平安陰陽騒龍記~父娘之巻~




















それから、数日後。

「おい、今日実験するぞ」

「……実験? 何のですか?」

朝餉の席で唐突に言われ、葵は怪訝な顔をして首を傾げた。紫苑や弓弦も不思議そうな顔をしている。

「荒刀海彦達に、実体を持たせる実験だ」

隆善は羹を口に運びながら、事も無げに言う。しかし、言われた方は「あ、そうですか、わかりました」とはいかない。全員が、目を丸くした。

葵が気配を探ってみれば、荒刀海彦と穂跳彦も目を瞠っているようだ。末広比売と勢輔は、あまりわかっていないようだが。

「荒刀海彦達に実体って……どうして? いや、まずどうやって……?」

目を白黒させる葵に、隆善は「その方が都合が良い」と強飯を噛みながら言った。

「荒刀海彦達に実体を持たせる事ができりゃあ、葵に長々と入っている必要も無くなるからな。負担が減るだろ。鬼やなんかと戦う時にゃあ、単純に戦える人数が増えるし、術を使う葵と、相手に直接攻撃できる荒刀海彦や勢輔で隊列を組めるようにもなる。一石二鳥だろ?」

くどくどと理由を述べているが、実はそれらは全て建前だ。

先日、葵は夜盗達と戦う機会を持った。そこで荒刀海彦達の力を使った為に夜盗達に「化け物」呼ばわりされ、これまで人に拒絶される経験の無かった葵の心は大きく揺らいだ。強力な鬼を呼び寄せてしまう程に。

葵が荒刀海彦達の力を借りれば借りるほど、葵は人に化け物扱いされる機会が多くなる。その分、心が揺らいで鬼を呼び寄せる事も多くなってしまうだろう。

かと言って、完全に荒刀海彦達の力を借りずにいる事は、今となっては難しい。神霊である荒刀海彦達をその身に宿す葵は、鬼達にとっては美味な餌と認識されるようになりつつある。放っておけば、いずれは何もしなくても惟幸のように鬼に付け狙われるようになるだろう。葵が危なくなれば、荒刀海彦達とて大人しくはしていられない。なし崩しに力を使う事になる。

荒刀海彦達の力を使う機会が増えれば、次第に葵の中で普通と異常の境界が薄れ、意識する事無く異常への境界を踏み越えてしまうようになりかねない。そうなれば、事情を知らぬ者に「化け物」と呼ばれる事が増える。結局、最初に懸念した事態に陥ってしまうのだ。

幸い、葵自身はまだその事に気付いていない。ならば、早いうちに対策を講じてしまおうというのが、隆善と惟幸の結論だった。

常時とはいかないが、時折荒刀海彦達を葵の体から出す。そうすれば、葵の体が荒刀海彦達の魂魄に馴染み過ぎる事を防げる。隆善の理論上では、そういう事になる。

それらの複雑な事情を隠して隆善は淡々と答え、また羹を口にする。それから、右手を懐に突っ込み、ごそごそとまさぐった。

「どうやって……に対する答えだがな。これを使う」

そう言って取り出したのは、一枚の形代。陰陽師なら誰でも一度は作るであろう、紙を人の形に切り取った物だ。

だが、何かが普通の形代と違う。その形代が発する気配からそれを察し、葵達は少しだけ警戒する素振りを見せた。

弟子達の様子に、隆善は「警戒すんな」と面倒そうに言う。

「まぁ、普通の形代と違うと気付いたのは褒めてやる。……葵、前にお前の髪を一つまみ預かっただろう? あれを、紙をすく時に混ぜ込んだ。その紙で作ったのが、これだ」

「え……」

「なるほど……葵の一部を加えた紙であれば、一時的には我らの憑代にもなり得るやもしれんな」

硬直する葵の目の色が突如金色に変わり、口調がガラリと変わった。荒刀海彦が勝手に体の主導権を握ったのだ。彼の言葉に、隆善は満足そうに頷く。

「そういう事だ。今の段階じゃあ、もって精々一日ってところだろうが……いざって時、何が役に立つかわからねぇからな。思い付いた事は、どんどん試した方が良い」

そう言う隆善に、元に戻った葵は不思議そうに首を傾げる。その横では、弓弦が僅かに目を輝かせていた。

「実体を持たせるという事は……父上様の姿を、この目で見る事ができるという事でございますか……?」

そうか、と葵は得心した。荒刀海彦は弓弦の実父である。しかし、弓弦が物心つく前にその命を落とし、魂魄は十二年間ずっと葵の中で眠っていた。

弓弦は荒刀海彦の顔を覚えておらず、言葉を交わしたのも荒刀海彦が葵の体を使うようになったつい最近の事なのだ。

実際に顔を合わせる事ができるなら、それはきっと弓弦にとってとても嬉しい事なのだろう。弓弦が嬉しそうな事に気付いたのか、荒刀海彦の気配も少し浮つき始めたように葵は感じた。

隆善の言う事は一理あるし、何より弓弦と荒刀海彦が嬉しそうだ。ならば、拒む理由は無い。

「わかりました。お願いします」

隆善に向かって深々と頭を下げ、そしてすぐさま椀から強飯をかき込んだ。

実験で何が起こるかわからない。少しでも力をつけておくために、葵は食べる事に全力を注ぎ始めた。











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