僕と私の魔王生活





12





「魔王はどこだ! 俺達の世界に侵攻なんてさせないぞ!」

 暑苦しい声が遠方から聞こえてきて、メトゥスは「うぇっ……」と呟いた。まだ声が聞こえてくるだけだが、既に本能が「苦手なタイプだ」と告げている。

 熱い性格の正義の味方は苦手だ。勢いでどんどん押してくる上に、話し合いが成立しない。自分が正義と信じた物を疑わず、悪と決めた物を徹底的に断罪してくる。

「僕達は、まだ何もしていないのに……」

 そっと、誰にも聞こえないよう呟いた。正確には、優音をこちらの世界に連れてきているので、何もしていないとは言えない。……が、当人がこちらの世界に馴染み、元気になり、あまつさえ帰りたがらないのだから、これに関してはノーカンにして欲しい。まず、勇者達が優音の存在を知っているのかどうかすら怪しい。神様が「魔族の世界に連れ去られた人間がいる」とでも言っていない限り、まず間違い無く、知らないままだろう。

 少なくとも、あちらの世界の人間に傷を負わせるような事は、やっていない。それなのに、勇者達はこちらへ攻め込んできた。これでは、どちらが侵略者なのかわかったものじゃない。

「……なんて言っても、聞いてはもらえないんでしょうね……。侵攻を計画していたのは事実ですし」

 穴だらけで再考の余地しか無かったとは言え、計画はしていた。……と言うか、計画するよう定めの元に生まれているのだから、計画せざるを得ない。

 それを勇者は責めるだろう。計画をした時点で悪い、と。

 溜息を吐く間にも、勇者の怒鳴り声が近付いてくる。城の中で戦闘態勢を整えていた魔族の軍勢は、勇者の剣やその仲間の魔法で蹴散らされてしまっているのか、叫び声、何かが破裂する音、金属と金属がぶつかり合う音が、絶え間なく聞こえてくる。

 叫び声が聞こえてくる度に、メトゥスは息苦しそうに立ち上がる。力が及ばないのはわかっている。だが、魔族達がどんどん倒されている音を、落ち着いて聞いているなんてできない。

「それでも、お前は魔王だ。魔王は部下を助けになんか行かねぇで、奥の間でどーんと待ち構えているもの。……小さい頃から、そう言われてきただろう? メトゥスよぅ」

 そう言って、何度も奥の間から駆け出そうとするメトゥスを嗜めるクロの声も、険しい。

 それを何度も繰り返しているうちに、遂に部屋の前から魔族達の叫び声が聞こえてきた。もう、目の前にいる。

「まずは我らが。メトゥス様はこのまま、ここに」

 そう言って、護衛を務める臣下の者達は部屋から出ていく。そして、すぐに彼らの叫び声が聞こえた。

 扉が開く。血の臭いが、大量に流れ込んでくる。そして、それと同時に五人分の影が、部屋の中に踏み込んできた。

 勇者と、その仲間達だ。

「……魔王メトゥスというのは、お前か?」

 大剣を手にした青年が、警戒の色を全面に出しながら問う。その背後には、杖を持った男女が一人ずつと、細身の剣を持った女が一人、弓を持った男が一人。魔法使いが二人と、魔法剣士が一人、弓使いが一人か……と、メトゥスは心の中で相手の装備と戦闘タイプを確認する。そして、一番前で大剣を構えている青年こそが……。

「なるほど……。あなたが、勇者……ですね?」

 柔らかい物腰の応対に、勇者達が警戒を強めた。勇者が、ペッと唾を吐く。

「魔王のくせに随分と丁寧な喋り方をするじゃないか。馬鹿にされてるようで、良い気はしないな」

「……生憎、元からこの喋り方です。あなた方を馬鹿にする気は、毛頭ありませんよ」

 馬鹿になんてできるわけがない。彼らはここに来るまでの間に多くの魔族を倒している。漂ってくる血の臭いからも、それは明らかだ。己はただでさえ弱いのに、そんな相手を馬鹿にしてかかるなんてできるわけがない。

 そう考えるのと同時に、メトゥスは己に、今までに経験した事の無い感情が満ちている事に気が付いた。

 この感情は、何だろう?

 こちらはまだ、人間の世界に実害を与えたわけではないのに、恐らく神様の口車に乗ってほいほい攻め込んできて。

 平穏な時をぶち壊して。

 そしてきっと、数え切れないほどの魔族に血を流させた。

 これだけの事をされて、いくらメトゥスでも。いくら最弱の魔王で、気も弱くて、争い事が苦手でも。憤らずにいられようか。

 ……そうだ、怒りだ。

 クロにからかわれた時に感じる、どこか温かい気持ちが混ざる憤りとも。ニンブスにからかわれたり、神様からの理不尽な話を聞いた時に感じる、諦観や情けなさが混ざる憤りとも。どちらとも違う。

 相手を許したくないという気持ちだけで構成された、純粋な怒り。

 それがあるから強くなるというわけではないけれども。それでも。

 怒りに打ち消されて、いつもであれば決まって表に出てきてしまう、恐怖や躊躇いが湧いてこない。

 メトゥスは、剣を抜いた。それを合図にしたかのように、勇者達もそれぞれの武器を構える。互いに、言葉は要るまい。言葉を使ったところで、わかり合えない事は明白なのだから。

 ならば、話し合う時間を使って、少しでも早い決着を。

 勇者が駆け出し、大剣を振るう。メトゥスはそれを剣で受け、それと同時に呪文を詠唱する。

「魔王メトゥスの名をもって命ず。昏き地に棲む黄泉(こうせん)の主(ぬし)よ、冥府の力を用いて我に仇なす者を喰らい、その魂を其方の糧とせん」

 唱え終えた瞬間に、口だけでも人間の背丈ほどもあるような、巨大な犬が現れた。体も、爪も、何もかもが黒い。闇で作られたかのような犬だ。

 犬は大きな口を開け、勇者を飲み込もうとする。

 女の魔法使いが咄嗟に杖を掲げた。すると、勇者の体を結界が包み込み、犬は勇者を飲み込めないまま消えてしまう。

「……今ので決まると思ったんですけど……」

 悔しそうに呟くメトゥスに、近くの彫像を止まり木代わりにしたクロが「馬鹿」と言う。

「神様に力を与えられた勇者と、その仲間だぞ。そうおいそれと退場してくれるわけねぇだろうが」

「……ですよね」

 軽く頷くメトゥスに、クロは「でもな……」と言葉を継ぐ。

「剣も魔法も、今までの訓練よりもよっぽど良く動けてるし、淀みなく詠唱できてると思うぜ。なるほど、アレだな。お前は、守る時の方が力を発揮できるんだな。お嬢がこの場にいたら、もっと強くなれたんじゃねぇのか? 良いところも見せたいだろうしなぁ」

「……今この状況で言います? それ……」

 呆れた口調で返しながらも、メトゥスの顔は険しいままだ。勇者一人だけでも厳しいのに、仲間の魔法使い達もそれなりの戦力がある。魔法を、まさか結界一つで打ち消されてしまうとは思わなかった。そんな仲間が、四人もいる。

「……これ、どうにかなるんでしょうか……?」

 思わず、弱音が口をついて出た。それが、いけなかった。

 弱音は隙に繋がり、隙は相手にチャンスを作る。

 気付けばメトゥスは勇者とその仲間達の五人に囲まれていて、そのうちの魔法使い二人は詠唱をしている。弓使いは、弓を大きく引き絞っている。魔法剣士は、魔法と思われる強烈な光を剣に纏わせ、それを構えて突進してくる。勇者が、大剣を振り上げている。

 対するメトゥスは、仲間と言えばクロ一羽きり。腕は二本しか無く、剣は一振りしか無い。魔法は、先程一番強い物を使ったのに消されてしまった。

 あぁ、これは……本格的に、まずい。

 どうしよう、僕が死んだら、この世界を管理する者がいなくなってしまうのに。

 この前、死んだら楽になれるかも、なんて……初日のユーネみたいな事を少しでも考えてしまった。なのに今は、それがとてつもなく怖い。

 まだやらなきゃいけない事があるのに。

 勇者達に倒された臣下達の様子を見に行かないと。生きているなら、治療をしてやらないと。

 クロを逃がさないと。いつもは僕をからかってばかりだけど、あれで心配性だから。早く逃げないと、クロも危ないのに。

 ユーネはどうしただろう。ちゃんと隠れただろうか。あぁ、でも、このままだと彼女はこの世界で独りぼっちになってしまう。それは何とか避けられないだろうか。彼女は、大きなお世話だと言いそうだけれども。

 そう言えば、彼女は結局何だったんだろう。何となくニンブスは知ってそうな気がするのだけど、何故僕に教えてくれなかったのだろう。次に会えたらしつこく訊いてみたいと思っていたのだけれど。

 様々な思考が、取り留めなく脳を過ぎる。

 そうこうしているうちに、魔法使い達は詠唱を終え、弓使いは矢を放ち、魔法剣士と勇者はメトゥスの元に到達する。

 そして、辺りは閃光に満ち、耳を裂くような破壊音が響き渡った。











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