駆出し陰陽師と夏に降る紅葉








14










 あれから、十二日。件の邸を、ほお肉がげっそりと削げ落ちている季風が訪った。

「ど、どうしたのかね季風殿? その容貌は……」

 今にも死にそうな季風の様子に、対面した主人は目をこれ以上ない程見開いている。その問いに、季風は「ははは……」と力無く苦笑した。

「いえ、ちょっと……徹夜が続いたものですから……」

 今このような容貌になっているのは、季風だけではない。上司の隆善を始め、同じ部署に所属する陰陽師達全員がこのような有様だ。

 十二日前……姉からの手紙で何をすべきか方針が決まった季風達は、まずこの邸に人をやり、あの大量に保管されていたもみじ葉を全て引き取った。

 次に、姉から届けられたあの大量の物語を、更に大きな紙に、大きな字で全て書き写した。この時点で、黄泉の国に片足を突っ込みそうである。

 同部署の人員だけではとてもではないが人手が足りず、隆善があちらこちらを駆けずり回り、頼み込み、宥めすかし、最後は何らかの難癖をつけて脅し、何とか人員を確保した。

 拡大した写しを用意したところで、それぞれの文字の上に、同じ文字の虫食いがある葉を一枚ずつ貼り付けていく。

 姉から指摘を受けた、源氏物語の四十二帖は比較的簡単だった。その日の日付が記された紙が貼りつけられている葛籠に入っているのは、四十二帖に使用されている文字のみだったのだ。裏返しになっていない分、貝合わせよりも楽だったのではないだろうか。

 この日が四十二帖であるならば、その前日は四十一だろうと推測し、拡大した四十一帖に葉を貼り付けていったところ、その推測は当たりであったとわかった。この調子で、四十、三十九……とどんどん遡っていき、四十二日分は源氏物語が記されているのだとわかる。

 だが、そこからがわからない。次は一体、どの文章と照らし合わせてみれば良いのか。

「まずは初心に戻って、一日目から考えてみたらどうかな? もし他の日に降った葉も物語なのだとしたら、一日目は必ずどれかの冒頭だろうから」

「なるほど、たしかに。それなら、どの物語であろうと最初の方を確認するだけで良いな」

「……というか、まず一日目の葉を全部改めて仕分けねぇか? 含まれてる文字で何か推測できるかもしれねぇし」

 源氏物語の葉を全て照合する事ができて興が乗ったのか。同僚達も、乗り気で議論をし始めた。

「お、一日目の葛籠。〝竹〟って文字が何枚もあるぞ」

「竹ぇ? 竹って言ったら、あれしか無いだろ、あれしか」

「だよなぁ? せぇの、で同時に言ってみるか?」

「そうだな。せぇの……」

「竹取の翁!」

 声を合せて答えを発し、子どものようにはしゃいでいる。

 そんな感じで、どんどん拡大した物語にもみじ葉を貼り付けていった……のは良いのだが、あまりにも量が多く。葉に記された文字を改めて仕分けたり、適合する葉を探し出したりするだけで、膨大な時を費やしてしまった。

 人手がそれなりに確保できたからこそ十二日で済んだが、季風と同僚達だけでやっていたら、どれほどの時がかかった事やら。

 そして、交替しながらではあるが、常に誰かしらが二日ないし三日連続の徹夜を続けている状態であった。

 季風は一刻も早くこの怪異を解き明かし、この邸の人々を安心させたかったために、無理を押して来た。だが、大内裏にある陰陽寮の一角に設けられた調伏専門の部署のための室に残った者達はと言えば……。

「眠い……」

「怠い……」

「歳かな……昔はあの程度の徹夜、なんてこと無かったのにな……」

「同じ徹夜でも、宴ならまだ元気だったと思う……」

「そうだな……庚申会……庚申会みたいな賑やかな事やってたなら、こんな有様には……」

「お前ら、もの凄く楽しそうに適合する葉、探してたじゃないか。それこそ、庚申会みたいに……」

「それはそれ」

「これはこれ」

「馬鹿言ってる元気があんなら、お前ら俺に代わって、手伝ってくれた他所の奴らに挨拶回り行って来い」

「ぐー……」

「寝たふりすんじゃねぇよ……」

「いえ、こいつ本当に寝てます。……というか、俺ももう限界で……ぐー……」

 と、こんな具合に見るも無残な状態になっている。

 そんな悲惨ながらも愉快な状況になっている事は話さずに、季風は主人に、怪異を解き明かしに来たと告げた。その言葉に、主人は「おぉ……」と目を見開く。

「では、わかったのかね? 何故あのもみじが、秋でもないのに色付き、葉を落とし続けているのか……」

「はい……ですが……」

 頷き、季風は言い淀んだ。眠そうな目で主人の顔を見、空を見上げ、そして件のもみじがある方角を見る。

 主人は、一刻も早く真相を知りたそうな顔だ。夏の空はまだ青いが、それでも西の方が徐々に赤くなり始めているように思う。

 もみじは、きっと今も葉を降らせ続けているのだろう。一枚、また一枚と。たった一文を表現するのに、半刻はかかるのではないかと思う程に、ゆっくりと。

「真相をお話しするのは、夜を待ってからにして頂いてもよろしいでしょうか? 恐らく、なんですけど……今すぐ終わりにしてしまうのは、あのもみじの木も納得しないと思うので……」

 季風の申し出に、主人は不思議そうな顔をする。だが、むぅぅん……と唸ったかと思うと、頷いた。

「よかろう。誰もが納得できる解決方法があるのであれば、それに越した事はあるまい。ならば季風殿。休む場所を用意させる故、貴殿は夜までお休みになるがよろしかろう。そのように酷い顔では、逆に怪異が寄ってきそうじゃ」

 主人の言葉に、季風は苦笑した。たしかに、このままでは良くない怪異を引き寄せてしまいそうなほどに、怠い。そして、眠い。

 主人の申し出に甘える事にして、季風は邸の中へと入っていく。用意してもらった休憩場所へ向かいながら、もう一度空を見上げた。ほんの少しずつだが、空が夜に近付いているのがわかる。

 あと二刻もしたら、己はこの邸の主人に対して、あのもみじの木が起こした怪異に説明する事になる。

 その事に緊張しながらも、やはり徹夜続きによる眠気には抗い難く。ふわぁ、と一つ、大きな欠伸をしたのだった。













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