僕と私の魔王生活





10





 あれから、数日が過ぎた。

 優音は相変わらず暇な時間を掃除に費やし。メトゥスは魔王として魔族達の様子を視察したり、武器の手入れを怠っていないかチェックしたりと、忙しない。

「皆さん、ちゃんと寝て、食べてますか? 人間の世界を侵攻するにしろ、普段の生活にしろ、全ては体が資本ですよ」

「武器の手入れをちゃんとしておかないと、いざという時自分の身を守れませんよ。中々侵攻を開始できなくて申し訳ないんですけど、武器の手入れだけは欠かさず行うようにしてくださいね」

 時々漏れ聞こえてくる言葉が、魔王のそれではない。人間の世界の感覚で考えればまぁまぁ正しい指導なのだが、人間の世界に侵攻しようとしている魔王の言葉だと考えると「やる気あるのか」としか思えなくなってくるから不思議だ。

 窓から見えるメトゥスの様子に、優音は首を傾げた。

「つくづく……神様ってやつは、何を考えて魔王を選んだのかしらね」

「それなんだよねぇ」

「……っ!?」

 突如背後から聞こえてきた声に、優音は勢いよく振り向いた。

 そこには、いつの間にかニンブスが立っていて、優音越しに外のメトゥスの様子を見守っていた。相変わらず、口許は笑っているが目が笑っていない。

「……ニンブス?」

「やぁ、ユーネ。名前を憶えていてくれて、嬉しいよ。数日ぶりだね」

 何やら爽やかに胡散臭い言葉を口にしてから、ニンブスは優音から正しく距離を取る。特に親しい間柄でも無い相手と、声を張り上げずとも会話をする事ができる距離だ。

「今日は何か? メトゥスなら見ての通り、外にいるけど」

 突き放すように言うと、ニンブスは「ううん」と言いながら首を横に振る。

「今日も、君に用事。ほら、この前君とメトゥスの関係について僕の推測を教えようとしたけど、メトゥスが割って入ってきたから話せなかったでしょ?」

「そう言えば、そうだったわね。……メトゥスがいる場で話せば良かったんじゃないの? それとも、話に割り込まれた衝撃で、何を話そうとしたのか忘れたの? 仮にも神の使いが、健忘症?」

「うぅん……前回より手厳しさに磨きがかかってない……?」

 ニンブスが少々気圧された様子で言うので、優音は「そうかもしれない」と頷いた。

「こっちの世界に来てから、何と言うか……調子が良い気がするのよね。体じゃなくて、心の。それでつい、言葉に抑制が利かなくなってるのかもしれないわ」

 この調子だと、いつメトゥスを泣かせてしまってもおかしくない、と真顔で言う。するとニンブスは「あー……」と、呆れたような納得したような、曖昧な声を発した。

「体はともかく、魂はこっちの世界の方が合ってるって事かな。……やっぱり、そうなんだねぇ」

「……やっぱり、って?」

 訝しげな顔をして問うと、ニンブスはちら、と窓の外を見た。先程まで見えた、メトゥスの姿が見えなくなっている。こちらから見えるぐらいなのだし、あちらからもこちらの姿は見えるだろう。ニンブスが優音に声をかけているのを見て、こちらに向かっている可能性が高そうであるように思う。

「……これは、今のメトゥスには知られないようにね? 多分、今の彼のメンタルだと、この事実には耐えられないだろうから」

 そう言うと、ニンブスは優音の耳元に口を近付けた。メトゥスの他に、どこを飛んでいるのかわからないクロの耳も警戒しているのかもしれない。

「実はね…………なんだ。だから、君とメトゥスは……」

 耳元で囁かれる言葉に、優音の目が次第に丸くなっていく。

「……それ、本当なの?」

 複雑そうで、それでいて険しい顔をする優音に、ニンブスは真剣な面持ちで頷く。

「こんな事、冗談では言わないよ。……それに、これが事実だと思えば、納得がいくんじゃないかい? 何故メトゥスは、魔王として生まれたのにあそこまで魔王に向いていないのか。何故君は……魔族の世界に来た途端に、いつ死んでもおかしくなかった心を持ち直し、ここまで元気になれたのか」

「たしかに……」

 小さい声で呟き、優音は頷いた。だが。だとすると……。

「これが事実なら、メトゥスだけは事態がどう転がっても、救われない。……そういう事にならない?」

 優音の問いに、ニンブスは遠くを見ながら呟く。

「……そうかな? ……そうかもね。このままなら、彼は恐らく一生、救われないだろうね。……このままなら」

 含みのある言葉に、優音はニンブスの顔を仰ぎ見る。そして、何か言おうとして、言葉を探した。だが、何を言えば良いのかが、わからない。

 どうしようかと考えあぐねた、その時だ。

「ニンブス! また何をしに来たんですか!?」

 声を張り上げて、息を弾ませながら、メトゥスが部屋に飛び込んできた。

「ここ数日は、あなたが入れるようなサイズの窓は全部内側から鍵をかけておいたはずですよ! どうして入れているんですか!」

「あのねぇ、メトゥス? 窓が閉まっていても、扉が開いていれば入れるんだよ?」

 あまりに当たり前と言えば当たり前な返答に、メトゥスは顔を赤くして黙り込んだ。

「なに、この前はあまりお喋りできなかったから、もう少しユーネと話をしてみたいと思ってね。それから、ついでに伝えたい事もあるんだ」

「伝えたい事? 何ですか?」

 顔の赤みを冷ますためか、メトゥスは手扇で顔を仰ぎながら問うた。すると、ニンブスは「うん」と頷く。

「もうすぐ人間世界の勇者がここに攻め込んでくるからね。準備の時間が欲しいだろうから、伝えておこうと思ってね」

「……は?」

 メトゥスと、優音の声が重なった。

「ちょ……ちょっ、ちょっ……何ですか、それ!?」

 人間が攻めてくる事があるなんて聞いていない、とメトゥスはニンブスに詰め寄った。その反応に対して、ニンブスの様子は冷ややかだ。

「メトゥスがいつまで経っても事を起こさない事に、上が業を煮やしているって言っただろう? あの時、上では既に別の計画が進行していたんだよ。魔族側が事を起こさないのなら、人間側に事を起こさせよう、ってね」

「……どうやって?」

 優音の問いに、ニンブスは「うん」と頷く。

「別世界に住む魔族が、人間の世界に侵攻し、支配しようとしている。選ばれし勇者は仲間と共に魔界へ向かって魔王を討ち、人間界の危機を未然に防ぐべし」

 その言葉に、優音は「あっ」と呟いた。ニンブスが、再度頷いて見せる。

「この言葉を、正義感が強く、物語や空想が好きで、ヒーローになる事に憧れていて、ついでに定職に就いていなくて守る物が無い暇人に、特殊な能力を与えつつ神様が伝えてみたら、どうなると思う?」

 結果は、ご覧の通り。話を持ちかけられた人間は勇者になれると喜び、二つ返事で魔王討伐を引き受けた。

「やる気だけでどんどん進んでいるらしくてね。既に仲間も何人か集まっているし、剣の扱いにも慣れてきている。魔法を使うコツも、掴んできたらしい。そろそろ勇者の魔法を使って世界の境界を歪め、メトゥスを討伐するために攻め込んでくるんじゃないかな」

 そう言ってから、「情報が遅くなってごめんね」と言う。

「僕が伝える事ができるのは、ここまでだ。これ以上の情報を伝えると、両陣営のパワーバランスが崩れて、僕が神様達に罰せられてしまうからね」

 そう言って、ニンブスは窓の鍵を開錠する。今日は扉から入ってきたが、帰りは前回と同じく窓から出ていくつもりらしい。

「とにかく、そんなわけだから。準備は怠らないようにね。僕としては、小さい頃から知っている君には生き延びて欲しいんだよ、メトゥス」

 それだけ言うと、ニンブスは前回と同じように窓から空へと飛び立ち、消えていく。その後ろ姿を見送ってから、優音はメトゥスに顔を向けた。

「……どうするの?」

 この状況を。この最弱と呼ばれる、お人好しで気が弱くて真面目で責任感が強く……そして、恐らく現在、心がギリギリまで追い詰められている魔王は、どうするつもりなのだろうか。

 顔は既に青褪めている。体も、小刻みに震えている。人間の世界への侵攻を先延ばしし続けてきた彼の事だ。先日優音に剣を向けた時も、一思いにやるという事ができなかった。実戦の経験は皆無であると思った方が良いだろう。

 そんな彼が、魔族やこの世界の命運を背負い、魔王として指揮を執り、いざという時にはたった一人になっても戦わなければならないのだ。不安と緊張と責任感で、押し潰されそうになっているのであろう事は想像に難くない。

「……とにかく、まずは非戦闘員の方々に避難をしてもらいます」

 声を震わせながらも、メトゥスはきっぱりと言った。

「避難指示を行っている間に、並行して軍を整えます。それと、防衛設備の点検も。あとは、えぇっと……」

 言い淀んだ。自分でやるべき事を思い出しながら喋っているのだろうか。

「相手が今どこにいるかの確認と、可能なら相手の戦力や弱点を調べる事。あと、籠城戦になった場合に備えて食料の確認。軍を整えるのなら、各部隊で指揮を執る役目を誰に振るかも考える必要があるんじゃないの?」

 つらつらと言い連ねると、メトゥスが「えっ」と呟いた。

「ユーネ、軍事関係、わかるんですか……?」

「わからないわよ。ただ、元の世界で読んだ物語には軍を展開するシーンがある物も少なからずあったから、何となくこれは必要なんじゃないかって思っただけ」

 そう返すと、メトゥスは「そうですか……」と呟く。

「軍事を一切学んだ事が無く、物語で触れただけのユーネでもそれだけの必要事項が出てくるのに……。僕は……」

「今まで学んで準備してきた事を咄嗟に出せなくて凹んじゃう気持ちは痛いほどわかるけど、今は落ち込んでいられる場合じゃないでしょ。酷かもしれないけど、あなたにとって今は頑張り時なんじゃないの?」

「……っ!」

 メトゥスが、グッと息を呑む音が聞こえた。そして彼は優音の顔を正面から見据え、戸惑うような表情で問う。

「……励まして、くれるんですか? 戦う相手は、ユーネが住んでいた世界の人なのに……」

「そりゃあ、相手が知り合いだったら、私もどっちにつけば良いかわからなくて迷うかもしれないけど……」

 言葉を探しながら、視線を泳がせる。何故だろう。メトゥスを励ます事が当たり前のように思っていた。言われてみれば、相手は元々住んでいた世界の住人。たしかに、知り合いではない。だが、それを言ったらこちらの世界だって、住み始めてからたった数日だ。

 何故、ここまで魔族の――メトゥスの方に肩入れをするのだろう。先程ニンブスから聞かされた話のためだろうか。

「そう言えば、ユーネ。僕がここに来るまで、ニンブスと何を話していたんですか? 何か、これから参考にできそうな事は言っていましたか?」

 問われ、優音はしばし考えた。ニンブスは、この話は今のメトゥスには知られないように、と言っていた。その考えには優音も同意せざるを得ない。

 恐らくだが、今まで一人で何とか自分を騙し騙しやっていたのだろうに、優音が現れた事でそれができなくなってしまっているのだ。

 死んでも構わないなどと言っていた人間が一日やそこらで言いたい放題できるようになり、それによってメトゥスを振り回しているのだから。混乱もするだろうし、「このままで良いのか?」と不安になりもするだろう。

 ニンブスから聞かされた話は、そんなメトゥスに聞かせて良い話ではない……と思う。だから、ニンブスの言葉通り、黙っている事にした。「いいえ」と言って、首を横に振る。

「これから攻めてくる勇者との戦いで参考になりそうな事は、何も」

「……そうですか」

 優音が隠し事をした事に、気付いたのか、気付いていないのか。どちらなのかは、わからない。わからない、が……。

「ユーネの言う通り……。今は、落ち込んでいられる場合じゃありませんよね。僕が頑張らないと……!」

 落ち込みは何とかなったようだが、このままだと空回りをしそうなところが心配でもある。

 そんな事を優音が考えている間にも、メトゥスは「あぁして、こうして……」とブツブツ呟きながら部屋を出ていってしまう。

 あの様子には、覚えがある。人間の世界で、山のように仕事を抱えて頭がパンクしそうになっていた時の優音自身だ。

 アレは……一人にしたらまずい奴だ。だけど、どうすれば解決するのか、本人も周りもわからない奴でもある。

 どうしたら良いのかわからないまま。優音はひとまず、メトゥスの後を追う。

 まずは、勇者が攻め込んでくるこの事態を、どうにか乗り切らなければならない。











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