平安の夢の迷い姫











36











「師匠! 京中に生えた木、何とか片付け終わりました!」

空が薄暗くなり、そろそろ夜になるという頃。明るい声で報告に来た葵に、隆善は「そうか……」とややぼんやりした声で答えた。いつもは眠らない刻限に寝たせいか、頭が上手く働かない。

「妖達はどうなった? あれだけの量だと、お前らだけじゃ片付けられなかっただろ」

「それが、惟幸様が急いで山を下りてきて、片っ端から調伏してくれまして……粗方片付いたところで、すぐにお戻りになられましたが」

「そうか。……まぁたあいつに借りを増やしちまった……」

がくりと肩を落とす隆善に、加夜はくすくすと笑っている。

「良いじゃない。惟幸様は、恩をかさに着るようなお方じゃないでしょう?」

「だからこそ、余計に性質が悪いんだよ。いっそこれ見よがしに恩だ貸しだと言ってくりゃあ、ぶん殴って終わりにできるってのに」

「あら? 隆善様、惟幸様にぶん投げられたんじゃなかったかしら? 殴るなんてできるの?」

加夜の言葉に、隆善は「げっ」と呟いた。顔が見る見るうちに苦りきっていく。

「あの野郎、そんな事まで話しやがったのか。……いつか、絶対呪い殺してやる」

「……師匠、いつもの返しをされるだけですよ、それ」

「友達を呪詛返しで殺したくないから、やめてほしい。ね」

葵と加夜、二人に言われて、隆善はむすりと黙り込む。ひとしきり笑ってから、葵が「じゃあ」と口を開いた。

「俺、また行ってきます! 今、見落として調伏していない妖がいないか、陰陽寮の人達と協力して確認してまして」

「おう、頼むぞ。俺も、落ち着いたら手伝いに行くと言っとけ」

「はい!」

頷いて駆け出そうとする葵を、加夜が声をかけて引き留めた。

「葵殿。その着物……早速着てくださっているのね。よく似合っているわ」

褒められ、葵はくすぐったそうに笑った。そして、縹色の水干の袂を翻して走り出す。

その後ろ姿を微笑ましげに眺めてから、加夜は隆善に視線を戻した。

「この後、隆善様もお出かけになるのね?」

「あぁ。……悪いな、戻って早々……」

加夜は、首を緩く横に振る。

「私がおかしな物を現にしてしまったせいだもの」

「元はと言えば、俺が隠し事をし過ぎたせいだ。……やっぱり、俺が悪いな」

「そんな事は……」

ない、と言おうとした加夜の口を、隆善が掌で封じた。恥ずかしそうに、後頭部を掻いている。

「堂々巡りになるな……。どちらが悪いかとか、この話はもう無しだ」

目を瞬き、加夜はくすりと笑う。口をふさがれているので、答える代わりに頷いた。

ほっと息を吐いてから、隆善は加夜の口から手を放し、そのまま懐の中へと差し込む。ごそごそと懐の中をまさぐりながら、「あー」と行き場の無さそうな声を発した。

「その……実はだな、加夜」

「? はい」

「騒ぎが起こる前に、俺は市に行ってきた」

「……? はい」

言わんとする事がよくわからず、加夜は曖昧に頷いた。隆善は、尚も「あー」と言葉にならぬ声を発している。

「何で市に行ったかと言うとだな、その……買いに行ったんだよ」

「……えぇ」

頷くしかない。市と言えば、物を買う場所だ。少なくとも、昼寝をしに行く場所ではない。

「……何を買いに行かれたの?」

問われて、隆善は口をむにむにと動かす。赤くなって、かなり照れている様子だ。

「……お前に、何か贈りたいと思ってな……」

一呼吸分、時が止まった。加夜が目を丸くしていると、隆善の顔は増々赤くなる。

「その……あれだ。惟幸に散々、お前を大事にしている事を示してやれと言われたんだけどな。どう伝えりゃ良いかわからなくて、まずは物で表してみようとだな」

照れのせいなのか、口調が速くなっている。

そうしているうちに、目当ての物が懐の中で手に触れたらしい。隆善は、二冊の草子を取り出した。

「これ、草子? 綺麗な紙ね……」

目の前に差し出された草子を、加夜はまじまじと見詰めた。中の紙は真っ白で、表紙は薄紅色に染められている。

「……これを、頂いても良いの?」

二冊を手に取った加夜に、隆善は頷いた。

「勿論だ。……ただし、一冊だけな」

「……え?」

怪訝な顔をして首を傾げる加夜に、隆善はまたも言い難そうな顔をした。加夜の手から、一冊だけ草子を取り上げる。

「一冊は、俺が使う。中には……そうだな。その日食って美味かった物とか、葵達みてぇな弟子がやらかした面白い事なんかを書く。……で、お前は同じように、その日あった事、考えた事、絵、そんな物を、好きなように書け。書いたら、文使いにでも届けさせろ。……俺も、できるだけ毎日、葵か誰かに届けさせるようにする」

「それって……」

加夜は思わず、草子を胸元でぎゅっと抱きしめた。隆善は恥ずかしそうに、己の草子に視線を落とす。

「仕事やら依頼やら付き合いやらで、流石に毎日来る事はできねぇからな。会えない分は、その草子に託す。今まで語れなかった分も、これから語る分も、俺の事、全部だ」

そう言って、ちら、と加夜に視線を寄越す。

「……それじゃ、駄目か?」

「隆善様……!」

草子を胸に抱いたまま、加夜は隆善にしな垂れかかった。それを隆善は優しく受け止め、両の腕を加夜の背に回す。

もう、夢の中に迷い込み、閉じこもる事は無い。恋人の温かみを感じながら、加夜は強く、実感した。











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