不非冥婚(冥婚にあらず)


「どうして、こんな事に……?」

 わけがわからず、瑛練(えいれん)は呟いた。

 声に出して呟きたくもなる。彼女が置かれている状況は、冷静に考えて……いや、冷静にならずともわかるほどに、有り得ない物なのだから。

 そこは、陽の光が心地よく差し込み掃除の行き届いた、明るく綺麗な場所だった。意識を手放す前に彼女がいたのは、暗く汚い地下牢だったはずだ。

 身に纏っているのは、極上の絹を惜しみなく使った紅い衣。彼女は寒村の生まれで、いつも泥水に浸して絞ったかのような色の襤褸を纏っていたはずだ。

 肌にはむら無く白粉がはたかれ、艶めいた髪からは甘い油の香り。化粧なんて一度もした事が無く……肌は荒れて垢だらけ、髪は油ではなく脂の臭いがして傷み放題だったはずだ。目も当てられないほどぼろぼろで白茶けた色になっていた筈の爪も、爪紅を塗られて見られるものになっている。

 そして、何よりも。動いていた。動けていた。

 彼女は、死んだはずなのに。殺されたはずなのに。

 ……そう、瑛練は殺された。無理矢理毒を飲まされ、殺された。あの、暗く汚い地下室で。畑で拐かされた時のまま、垢だらけで襤褸を纏ったままの姿で。

 それがどうして、明るく綺麗な部屋で、美しく化粧を施し贅沢な衣を纏った姿で、動く事ができているのだろう?

 あまりにも不可解で、それ故にもう一度辺りを見渡した。

 瑛練が知っているものと違い日光がかなり入ってきていて明るい……が、調度などから察するに、ここは廟の中だ。その推測を裏付けるように、線香の香りがする。

 そして今、上体を起こしている瑛練がいるのはそんな場所の、祭壇の前。加えていうなら、蓋こそされていないが棺の中だ。彼女は、つい先ほどまで棺に横たわっていた事になる。……まぁ、それは自分が殺された記憶を持っている以上、別段不思議ではない。

 問題なのは、その棺に横たわっていたのが瑛練だけではなかったという事。更に、その横たわっているもう一人が、どうやら異性であるらしい事だ。世の人々はどうか知らないが、少なくとも瑛練は誰でも彼でも見境無く同衾を許すような性格ではない。異性であれば尚更だ。

 どういう事なのか、と叫び出したくなるのを堪えて、瑛練は深呼吸をした。情報を整理して、今己が置かれている状況を推測しようと試みる。

 瑛練に毒を飲ませ殺した者はどのような人物だったか。何か、重要な言葉を口走ってはいなかったか?

 記憶の糸を辿り、瑛練は「そうだ……」と呟く。

 瑛練を拐かしたのは、粗暴で薄汚れた、これ以上無いほど賊という言葉が当てはまる男だった。だが、首魁はこの男ではない。

 四十を過ぎているであろう女だった。

 地下室で瑛練を見下し、満足そうな笑みを浮かべながら男に銅貨の詰まった袋を渡していた。彼女が、金で雇った男に瑛練を攫わせたのは間違い無い。

 女は、汚い物を見る目で瑛練を見ながら言った。

「汚らしいけれど、顔は良いじゃない。綺麗に洗って着飾らせれば、まぁまぁ見られるようになるんじゃないかしら? 泉下にいるあの子が気に入ってくれると良いんだけど……」

 泉下。あの子。

 そして棺に入れられている瑛練と、同じ棺に横たわっている男性。

 廟らしき場所。

 紅い衣は、嫁ぐ花嫁が纏う物だ。

 これらから導き出される答えは、ただ一つ。

 冥婚。

 その言葉が、瑛練の頭に浮かんだ。

 未婚のまま死んだ者のために花嫁を用意する風習。多くは同じく未婚のまま死んだ若い女性の遺体や骨に花嫁衣装を着せて男の遺体と共に埋葬するが、時には生きている女性を殺して花嫁に仕立て上げる事もあるという。

 元は神に人間の花嫁を供する儀式だったものが、いつしか死んだ者に花嫁をあてがうものに変容していったとも聞く。未婚で死んでしまった者を未婚のままにしておくと、その家に禍が降りかかるという話もあるらしい。

 ここまでくると、生贄と言っても差し支え無いのではないか? とまで思えてくる。生きている女性を殺すのであれば、尚更。

 理不尽な話だ。だが、禍が降りかかるのを恐れて過激な方法に手を出す者はいつの時代にもいる。だから、冥婚が行われた事については瑛練はそれほど驚いていない。

 何故自分が冥婚の花嫁に……とも思わない。

 寒村の、貧しい家の娘が一人消息を絶ったところで役人達はまともに取り合おうとはしないだろう。

 恋人や婚約者はおらず、兄弟姉妹は多い。消息不明になったところで探そうと思うのは家族だけであろうし、一人娘であるならともかく他にも子がいるのであれば親だってそこまで真剣には探さないかもしれない。瑛練を探している間も、畑仕事は待ってはくれないのだから。何なら、親が金欲しさに瑛練を売った可能性すらある。

 消えても大した騒ぎにはならず、未婚で、あの女が言った通り顔はまぁ……悪くはない。これだけの条件が揃っているのだから、己が冥婚の花嫁にされた事については、腹立たしくはあるけれども不思議ではない。

 では、何故「どうしてこんな事に」と呟いたのかと言えば……死んだはずなのに、こうして動いている。一体、何故。

「気になるかい?」

「そりゃあ……」

 決まってるでしょ、と言いかけて。瑛練は「えっ」と目を見開いた。

 棺の中で瑛練と共に横たわっていた男が目を開き、口をきいたのだ。顔には、柔らかく優しげな微笑みまで浮かべている。状況が不可解過ぎて今まで気にする余裕も無かったが、笑みを浮かべた顔は中々に整っている。

「あなた……生きてる、の……?」

 何とか声をしぼり出して問うと、男はむくりと上体を起こした。そして、何故か嬉しそうな顔をする。

「生きている。そう見えるんだね?」

 茶化すような口ぶりに、瑛練はムッと眉をひそめた。

「真面目に答えて。あなたが生きているのなら、冥婚なんて必要無い。私は攫われる事も、毒を飲まされる事も無かった。そうでしょう?」

 この男の花嫁となるために、瑛練は人生を奪われたのだ。それが、男は実は生きていました。瑛練が攫われ毒を飲まされた一連の流れは全くの無意味でした。などと言われてしまっては、到底承服できるものではない。

 そう指摘すると、男はあっという間に顔を曇らせた。そして、消え入りそうな声で「ごめん」と呟く。

「そうだよね。僕のために、君は本来続くはずだった生を絶たれる事になった……。生き返った事に浮かれていたとは言え、それを失念して茶化すような事を言うべきじゃなかった。……傷付けるような事をして、本当にごめん」

 必死さすら伺える声でそれだけ言うと、男は躊躇う事も無く頭を下げた。その様子に、瑛練はため息を吐く。

「その様子だと、冥婚(これ)はあなたが望んだ事ではない……そう考えても良いの? そりゃ、こんな事いくら死者が望んだところで、生きてる人間にその気が無ければできっこないだろうけど……」

 問えば、相手からは「うん、まぁ……」という酷く曖昧な態度が返ってきた。これは、この男が冥婚を望んだわけではないものの、一枚噛んでいる可能性がある。そう察した瑛練は、「ちょっと!」と鋭い声を発しながら男に詰め寄った。互いのまつげの数さえ数えられそうなぐらいに顔が近くなったところで、瑛練は問いを投げかける。

「答えて。あなたは誰で、この冥婚にどこまで関与しているの? どうして死んだはずのあなたや私が、こうして生きて動いているの? 一体、今何が起きているの……?」

 思わず仰け反りながら、男は「えっと……」と口を開いた。

「順番に答えようか。まず、僕は陶焰賀(えんが)。君を冥婚の花嫁にするべく攫ってこさせたのは、僕の母」

 そうじゃないかという気はしていたが、やはりそうか。

「どこまで関与しているか、は答えるのが難しいな……。冥婚を行おうというのは母の独断だけど、それもこれも僕を想っての事だし……。正直、母なら止めてもやるだろうなって生前から思ってはいたから。関与していると言えば、全面的に関与しているとも言えるのかもしれない」

 そう言ってから、焰賀は「あぁ」と呟き、補足した。

「生まれた時から体が弱くてね。長くは生きられないと常々言われていたんだよ。それで余計に、母の愛情が重くなってしまったわけなんだけど」

 その結果、死んでしまった息子のために冥婚を。その花嫁には死にたての新鮮な遺体を、などという事を目論み実行してしまったわけだ。理解はできなくはないが、納得はし難い……と言うか、したくない。

 顔を顰めた瑛練に、焰賀は「それでね……」と言葉を続けた。

「母ならきっと、僕のために花嫁を探そうとするだろうと思ったし、止めても聞かない。そもそも死んでしまっては止める事は叶わない。そう考えた僕は、生きている間に手を打つことにしたんだ」

 それが、「今何が起きているのか」という問いに対する答えだと焰賀は言った。

「僕や母のために、何の因果も無い人の人生を奪うわけにはいかない。母を止める事ができないなら、せめて事が起きてしまった後に花嫁を生き返らせる事はできないかと思って。僕は、高名な道士に相談をしたんだ」

「……は?」

 何故そこで、道士が出てくる? 嫌な予感がして、瑛練は再び顔を顰めた。

「話を聞いて、僕にできる事を考えて、その道士に協力して貰える範囲を定めて……。それで最終的に、生き返らせる事は無理でも、僵尸(キョンシー)になら……というところで話は落ち着いたんだ」

「なんでそこで落ち着いちゃったの……?」

 耐えきれずに声に出して、瑛練はため息を吐いた。何とか被害者の人生が奪われないようにしようと考えてくれたところまでは良いのだが、結論が極論過ぎる。たしかに自分の人生を奪われたのは腹立たしいが、だからと言って僵尸になってまで生きたいかと自問してみれば首を傾げる他は無い。

「えっと……僵尸、駄目だった……?」

「逆に、なんで良いと思ったの……?」

 呆れ返った声音で呟き、瑛練は「あのね」と切り出した。

「僵尸って、ようは死んで生き返った化け物でしょ? 誰が好き好んで化け物になりたがると思う?」

「……たしかに体が腐ってたら嫌だけど。今回は死ぬ前から準備をしてあったから腐る前に蘇ったし、一度蘇っちゃえば腐らずに済むよ? 生殖や飲食はできなくなるけど、裏を返せば飢える事が無いから食費がかからないし、食費を稼ぐ必要が無いという事はその分のんびりと過ごす事ができる」

「……それは……ちょっと魅力的かも……」

 寒村の生まれ故に、瑛練は物心ついた時からあくせくと働いてきた。飢えても食料が手に入らない時だってあったし、そんなんだから〝食べる楽しみ〟とやらとも無縁だった。

 そう考えると、たしかに悪くないのでは? と思えてきた……が。

「だとしたら……私、何のために生きたかったんだろう……?」

 根本的なところに気付いてしまった。

 あくせく働き、その日の食事にも事欠く生活。特に楽しみも無く、失踪した際に探してくれるような者もおらず。子孫を残す目処も立っていなかったのに、何故殺された事にこんなにも憤りを感じているのだろう?

 そう疑問を口にすると、焰賀は「あぁ」と頷いた。

「推測だけどね。どんな人生であれ、自分のものだったものを他人にどうこうされるのは反感を覚えるんじゃないかな? それから……」

 少し言うのを躊躇ってから、焰賀は言った。

「君にとっては厳しかった人生を、根本から変えてやろうという意気込みがあったのかもしれないね」

「変えたかった……私の、人生を……?」

 そう言われても、ピンとこない。だが、瑛練は「言われてみればそうかもしれない」と心のどこかで呟いた気がした。

 その背を押すように、焰賀はニコリと笑って言った。

「そんな君に朗報だよ。道士に協力してもらったって言ったよね? この後、何日かしたら僕たちが眠っているはずのこの棺は土に埋められるんだけど、落ち着いた頃合いを見計らって、その道士が僕たちを掘り起こしてくれる手はずになっているんだ」

「……え?」

 言われている意味がわからず、瑛練は首を傾げた。そんな彼女に、焰賀は「だからね」と言う。

「掘り起こされた後は、自由。流石に元の生活に戻る事はできないけど、好きな土地へ行って、好きなように生きる事ができるんだ」

 どうする? 何をしたい? そう訊かれて、瑛練は押し黙った。いきなりそんな事を言われても、そう簡単には思い付かない。

 そう言うと、焰賀は「じゃあ」と言った。

「改めて……僕のお嫁さんになってくれないかな? ずっと、長くは生きられないと言われ続けて、誰かと共に生きる事を諦めてたから。君がやりたい事が見付かるまででも良い。僕と結婚して、どこか遠い土地で共に生きて欲しい。……駄目かな?」

 僵尸だからだろうか。顔に、照れによる赤みは無い。でも、その顔はたしかに照れ臭そうに笑っていた。

 どの道、この先を一人で過ごすのは厳しいだろう事は想像に難くない。ならば、事情を知る者同士で共にいるのは悪くないのではないか? それに、焰賀と一緒にいれば道士の協力者もいる。困った時に力になってくれそうで、心強い。

 それに、冥婚とは言え既に婚姻を済ませてしまっているのだ。自分で誓ったわけではないとは言え、天や父祖の霊に誓った関係を「はい、さようなら」で終わらせられるとも思えない。

 ならば、答えは一つだ……が、ただ「はい」と頷くだけというのも違う気がする。初めて会った相手だが、焰賀はそんな従順な答えを望むような人間ではないように思えた。

 何故、わざわざ焰賀が望みそうな態度を示そうとしているのだろう。疑問を感じ、少しだけ考える。そして、冥婚の犠牲者を救うために自分も相手も僵尸になる手配をしてしまうような男に興味が湧いたのかもしれないと考え、くすりと笑った。

 顔に浮かんだのであろうささやかな笑みに、焰賀は首を傾げている。そんな彼に、瑛練は笑みを消さずに言った。

「あなたの伴侶に収まるのは、中々大変そう」

 他人も自分もよかれと思って僵尸にしてしまうような感性の持ち主だ。共に暮らすようになったら、毎日のようにとんでもない事をしでかしてくれるかもしれない。だが。

「けどきっと、楽しい毎日になる。……違う?」

 試すように問われて、焰賀は「違わないよ」と静かに、しかし力強く言った。

「違わないように……君が毎日笑顔でいられるように、努力する」

 努力はしてくれなくても良いかもしれない。意識的におかしな事をされては、流石に困る。

 瞬時にそう思って苦笑すると、何が嬉しかったのだろうか。焰賀もくすりと笑い、そして瑛練の手を取った。それを両手で包み込むように握りながら、言う。

「これからよろしくね、可愛いお嫁さん」

 歯の浮くような事をさらっと言ってのけるのは生まれや育ち故だろうか……と考えてから、瑛練は焰賀に名乗っていなかった事に気付く。

「瑛練。……名前で呼んで。どこでもかしこでも、いつまでも〝お嫁さん〟なんて呼んでたら変でしょう?」

「それもそうだね。じゃあ、瑛練も僕の事を名前で呼んでくれる? 焰賀って。さっきみたいな〝あなた〟もくすぐったい感じがして捨て難いんだけど、名前で呼ばれる方が特別感があって良いし。……あ、そうだ。外で、人目が気になる時だけは〝あなた〟にするとかどうかな?」

 妻が夫を立てる事を良しとする世だ。例え当人の希望であっても、夫の名を呼ぶことで目くじらを立てる者もいるだろう。そんな煩わしさを回避する案まで出して、焰賀はニコニコと笑っている。何を期待しているのか、掘り起こされた後の新婚生活を相当楽しみにしているようだ。

 いぶかしむような瑛練の視線など意にも介さず、焰賀は「さて」と言った。

「そろそろ寝ようか。本当は、生前に希望を伝えて建ててもらった僕用の廟をもっと眺めて堪能したいところだけど、いつ人が来るかわからないからね」

 今、さらりと凄い事を言った気がする。建ててもらった? それで、妙に日光が差し込んできて明るいのか。やはりこの新たに夫となった男、感覚が相当世間ズレしている。

 予定では、あと数日でこの棺は地の下に埋められるらしい。それまではできるだけ大人しくしていようと言いながら、焰賀は棺の中に横たわった。瑛練もそれに倣い、横たわる。顔のすぐ近くに焰賀の顔がある事に気付いた途端に、もう止まってしまったはずの心臓が高鳴ったような気がするのが不思議だ。

「それじゃあ、掘り起こされるその日まで……おやすみ、瑛練」

「……おやすみ、焰賀」

 挨拶を呟き、目を閉じる。

 意外な事が立て続けに起こるこの冥婚、どうやらそれなりに楽しくやっていけそうだ。……否、これは最早、冥婚に非ず。こんなに明るい……それも、新郎新婦がイキイキとしている冥婚があるだろうか。

 ならばこれは、ただの結婚と言えるのだろうか。そう考えた途端に、瑛練は冷たくなっている筈の頬に朱が差したような気がした。思わず、カッと目を見開く。

 顔は、本当に赤くなっているのだろうか? 赤くなっているとしたら、焰賀に気付かれたりしていないだろうか?

 あるはずの無い胸の高鳴りを感じながらも、埋められ、再び掘り起こされた後の生活を夢見るために。瑛練は再び、まぶたを下ろした。





(了)











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