! 先生ばっかずるーい!」

 入室の許可も待たずに、子ども達が入ってきた。全員が水着姿で、中にはタオルをマントのように羽織っている子どももいる。

「こら! お前らプールから直接来たな? 廊下、濡らしてないだろうな?」

 問えば、「あったりまえじゃーん!」と元気で生意気な言葉が返ってくる。

「俺達、お兄ちゃんだもんな!」

「美子ちゃんに、廊下が濡れてると滑って危ないって、ちゃーんと教えてあげたもんねー」

 そう言いながら、彼らは五歳になる俺の娘を、職員室の中に招き入れた。

 うちの学校では夏休み中、校長先生の配慮で、保育園が休みで面倒を見る人間がいない日は、子どもを学校に連れてきても良い事になっている。ただし、必ず誰かが様子を見れるようにする事。

 教室は蒸し暑く幼児には危険なので、連れてきた子どもがいても良いのはトイレを除いたらエアコンの効いている職員室か図書室、監督できるのであればプール。それだけだ。

 正直に言えば、場所が限定されているのも、誰かが見ている必要があるというのも、条件としては結構難しい。だがそれでも、この暑い中、家に一人きりにせずに済むというのはありがたい。

 ……というわけで、娘を連れて出勤したところ、それを目敏く見付けた五、六年生が「面倒見る!」「一緒に遊ぶ!」と申し出て、低学年用のプールで今まで遊ばせてくれていた、というわけだ。勿論、プールを監視する先生がいてくれたからこそ、子ども達にお願いできたわけだが。

「先生! 俺、美子ちゃんにバタ足教えてあげた! すっごい上手にバタバターッってできてたよ!」

「私は水中にらめっこを一緒にやりました! 良い勝負でした!」

 子ども達は、口々に娘と一緒にどんな遊びをしたと報告してくる。普段一、二年生の面倒は言われても見ようとしないのに、こういう特別感のある時は随分と積極的だ。

「そうか、そうか。みんな、美子と遊んでくれてありがとうな。いっぱい遊べて、羨ましいなー」

 最後に、少しだけ本音が漏れた。普段、娘とたくさん遊ぶ時間が取れないでいる分、一緒に遊んだ子ども達の事が羨ましい。

 その背景を知ってか、知らずか。子ども達は顔を見合わせると、俺に向かって「ねぇ」と言った。

「先生も美子ちゃんとプールで遊んできなよ。美子ちゃん、お父さんともプールで遊びたいって言ってたよ」

「プールの若林先生、誰かと交代して休憩したいって言ってたよ!」

「たしかにそろそろ若林先生も休んだ方が良いけど、俺が監視役になったらプールにいるのにプールで遊べないって状況になるんだけど?」

「別に良いんじゃないの? ちょっとぐらい遊んでても、誰も文句言わないよ?」

「お前らはな。大人にはいるの」

 つい愚痴るように言ってしまった。すると、子ども達は一斉に「大人って面倒臭いな」という顔をする。

 夢やイメージを壊してしまって悪いが、今感じたように大人は面倒臭いものなんだ。小学校高学年なんだし、そろそろその辺も知っていて良いと思う。

「あとな。先生、今日は水着持ってきてないから」

「パンツは穿いてきてるでしょ?」

「下着のパンツで入れってか。衛生的に駄目だし、入ったとして後から濡れたパンツ穿いたまま仕事をしろと?」

 子ども達は、平気で無茶な事を言ってくる。他人事だから適当な事を言っているわけではなく、本気で考えて言っているのだからタチが悪い。

 他の先生たちは面白そうに事の成り行きを見守っているし、子ども達は自分達の考えはどうだと言わんばかりに誇らしげな顔をしているし、娘は期待に満ちたキラキラと輝く目でこちらを見てくる。

 くそう……俺は一体、どうしたら良いんだ……!





  ◆





「結局、あの時お父さん、どうしたんだっけ?」

 外のプールを眺めながら無意識のうちにそう呟くと、顔を上げた生徒が「何が?」と問うてきた。

「あぁ、ごめんごめん。昔の話。先生がまだ子どもだった頃にね、先生のお父さんが、学校のプールに連れて行ってくれたの。先生のお父さんも先生だったから、要はお父さんの職場ね。その時、一緒にプールに入ろうって話になったんだけど、お父さんは仕事をするつもりでいたから水着を持ってきてなくて。どうしたんだったかな、って急に思い出しただけ」

 簡略に説明すると、生徒は「ふーん」と興味深そうに呟いた。

「その時、上の学年のお兄さんやお姉さんがみんなで遊んでくれて、楽しかったなぁ」

 そう言うと、生徒は「へぇ」と楽しそうな顔をした。

「だったら、今度のプール開放日に美子先生も子ども連れてきたら? 私ら、みんなで遊んであげるよ!」

「うんうん! 泳ぎ方も教えてあげるし!」

 口々に言う生徒たちに、私は「ありがとう」と言って笑った。そして、少し意地悪な顔をして言う。

「ところで、お喋りをしている余裕があるって事は、テストは解き終ったの? このテストも赤点だった子は、プール開放日も補習だからね?」

 途端に、教室のあちらこちらから「えぇーっ!」という非難がましい声が聞こえてくる。そりゃあ、そうだろう。折角の夏休み、勉強せずに遊んでいたいという子が大半だ。私も、そうだった。

「補習が嫌な子は、頑張って解いてね! ほら、あと五分で終了だよ!」

 そう言うと、生徒達は慌てて再びテストに取り掛かる。その様子に苦笑しながら、私は再び、外のプールに目を向ける。

 青いプールに張られた水が、夏の陽射しを反射して、きらきらと輝いて見えた。









(了)










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