未来から来た魔女













14















レクスの口から飛び出した名に、スフェラは不思議そうに首をかしげた。そして、ハッと辺りを見渡す。

いつの間にか、場がシンと静まり返っている。そして、その中でもイヴは真っ青な顔をして息をのんでいる。

「ヘラってまさか……大昔に世界を支配し、最後は勇者に倒されたって言う……あの悪しき魔女、ヘラ?」

「何だって!?」

弾かれたように、セロがイヴを見た。

その顔は驚いていると同時に、ひどく納得しているようにも見える。どこからともなく聞こえてくる声の不気味さと、さらにその声から発される威圧感の正体がわかったからだろう。

だが、だからと言って安心できるような状況ではない。

やがて、ゴゴゴ……と地鳴りが聞こえ始めた。建物全体がガタガタと音を立てて揺れ、やがて部屋の中心の空気がゆがんだように見える。

錯覚ではない。

やがてゆがんだ空気は人の形を作り出し、そして次第に肉体の質感を帯び、肌の、服の、様々なか所が色付いていく。

そしてついには、血のように赤黒い色をしたドレスの上に、闇色のローブを羽織った女性が現れる。やせ細った身体に、青白い肌。そして金色の蛇のような目が、黒く長い髪の隙間からのぞいている。

これが、ヘラなのだろう。太古の昔、世界を支配し、人々を苦しめてきた、悪しき魔女。その魔女が今、目の前にいる。

「どういう事? 何でそんな、魔女なんかと父さんが……!?」

戸惑うスフェラに、ヘラは「ふふ……」と不敵に笑った。

「わらわはこの時代の、緑あふれる美しい世界を支配したくてな。無機質な建物に覆われた世界になぞ、興味は無い。だが、いかにわらわでも、未来から過去へと時空を越えるのはいささか骨が折れる」

「それで……父さんを利用したのね……!?」

スフェラが声を荒げ、ヘラをにらみ付けた。だが、ヘラは毛ほども臆する様子は無い。それどころか、逆に楽しげに顔をゆがめた。

「この男の科学力とやらは、中々のものよ。この時代であればサビドゥリア鉱石を独占できる事、そうすれば娘を幸せにしてやれる事。この二つを餌としてチラつかせただけで、時空を越える装置と、あれだけの兵器を造り上げてしまったのだからな」

「そんな……!」

レクスの顔が、みるみるうちに、先ほどまでよりも青くなっていく。

「じゃあ、魔法使いを殲滅しなければ、私がこの時代のサビドゥリア鉱石を手に入れる事ができないというのは……」

ヘラはころころと笑い出した。おかしくて、おかしくておかしくて仕方が無いという。そんな笑いだ。

「虚言に決まっておろうて。取るに足らぬほど血が薄まったとは言え、魔法使いはわらわにとって小バエのように鬱陶しい存在なのでな。ついでに始末してくれれば手間が省けて良いと思ったのだが……まさか律義に、全ての魔法使いどもを殲滅しようとするとはな。おまけに、魔法使いどもを消し去るまではと、鉄人形に使う以外のサビドゥリア鉱石に手を付けようともしない。お陰で、わらわの復活に手間取ってしまったわ」

「……? どういう、事だ……?」

ヘラの言葉の意味が理解できず、セロは思わず問うた。すると、ヘラはセロを見下したようにまた笑う。

「ふふふ……なぜわらわが、三千年の後の未来で復活できたと思う? ……それはな、魔法使いどもを滅ぼしてくれた科学者どもが、わらわの封印を解いてくれたからよ。安定したエネルギー源を手に入れるため、我先にと言わんばかりにな……」

「エネルギー源……! まさか……」

スフェラの顔もまた、みるみるうちに青ざめていく。それを見つめるヘラは、心の奥底から楽しそうだ。道化師が転ぶ様子を見て楽しむような顔をしている。

「そう! お前達がサビドゥリア鉱石と呼んでいるものは、その昔、憎き勇者がわらわを封ずる際に用いた封印石よ! そのほとんどを取り除いてくれたお陰で、わらわはこの世に蘇り、そして今再び、この世を支配できるというわけだ!」

高笑いをし、ヘラは「そして……」とレクスに向かって言葉を続けた。

「お前が少しずつではあるが、この時代のサビドゥリア鉱石を採取してくれたお陰で、この時代に封じられているわらわの封印も解き易くなった。あとはわらわが外から力を加え、封印を破壊すれば良い」

そこで一旦言葉を切り、ヘラは現在の状況に陶酔しているような顔をした。……いや、実際、陶酔しているのだろう。

うっとりとした目で、「そうすれば……」とつぶやいた。

「そうすれば、この時代にわらわが二人。血の薄まった魔法使いどもに、うだつの上がらぬ科学者では、二人に増えたわらわ達に勝てるはずもない。そしてわらわ達はお前達を滅ぼし、歴史を塗り替え、世界を支配するのだ……昔のように。その際、失われる未来から来たわらわ自身は消えるであろうが、なに、問題は無い。どちらにしても、この世界を支配するのはわらわである事に変わり無いのだからな」

その言葉が終わらぬうちに、ズズズ……という気味の悪い音が響いた。そして、ヘラが現れた時と同じように空気がゆがみ始める。

「これは……!?」

「地下からサビドゥリア鉱石の反応があります。恐らく、この真下にセロ様達の言う〝ヘラの封印〟があるものと思われます」

「それってつまり……この時代のヘラの封印も解けかけてるって事!? ヘラが言っている通り……」

淡々としたリッターの解説に、イヴの顔が青ざめる。その様子に、ヘラは満足そうにうなづいた。

「そうとも。もっとも、予定よりもずいぶんと遅くなってはしまったがな。その男が積極的にサビドゥリア鉱石を掘り出していれば、もっと早くに封印が緩んだであろうに……」

レクスが、呆然と宙を見た。視線の先には、この時代のヘラが蘇ろうとしている、空気のゆがみが見える。

「では、私は……スフェラを悲しませてしまっただけではなく、魔女が歴史を狂わせ、世界を支配する手助けをしてしまったという事か……!?」

悔しそうに、悔むように、「なんと言う事だ……」とつぶやく。その様子を、ヘラは楽しそうに眺めている。

「ふふ……嘆くなら、我が身の不運を嘆くが良い。……さて、お前達と戯れるのも、そろそろ飽いた。協力してくれた礼として、苦しまぬよう一撃で葬ってやろうじゃないか」

そう言って、ヘラはレクスに向かって右手を突き出した。指先に闇が現れ、次第にバチバチと音を立て始める。雷を帯びた闇の塊を手の上でもてあそびながら、ヘラはニィ、と口の両端を吊りあげた。

「……さぁ、滅びよ!」

「……っ! させるかぁぁぁぁっ!」

「! セロ、駄目っ!」

セロがヘラに突っ込んで行くのと、ヘラが標的をレクスからセロに切り替え、闇の塊を放ったのは、ほぼ同時だった。

そして、イヴが叫ぶのと、闇の塊がセロの目の前で爆発したのも、ほぼ同時だった。

「うわぁぁぁっ!!」

「セロっ!」

爆風に吹き飛ばされ、セロがガレキの山に叩き付けられる様を、ヘラは冷ややかな視線で見つめている。

「ふ……他愛も無い。血の薄まった魔法使いの、児戯にも等しき攻撃で……わらわを止める事ができるとでも思うたか?」

「……っ!」

痛みをこらえながら、セロは立ち上がった。足がよろけ、ガレキがガラリと音を立てながら崩れる。さほど大きくないその音が、妙に大きく聞こえた。大きく聞こえた音に、心臓が飛び跳ねる。飛び跳ねた心臓に突き動かされるように、セロは剣を、ヘラに向かって突き付けた。

「まだだ! 風の剣に裂かれて果てよ! ブラストセイバー!!」

だが、セロの勢いとは裏腹に、風はそよりとも吹かなかった。セロの顔から、一気に血の気が引いていく。セロは蒼ざめながら、何度も叫んだ。

「……ブラストセイバー! ブラストセイバー!!」

喉が破れて血を吐くのではないかと思えるほどに、脳の血管が切れるのではないかと思えるほどに、それほどまでに力強く、何度も何度もセロは叫んだ。だが、それでも風は吹かない。

(……駄目か。さっきまでの戦いで、魔力を使い過ぎた……!)

叫ぶにつれて頭は冷えていき、やがてセロは叫ぶのをやめた。やはり、モルテとの戦いで大技を使ってしまったのが痛い。アレが無ければ、まだまだ何度でも魔法を使えていただろうに。

平静を取り戻し、逆に勢いを失ったセロに、ヘラはつまらなそうな顔をした。

「使えぬ魔法を唱え続けるとは、滑稽な。……それにしても、弱い。この程度であれば、モルテとやらをけしかけて、魔力を削るまでも無かったわ」

「あれも、お前が……!?」

目を見開くセロに、ヘラは相変わらずつまらなそうな視線を投げかける。その視線をずらし、この時代のヘラが蘇りかけているゆがんだ空気を眺めた。そして、共に世界を滅ぼすこの時代の自分が蘇るまでの暇潰しだとでも言わんばかりの顔で、口を開いた。

「アレにさらなる力を与え操るなど、わらわには空気を吸うも同じ事。……さぁ、格の違いを思い知ったからには、絶望し、果てるが良い!」

言うやいなや、ヘラは先ほどと同じ、雷を帯びた闇の塊をセロに向かって放った。それも、先ほどよりもずっと大きく、帯びた雷もずっと強い。当たれば、まず助からないだろう。

そんな闇の塊が、セロの眼前に迫ってくる。

「うっ……うわぁぁぁぁっ!?」






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